コロサイ人への手紙3章 2013.6.9,6.16

 

3:1 こういうわけで、もしあなたがたが、キリストとともによみがえらされたのなら、上にあるものを求めなさい。そこにはキリストが、神の右に座を占めておられます。

3:2 あなたがたは、地上のものを思わず、天にあるものを思いなさい。

3:3 あなたがたはすでに死んでおり、あなたがたのいのちは、キリストとともに、神のうちに隠されてあるからです。

3:4 私たちのいのちであるキリストが現われると、そのときあなたがたも、キリストとともに、栄光のうちに現われます。

クリスチャンのあるべき姿→地上に体はあっても、天にあるものを祈り求めていくように心がけていきたい

私たちの思いが、天or地に向いているかで、全然違う

私たちの心は、天or地の、どちらかひとつ

この世のことでいっぱいになりがち、しかし、心を天に向けていきたい

2(KJV):心をセットしなさい→実践していくことにポイントがあり、本当に天にあるものをゲットする

天のものを思うとき、天に関することに、ある程度、時間を割いていくときに、入るべきところに入る

 

3:5 ですから、地上のからだの諸部分、すなわち、不品行、汚れ、情欲、悪い欲、そしてむさぼりを殺してしまいなさい。このむさぼりが、そのまま偶像礼拝なのです。

3:6 このようなことのために、神の怒りが下るのです。

クリスチャン生活は、誰も彼もハンディを背負ってスタートさせる

はじめから、罪がある

皆に、こういうもの(不品行や汚れなど)があるので、それを殺すように祈り求めていきたい

神の怒りが下る(KJV):不従順の子らに下る

不従順の子ら:未信者ではなく、クリスチャンの中で不従順な人

不従順だと怒りに会うので、従順になる

むさぼりは偶像礼拝

参照 ルカ12:1321

12:13 群衆の中のひとりが、「先生。私と遺産を分けるように私の兄弟に話してください。」と言った。

12:14 すると彼に言われた。「いったいだれが、わたしをあなたがたの裁判官や調停者に任命したのですか。」

12:15 そして人々に言われた。「どんな貪欲にも注意して、よく警戒しなさい。なぜなら、いくら豊かな人でも、その人のいのちは財産にあるのではないからです。」

12:16 それから人々にたとえを話された。「ある金持ちの畑が豊作であった。

12:17 そこで彼は、心の中でこう言いながら考えた。『どうしよう。作物をたくわえておく場所がない。』

12:18 そして言った。『こうしよう。あの倉を取りこわして、もっと大きいのを建て、穀物や財産はみなそこにしまっておこう。

12:19 そして、自分のたましいにこう言おう。「たましいよ。これから先何年分もいっぱい物がためられた。さあ、安心して、食べて、飲んで、楽しめ。」』

12:20 しかし神は彼に言われた。『愚か者。おまえのたましいは、今夜おまえから取り去られる。そうしたら、おまえが用意した物は、いったいだれのものになるのか。』

12:21 自分のためにたくわえても、神の前に富まない者はこのとおりです。」

貪欲=むさぼり

20節の注釈:彼らがおまえのたましいをおまえから求めている

たとえば、でっかい会堂を建てるとか、そういうことに力が入るときに、ポイントからズレる

イエス様も、大きな会堂は建てなかった

15:“貪欲”→違う方向に行ってしまう

何か勘違いしてしまって、ビジネスみたいになってしまう、そうすると、貪欲や危険がある

神の前の働きにおいて、貪欲になって、本末転倒になると、「愚か者」と言われる

神の働きであっても、違ってしまうことがある

何を一番にするのか?→“むさぼり”は偶像崇拝なので、気をつける

聖なることと思っても、自分の欲に仕えることがある、そのあたりは微妙なところなので、見分けが大事

自分の目標とかを捨てないと、神の奉仕はできない

自分の願望や望みではなく、主の御心を求めていく

目標、むさぼりを捨てないと、神の使命は果たせない

神様は、自分のためか?神のためか?本音を見抜くお方

微妙なことで、偶像崇拝と見なされてしまう

主の御心を優先して、色々と失うなら、それはそれで本望

同じく、15:“その人のいのちは財産にあるのではない”→たとえば、信者が増えたとして、しかし、それを一番にしていくときに、ズレていく

もし、信者とぶつかったときにどうするのか? Ex:信者を逃さないために、信者の顔色を伺うメッセージだけを語るのか?(艱難前携挙説など)

イエス様は、持ち物は一切求めなかった、そして、主の歩みが正しい

持ち物を増やすことを第一優先にすると、ズレる

人数を気にしたらダメ

コロサイ3:6“このようなことのために、神の怒りが下るのです”に関して、他の箇所を参照

参照 エペソ5:5,6

5:5 あなたがたがよく見て知っているとおり、不品行な者や、汚れた者や、むさぼる者――これが偶像礼拝者です。――こういう人はだれも、キリストと神との御国を相続することができません。

5:6 むなしいことばに、だまされてはいけません。こういう行ないのゆえに、神の怒りは不従順な子らに下るのです。

自分の欲望に生きていくのは、偶像礼拝者

もし、こういう歩みに入っているなら、きよめられるよう、祈り求めていきたい

むなしいことばに、だまされてはいけません:こういうことを書いていても、甘く言う牧師や教師がいる、しかし、騙されてはダメ

私たちクリスチャン生活は、罪との戦い、そして、敵がいる、その敵との戦い、それに勝利していかなければいけない

あらゆる罪はサタンの手にかかると、麗しいものに見える

サタンは人を死に引っ張る

サタンは、罪をうまくだまして麗しいものに見せる、それと戦って主の贖いを助けの中で受けて、入るべきところに入りたい

 

3:7 あなたがたも、以前、そのようなものの中に生きていたときは、そのような歩み方をしていました。

みな、そういう罪の中に生きていた

しかし、そういうものを捨てて、入るべきところに入る

 

3:8 しかし今は、あなたがたも、すべてこれらのこと、すなわち、怒り、憤り、悪意、そしり、あなたがたの口から出る恥ずべきことばを、捨ててしまいなさい。

3:9 互いに偽りを言ってはいけません。あなたがたは、古い人をその行ないといっしょに脱ぎ捨てて、

3:10 新しい人を着たのです。新しい人は、造り主のかたちに似せられてますます新しくされ、真の知識に至るのです。

このことを霊的に正しくみていく

造り主のかたちに似せられて:神様のイメージ、そしてキリストの似姿に変えられていく

“新しい人”と言われているように、“古い人”というのがいる

古い人:地上、生まれつきの人→ろくでもないことが多い、それにこだわってはダメ、新しい人を着なければいけない、それを求める→益々新しくされ、どんどん変えられていく

“真の知識(新しい知識)について

古い知識&新しい知識がある

この世の古い知識(神の前に正しいかどうかは別)から離れて、新しい知識に入っていく(貪欲から離れていく)

この世に何も持たずに生まれたので、何も持たずに帰る→新しい知識

クリスチャンでも、この世の古い知識を持っている人がいる、それを教会に持ってくる人がいる、しかし、聖書にある真の知識が大事

後の世で受けるすばらしい恵みに目を留める

キリスト教会でも古い知識がある、この世の価値観で動いている教会がある、あるいは、クリスチャンがいる

いつも新しい知識を求めていきたい

 

3:11 そこには、ギリシヤ人とユダヤ人、割礼の有無、未開人、スクテヤ人、奴隷と自由人というような区別はありません。キリストがすべてであり、すべてのうちにおられるのです。

恵みを受けるのに、人間的な区分は関係ない

本人が求めるかどうか?→新しい人を着られるように、求めていきたい

 

3:12 それゆえ、神に選ばれた者、聖なる、愛されている者として、あなたがたは深い同情心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい。

これらは、私たちが身に着けるもの

寛容(英語):人がした悪いことを耐え忍ぶ

 

3:13 互いに忍び合い、だれかがほかの人に不満を抱くことがあっても、互いに赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたもそうしなさい。

こうすべき

教会は、古い人が残っている人の集まり、ゆえに、おかしなことを言う人がいる

しかし、互いに赦し合う、基本的に教会は赦し合うところ

今のクリスチャンは、益々、人を赦さない方向になっている、世の中はたしかにそう、でも、引っ張られてはダメ

このことも実践する人に恵みがある

主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたもそうしなさい→このところは、KJV訳では“must”が使われている

赦さないと、一万タラントのたとえ話のように、負債が戻ってきてしまう、このことに引っ掛かるクリスチャンは多いのでは?

たとえ、相手にどんなに非があったとしても、赦すことを心がけていく

「主の祈り」にもあるように、他の人の罪を赦すかどうかが、赦されるための条件

一万タラントの警告を深刻に考える

 

3:14 そして、これらすべての上に、愛を着けなさい。愛は結びの帯として完全なものです。

3:15 キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい。そのためにこそあなたがたも召されて一体となったのです。また、感謝の心を持つ人になりなさい。

一体となるために、赦し合う

不満が出るのが普通、感謝の心を持ち続けていきたい

このことも実践する人に、大いに祝福がある

 

3:16 キリストのことばを、あなたがたのうちに豊かに住まわせ、知恵を尽くして互いに教え、互いに戒め、詩と賛美と霊の歌とにより、感謝にあふれて心から神に向かって歌いなさい。

知恵を尽くして互いに教え→良いこと

そのためには、キリストのことばを豊かに住まわせること→聖書のことばが、心の中にはね回っている状態→色々な聖書のことばが融合され、大事なことが教えられる→地道に聖書を読む→色々なことがクリアになる

詩と賛美と霊の歌とにより、感謝にあふれて心から神に向かって歌いなさい→このことも、すすめられていること

 

3:17 あなたがたのすることは、ことばによると行ないによるとを問わず、すべて主イエスの名によってなし、主によって父なる神に感謝しなさい。

クリスチャンは教会に来ているときだけでなく、いつでもクリスチャン

すべてのことをイエス・キリストの名によって成していくときに、大いに祝福がある

証になるので、そのことを心がけていきたい

 

3:18 妻たちよ。主にある者にふさわしく、夫に従いなさい。

3:19 夫たちよ。妻を愛しなさい。つらく当たってはいけません。

3:20 子どもたちよ。すべてのことについて、両親に従いなさい。それは主に喜ばれることだからです。

3:21 父たちよ。子どもをおこらせてはいけません。彼らを気落ちさせないためです。

3:22 奴隷たちよ。すべてのことについて、地上の主人に従いなさい。人のごきげんとりのような、うわべだけの仕え方ではなく、主を恐れかしこみつつ、真心から従いなさい。

奴隷→Ex:会社員とか

持ち場立場で、ここに書かれているように行っていくなら、証になる

 

3:23 何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心からしなさい。

人に対してしているようで、主にしている

 

3:24 あなたがたは、主から報いとして、御国を相続させていただくことを知っています。あなたがたは主キリストに仕えているのです。

人に仕えることを通して、主に仕えることを実践

人に仕えることをきちんとしていくことが、キリストに仕えていくことに見なされる

実践していくのがベスト

従わない人は、御国を滑る可能性がある

それをきちんと全うする人が御国を相続する

サタンが御国を継がない理由→反逆者だから

サタンのような歩みをしていたら、御国を継がない可能性がある

それぞれ仕える対象がある、きちんと行わないと、御国を継がない可能性がある

 

3:25 不正を行なう者は、自分が行なった不正の報いを受けます。それには不公平な扱いはありません。

これらのこと(仕えること)を行わないなら、悪い報いがくる

権威に従わない人は、大事なことが見えなかったりする

誰も彼も、みな、権威の下にある