Ⅱ列王記18

 

18:1 イスラエルの王エラの子ホセアの第三年に、ユダの王アハズの子ヒゼキヤが王となった。

18:2 彼は二十五歳で王となり、エルサレムで二十九年間、王であった。彼の母の名はアビといい、ゼカリヤの娘であった。

18:3 彼はすべて父祖ダビデが行なったとおりに、主の目にかなうことを行なった。

18:4 彼は高き所を取り除き、石の柱を打ちこわし、アシェラ像を切り倒し、モーセの作った青銅の蛇を打ち砕いた。そのころまでイスラエル人は、これに香をたいていたからである。これはネフシュタンと呼ばれていた。

ヒゼキヤはNo.1 なぜか?5節に書いてあるように、主に信頼していた

主の評価が大切 不忠実だと滅ぼされる 

主の目にかなうことを行っていくことにポイントがある→このことに準じた歩みをしていく時に、勝利を得る

クリスチャンの結果は、それぞれ異なる 順々に歩む時に、敵を退けていく

ヒゼキヤの意味:エホバは私の力 

キリストに倣った歩みをしていくかどうかで結果が変わってくる

石の柱:器崇拝 器崇拝を廃止した

 

18:5 彼はイスラエルの神、主に信頼していた。彼のあとにも彼の先にも、ユダの王たちの中で、彼ほどの者はだれもいなかった。

主に信頼していくことがポイント

神が私の力だと信頼していた→勝利、恵みを得る 神が助けて下さることを信じていく

 

18:6 彼は主に堅くすがって離れることなく、主がモーセに命じられた命令を守った。

主に信頼していくこと、御言葉を行うこと→勝利のポイント 

今のクリスチャンは御言葉を実践していない

 

18:7 主は彼とともにおられた。彼はどこへ出陣しても勝利を収めた。彼はアッシリヤの王に反逆し、彼に仕えなかった。

クリスチャン人生は、勝ちor負けのどちらか 信仰生活で勝利を得ていくことがポイント

 

18:8 彼はペリシテ人を打ってガザにまで至り、見張りのやぐらから城壁のある町に至るその領土を打ち破った。

主にあって戦いを成し、勝利を得ていた

 

18:9 ヒゼキヤ王の第四年、すなわち、イスラエルの王エラの子ホセアの第七年に、アッシリヤの王シャルマヌエセルがサマリヤに攻め上って、包囲し、

18:10 三年の後、これを攻め取った。つまり、ヒゼキヤの第六年、イスラエルの王ホセアの第九年に、サマリヤは攻め取られた。

18:11 アッシリヤの王はイスラエル人をアッシリヤに捕え移し、彼らをハラフと、ハボル、すなわちゴザンの川のほとり、メディヤの町々に連れて行った。

18:12 これは、彼らが彼らの神、主の御声に聞き従わず、その契約を破り、主のしもべモーセが命じたすべてのことに聞き従わず、これを行なわなかったからである。

南のユダに勝利がある

捕え移される:約束の地から移された→御国に入らない

神の厳しさを見る、神の性格を学ばなければならない→歴史から教訓を学ぶ

御言葉は過ぎ去らない→私たちがおきてを守る、祝福を選ぶ

契約を破ったら、現実の契約も破棄される 失敗例を見て、恐れて学ぶ

 

18:13 ヒゼキヤ王の第十四年に、アッシリヤの王セナケリブが、ユダのすべての城壁のある町々を攻めて、これを取った。

ユダの中に色々な町々があり、エルサレムだけ残った:プロテスタントのあらゆる教会もアッシリヤにやられていく→エキメニュカル

しかし、エルサレム(神の御心を行う教会やクリスチャン)は、残った

主にあって戦っていくところにポイントがある

 

18:14 そこでユダの王ヒゼキヤはラキシュのアッシリヤの王のところに人をやって、言った。「私は罪を犯しました。私のところから引き揚げてください。あなたが私に課せられるものは何でも負いますから。」そこで、アッシリヤの王は銀三百タラントと、金三十タラントを、ユダの王ヒゼキヤに要求した。

18:15 ヒゼキヤは主の宮と王宮の宝物倉にある銀を全部渡した。

18:16 そのとき、ヒゼキヤは、ユダの王が金を張りつけた主の本堂のとびらと柱から金をはぎ取り、これをアッシリヤの王に渡した。

18:17 アッシリヤの王は、タルタン、ラブ・サリス、およびラブ・シャケに大軍をつけて、ラキシュからエルサレムのヒゼキヤ王のところに送った。彼らはエルサレムに上って来た。彼らはエルサレムに上って来たとき、布さらしの野への大路にある上の池の水道のそばに立った。

プロテスタントの信仰が失われていった しかし、逆転勝利があった

 

18:18 彼らが王に呼びかけたので、ヒルキヤの子である宮内長官エルヤキム、書記シェブナ、アサフの子である参議ヨアフが、彼らのもとに出て行った。

18:19 ラブ・シャケは彼らに言った。「ヒゼキヤに伝えよ。大王、アッシリヤの王がこう言っておられる。いったい、おまえは何に拠り頼んでいるのか。

18:20 口先だけのことばが、戦略であり戦力だと思い込んでいるのか。今、おまえはだれに拠り頼んで私に反逆するのか。

18:21 今、おまえは、あのいたんだ葦の杖、エジプトに拠り頼んでいるが、これは、それに寄りかかる者の手を刺し通すだけだ。エジプトの王、パロは、すべて彼に拠り頼む者にそうするのだ。

18:22 おまえたちは私に『われわれは、われわれの神、主に拠り頼む。』と言う。その主とは、ヒゼキヤが高き所と祭壇を取り除いておいて、ユダとエルサレムに向かい『エルサレムにあるこの祭壇の前で拝め。』と言ったそういう主ではないか、と。

18:23 さあ、今、私の主君、アッシリヤの王と、かけをしないか。もしおまえのほうで乗り手をそろえることができれば、私はおまえに二千頭の馬を与えよう。

18:24 おまえは戦車と騎兵のことでエジプトに拠り頼んでいるが、私の主君の最も小さい家来のひとりの総督をさえ撃退することはできないのだ。

18:25 今、私がこの所を滅ぼすために上って来たのは、主をさしおいてのことであろうか。主が私に『この国に攻め上って、これを滅ぼせ。』と言われたのだ。」

18:26 ヒルキヤの子エルヤキムとシェブナとヨアフとは、ラブ・シャケに言った。「どうかしもべたちには、アラム語で話してください。われわれはアラム語がわかりますから。城壁の上にいる民の聞いている所では、われわれにユダのことばで話さないでください。」

18:27 すると、ラブ・シャケは彼らに言った。「私の主君がこれらのことを告げに私を遣わされたのは、おまえの主君や、おまえのためだろうか。むしろ、城壁の上にすわっている者たちのためではないか。彼らはおまえたちといっしょに、自分の糞を食らい、自分の尿を飲むようになるのだ。」

:穀物(御言葉)に関連する(パンのカス) 

尿:ぶどう酒(霊的なこと)に関連する(ろくでもない霊)

 

18:28 こうして、ラブ・シャケはつっ立って、ユダのことばで大声に呼ばわって、語って言った。「大王、アッシリヤの王のことばを聞け。

18:29 王はこう言われる。ヒゼキヤにごまかされるな。あれはおまえたちを私の手から救い出すことはできない。

18:30 ヒゼキヤが、主は必ずわれわれを救い出してくださる、この町は決してアッシリヤの王の手に渡されることはない、と言って、おまえたちに主を信頼させようとするが、そうはさせない。

アッシリヤの大軍がエルサレムに攻め込む:特別なこと→エキメニュカルの予表

その時にどうするのか?→主に信頼する

たとえ、カルト扱いされても、主に信頼する→逆転勝利

 

18:31 ヒゼキヤの言うことを聞くな。アッシリヤの王はこう言っておられるからだ。私と和を結び、私に降参せよ。そうすれば、おまえたちはみな、自分のぶどうと自分のいちじくを食べ、また、自分の井戸の水を飲めるのだ。

18:32 その後、私が来て、おまえたちの国と同じような国におまえたちを連れて行こう。そこは穀物とぶどう酒の地、パンとぶどう畑の地、オリーブの木と蜜の地である。それはおまえたちが生きながらえて死なないためである。たとい、ヒゼキヤが、主がわれわれを救い出してくださると言って、おまえたちをそそのかしても、ヒゼキヤに聞き従ってはならない。

アッシリヤが連れて行く国:イスラエルと同じような国

捕え移された国にも、パンやぶどう酒がある、しかし異邦の地、見た目はキリスト教、しかし、実質はそうではない所に連れて行かれる

 

18:33 国々の神々が、だれか、自分の国をアッシリヤの王の手から救い出しただろうか。

18:34 ハマテやアルパデの神々は今、どこにいるのか。セファルワイムやヘナやイワの神々はどこにいるのか。彼らはサマリヤを私の手から救い出したか。

18:35 国々のすべての神々のうち、だれが自分たちの国を私の手から救い出しただろうか。主がエルサレムを私の手から救い出すとでもいうのか。」

18:36 民は黙っており、彼に一言も答えなかった。「彼に答えるな。」というのが、王の命令だったからである。

18:37 ヒルキヤの子である宮内長官エルヤキム、書記シェブナ、アサフの子である参議ヨアフは、自分たちの衣を裂いてヒゼキヤのもとに行き、ラブ・シャケのことばを告げた。

おびやかしが来ている→その時が、必ず来る

主にとどまった人に守りと助けがあり、勝利を得る