Ⅱ歴代誌17 2011.6.12

 

17:1 そこで、彼の子ヨシャパテが代わって王となり、イスラエルに対して勢力を増し加えた。

17:2 彼はユダにあるすべての城壁のある町々に軍隊を置き、ユダの地と、彼の父アサが攻め取ったエフライムの町々に守備隊を置いた。

この章はユダの王ヨシャパテに関しての箇所

神に愛され、御心を行った王→私たちへの語りかけ、見習うべき点がある

軍隊を置いて守備隊を置くのが正しい

剣を持って戦いに出られる兵士を養成し、戦いに出す

戦いに耐える人を訓練していく

祈り、御言葉を読む

守備隊が必要な理由→敵が来るから

クリスチャンであっても、軍隊、守備隊が来る

訓練をしていないと一変にやられてしまう

変な教理にも剣の訓練で対応することができる

教会は戦いに耐えられる勇士を備えていく

 

17:3 主はヨシャパテとともにおられた。彼がその先祖ダビデの最初の道に歩んで、バアルに求めず、

ヨシャパテがダビデ王の道を歩んだ→祝福が及んだ

ユダの王にとって正しいのはダビデ(キリストの型)の道に歩むことにポイントがある

キリスト教界、世界を統治しているのはキリスト

ゆえにキリスト(ダビデ)の道に歩むのが正しい

しかし現実は名目だけでキリストの道に歩まない教会が出てくる Ex:艱難前携挙説→このようなことは、滅びに入ったり、災いを招いたりするだけ

キリストが開いてくれた道に歩むことにポイントがある

毒麦として歩むなら変な教理に入り、火で焼かれてしまう→ポイントが無い

キリストが言われている道に戻り、歩む→永遠の命への道は狭い

 

17:4 その父の神に求め、その命令に従って歩み、イスラエルのしわざにならわなかったからである。

バアル:人を主として神の位置に置いて、その人により頼む→NG

しかしヨシャパテはそのようにはしなかった

真に神を求めていく人に、神は栄光をあらわす

 

17:5 そこで、主は、王国を彼の手によって確立された。ユダの人々はみなヨシャパテに贈り物をささげた。彼には、富と誉れが豊かに与えられた。

きちんと主に従うときに、富と誉れが与えられる

真に仕える中で、富と誉れが与えられる

 

17:6 彼の心は主の道にいよいよ励み、彼はさらに、高き所とアシェラ像をユダから取り除いた。

プロテスタントの中でも器崇拝がある

しかし、真に主により頼む

 

17:7 それから、彼はその治世の第三年に、彼のつかさたち、すなわち、ベン・ハイル、オバデヤ、ゼカリヤ、ネタヌエル、ミカヤなどを遣わし、ユダの町々で教えさせた。

17:8 また、彼らとともにレビ人も同行した。すなわち、シェマヤ、ネタヌヤ、ゼバデヤ、アサエル、シェミラモテ、ヨナタン、アドニヤ、トビヤ、トブ・アドニヤなどのレビ人である。それから、彼らとともにエリシャマ、ヨラムなどの祭司も同行した。

17:9 彼らはユダで教えた。すなわち、主の律法の書を携えて行き、ユダのすべての町々を巡回して、民の間で教えた。

御言葉を教えることにポイントがある

このことに力を注いだ

いずれ弟子の歩みをする人は教えていく

 

17:10 そこで、主の恐れが、ユダの回りの地のすべての王国に臨んだため、ヨシャパテに戦いをしかける者はだれもなかった。

本当に主に仕えるときに、主への恐れがあり災いとかからも守られる

 

17:11 また、ペリシテ人の中から、ヨシャパテに贈り物とみつぎの銀を携えて来る者があり、アラビヤ人も、彼のもとに羊の群れ、すなわち、雄羊七千七百頭、雄やぎ七千七百頭を携えて来た。

:クリスチャン

多くのクリスチャンがヨシャパテを通して救われ神に導かれ主に立ち返り真理を見た

 

17:12 こうして、ヨシャパテはしだいに並みはずれて強大になり、ユダに城塞や倉庫の町々を築いた。

倉庫(穀物)の町々を築くことにポイントがある

御言葉を蓄えて携えていくことにポイントがある

 

17:13 彼には、ユダの町々で多くの工事があり、エルサレムには勇士である戦士たちをかかえていた。

多くの工事をする:主にあって多くの奉仕をする

主が言われたことは、どれもこれもなしていくことにポイントがある

 

17:14 彼らの父祖の家ごとの登録は次のとおりである。ユダでは、千人隊の長たちは、隊長アデナ。その配下には勇士三十万人。

17:15 王の指揮下に、隊長ヨハナン。その配下には二十八万人。

17:16 その指揮下に、みずから進んで主に身をささげたジクリの子アマスヤ。その配下には二十万人の勇士。

私たちの奉仕は、自ら進んで主に身を捧げる→主が喜ばれるポイント

旧約の時代、主が喜ばれたのは、牛や羊を捧げた

生きたまま、捧げていく→このことに語りかけがある

新約:私たちが自ら身をもって捧げていく礼拝

参照 ローマ12:1

神に仕えていくことが真の意味合いの礼拝

非常に大事なこと、益となることをしようとするとき、必ずためらいや抵抗が出てくる(損をするとか)

しかし、捧げることに恵みがある

捧げると、本来あるべき歩むべきところに入る

しかし一般的には損のように見える

一見、神の道は人の目にはそのように見える→見た目は悪すぎる

しかし御言葉に従い、身を捧げるときに、献身にともなう恵みを受ける→きちんと従うなら

これは人の目には分からないし、実践してみないと分からないこと

 

17:17 ベニヤミンには、勇士エルヤダ。その配下には、弓と盾を持った者が二十万人。

17:18 王の指揮下に、隊長エホザバデ。その配下には十八万人の武装した者。

17:19 これらは、王がユダ全国にある城壁のある町々に配属した人々とは別に、王に仕えた人々であった。

弓や盾を持った者:非常に必要な人々

武装した人が必要

御言葉にとどまり、敵の陣に入り込んでいく勇士にポイントがある

御言葉()を使いこなす人にポイントがある