Ⅱ歴代誌30章 2011.9.18
30:1 さて、ヒゼキヤは全イスラエルとユダに使いを遣わし、またエフライムとマナセに手紙を書いて、エルサレムにある主の宮に来て、イスラエルの神、主に過越のいけにえをささげるよう呼びかけた。
ヒゼキヤはユダの王
ヒゼキヤがユダだけでなく、イスラエルにも呼びかけている
北イスラエル:カソリックの予表
救いはプロテスタントから来る→そして、イスラエルに呼びかけた
カソリックにも真の御言葉を語った
過ぎ越しのいけにえをささげるように呼びかけた:贖いに関連してカソリックに声をかけて呼びかけていく→聖書的
カソリックは救いの概念を間違えている
しかし、現実は、カソリックの問題に関してプロテスタントの人々に分からないようになっている
カソリックに真の救いを語っていくのが正しい
30:2 王とそのつかさたちとエルサレムの全集団は、第二の月に過越のいけにえをささげようと決議した。
30:3 というのは、身を聖別した祭司たちは十分な数に達しておらず、民もエルサレムに集まっていなかったので、そのときには、ささげることができなかったからである。
真の神殿に捧げ物を捧げていく
本当の意味合いで真理が開かれていなかった
30:4 こうして、王と、全集団がこれを正しいと見たので、
30:5 彼らはベエル・シェバからダンに至るまで、全イスラエルにおふれを出し、上って来て、エルサレムでイスラエルの神、主に過越のいけにえをささげるよう呼びかけることに決定した。しるされているとおりにささげる者が、多くはいなかったからである。
全イスラエル(全カソリック)に声をかけた
真の救いを受けることを語った
終末、教理が回復されていく、そしてカソリックの回復においても神の召しと語りかけをあることをとらえていく
ただし勘違いしてはいけない、エキメニュカルに御心は無い
カソリックがプロテスタントに行くのは正しい、その逆はNG
「エルサレムに来い、プロテスタントの正しい救いを受けろ」と言っている
カソリックの人々が上ってくることにポイントがある
カソリックは正しい意味合いで過ぎ越しのいけにえを捧げていなかった、つまり、正しい救い、キリストによる贖いを受けていない
過ぎ越しの祭り:小羊(キリスト)の血によって裁きを過ぎ越す→この点についてカソリックは誤解している
ヒゼキヤは過ぎ越しの祭りを逃れることが出来ない、だから、きちんと行えと言っている
今もプロテスタントがそのように語るのは聖書的
警告はプロテスタントだけでなくカソリックにもきちんとしていかなければいけない
カソリックは救いとは似ても似つかないことを行っている
ヒゼキヤが行ったことは正しい
欧米ではプロテスタントのクリスチャンがカソリックのクリスチャンに救いを呼びかける働きがある
30:6 そこで、近衛兵は、王とそのつかさたちの手紙を携えて、イスラエルとユダの全土を行き巡り、王の命令のとおりに言った。「イスラエルの人たちよ。アブラハム、イサク、イスラエルの神、主に立ち返りなさい。そうすれば、主は、あなたがたに残された、アッシリヤの王たちの手をのがれた者たちのところに、帰って来てくださいます。
イスラエル:12部族(アブラハム、イサクの子孫)に対して主に立ち返れと言っている
イスラエル(カソリック)は真の神から離れている
聖書の神を拝まずにローマ法王、マリヤ、マザー・テレサを拝んでいる
カソリックはアッシリヤに捕囚されている
カソリックは別の地に捕らえ移され、引き抜かれている→御国に入らない1つのパターン
30:7 あなたがたは、父祖の神、主に対して不信の罪を犯したあなたがたの父たち、兄弟たちのようになってはいけません。あなたがたが自分の目で見ているとおり、主は彼らを恐怖に渡されたのです。
今のカソリックは信じているようで神を信じていない、頼っていない、だから災いが下っている
主を捨て去ったときに恐怖(地獄、滅びのことを強調して神父に逆らわせないようにしている)に渡されている
彼らが信じていないゆえに恐怖に渡されている→真の福音を聞くべき
30:8 今、あなたがたは、自分の父たちのようにうなじのこわい者であってはなりません。主に服従しなさい。主がとこしえに聖別された聖所にはいり、あなたがたの神、主に仕えなさい。そうすれば、主の燃える怒りがあなたがたから離れるでしょう。
30:9 あなたがたが主に立ち返るなら、あなたがたの兄弟や子たちは、彼らをとりこにした人々のあわれみを受け、この地に帰って来るでしょう。あなたがたの神、主は、情け深く、あわれみ深い方であり、もし、あなたがたが主に立ち返るなら、あなたがたから御顔をそむけるようなことは決してなさいません。」
とりこにされている人々→カソリックの人々は違う教え・異邦の教えにとりこになっている
Ex:進化論が正しい、マリヤ崇拝等
とりこを解放する働きにポイントがある、カソリックの人々を気にかける
30:10 こうして、近衛兵は、エフライムとマナセから、ゼブルンの地に至るまで、町から町へと行き巡ったが、人々は彼らを物笑いにし、あざけった。
こういう福音を携えたが物笑いになり、あざけられた→大体、こんな反応
カソリックの人は根拠も無い自信に満ち溢れている、すなわち、霊的な現実を見ていない
30:11 ただ、アシェル、マナセおよびゼブルンのある人々はへりくだって、エルサレムに上って来た。
しかし、こういう人々がいるので、語られた福音は無駄にはならない
30:12 また、ユダには、神の御手が臨み、人々は心を一つにして、主のことばのとおりに王とそのつかさたちの命令を行なった。
主の言葉の通りに行うことにポイントがある
Ex:今回のセミナーで語った偽ユダヤ人のこと→好評だった
神の言葉を否まないときに、啓示が開かれたり真理が見えたりする
30:13 こうして、多くの民が第二の月に、種を入れないパンの祭りを行なおうとエルサレムに集まった。おびただしい大集団であった。
種を入れないパンと種入りのパンがある
種を入れるパン:律法学者、パリサイ人のパン種→おかしな教え、教理
カソリックの問題点:聖書の教えにパン種を入れている Ex:地獄は無い、救いは行いが大事
正しい教えがパン種によって間違えた教えになり、御言葉が台無しになる
参照 マタイ13:33
13:33 イエスは、また別のたとえを話された。「天の御国は、パン種のようなものです。女が、パン種を取って、三サトンの粉の中に入れると、全体がふくらんで来ます。」
参照 ルカ13:20,21
13:20 またこう言われた。「神の国を何に比べましょう。
13:21 パン種のようなものです。女がパン種をとって、三サトンの粉に混ぜたところ、全体がふくれました。」
カソリックはパン種だらけなので、あらゆるパン種を取り除く
30:14 彼らは立ち上がり、エルサレムにあった祭壇を取り除き、すべての香の壇を取り除いて、キデロン川に投げ捨てた。
間違えた祈りや偶像への捧げ物を取り除いた
30:15 そして、第二の月の十四日に、過越のいけにえをほふった。祭司とレビ人は恥じて身を聖別し、全焼のいけにえを主の宮に携えて来た。
30:16 彼らは、神の人モーセの律法に従って、おのおのその定めの場所に立った。祭司はレビ人の手から受け取った血を注いだ。
30:17 集団の中には、身を聖別していなかった者が多かったので、レビ人が、きよくないすべての人々のために、過越のいけにえをほふる役目につき、これを聖別して主にささげた。
キリストの血にポイントがあって、それのみにきよめられ、贖われることにポイントがある
30:18 民のうち大ぜいの者、すなわち、エフライムとマナセ、イッサカルとゼブルンの多くの者は、身をきよめておらず、しかも、しるされているのと異なったやり方で、過越のいけにえを食べてしまったので、ヒゼキヤは、彼らのために祈って言った。「いつくしみ深い主よ。このことの贖いをしてください。
30:19 彼らは、心を定めて神、彼らの父祖の神、主を求めたのですが、聖なるもののきよめのとおりにはいたしませんでした。」
30:20 主はヒゼキヤの願いを聞かれ、民をいやされた。
エフライム、マナセ、イッサカル、ゼブルン:北のイスラエル
慣れていなかったので別の方法で捧げてしまった
カソリックの人々が多少の間違え(カソリックの間違えた習慣)をしたが、キリストを信じて贖いを受け入れた
30:21 こうして、エルサレムにいたイスラエル人は、大きな喜びをもって七日の間、種を入れないパンの祭りを行なった。レビ人と祭司は、毎日、主に向かって強い調べの楽器をかなで、主をほめたたえた。
ユダの王ヒゼキヤが声をかけたから、カソリックの人たちが正しく主の救いを受けた
プロテスタントは真の救いをカソリックに語る、そのことに御心を感じた人は行う
30:22 ヒゼキヤは、主の務めによく通じているすべてのレビ人の心に語りかけた。そこで彼らは、和解のいけにえをささげ、彼らの父祖の神、主に告白をしつつ、七日間、祝いの食物にあずかった。
主の弟子として主の務めに通じなければいけない
通じていないと奉仕は災いになる Ex:艱難前携挙説のメッセージを語る→NG
主が何を望んでいるかを見ていく
今の時代は惑わしがあるので人を通して語られる(たとえ相手が未信者であっても)主の忠告に耳を傾ける
主の御心に通じるレビ人になって歩まなければならない→人を助けることが出来る
自分がきちんと聞いていないと語ることが出来ない
30:23 それから、全集団は、あと七日間祭りを行なうことを決議し、喜びをもって七日間、祭りを行なった。
30:24 ユダの王ヒゼキヤは集団に一千頭の雄牛と七千頭の羊を贈り、つかさたちは集団に雄牛一千頭と羊一万頭を贈り、多くの祭司は身を聖別した。
羊、牛:クリスチャン
多くのクリスチャンが身を聖別して主に戻った
30:25 こうして、ユダの全集団と祭司とレビ人、およびイスラエルから来た全集団、イスラエルの地から来た在留異国人、ユダに在住している者たちは、喜んだ。
30:26 エルサレムには大きな喜びがあった。イスラエルの王、ダビデの子ソロモンの時代からこのかた、こうしたことはエルサレムになかった。
正しく御心を行うときに喜びがある
30:27 それから、レビ人の祭司たちが立ち上がって民を祝福した。彼らの声は聞き届けられ、彼らの祈りは、主の聖なる御住まい、天に届いた。
正しく歩み、的外れにならずに御心を行っていくときに祈りが天に届き、しかも聞き届けられる
レムナントキリスト教会
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