へブル書13:1~9 2014.11.9
13:1兄弟愛をいつも持っていなさい。
兄弟愛とは、ギリシャ語では、フィラデルフィア。
黙示録に出て来る7つの教会のうち、フィラデルフィアの教会は、最も祝福された教会だと、聖書研究者達は、口をそろえて言っている。
フィラデルフィアに、大きなポイントがある。
兄弟愛とは、我々にとっては、真の兄弟であり、我々のために命を捨てられたキリストに対しての愛。
「人が友のために命を捨てる。これより大きな愛は無い」と主は言われた。
最も極端な場合、命をも捨てる愛。
人を愛することは、犠牲を払う。
第一ヨハネ
3:14私たちは、自分が死からいのちに移ったことを知っています。それは、兄弟を愛しているからです。愛さない者は、死のうちにとどまっているのです。
3:15兄弟を憎む者はみな、人殺しです。いうまでもなく、だれでも人を殺す者のうちに、永遠のいのちがとどまっていることはないのです。
教会内で兄弟姉妹を愛するというのは大事な事。
兄弟を憎む者は人殺しとまで聖書に書かれている。
兄弟を愛することに努めて行きたい。
3:16キリストは、私たちのために、ご自分のいのちをお捨てになりました。それによって私たちに愛がわかったのです。ですから私たちは、兄弟のために、いのちを捨てるべきです。
兄弟愛の究極の形というのは、兄弟のために命を捨てるという事。
我々のために命を捨てた兄弟が一人いるという事がここに書かれている。
それは外でもないキリスト。
我々が兄弟を愛するというのは、キリストは我々の兄弟であり、最も究極の愛というのは、人が、その兄弟のために命を捨てる。
へブル書
13:2旅人をもてなすことを忘れてはいけません。こうして、ある人々は御使いたちを、それとは知らずにもてなしました。
だれでももてなしをしている時、知らない旅人だと思っていたら、それが御使いだった。
そうであるがゆえに恵みを受けたと、この箇所は言っている。
いい例は、ロト。ソドムの町に住んでいた。
彼が、町の広場に行ったら、旅人が実際にいた。
ロトは、知らずに自宅に御使いを招き、もてなした。
御使いは、町に滅びが来ることをロトに告げた。
主のあわれみによって、御使いはロトの手を掴んで、町から連れ出した。
その発端は、彼が旅人をもてなすという、習慣、心がけがあった。
教会で言えば、新しい人、新しい来会者の人をもてなしていくというニュアンスにも読める。
そういう意味で言うと、「情けは人の為ならず」ということわざがある。これは聖書に書いてある事ではないが、そういう事だと思う。
ロトの話は、具体的に言うと、そのように来会者を、色々と親切にしたけれども、実はその来会者が色々助けになったりする。場合によっては、自分がその人に教えたつもりだったのに、逆に教えられたりもする。
13:3牢につながれている人々を、自分も牢にいる気持ちで思いやり、また、自分も肉体を持っているのですから、苦しめられている人々を思いやりなさい。
パウロの書簡やイエス様の福音書を見ても分かるが、牢に入るとか、投獄されるとか、日常茶飯事であった。
我々の住む日本では、まだそういう事は無いが、こういった事は覚えて行きたい。
もし、そんな時になれば、「自分も肉体を持っているのですから、苦しめられている人々を思いやりなさい。」
アメリカは、そういう事が顕著にになりつつある。
例: 路傍伝道しただけで逮捕されたりする。 同性愛に反対しただけで、色々トラブルが発生するなど。
これから、アメリカのこういった傾向は、さらに進んでいく。
そういう意味では、我々も思いやって行きたい。
レムナントとしては、我々の出来る事として、速やかに、アメリカ、欧米系を始めとして、外国向けの警告を、もっと語って行きたい。
13:4結婚がすべての人に尊ばれるようにしなさい。寝床を汚してはいけません。なぜなら、神は不品行な者と姦淫を行なう者とをさばかれるからです。
「結婚がすべての人に尊ばれるようにしなさい。」とは、どういう意味か。
これはね結婚という制度を大事にせよという意味。
不品行とは、ギリシャ語の意味合いでは、ポルノ。
それを続けいればクリスチャンでも裁きに入ってしまう。
そんなものを見てばっかりいると。永遠の命を失って行く。
ガラテヤ書
5:19肉の行ないは明白であって、次のようなものです。不品行、汚れ、好色、
5:20偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派、
5:21ねたみ、酩酊、遊興、そういった類のものです。前にもあらかじめ言ったように、私は今もあなたがたにあらかじめ言っておきます。こんなことをしている者たちが神の国を相続することはありません。
今の時代ではポルノなどが蔓延しているが、そうではあっても、どっちかである。
クリスチャンでポルノを続けて行くか、そういう類の物から縁を切って、晴れて御国に入るか、どちらかである。両立は出来ない。
へブル書
13:5金銭を愛する生活をしてはいけません。いま持っているもので満足しなさい。主ご自身がこう言われるのです。「わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない。」
13:6そこで、私たちは確信に満ちてこう言います。「主は私の助け手です。私は恐れません。人間が、私に対して何ができましょう。」
金銭を愛する生活とは、お金を優先してしまうという事。 それは良くない。
13:7神のみことばをあなたがたに話した指導者たちのことを、思い出しなさい。彼らの生活の結末をよく見て、その信仰にならいなさい。
13:8イエス・キリストは、きのうもきょうも、いつまでも、同じです。
指導者たちの、彼らの生活の結末、よく見て、その信仰を見習うべき。
指導者は、信徒の模範とならなければならない。
13:9さまざまの異なった教えによって迷わされてはなりません。食物によってではなく、恵みによって心を強めるのは良いことです。食物に気を取られた者は益を得ませんでした。
様々な教え、様々な異なった教え、あと、新しい教えというニュアンスもある。
キリスト教会の中に、巧妙に、今までに聞いたことの無い、異なった教えが入って来る事がある。 また、今までに全然知らなかった教えが入って来る事がある。
そのような時に、どうかと言うと、思いのほか、クリスチャンは、結構新しい教えに入って行く。すなわち引っ張られて行く。保守的なクリスチャンでも、結構新しい教えに入って行く。例えば実際、ピーターワグナーの提唱する教えを受け入れてしまうクリスチャンは多い。
「さまざまの異なった教えによって迷わされてはなりません。」とあるが、迷わされてしまっている。ピーターワグナーの 聖霊の第三の波で言われている事はみんな、聖書から外れた、異端的な教え。その霊も、神の霊ではない。 しかし、それはすっかりブームとなって、キリスト教会は警戒もせず受け入れてしまった。
聖書に書いてある言葉に、留まったり、警告の言葉に注意を払う事が大切である。
様々な教えとか、新しい教えを吟味もなく受け入れていく時に、災いに入って行く。
それを通して、「笑いのリバイバル」などを受け入れた教会が沢山ある。それで、霊的におかしくなってしまった教会が沢山ある。
レムナントキリスト教会
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