ネヘミヤ記10章 2012.3.18

 

10:1 印を押した者は次のとおりである。ハカルヤの子の総督ネヘミヤ、およびゼデキヤ、

:聖霊の印→これは、契約(永遠のいのち)を有効にさせる

印を押された人は神の国に入っていく

エズラ記、ネヘミヤ記は、終末の回復(教理&霊的な事柄)の予表

バビロン(アメリカゆかりの曲がった教理)から帰って来ない人は、印は危ない

世の終わり、すなわち、黙示録の時代も印は、聖霊の印に通じる

 

10:2 セラヤ、アザルヤ、エレミヤ、

10:3 パシュフル、アマルヤ、マルキヤ、

10:4 ハトシュ、シェバヌヤ、マルク、

10:5 ハリム、メレモテ、オバデヤ、

10:6 ダニエル、ギネトン、バルク、

10:7 メシュラム、アビヤ、ミヤミン、

10:8 マアズヤ、ビルガイ、シェマヤ。以上は祭司たちであった。

10:9 次にレビ人たちでは、アザヌヤの子ヨシュア、ヘナダデの子らのうちのビヌイ、カデミエル、

10:10 および、彼らの親類シェバヌヤ、ホディヤ、ケリタ、ペラヤ、ハナン、

10:11 ミカ、レホブ、ハシャブヤ、

10:12 ザクル、シェレベヤ、シェバヌヤ、

10:13 ホディヤ、バニ、ベニヌ。

10:14 次に民のかしらたちでは、パルオシュ、パハテ・モアブ、エラム、ザト、バニ、

10:15 ブニ、アズガデ、ベバイ、

10:16 アドニヤ、ビグワイ、アディン、

10:17 アテル、ヒゼキヤ、アズル、

10:18 ホディヤ、ハシュム、ベツァイ、

10:19 ハリフ、アナトテ、ネバイ、

10:20 マグピアシュ、メシュラム、ヘジル、

10:21 メシェザブエル、ツァドク、ヤドア、

10:22 ペラテヤ、ハナン、アナヤ、

10:23 ホセア、ハナヌヤ、ハシュブ、

10:24 ロヘシュ、ピルハ、ショベク、

10:25 レフム、ハシャブナ、マアセヤ、

10:26 アヒヤ、ハナン、アナン、

10:27 マルク、ハリム、バアナ。

10:28 このほかの民、祭司、レビ人、門衛、歌うたい、宮に仕えるしもべたち、また、国々の民と縁を絶って神の律法についた者全員、その妻、息子、娘たち、すべて理解できるまでになった者は、

印を押された人々の特徴→国々の民と縁を絶って神の律法についた者

この世についたクリスチャン(Ex:艱難前携挙説を受け入れていたり、ヤベツの祈りを奨励したりするクリスチャン)と縁を絶って、神の律法につくことに御心があるということを言われている

もし、私たちが、どこの民(おかしな教理を受けて入れている人々やそれらから離れない人々)と友好的になるなら、律法につくことはできない

国々の民と縁を切る=律法につく

御言葉を取ることを優先する

御言葉に従っていくときに、痛みや犠牲はある、しかし、神の律法につく

「すべて理解できるまでになった者」に語りかけがある、このことは、「律法の理解」について言われている→本当の意味合いで、律法を理解することが大切

また、「律法を盗む」ということがクリスチャンの間で行われている

ちなみに御言葉を盗むことについて

 

参照 ゼカリヤ書5:1-4

5:1 私が再び目を上げて見ると、なんと、巻き物が飛んでいた。

5:2 彼は私に言った。「何を見ているのか。」私は答えた。「飛んでいる巻き物を見ています。その長さは二十キュビト、その幅は十キュビトです。」

5:3 すると彼は、私に言った。「これは、全地の面に出て行くのろいだ。盗む者はだれでも、これに照らし合わせて取り除かれ、また、偽って誓う者はだれでも、これに照らし合わせて取り除かれる。」

5:4 「わたしが、それを出て行かせる。──万軍の主の御告げ──それは、盗人の家に入り、また、わたしの名を使って偽りの誓いを立てる者の家に入り、その家の真ん中にとどまり、その家を梁と石とともに絶ち滅ぼす。」

 

「巻物」とは、聖書、すなわち律法のこと

御言葉を盗んで(変質させたり、取り除いたりする Ex:クリスチャンは艱難に会わない、一度救われてクリスチャンと名が付けばさばかれずにみんな天国に入る、さばきは未信者だけ等)、勝手なことを言うと、呪いを受ける→このことは、「いのちの書」から取り除かれてしまうことを言われている

御言葉を扱う奉仕者(メッセージを語る牧師や教師、伝道師等)は、ある意味危ない立場に置かれているということを理解して、御言葉を正しく語っていく、もし、御言葉を盗むなら、いのち(永遠のいのち)を取られてしまう

4節の言葉に語りかけがある「わたしの名を使って偽りの誓いを立てる者の家に入り、その家の真ん中にとどまり、その家を梁と石とともに絶ち滅ぼす」→このことは、教会が立ち行かなくなってしまうことを言われている(物理的には、会堂があり、そこには人が集まっているので、目に見えることに関しては何ら問題が無いように見えても、霊的な意味合いにおいて、もっというなら、神の前には、そういう教会は崩れている)

 

10:29 彼らの親類のすぐれた人々にたより、神のしもべモーセを通して与えられた神の律法に従って歩み、私たちの主、主のすべての命令、その定めとおきてを守り行なうための、のろいと誓いとに加わった。

どの御言葉も守っていく人にポイントがある、守っていくときに、大きなポイントがある

ちなみに「のろいと誓い」ということについて

 

参照 申命記29:17-20

29:17 また、あなたがたは、彼らのところにある忌むべきもの、木や石や銀や金の偶像を見た。

29:18 万が一にも、あなたがたのうちに、きょう、その心が私たちの神、主を離れて、これらの異邦の民の神々に行って、仕えるような、男や女、氏族や部族があってはならない。あなたがたのうちに、毒草や、苦よもぎを生ずる根があってはならない。

29:19 こののろいの誓いのことばを聞いたとき、「潤ったものも渇いたものもひとしく滅びるのであれば、私は自分のかたくなな心のままに歩いても、私には平和がある」と心の中で自分を祝福する者があるなら、

29:20主はその者を決して赦そうとはされない。むしろ、主の怒りとねたみが、その者に対して燃え上がり、この書にしるされたすべてののろいの誓いがその者の上にのしかかり、主は、その者の名を天の下から消し去ってしまう

 

20節に書かれているように、正しく守らないなら、天の下(いのちの書)から名前が消し去られてしまう

17節の「銀や金の偶像」にも語りかけがある

「銀や金」は、「信仰」にたとえられている、ゆえに、銀や金の偶像とは、「神に仕える立派な器」のことを指す

器のほうばかりに集中すると、御言葉から、はなれていく

神よりも、器のほうを崇めてしまうと、御言葉からズレていく

ゆえに、この箇所で言われているのは・・・器のほうに引っ張られていってしまうために、呪いに入ってしまうことを言われている

聖書の御言葉で言われていることと、器の言われていることとが、異なっていたら、御言葉をとる!!

器による惑わしに気を付ける

 

10:30 すなわち、私たちの娘をこの地の民たちにとつがせず、また、彼らの娘を私たちの息子にめとらない。

このことも守る

 

10:31 たとい、この地の民たちが安息日に、品物、すなわち、いろいろな穀物を売りに持って来ても、私たちは安息日や聖日には彼らから買わない。また、私たちは七年目には土地を休ませ、すべての負債を取り立てない。

安息日:7日目

7つ目のミレニアムに関すること(ちなみに、今、私たちは7つ目のミレニアムにいる)

6つ目までは良い、しかし、7つ目は、要注意!!7つ目のミレニアムは、教理が変質するとき、新しい教えには要注意!!

今は、穀物(穀物はパン、すなわち御言葉のこと、そして、この時代から広がっている御言葉に関する教理)を買う時ではないことを正しく理解する

今、売り出されている教理を買ってはダメ!!

出エジプト記に書かれているように、6日目まで、パンは落ちてきた、しかし、7日目には落ちなかった

 

参照 出エジプト記16:21-30

16:21 彼らは、朝ごとに、各自が食べる分だけ、それを集めた。日が熱くなると、それは溶けた。

16:22 六日目には、彼らは二倍のパン、すなわち、ひとり当たり二オメルずつ集めた。会衆の上に立つ者たちがみな、モーセのところに来て、告げたとき、

16:23 モーセは彼らに言った。「主の語られたことはこうです。『あすは全き休みの日、主の聖なる安息である。あなたがたは、焼きたいものは焼き、煮たいものは煮よ。残ったものは、すべて朝まで保存するため、取っておけ。』」

16:24 それで彼らはモーセの命じたとおりに、それを朝まで取っておいたが、それは臭くもならず、うじもわかなかった。

16:25 それでモーセは言った。「きょうは、それを食べなさい。きょうは主の安息であるから。きょうはそれを野で見つけることはできません

16:26 六日の間はそれを集めることができます。しかし安息の七日目には、それは、ありません。」

16:27 それなのに、民の中のある者は七日目に集めに出た。しかし、何も見つからなかった。

16:28 そのとき、主はモーセに仰せられた。「あなたがたは、いつまでわたしの命令とおしえを守ろうとしないのか。

16:29主があなたがたに安息を与えられたことに、心せよ。それゆえ、六日目には、二日分のパンをあなたがたに与えている。七日目には、あなたがたはそれぞれ自分の場所にとどまれ。その所からだれも出てはならない。

16:30 それで、民は七日目に休んだ

 

7日目に集めると、ロクでもないことになる、ゆえに、教理に関して、7日目は追っかけてはダメ!!

 

10:32 私たちは、私たちの神の宮の礼拝のために、毎年シェケルの三分の一をささげるとの命令を自分たちで定めた。

10:33 これは、並べ供えるパンと、常供の穀物のささげ物、また常供の全焼のいけにえ、また、安息日、新月の祭り、例祭のいけにえ、聖なるささげ物、また、イスラエルの贖いをなす罪のためのいけにえ、さらに、私たちの神の宮のすべての用途のためであった。

10:34 また私たち、祭司とレビ人と民とは、律法にしるされているとおり、私たちの神、主の、祭壇の上で燃やすたきぎのささげ物についてのくじを引き、毎年、定まった時に、私たちの父祖の家ごとに、それを私たちの神の宮に携えて来ることに決めた。

「常供のささげ物」が大事だということを言われている

朝に、夕に、捧げる

御言葉を捧げる奉仕をはじめ、聖霊にある奉仕を、毎回、毎日ずっと、世の終わりまで、捧げていく

その際、全焼のいけにえが必要→祈りの中で奉仕をする

 

10:35 また、私たちの土地の初なりと、あらゆる木の初なりの果実とをみな、毎年、主の宮に携えて来ることに決めた。

10:36 また、律法にしるされているとおり、私たちの子どもと家畜の初子、および、私たちの牛や羊の初子を、私たちの神の宮に、私たちの神の宮で仕えている祭司たちのところに携えて来ることに決めた。

牛や羊の初子:クリスチャンの献身的なささげ物

働きはレビ人(弟子の歩みをしている人)が担う

 

10:37 また、私たちの初物の麦粉と、私たちの奉納物、およびあらゆる木の果実、新しいぶどう酒と油を、祭司たちのところに、私たちの神の宮の部屋に携えて来ることにした。また、私たちの土地の十分の一はレビ人たちのものとした。レビ人が、彼ら自身で私たちの農耕するすべての町から、その十分の一を集めることにした。

ぶどう酒や油(聖霊の働き)を捧げる

 

10:38 レビ人が十分の一を集めるとき、アロンの子孫である祭司が、そのレビ人とともにいなければならない。レビ人はその十分の一の十分の一を、私たちの神の宮へ携え上り、宝物倉の部屋に納めなければならない。

10:39 この部屋に、イスラエル人とレビ人たちは、穀物や、新しいぶどう酒や油の奉納物を携えて来るようになっているからである。そこには聖所の器具があり、また、当番の祭司や門衛や歌うたいもいる。こうして私たちは、私たちの神の宮をなおざりにしないのである。

神の宮(教会の働き)を、なおざりにしない

色々なことにかまけて、大事なことを失うことのないように気を付ける

もっとも大切ないけにえは、「祈り」

そこに集中する

多くの教会は神の宮をなおざりにしている、しかし、なおざりにせずに正しく仕えていく