Ⅱ歴代誌26章 2011.8.21

 

26:1 ユダの民はみな、当時十六歳であったウジヤを立てて、その父アマツヤの代わりに王とした。

26:2 彼は、アマツヤが先祖たちとともに眠って後、エラテを再建し、それをユダに復帰させた。

26:3 ウジヤは十六歳で王となり、エルサレムで五十二年間、王であった。彼の母の名はエコルヤといい、エルサレムの出であった。

26:4 彼はすべて父アマツヤが行なったとおりに、主の目にかなうことを行なった。

26:5 彼は神を認めることを教えたゼカリヤの存命中は、神を求めた。彼が主を求めていた間、神は彼を栄えさせた。

4節→ウジヤは神の目に叶う王

王のことを学ぶのは今の時代の語りかけや教えがあるから

ダビデの直系でありながら正しい王とそうでない王がいる

あるクリスチャンは神の前に正しく歩み祝福に入る、しかし、あるクリスチャンは呪いに入り火で焼かれる

正しい永遠の命に入るべく学びを列王記と歴代誌からする

正しい父の通りに行う

霊の父:牧師

教える人が大事、正しいことを教えていく

神を求めて神をたずねることは大切→祝福を受ける、栄光や御業を見る

神を求めるとは?→クリスチャンが翻って幼子のようにならないと神の御国に入れない、幼子のように求める

世と聖書で言われる正しい道は異なる、ちなみに世では「自立」ということが強調される、しかし聖書においては反対にいつも神により頼むことの大切さについて至るところで言われている

神を求め、頼り、信頼して歩む→主からの助け、誉を得る

神に聞き、助けを求める

計算違いや間違いがあっても神に求める

 

26:6 彼は出陣してペリシテ人と戦ったとき、ガテの城壁、ヤブネの城壁、アシュドデの城壁を打ちこわし、アシュドデの中の、ペリシテ人たちの間に、町々を築いた。

26:7 神は彼を助けて、ペリシテ人、グル・バアルに住むアラビヤ人、メウニム人に立ち向かわせた。

6節のことは神の前に意味のあること、誉められること

6節に語りかけがある

ペリシテ人の中に町々を築く

王の戦い=剣の戦い

ペリシテ人:剣で妨害してくる

おかしな教理、曲がった教理を言ってくる人に対して負けずに引かずに押して戦いに行った

的の領土の中にも神の働きをしていく

レムナントキリスト教会は剣(御言葉)の戦いに召されているので真理に触れる方々をおこしていきたい

Ex:バビロンとは何か?艱難前携挙節が誤りであること等を御言葉に基づいて論じていく

 

26:8 アモン人はウジヤのもとにみつぎものを納めた。こうして、彼の名はエジプトの入口にまで届いた。その勢力が並みはずれて強くなったからである。

26:9 ウジヤはエルサレムの隅の門、谷の門および曲がりかどの上にやぐらを建て、これを強固にし、

26:10 荒野にやぐらを建て、多くの水ためを掘った。彼は低地にも平野にも多くの家畜を持っていたからである。山地や果樹園には農夫やぶどう作りがいた。彼が農業を好んだからである。

水溜を掘った:聖霊の働きを大きくした

農業・ぶどう作り:クリスチャンの働きに通じる→多くの主を信じるクリスチャンをおこした

 

26:11 さらに、ウジヤは戦闘部隊をかかえていたが、彼らは、書記エイエルとつかさマアセヤによって登録された人数にしたがって各隊に分かれ、王の隊長のひとり、ハナヌヤの指揮下にいくさに出る者たちであった。

26:12 勇士である一族のかしらたちの数はみなで二千六百人であった。

26:13 その指揮下には三十万七千五百人の軍勢があり、王を助けて敵に当たる強力な戦闘部隊であった。

御言葉の戦いに敵の存在がある

しかし引かずに戦うことにポイントがある

 

26:14 ウジヤは、彼ら全軍のために、盾、槍、かぶと、よろい、弓および石投げの石を用意した。

26:15 さらに、彼はエルサレムで、巧みに考案された兵器を作り、矢や大石を打ち出すために、やぐらの上や、城壁のかどにある塔の上にこれを据えた。こうして、彼の名は遠くにまで鳴り響いた。彼がすばらしいしかたで、助けを得て強くなったからである。

:信仰の大盾 かぶと・よろい:救いのかぶと

      悪魔の放つ火の矢を消す

参照 エペソ6:16,17

6:16 これらすべてのものの上に、信仰の大盾を取りなさい。それによって、悪い者が放つ火矢を、みな消すことができます

6:17 救いのかぶとをかぶり、また御霊の与える剣である、神のことばを受け取りなさい。

石投げの石→弟子の歩み

ここにはたとえの意味合いがある

信仰を立てあげて強くなった Ex:証も信仰の盾の一部

大盾を持つときに悪魔の放つ火矢(霊的な事柄)を消すことができる

不信仰が広がって、やる気がなくなっても、大盾を持つときに堅く信仰に立つ

火矢:霊的な悪い思いをサタンは持ってくる、しかし怯んではいけない

働きが進んでいくときに不信仰の火矢をサタンが送ってくる

Ex:ニュースレターの部数を増やすことに関して、「そんなに増やして大丈夫?費用は?」等の火矢が来る

火矢に負けることなく悪魔の惑わしや不信仰に打ち勝っていく

種を蒔き続ける

何の兆しも無いときにも、ずっと蒔き続ける→主の時に刈り取る

敵は不信仰の火矢を送ってくる、しかし弱らされてはダメ

軍隊で勝利を得る

御言葉の戦いで勝利を得る→神が喜ぶ

Ex:艱難前携挙説は剣に負けている教理、このことに関して劣勢であっても勇士として戦っていくときに勝利を得る

 

26:16 しかし、彼が強くなると、彼の心は高ぶり、ついに身に滅びを招いた。彼は彼の神、主に対して不信の罪を犯した。彼は香の壇の上で香をたこうとして主の神殿にはいった。

高ぶったときに滅びを招いた

クリスチャンの大事なことは最後がどうだったのか?

高ぶりは良くない、特に最後にずっこけることが無いように祈る

前半は良い、しかし後半はNG

 

26:17 すると彼のあとから、祭司アザルヤが、主に仕える八十人の有力な祭司たちとともにはいって来た。

26:18 彼らはウジヤ王の前に立ちふさがって、彼に言った。「ウジヤよ。主に香をたくのはあなたのすることではありません。香をたくのは、聖別された祭司たち、アロンの子らのすることです。聖所から出てください。あなたは不信の罪を犯したのです。あなたには神である主の誉れは与えられません。」

26:19 ウジヤは激しく怒って、手に香炉を取って香をたこうとした。彼が祭司たちに対して激しい怒りをいだいたとき、その祭司たちの前、主の神殿の中、香の壇のかたわらで、突然、彼の額にらい病が現われた。

26:20 祭司のかしらアザルヤと祭司たち全員が彼のほうを見ると、なんと、彼の額はらい病に冒されていた。そこで彼らは急いで彼をそこから連れ出した。彼も自分から急いで出て行った。主が彼を打たれたからである。

26:21 ウジヤ王は死ぬ日までらい病に冒されていたので、らいを病む者として隔離された家に住んだ。彼は主の宮から絶たれたからである。その子ヨタムが王宮を管理し、この国の人々をさばいていた。

26:22 ウジヤのその他の業績は、最初から最後まで、アモツの子預言者イザヤが書きしるした。

26:23 ウジヤが彼の先祖たちとともに眠ったとき、人々は、彼はらい病に冒されていたからと言って、彼を王たちの所有していた野の墓地に先祖たちといっしょに葬った。彼の子ヨタムが代わって王となった。

死ぬ日までらい病になった

最後に高ぶり、打たれた→二の舞にならないように

ウジヤは大勝利をもたらした、しかし高ぶってしまったため滅びを招いた

仮に誉められたとしても最後にずっこけることの無いように

カリスマ的牧師と言われ、立派な働きをしたとしても、また、王だとしても明確な罪(不信の罪)を犯したときに裁かれてしまう                                      

神の裁きは公平

神の言葉を逸脱してはダメ

神の言葉とぶつかるときにろくでもない結論になる

どんな言葉であっても神の言葉とぶつかるときに呪いを受けてしまう

Ex:2段階携挙説

どれだけの教会の規模であっても信徒数が多くても関係ない、御言葉とぶつかると惑わしに入ってしまう

不信の罪を犯した→御言葉に忠実でない、ないがしろにした、尊重しなかった

神の言葉は、どんな小さなことも、ないがしろにしない