Ⅱテモテへの手紙3(19)      2014.1.26

 

 

 

 

 

3:1終わりの日には困難な時代がやって来ることをよく承知しておきなさい。

 

 

 

終わりの日には、永遠の命をゲットするのが困難な時代がやってくる。

 

このあたりの警告を正しくとらえ、正しく対応していく。

 

 

 

困難という言葉を原語で見ていくと、

 

 

 

マタイ8:28それから、向こう岸のガダラ人の地にお着きになると、悪霊につかれた人がふたり墓から出て来て、イエスに出会った。彼らはひどく「狂暴」で、だれもその道を通れないほどであった。

 

 

 

困難=狂暴

 

 

 

つまり、悪霊にとりつかれた人が狂暴になるような時代。

 

悪霊の教理が教会のド真ん中に入ってくる。それでも教会の見た目は昔と変わらない。

 

同じプログラム、また聖餐式も行われる。しかし、本来持つべき実が否定されていく。

 

じわじわと浸透してくる悪霊の惑わしに入って行かないようによくよく注意すること。

 

悪霊は人間より頭がいいので、クリスチャンの裏をかいてくる。

 

異端だけを警戒すればよいというわけには行かない。

 

 

 

3:2そのときに人々は、自分を愛する者、金を愛する者、大言壮語する者、不遜な者、神をけがす者、両親に従わない者、感謝することを知らない者、汚れた者になり、

 

3:3情け知らずの者、和解しない者、そしる者、節制のない者、粗暴な者、善を好まない者になり、

 

3:4裏切る者、向こう見ずな者、慢心する者、神よりも快楽を愛する者になり、

 

 

 

一見未信者のことを指しているようにもみえる。

 

しかし、神を愛する者は未信者ではなく、クリスチャン。

 

そもそも未信者は神を信じてもいないし、愛してもいない。

 

終わりの時にはクリスチャンが神よりも快楽を愛するようになってしまう。

 

 

 

また、「善を好まない」というのは、KJVの訳では「正しい人をそしる」となっている。

 

これらの傾向は、悪霊によるもの。

 

終末は、正しく歩むクリスチャンが、この世の人や不忠実なクリスチャンから非難されるようになって行く。そういう意味でも困難な時代。

 

 

 

3:5見えるところは敬虔であっても、その実を否定する者になるからです。こういう人々を避けなさい。

 

 

 

つまり、偽善者。クリスチャンであっても敬虔の実を否定するようになる。

 

 

 

「これら厳しい事は未信者に対して言っている、クリスチャンであるなら安心していい」などとメッセージする者(牧師、教師など)がいるが、くれぐれもこのようなインチキに引っかからないこと!

 

 

 

終末の時代、教会が変わり、クリスチャンが変わっていく。

 

このような人を全て避け、同じような滅びにはいらないようにしなさいという意味。

 

これは聖書が語っている事柄。

 

 

 

3:6こういう人々の中には、家々にはいり込み、愚かな女たちをたぶらかしている者がいます。その女たちは、さまざまの情欲に引き回されて罪に罪を重ね、

 

3:7いつも学んではいるが、いつになっても真理を知ることのできない者たちです。

 

3:8また、こういう人々は、ちょうどヤンネとヤンブレがモーセに逆らったように、真理に逆らうのです。彼らは知性の腐った、信仰の失格者です。

 

 

 

家、女=教会を例えている。

 

世の終わりに関して、あらゆる教会に対して、このような不敬虔な傾向・・・歩み、トレンド、ムーブメント、ブームなど、次から次へと教会の中に入って行く。

 

その結果、教会が変質して、罪から解放されるところではなく、惑わされた教えが入ってくる所となり、罪に罪を重ねていく場所になる。

 

結果、いつも学んではいるが、いつになっても真理を知ることのできない者たちになり、

 

信仰の失格者となってしまう。 失格者では、永遠の命がゲットできない。

 

 

 

ヤンネとヤンブレ・・・

 

出エジプト記

 

7:10モーセとアロンはパロのところに行き、主が命じられたとおりに行った。アロンが自分の杖をパロとその家臣たちの前に投げたとき、それは蛇になった。

 

7:11そこでパロも知恵ある者と呪術者を呼び寄せた。これらのエジプトの呪法師たちもまた彼らの秘術を使って同じことをした。

 

7:12彼らがめいめい自分の杖を投げると、それが蛇になった。しかしアロンの杖は彼らの杖をのみこんだ。

 

 

 

この二人はモーセに逆らった。

 

今で言うなら、神のみ言葉に逆らう人々。(クリスチャン)

 

 

 

杖=教師を喩えている。

 

蛇は知恵のある動物。

 

 

 

ヤンネとヤンブレはモーセと同じことをした。

 

ヤンネとヤンブレはへブル人ではなくエジプト人。

 

エジプトは神に裁かれる対象。

 

同じように終末の時、教会、クリスチャンは形だけはあっても、その実神のみ言葉に逆らうものとなる。

 

 

 

教会がエジプト化しており、モーセのみ言葉に逆らうような教会がどんどん増えてくる。

 

 

 

3:9でも、彼らはもうこれ以上に進むことはできません。彼らの愚かさは、あのふたりのばあいのように、すべての人にはっきりわかるからです。

 

 

 

そんな時代でも正しく神のみ言葉にとどまり、み言葉を行い続けていく事にポイントがある。真理に逆らわず、聖霊に聞いていく。