Ⅱ歴代誌21章 2011.7.17
21:1 ヨシャパテは彼の先祖たちとともに眠り、先祖たちとともにダビデの町に葬られた。その子ヨラムが代わって王となった。
21:2 彼には、兄弟たちがいた。ヨシャパテの子たちで、アザルヤ、エヒエル、ゼカリヤ、アザルヤ、ミカエル、シェファテヤであった。これらはみな、ユダの王ヨシャパテの子たちであった。
21:3 彼らの父は、彼らに銀、金、えりすぐりの品々など多くの賜わり物を与え、また、それとともにユダにある防備の町々を与えたが、王国はヨラムに与えた。彼は長男だったからである。
21:4 ヨラムはその父の王国に立つと勢力を増し加え、その兄弟たちをひとり残らず剣にかけて殺し、また、イスラエルのつかさたちのうち幾人かを殺した。
21:5 ヨラムは三十二歳で王となり、エルサレムで八年間、王であった。
21:6 彼はアハブの家の者がしたように、イスラエルの王たちの道に歩んだ。アハブの娘が彼の妻であったからである。彼は主の目の前に悪を行なったが、
ヨラムは罪と悪を行った
しかしヨシャパテは多くの恵みを受けている
ヨラムは同じユダの王でありながら、呪いを受けてしまっている
ヨラムは素晴らしい父や国を持ちながらも、神の怒りをかってしまった
歩み方次第で祝福に入る王、呪いに入る王がいる
このことに語りかけがある
個々のクリスチャンの歩み方次第で祝福を受けるか呪いを受けるかが変わってくる
主の前に正しく歩むなら祝福を受ける、歩まないなら、呪いを受ける
今日の箇所から学びをする
クリスチャンだからと言って、皆が同じではない
神の前にどのように歩むかによって受けるものが異なる
6節に語りかけがある→「彼は主の目の前に悪を行った」
民の前には悪くなかったかも知れない
しかし、神の前に正しく歩むかどうかで結論が変わってくる
ヨシャパテ:特別な恵みを受けた
ヨラム:特別な呪いを受けた
再度、繰り返しますが、個々のクリスチャンの歩み方次第で、それぞれ受けるものが異なってくる
終末の教会の問題点:教会の裁きや呪いが起こっている
黙示録は、終末の教会を暗示している Ex:淫婦バビロン
教会はキリストの花嫁のはずなのに、夫であるキリストを裏切っている
自分では正しいと思いながら、別のものを掴んでいる
人の前はともかく、神の前に悪を行っている
21:7 主は、ダビデと結ばれた契約のゆえに、ダビデの家を滅ぼすことを望まれなかった。主はダビデとその子孫にいつまでもともしびを与えようと、約束されたからである。
「いつまでも」とは、「絶えず」ということ
「ずっと続くともしびを与えよう」と神が語られたなら、そのことは実現する
今に至るまで、ダビデのともしびは続いている
私たちはそのような立場にいる
ダビデへの約束は、今でも続いている
今でもダビデの王朝は残っている
2600年間続いている王朝は、日本にしかない(万世一系の王朝のこと)
神の約束が本当なら続いている王朝は日本→天皇家
ダビデ王朝:ダビデの血が続いている
黙示録では、14万4千人の部族を回復すると言われている
イスラエル12部族を回復することが大きな鍵
終末の預言:ユダ族の獅子
ユダ族の国(日本)に御心がある→全世界規模でのキリスト教国、神の国の回復がされていく
地震や津波→獅子が目を覚まさせるように神が起こした
神の約束は有効かどうか?
私たちの働きは、御言葉が成就する
私たちの働きのポイント:この言葉を保留にしたか?有効にしたか?神は保留にはしない
神は必ず約束を果たすお方
神の約束は真実、尋常ならないことが日本に起きている
神の言葉は、真実だという立場に立たなければならない
たとえ、教会の規模が小さくても、信仰をもってのぞみ、期待し、日本においての働きについて祈り求めていく
21:8 ヨラムの時代に、エドムがそむいて、ユダの支配から脱し、自分たちの上に王を立てた。
21:9 ヨラムは、彼のつかさたちとともに、すべての戦車を率いて渡って行き、夜襲を試み、彼を包囲していたエドムと戦車隊長たちを打った。
21:10 しかしなお、エドムはそむいて、ユダの支配から脱した。今日もそうである。リブナもまた、その時にそむいて、その支配から脱しようとした。これは彼がその父祖の神、主を捨て去ったからである。
ヨラムも一生懸命治めようとした、しかし、ダメだった
色々と策をこうじたが、負けた→このことから学ぶ
クリスチャンにも敗北がある
あまりにも敗北のときには、考えなくてはいけない→主に頼り、従う
21:11 そのうえ、彼はユダの山々に高き所を造り、エルサレムの住民に淫行を行なわせ、ユダを迷わせた。
別のことを行わせた
淫行を行わせた:夫であるキリスト以外に頼らなくなる
別のものをもってきて頼らせる惑わしがキリスト教界にある
Ex:マリヤ崇拝(カソリック)、器崇拝(プロテスタント)
神の言葉よりも、器の言葉を信じる→惑わしに入る、このことは、神の前におかしな働きのゆえ
21:12 ときに、預言者エリヤのもとから彼のところに書状が届いたが、そこには次のようにしるされていた。「あなたの父ダビデの神、主は、こう仰せられます。『あなたが、あなたの父ヨシャパテの道にも、ユダの王アサの道にも歩まず、
21:13 イスラエルの王たちの道に歩み、アハブの家が淫行を行なわせたように、ユダとエルサレムの住民に淫行を行なわせたので、また、そればかりでなく、あなたは、自分よりも善良なあなたの兄弟たち、あなたの父の家の者を殺したので、
21:14 見よ、主は大きな災害をもってあなたの民、あなたの子たち、あなたの妻たち、あなたの全財産を打つ。
21:15 あなた自身は、内臓の病気で大病をわずらい、日々にその病が進んで、内臓が外に出るまでになる。』」
必ず預言者が起きてくる
しかし、預言者の声を聞くか聞かないかは、別のこと
神は、預言的に警告を送ってくる Ex:アメリカが獣の国
神は預言者を送る、しかし、皆が聞くわけではない Ex:地震、津波
必ず神は預言者を通して警告を与える
ヨラムの行ったことに関して積極的に介入し、災いを起こして悔い改めを促す
歩みが正しくないときに、神からの災い、災難、トラブルがくる→そういったことに神様は積極的に介入される、それは、私たちが悔い改めるきっかけでもある
そこで悔い改めるかどうかで、結論が大きく変わってくる
良い例:ダビデ ウリヤを殺した→災いがくだった→悔い改めた
わたしたちが悔い改めるために、神が災いを起こされる、介入される→悔い改めるべき
21:16 主はクシュ人の近くにいたペリシテ人とアラビヤ人の霊を奮い立たせて、ヨラムに敵対させられたので、
21:17 彼らは、ユダに上って攻め入り、王宮の中で目に留まったすべての財産と彼の子や妻たちを奪い去った。その結果、彼には末子のエホアハズのほか、男の子はだれも残らなかった。
神から災いが来るのは明らか
神が災いを起こされる
災いは神から来る可能性がある
21:18 これらすべてのことの後、主は彼を、その内臓を打たれた。彼は不治の病になった。
ヨラムは結局悔い改めなかった
21:19 年は巡り、二年の終わりが来ると、彼の内臓は病のために外に出てしまい、ついに彼は重病の床で死んだ。彼の民は、彼の父祖たちのために香をたいたようには、彼のために香をたかなかった。
21:20 彼は三十二歳で王となり、エルサレムで八年間、王であった。彼は人々に愛されることなく世を去った。人々は彼をダビデの町に葬ったが、王たちの墓には納めなかった。
ここから学びを受ける
惑わされるとヨラムのようになってしまう
神の前に謙虚になってへりくだって歩む
災いが起きたときに考えなければならない
根本的に違うことをクリスチャンは信じている→このことは悔い改めるべき
獣の国、淫婦バビロンは神が起こしている
神の民の背教のゆえに、あらゆる災いを神は起こそうとされている
私たちは、この女(淫婦バビロン)に触れないこと
レムナントキリスト教会
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天皇家は万世一系のダビデ王朝の末裔である!警告の角笛シリーズ エレミヤ著