Ⅱ歴代誌16章 2011.6.5

 

16:1 アサの治世の第三十六年に、イスラエルの王バシャはユダに上って来て、ユダの王アサのもとにだれも出入りできないようにするためにラマを築いた。

北イスラエル(偶像崇拝)と南のユダはしょっちゅう戦っている→未来の予表

新約聖書には、ほとんど預言が無い

しかし黙示録に旧約の預言が引用されている Ex:イゼベル

旧約は未来の教会に起きる預言

プロテスタントからカソリックに移る人は背信の道を歩みことになる

 

16:2 アサは主の宮と王宮との宝物倉から銀と金を取り出し、ダマスコに住むアラムの王ベン・ハダデのもとに送り届けて言った。

16:3 「私の父とあなたの父上の間にあったように、私とあなたの間に同盟を結びましょう。ご覧ください。私はあなたに銀と金を送りました。どうか、イスラエルの王バシャとの同盟を破棄し、彼が私のもとから離れ去るようにしてください。」

16:4 ベン・ハダデはアサ王の願いを聞き入れ、自分の配下の将校たちをイスラエルの町々に差し向けたところ、彼らはイヨンと、ダンと、アベル・マイム、および、ナフタリに属するすべての倉庫の町々を打った。

16:5 バシャはこれを聞くと、ラマを築くのを中止し、その工事をやめさせた。

16:6 アサ王はユダの人々をみな連れて行き、バシャが建築に用いたラマの石材と木材を運び出させたうえ、これを用いてゲバとミツパを建てた。

16:7 そのとき、予見者ハナニがユダの王アサのもとに来て、彼に言った。「あなたはアラムの王に拠り頼み、あなたの神、主に拠り頼みませんでした。それゆえ、アラム王の軍勢はあなたの手からのがれ出たのです。

アサ王は正しかった

しかし、間違えてしまったので預言者が遣わされた

主により頼まずに、アラムの王により頼んだ

ダマスコ:沈黙の、荒布の織手→敬虔に歩み行いを積んでいく、カソリックに関する歩み→このことは神の御心ではない、神に叱責されること

信仰(銀や金)を失い、行いに頼っていた→信仰からはずれて、行いに頼ってしまった

行いの奴隷にならないように気をつける アラム:高められる(行いによって、高められる、このような惑わしに気をつける)

 

16:8 あのクシュ人とルブ人は大軍勢ではなかったでしょうか。戦車と騎兵は非常におびただしかったではありませんか。しかし、あなたが主に拠り頼んだとき、主は彼らをあなたの手に渡されたのです。

アサ王は信仰的なときがあった

そして、神の業をみていたときもあった、しかし、行いという惑わしに入ってしまった

主により頼んだときに、勝利をした

しかし、方向を間違えてしまった

私たちも引かずに戦いにのぞむ(人数の大小を問わずに)

戦いがあるときも、必ず主により頼む

戦いがあるときに引かずに戦う

人数が少なくても、戦うべきときに戦っていく

主に頼ることにポイントがある

主により頼み、勝利を見ていく

 

16:9 主はその御目をもって、あまねく全地を見渡し、その心がご自分と全く一つになっている人々に御力をあらわしてくださるのです。あなたは、このことについて愚かなことをしました。今から、あなたは数々の戦いに巻き込まれます。」

行いや自分の力に頼ってしまった

神はあまねく全知を見渡す

kjv:心が完全→完全に主により頼んでいる→完全になっている

心を主に完全により頼んでいく→御力をあらわされる

クリスチャンは神の御力を見るように召されている

 

16:10 すると、アサはこの予見者に対して怒りを発し、彼に足かせをかけた。このことで、彼に対し激しい怒りをいだいたからである。アサはこのとき、民のうちのある者を踏みにじった。

アサは本来、怒ってはいけない

 

16:11 見よ。アサの業績は、最初から最後まで、ユダとイスラエルの王たちの書にまさしくしるされている。

16:12 それから、アサはその治世の第三十九年に、両足とも病気にかかった。彼の病は重かった。ところが、その病の中でさえ、彼は主を求めることをしないで、逆に医者を求めた。

病にかかったとき、主を求めずに、医者を求めたことが問題

だからといって、絶対に医者に行ってはいけないと言っているわけではない

このことには、たとえの意味合いがある

イエス様は「健康な人に医者はいらない、完全な人は医者はいらない、病人は求めよ」と言っている

霊的に見えないとか、つまり霊的な病のことを言っていることが理解できる

アサは両足病気にかかった→足は信仰のことを指す

信仰が弱ったときに、本来は、主に助けを求めるべきなのに、医者、つまり今でいう、信仰の器やメッセンジャーを求めた、しかしそれは神の前によくないこと(それは、ズレてしまうから)→神はねたむ神、だから神よりも器により頼むことに御心は無い

医者に求めずに主に助けを祈り求めるときに、恵みがある

主により頼むなら、歩みにおいて働きにおいて、道が開かれてくる

医者に求めるのと神に求めるのとは全く違うことを正しく理解する

 

16:13 アサは、彼の先祖たちとともに眠った。すなわち、その治世の第四十一年に死んだ。

16:14 そこで、人々は、彼が自分のためにダビデの町に掘っておいた墓に彼を葬り、香料の混合法にしたがって作ったかおりの高い香油や香料に満ちたふしどに彼を横たえた。そして、彼のために非常にたくさんの香をたいた。

彼のために香をたいた

神以外に祈りをささげることに御心はない?と、いうことを言っているのかも知れない

私たちが主により頼み、働きを主により頼むことにポイントがある