Ⅱテモテへの手紙2章(1-13節) 2014.1.12
2:1 そこで、わが子よ。キリスト・イエスにある恵みによって強くなりなさい。
私たちが強くなるのは、主の恵みによって
2:2 多くの証人の前で私から聞いたことを、他の人にも教える力のある忠実な人たちにゆだねなさい。
神のことばは、バトンリレーのように伝わっていく
メッセージを聞いて自分が納得するだけでなく、次の人に伝える、そのようにみことばが伝わる
伝え方に関しては、神さまの方法&導きがある
教える力のある人に委ねるので、そういうスキルを身に付ける、そうすると、さらに次の人に伝わっていく
2:3 キリスト・イエスのりっぱな兵士として、私と苦しみをともにしてください。
パウロはテモテに対して、また、働き人に対して「兵士」と言っている
「兵士」は楽な生活ではない
「兵士」として働きをしていくときに、「苦しみ」は望まなくても来る
「苦しみ」に会って、「こんなはずではない」という考えは根本的に間違えている、「兵士」なら困難がある
神の働きを担おうとする人は、「兵士」としての「苦しみ」がある、それを通して人々が真理を見る、そして永遠の命に近付いていく
「兵士」に関して、1つは困難がつきものだということをとらえておく
2:4 兵役についていながら、日常生活のことに掛かり合っている者はだれもありません。それは徴募した者を喜ばせるためです。
主の「兵士」なので、日常のことばかりに掛かっていて、主の働きができないというのはNG
永遠に残るものを目指すときに、日常生活にばかりとらわれてしまうと、奉仕する時間が取れなくなる
日常生活(ギリシャ語):自分が生きていくためのこと
Ex:何を食べるか?何を着るか?どこに遊びに行くか?等
しかしそればかりだと、奉仕ができなくなる
多少は日常生活を犠牲にしたり、削られていかなければいけない
主の働きを優先していくときに、この世の付き合いも減る
この世の関わりは、人からは時々怒られるかもしれない
しかしこの世の付き合いを全部全うしたら、主の奉仕に携われなくなる
2:5 また、競技をするときも、規定に従って競技をしなければ栄冠を得ることはできません。
どんな競技でも、ルールがある
クリスチャン生活においても同じ
競技(原語):格闘技→悪霊との格闘に通じる
私たちは敵との戦いがある、それに際してルールを知らなくてはいけない
ルールを知らないために、行き詰ってしまうクリスチャンがいる
クリスチャンでありながら、にっちもさっちもいかない状態になってしまう
天において冠を受けるために・・・→神が定められたルールや規定がある
こういったことを主に教えられていくことが大事
そして霊的な事柄に関してもある
Ex:ピーター・ワグナーは「霊の戦い」のことを言っていた
でも、このことはルールに反している、そして災いに入っていく
そういう意味合いでクリスチャンが霊的なルールを知らない、ヘタをすると嘘のルールを教えられてしまう
参考までに、「霊の戦い」について聖書はこのように語っている
参照 Ⅱペテロの手紙2:10,11
2:10 汚れた情欲を燃やし、肉に従って歩み、権威を侮る者たちに対しては、特にそうなのです。彼らは、大胆不敵な、尊大な者たちで、栄誉ある人たちをそしって、恐れるところがありません。
2:11 それに比べると、御使いたちは、勢いにも力にもまさっているにもかかわらず、主の御前に彼らをそしって訴えることはしません。
10節に書かれているように、「権威を侮る」人たちが出てくる
今の世界において、人間(弟)は御使い(兄)の権威の下にある→このことを守っていくことにポイントがある
神の与えた権威は尊重していく
それに関して勘違いしている人たちがいる
御使いをやっつけに行くのはみことばと違う
御使いのほうが、人間よりも勢いにも優っている
ゆえに霊の戦いに行くのは危険
霊の戦いに行くというのは、交番のお巡りさんに石を投げるようなもの
霊の戦いで権威に逆らって危険な目に会ったり、命を失った人までいる
御使いの権威は存在しているので、大変な目に会う
霊においてルールがある(御使いに対しての対応)
こういうことを知っていようといまいと、みことばによって裁かれてしまうので気を付ける
たとえ悪い御使いであっても、権威に対抗するのはNG
Ex:サウル王vsダビデ王→ダビデはサウルに散々悪いことをされた、しかし仕返しをしたりはしなかった、反対に良かれと思ってサウル王を殺害して首を持ってきた人に対して権威を侮った者として処罰した
知ろうと知るまいとルールは厳然として動いている、ゆえに規定に従うのは大事
真理を知っていくのにも、ルールがある→聖書を通読していく人が見るべき真理を見る
悪霊にやられやすい人の特徴:権威にぶつかったり、反抗的だったり、罪があったりする
参照 箴言30:17
30:17 自分の父をあざけり、母への従順をさげすむ目は、谷の烏にえぐりとられ、わしの子に食われる。
鳥、わし:霊的なことのたとえ
目:霊的に見えなくなる→権威に逆らう人
霊的に物を見るつもりなら、このことを尊重していかなければいけない
世の中はすべて法則で動いている
また、霊の世界も規定に従って動いている
そしてルールを知らないために、足踏みをしていることがある
2:6 労苦した農夫こそ、まず第一に収穫の分け前にあずかるべきです。
収穫(原語):実
労苦した農夫:みことばに関して働く奉仕者
みことばの実に最初にあずかるのは奉仕者
農夫が最初にみことば&御霊の実を見る
ゆえに気落ちせずに奉仕していく
2:7 私が言っていることをよく考えなさい。主はすべてのことについて、理解する力をあなたに必ず与えてくださいます。
新約の書簡の大半はパウロが書いている、しかしパウロが手紙で言っていることは結構難しい、でも理解することにポイントがある
「主はすべてのことについて、理解する力をあなたに必ず与えてくださいます」と書かれているように、求めていく人にはすべてに関して理解する力が与えられる
2:8 私の福音に言うとおり、ダビデの子孫として生まれ、死者の中からよみがえったイエス・キリストを、いつも思っていなさい。
2:9 私は、福音のために、苦しみを受け、犯罪者のようにつながれています。しかし、神のことばは、つながれてはいません。
サタンが福音に関して忌み嫌っている、特によみがえりに関して嫌っている、ゆえにこのことを語っていく
本当にこれが真理だと語るときに苦しみを受ける、サタンによって苦しめられる
色々とあって不思議ではない、場合によっては牢屋に入る、それだけ大事なことを扱っている
2:10 ですから、私は選ばれた人たちのために、すべてのことを耐え忍びます。それは、彼らもまたキリスト・イエスにある救いと、それとともに、とこしえの栄光を受けるようになるためです。
とこしえの栄光が大事
2:11 次のことばは信頼すべきことばです。「もし私たちが、彼とともに死んだのなら、彼とともに生きるようになる。
キリストと共に私たち死ぬという経験をしないとダメ
2:12 もし耐え忍んでいるなら、彼とともに治めるようになる。もし彼を否んだなら、彼もまた私たちを否まれる。
2:13 私たちは真実でなくても、彼は常に真実である。彼にはご自身を否むことができないからである。」
「耐え忍ぶ」とあるように、本当に真理を受けているなら、人間的には人々からは歓迎されない
全く良い目に会っていない
私たちもイエスさまと似たような目に会う
しかし真理でないことを語るなら、そういう目には会わない
真理を語って、悪口を言われてびっくりしてはダメ
正しい真理をつかんで、大変な目に会う
この世で苦しんでいるなら、後の世で治めるようになる、栄光を受けるようになる
2つ良いことはない
2つ得ようとすると、何も得ない
この世において困難に会っても耐え忍ぶ、この世のことを求めない
なので、パウロのような歩みに徹していく→1つのことをやっていく
12節のみことば「もし彼を否んだなら、彼もまた私たちを否まれる」に関しての語りかけを少し見てみたい
参照 マタイの福音書26:70
26:70 しかし、ペテロはみなの前でそれを打ち消して、「何を言っているのか、私にはわからない。」と言った。
打ち消して→これが「否定」するということ
これを言ってしまうならば、後の日に天の父やイエスさまの前で「知らない」と言われる
参照 マタイの福音書10:32,33
10:32 ですから、わたしを人の前で認める者はみな、わたしも、天におられるわたしの父の前でその人を認めます。
10:33 しかし、人の前でわたしを知らないと言うような者なら、わたしも天におられるわたしの父の前で、そんな者は知らないと言います。
ゆえに主を否定しないように祈り求めていきたい
このあたりで勘違いをしてはダメ
レムナントキリスト教会
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