Ⅱコリント人への手紙13章 2012.8.4

 

13:1 私があなたがたのところへ行くのは、これで三度目です。すべての事実は、ふたりか三人の証人の口によって確認されるのです。

13:2 私は二度目の滞在のときに前もって言っておいたのですが、こうして離れている今も、前から罪を犯している人たちとほかのすべての人たちに、あらかじめ言っておきます。今度そちらに行ったときには、容赦はしません。

2人か3人の証人:パウロが3度訪問したこと、すなわち、回数のことを言っている

同じ人であっても、2,3度行くのは、2人か3人の証言と同等になる

たった一人のパウロが2回、3回行くことに関して・・・このことは、聖書の独特の表現、そして、再臨に関しての語りかけがある、再臨に対しての1つの教え

1度目:2000年前

2度目:再臨

2度、3度目は容赦しないと言っているが、このことは、再臨にも通じる

1度目はゆるす、しかし、2,3度目は容赦しない

キリストも2度にわたって来るので、2人の証人になる

要するに、キリストの再臨の一面について語っている

かつて、キリストが一度来た、そして、そのときの学びがある

十字架に付けたという前例があるにもかかわらず、終末、御言葉を投げ捨てたり、根拠も無い教えが、まかり通っている

聖書は、そういった奥義について書かれている

再臨の奥義もヒョコヒョコ書かれている

2度目に、歩みが正しくないなら、容赦しないと言っている

再臨は、不忠実な神の民への裁き

ゆえに、歩みを正していく

 

13:3 こう言うのは、あなたがたはキリストが私によって語っておられるという証拠を求めているからです。キリストはあなたがたに対して弱くはなく、あなたがたの間にあって強い方です。

13:4 確かに、弱さのゆえに十字架につけられましたが、神の力のゆえに生きておられます。私たちもキリストにあって弱い者ですが、あなたがたに対する神の力のゆえに、キリストとともに生きているのです。

13:5 あなたがたは、信仰に立っているかどうか、自分自身をためし、また吟味しなさい。それとも、あなたがたのうちにはイエス・キリストがおられることを、自分で認めないのですか。あなたがたがそれに不適格であれば別です。

キリストの再臨に関して

5節の「吟味しなさい」という言葉に語りかけがある

「そのはずだ!間違いは無い!」と思っていても、じつは、そうでないことがあるから、このように言っている

「自分は大丈夫」と思っていても、そうでない可能性がある

Ex:酔っ払いで、ふらふら歩いている人がいて、それでも、本人はまっすぐ歩いていると思い込んでいる

私たちの歩みもそんな風になっていないか?を確認する必要がある

5節の「不適格」という言葉は、原語では「邪悪」という意味合い

コリントの人に対して、本当なら、イエス・キリストがいると言っている

しかし、邪悪だと別だと言っている、つまり、キリストが存在していない可能性があるということを言っている

常識や知識ではなく、キリストが存在しているかどうかがポイント

どんなに能力があっても、キリストが存在していないなら間違える

Ex:律法学者やパリサイ人はキリストを排除した

キリストがいるかいないか?で、根本的な間違えをしてしまう

邪悪な歩みをするなら、キリストはいない

ゆえに、神に受け入れられない

邪悪な歩みをしないこと

聖霊がいないなら、未信者でもしないことをしてしまう

キリストがいないと大いに間違えてしまう→終末の特徴

そして、惑わしに入ってしまう

 

13:6 しかし、私たちは不適格でないことを、あなたがたが悟るように私は望んでいます。

13:7 私たちは、あなたがたがどんな悪をも行なわないように神に祈っています。それによって、私たち自身の適格であることが明らかになるというのではなく、たとい私たちは不適格のように見えても、あなたがたに正しい行ないをしてもらいたいためです。

ここでも、悪とか邪悪ということが書かれている

適格(原語):神に受け入れられる

再臨で大事なのはキリストに受け入れられること

受け入れられるクリスチャンとそうでないクリスチャンがいる

Ex:賢い花嫁と愚かな花嫁、麦と毒麦、良い魚と悪い魚

7節に書かれているように、悪を行っていく人は受け入れられない

しかし、多くのクリスチャンが、そのあたりを勘違いしている

Ex:艱難の用意をしない

キリストの再臨は、きちんと吟味しないときに、厳しい結論になってしまう

また、悪を行っている人について、以下の御言葉が成就してしまう

 

参照 マタイ7:21-23

7:21 わたしに向かって、『主よ、主よ。』と言う者がみな天の御国にはいるのではなく、天におられるわたしの父のみこころを行なう者がはいるのです。

7:22 その日には、大ぜいの者がわたしに言うでしょう。『主よ、主よ。私たちはあなたの名によって預言をし、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって奇蹟をたくさん行なったではありませんか。』

7:23 しかし、その時、わたしは彼らにこう宣告します。『わたしはあなたがたを全然知らない。不法をなす者ども。わたしから離れて行け。』

 

終末の惑わしのひとつに、賜物は持っていても、罪を犯しているということがある、残念ながらこのことは主に受け入れられない、そして、そういった罠がこれから来る

賜物を追いかけて足元がおかしくなる

賜物を求めても変なことに入ってはダメ

歩みや罪の罠に気をつける

再臨のとき、適格であるポイント:惑わされて悪を行ってはダメ

足元に気をつける

賜物に引っ張られてしまって足元が危なくなるということがある

キリストの再臨、主の判断:その人が悪を行っていないかどうか?

終末は、しるしや不思議に目が行って、足元がふらついて穴に落ち込む人がいる

 

13:8 私たちは、真理に逆らっては何をすることもできず、真理のためなら、何でもできるのです。

 

真理に逆らっては何をすることもできず:真理に逆らっては何者でもない

真理に逆らった行いや奉仕は無に帰してしまう

 

参照 マタイ15:13

15:13 しかし、イエスは答えて言われた。「わたしの天の父がお植えにならなかった木は、みな根こそぎにされます。

 

奉仕をしていくときのポイント:真理にあること→神の前に残る、神に用いられる

真理に逆らうと、どんな奉仕も無に帰してしまう

奉仕をするのは大事、しかし、神の御心はどうなのか?を確認すること

真理に従って行っていくのが大事→神の前に残り、神からの恵みを受ける

Ex:艱難前携挙説は無に帰してしまう働きのひとつ

真理にあった奉仕にポイントがある

 

13:9 私たちは、自分は弱くてもあなたがたが強ければ、喜ぶのです。私たちはあなたがたが完全な者になることを祈っています。

13:10 そういうわけで、離れていてこれらのことを書いているのは、私が行ったとき、主が私に授けてくださった権威を用いて、きびしい処置をとることのないようにするためです。この権威が与えられたのは築き上げるためであって、倒すためではないのです。

13:11 終わりに、兄弟たち。喜びなさい。完全な者になりなさい。慰めを受けなさい。一つ心になりなさい。平和を保ちなさい。そうすれば、愛と平和の神はあなたがたとともにいてくださいます。

13:12 聖なる口づけをもって、互いにあいさつをかわしなさい。すべての聖徒たちが、あなたがたによろしくと言っています。

13:13 主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、あなたがたすべてとともにありますように。

10節に書かれているように、パウロは権威が与えられた

だからといって、倒すためではなく、築き上げるために用いた

Ex:警告を語り、歩みを助けた