Ⅱ歴代誌35章 2011.10.23

 

35:1 さて、ヨシヤはエルサレムで主に過越のいけにえをささげた。人々は第一の月の十四日に過越のいけにえをほふった。

35:2 彼は祭司たちを任命してその任務につかせ、彼らを力づけて、主の宮の奉仕に当たらせた。

列王記、歴代誌には、宮のことが度々書かれている

新約の王:教会のリーダー

ヨシヤは御心に叶った王、そして人々に任務を当たらせた

 

35:3 それから、彼は、全イスラエルを教え導く者であり、主の聖なる者であるレビ人たちに言った。「聖なる箱を、イスラエルの王ダビデの子ソロモンが建てた宮に据えなさい。もう、あなたがたにとって肩の重荷にはなるまい。そこで今、あなたがたの神、主と、主の民イスラエルに仕えなさい。

レビ人が主の奉仕を担う

主の奉仕はレビ人が独占

レビ人とは、新約で言う弟子の歩みの人のこと

教会や教えを導くのはレビ人、この原則は変わらない

主に求めていくならレビ人の歩みは可能

主の働きを担うならレビ人の歩みに入ることが必要、具体的には祈り・御言葉の読み込み

神様は聖書の原則に基づいて一人一人を扱う

ポイントは主がその人をレビ人として認めるかどうか?

地道に訓練を行っていくときにレビ人としての奉仕が神から与えられる

レビ人として歩んでいく時に人を教え導く者となる

特別宣伝しなくても神の奉仕を担っていく

自称ではなく神の前にレビ人と認めなければいけない

レビ人として歩んでいないとレビ人の奉仕は進まない

神に認められれば主の奉仕は開かれる

主の聖なる者にならなければ主の働きは担えない

レビ人は契約の箱(主の臨在)を運ぶ

レビ人が働くときに聖霊の臨在がついてくる

世の人々はレビ人の歩みをしている人を通して聖霊に触れる

 

35:4 イスラエルの王ダビデの文書およびその子ソロモンの書きつけのとおりに、父祖の家ごとに、組分けに従って、用意をしなさい。

35:5 あなたがたの同胞であるこの民の者たちが属している父祖の家の区分に従って、聖所に立ちなさい。レビ人にとって、一族の分があるようにしなさい。

35:6 それから、過越のいけにえをほふり、身を聖別し、あなたがたの同胞のために用意をして、モーセを通して示された主のことばのとおりに行ないなさい。」

35:7 ヨシヤは民の者たちに羊の群れ、すなわち、子羊とやぎの子を贈った。すべては、そこにいたすべての人の過越のいけにえのためであった。その数は三万、牛は三千。これらは王の財産の中から出された。

35:8 彼のつかさたちも、民および祭司たち、レビ人たちに、進んでささげるささげ物として贈り物をした。神の宮のつかさ、ヒルキヤ、ゼカリヤ、エヒエルも、祭司たちに過越のいけにえとして羊二千六百頭、牛三百頭を与えた。

35:9 さらに、レビ人のつかさたち、すなわち、カナヌヤとその兄弟シェマヤ、ネタヌエル、およびハシャブヤ、エイエル、エホザバデも、レビ人に過越のいけにえとして羊五千頭、牛五百頭を贈った。

過ぎ越しのいけにえ:羊をほふって門柱と鴨居に塗る→裁きが過ぎ越す、キリストの力や聖霊の臨在を受けているなら裁きが過ぎ越す

 

35:10 こうして、奉仕の用意ができたので、王の命令のとおりに、祭司たちはおのおのの定めの場所に立ち、レビ人はおのおのの組分けに従って立った。

35:11 彼らが過越のいけにえをほふると、祭司たちは彼らの手から血を受け取って注ぎかけ、レビ人は皮をはいだ。

35:12 それから、彼らは全焼のいけにえを取り除き、これを民の者たちの父祖の家の各区分に渡し、モーセの書にしるされているとおりに主にささげさせた。牛についても同様にした。

35:13 それから、彼らは定めのとおりに、過越のいけにえに火を加えて調理し、聖別されたささげ物を、なべ、かま、平なべなどで調理して、民たち全員のもとに急いで運んだ。

35:14 そのあとで、彼らは自分たちや祭司たちのための用意をした。アロンの子らである祭司たちは、夜になるまで、全焼のいけにえと脂肪をささげていたからである。そこでレビ人は、自分たちや、アロンの子らである祭司たちのための用意をした。

全焼のいけにえ:聖霊の火によって肉が焼かれるクリスチャンのたとえ

 

35:15 アサフの子らである歌うたいたちは、ダビデ、アサフ、ヘマン、および、王の先見者エドトンの命令のとおりに、その役目についていた。また、門衛たちは、それぞれの門を守っていた。彼らのうちだれも、その奉仕を離れる必要がなかった。彼らの同族であるレビ人が彼らのための用意をしたからである。

35:16 こうして、この日に、すべて主への奉仕の用意ができ、ヨシヤ王の命令のとおりに過越のいけにえをささげ、主の祭壇で全焼のいけにえをささげるばかりになったので、

35:17 そこにいたイスラエル人は、そのとき、過越のいけにえをささげ、七日間、種を入れないパンの祭りを行なった。

(パリサイ人の教えや惑わしの教理)を入れないパンにポイントがある

 

35:18 預言者サムエルの時代からこのかた、イスラエルでこのような過越のいけにえがささげられたことはなかった。イスラエルのどの王も、ここでヨシヤが行ない、祭司たちとレビ人、および、そこにいた全ユダとイスラエル、さらに、エルサレムの住民たちがささげたような過越のいけにえをささげたことはなかった。

35:19 ヨシヤの治世の第十八年に、この過越のいけにえがささげられた。

過ぎ越しは救いと関係している

こんなに多くの救いは今まで無かった

 

35:20 すべてこのように、ヨシヤが宮を整えて後、エジプトの王ネコが、ユーフラテス河畔のカルケミシュで戦うために上って来た。そこでヨシヤは、彼を迎え撃ちに出て行った。

35:21 ところが、ネコは彼のもとに使者を遣わして言った。「ユダの王よ。私とあなたと何の関係があるのですか。きょうは、あなたを攻めに来たのではありません。私の戦う家へ行くところなのです。神は、早く行けと命じておられます。私とともにおられる神に逆らわずに、控えていなさい。さもなければ、神があなたを滅ぼされます。」

35:22 しかし、ヨシヤは身を引かず、かえって、彼と戦おうとして変装し、神の御口から出たネコのことばを聞かなかった。そして、メギドの平地で戦うために行った。

ヨシヤ王は大きな救いを経験した

しかし後半、間違えた

神が命じていない戦いに入っていった

エジプト(異教の地)の王が言っている言葉は神から出たことだった

たとえ、未信者であっても神は用いて語る

誰を通して語るか分からない、きちんと耳を傾ける→油断も隙も無い

ヨシヤは忠告を聞かなかったので命を落とした

神は人を通して語り、場合によっては未信者を通して語る

メギド(ハル・レギデ):集会の丘

ハル・レギデ:ハルマゲドン→黙示録にしか、しかも1回しか出てこない、ゆえに色々な箇

所を参照しなければいけない

王たちが集まっていることが書かれてあり、結末は分からない

しかしヨシヤ王のところで結末が理解できる

神に反対され、戦いに行き、敗れた(惑わされて戦いに行った)

このことに、たとえの意味合いがある

プロテスタント(旧約のユダ)も戦いに出て行く、しかし、滅んでしまう

プロテスタントもこれから大リバイバルを経験するかも知れない、しかし、最後は惑わされ

た戦いをして滅びに入る

戦い:御言葉の戦い、正しいクリスチャンを迫害する

他の箇所でもメギドで王が倒れた記述がある→ヨシヤパテ王

 

35:23 射手たちがヨシヤ王を射たとき、王は家来たちに言った。「私を降ろしてくれ。傷を負ったのだ。」

35:24 そこで、家来たちは彼を戦車から降ろし、彼の持っていた第二の車に乗せた。そして、彼をエルサレムに連れ帰った。彼は死んだので、その先祖たちの墓に葬られた。全ユダとエルサレムはヨシヤのために喪に服した。

ヨシヤは素晴らしい神の祝福を見たが最後は滅びた

プロテスタントも同様、今だけを見てはダメ

 

35:25 エレミヤはヨシヤのために哀歌を作った。そして、男女の歌うたいはみな、今日に至るまで、彼らの哀歌の中でヨシヤのことを語り、これをイスラエルのために慣例としている。これらは哀歌にまさしくしるされている。

35:26 ヨシヤのその他の業績、すなわち、主の律法にしるされているところに従った彼の忠実な行為、

35:27 彼の業績は、最初から最後まで、イスラエルとユダの王たちの書にまさしくしるされている。

エレミヤが哀歌を作ったことにポイントがある

哀歌には、ユダが御心からズレてしまったことについて記されている

哀歌を読むとヨシヤ王の活躍とのギャップを感じる

ちなみにエレミヤはjeremiahedとも言われている、この言葉の意味合いは、「ブツブツと悲観的なことを何度も言う」という意味合い

参照 哀歌2:1-4

2:1 ああ、主はシオンの娘を御怒りで曇らせ、イスラエルの栄えを天から地に投げ落とし、御怒りの日に、ご自分の足台を思い出されなかった。

天から地に投げ落とす:この世的な教会になる、だからハルマゲドンの戦いに入る

 

2:2 主は、ヤコブのすべての住まいを、容赦なく滅ぼし、ユダの娘の要塞を、憤って打ちこわし、王国とその首長たちを、地に打ちつけて汚された。

教会の破壊について、これはプロテスタントへの預言

 

2:3 燃える怒りをもって、イスラエルのすべての角を折り、敵の前で、右の手を引き戻し、あたりを焼き尽くす燃える火で、ヤコブを焼かれた。

2:4 主は敵のように、弓を張り、右の手でしっかり構え、仇のように、いとしい者たちのすべてを虐殺し、シオンの娘の天幕に火のように憤りを注がれた。

悪霊のリバイバルで教会は席巻されていく

 

プロテスタントの未来を聖書に基づいて見ていく

やがて迫害者が立つ

プロテスタントは変わっていく

しかし正しく立っている人が勝利していく

キリスト教界の動向についていったら裏切られる

教会やキリスト教界は変わる→人間的なものに拠り頼むときに裏切られたり別のものを掴んだりするので御言葉のみを信じる