ピリピ人への手紙3章 2013.4.7,4.14

 

3:1 最後に、私の兄弟たち。主にあって喜びなさい。前と同じことを書きますが、これは、私には煩わしいことではなく、あなたがたの安全のためにもなることです。

どんなことも益になるので、喜ぶ

パウロはここで、同じことを書くと言っている

聖書の一つのパターン→大事なことが繰り返し、繰り返し書かれている

主の奉仕をしていくときに、大事なことに関しては、繰り返し言わなければいけない

Ex:艱難前携挙説が嘘→このことに関して、あちこちの聖書を引用して説明する

警告に耳を貸さない人は、災いに入り、結果、永遠の命を失う、このことは自己責任

同じことを繰り返して言う、それをわずらわしく思うことなく、魂の安全のためにそのことを行う

警告は必要に応じて繰り返して行う

 

3:2 どうか犬に気をつけてください。悪い働き人に気をつけてください。肉体だけの割礼の者に気をつけてください。

肉体だけの割礼の者:人間的なことを強調する働き人→本末転倒になる

このことは、気をつける

働き人から出たものが、多くの人に影響を与えるから

よく祈り、御言葉に触れる

 

3:3 神の御霊によって礼拝をし、キリスト・イエスを誇り、人間的なものを頼みにしない私たちのほうこそ、割礼の者なのです。

割礼の本質を見る

ピリピの人は、異邦人だから、割礼を受けていない

割礼とは、「自分の肉を切り離す」こと

人間的な力、誇りを切り離す

クリスチャンでも、肉を誇っている人がいる、この世のことに力が入っている人がいる

「割礼」のことに徹底しないときに、永遠の命が危ない

参照 創世記17:14

17:14 包皮の肉を切り捨てられていない無割礼の男、そのような者は、その民から断ち切られなければならない。わたしの契約を破ったのである。」

実際にリアルに体験しないときに、イスラエルの国籍から切り離されて、入るべき所に入れなくなる

「割礼」について、追求する

自分の経験の中で、神は語る

割礼を受けることによって、奉仕も変わってくる

クリスチャンの問題:自分の肉の力で歩んでいる人が多い

すべてのことにおいて、肉から切り離されていく、すべてにおいて、キリストに頼る

「割礼」のことは、旧約聖書の中で、繰り返し語られている→クリスチャン生活の根幹にかかわる

祝福を得るかどうかに、かかわってくる

 

3:4 ただし、私は、人間的なものにおいても頼むところがあります。もし、ほかの人が人間的なものに頼むところがあると思うなら、私は、それ以上です。

3:5 私は八日目の割礼を受け、イスラエル民族に属し、ベニヤミンの分かれの者です。きっすいのヘブル人で、律法についてはパリサイ人、

3:6 その熱心は教会を迫害したほどで、律法による義についてならば非難されるところのない者です。

ピリピ(異邦人)の人から見たら、パウロはエリートに見えた

 

3:7 しかし、私にとって得であったこのようなものをみな、私はキリストのゆえに、損と思うようになりました。

3:8 それどころか、私の主であるキリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえに、いっさいのことを損と思っています。私はキリストのためにすべてのものを捨てて、それらをちりあくたと思っています。それは、私には、キリストを得、また、

人間的なものにとどまるのは損だし、得るべきものを得られない

人間的なことに引っ張られていくときに、損になり、得るべきものを得ない

場合によっては、神の働きを担っていくときに、人間的に大事なものを失う

キリストに従っていくときに、この世のものを失う可能性がある

このことは、益になる

それでもやっていくのか?の選択がある

 

3:9 キリストの中にある者と認められ、律法による自分の義ではなくて、キリストを信じる信仰による義、すなわち、信仰に基づいて、神から与えられる義を持つことができる、という望みがあるからです。

3:10 私は、キリストとその復活の力を知り、またキリストの苦しみにあずかることも知って、キリストの死と同じ状態になり、

3:11 どうにかして、死者の中からの復活に達したいのです。

パウロは、望みの段階

(永遠の命を)得たとは思っていない

すべてのクリスチャンは、生きている間に死者からの復活に達さなければいけない、そうでないなら、永遠の命が危ない

死者からの復活は、生涯を通して達成すべき事柄

参照 ローマ人への手紙8:1113

8:11 もしイエスを死者の中からよみがえらせた方の御霊が、あなたがたのうちに住んでおられるなら、キリスト・イエスを死者の中からよみがえらせた方は、あなたがたのうちに住んでおられる御霊によって、あなたがたの死ぬべきからだをも生かしてくださるのです。

8:12 ですから、兄弟たち。私たちは、肉に従って歩む責任を、肉に対して負ってはいません。

8:13 もし肉に従って生きるなら、あなたがたは死ぬのです。しかし、もし御霊によって、からだの行ないを殺すなら、あなたがたは生きるのです。

クリスチャン生活の中で、よみがえりを経験しなければいけない

そうでないと、永遠の命が危ないかも知れない

生きている間によみがえりを経験する、それを生きている間に求める

復活は、具体的に、聖霊によって歩み、経験する

パウロは、死者からの復活を必死に求めた→模範とする

生涯をかけて、実現する

ずっと罪に負けていたり、とりこになっているなら、「死者の状態」と言える

たしかに、もともとは、どのクリスチャンも罪にまみれていた→クリスチャン生活のスタートは、みな同じ、どの人も、死者からスタートしている

ある人は、生涯を通して死者からの復活に達する→後の世に永遠の命、すなわち復活のからだを得ることに通じる

しかし、ある人は、罪の中を歩み続ける→後の世が危ない

復活をしていくときに、キリストの苦しみにあずかるのが一つのポイント

キリストのゆえに、多少、苦しみを受ける

キリストのゆえに、苦しみをしている人は、復活に近い

このことに、目を留めていきたい

 

3:12 私は、すでに得たのでもなく、すでに完全にされているのでもありません。ただ捕えようとして、追求しているのです。そして、それを得るようにとキリスト・イエスが私を捕えてくださったのです。

3:13 兄弟たちよ。私は、自分はすでに捕えたなどと考えてはいません。ただ、この一事に励んでいます。すなわち、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、

パウロの必死さは、私たちの模範

参照 ピリピ人への手紙3:17

3:17 兄弟たち。私を見ならう者になってください。また、あなたがたと同じように私たちを手本として歩んでいる人たちに、目を留めてください。

このことは、正しい、ゆえに見習うべき

また、12節に書かれているように考えるのが正しい

参照 ピリピ人への手紙2:12

2:12 そういうわけですから、愛する人たち、いつも従順であったように、私がいるときだけでなく、私のいない今はなおさら、恐れおののいて自分の救いを達成してください。

救いについては、達成しなければいけない、ずっと求めていく→こういう態度が正しい

得るべきものを必死に求めている→あるべき姿

 

3:14 キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのです。

これが正しい

栄冠を得るような走り方、このことは、オリンピックで言うメダルを目指すようなもの

参照 Ⅰコリント人への手紙9:24,25

9:24 競技場で走る人たちは、みな走っても、賞を受けるのはただひとりだ、ということを知っているでしょう。ですから、あなたがたも、賞を受けられるように走りなさい。

9:25 また闘技をする者は、あらゆることについて自制します。彼らは朽ちる冠を受けるためにそうするのですが、私たちは朽ちない冠を受けるためにそうするのです。

「栄冠」とは、このことを指す

参加するだけでなく、金メダルを取れるように走る→心がけや思いが、そうでなければいけない、書かれていることは一応尊重していきたい

そのような歩みをしていくときに、啓示や召しが与えられ、神の働きに入っていく

自分なりに一心に走っていくときに、神さまが目を留めてくださる

 

3:15 ですから、成人である者はみな、このような考え方をしましょう。もし、あなたがたがどこかでこれと違った考え方をしているなら、神はそのこともあなたがたに明らかにしてくださいます。

大人のクリスチャンは、こういう考えをすべき

こういう理解をしているなら、概ね正しい方向に入っている

 

3:16 それはそれとして、私たちはすでに達しているところを基準として、進むべきです。

KJV:それはそれとして、同じ考え、同じ心で、私たちは~

「同じ考え、同じ心で」が、新改訳では省略されている

教会は、同じ考えで歩んでいく

 

3:17 兄弟たち。私を見ならう者になってください。また、あなたがたと同じように私たちを手本として歩んでいる人たちに、目を留めてください。

パウロのように、弟子の歩みをしている人は、模範になっていく

御言葉を扱う人は、表面だけではダメ、すなわち言葉だけではない

その人の歩み、生き様を見る→影響する、歩みが変えられる

 

3:18 というのは、私はしばしばあなたがたに言って来たし、今も涙をもって言うのですが、多くの人々がキリストの十字架の敵として歩んでいるからです。

3:19 彼らの最後は滅びです。彼らの神は彼らの欲望であり、彼らの栄光は彼ら自身の恥なのです。彼らの思いは地上のことだけです。

18節はクリスチャンのこと、場合によってはメッセンジャーのことも言っている

参照 ピリピ人への手紙3:2

3:2 どうか犬に気をつけてください。悪い働き人に気をつけてください。肉体だけの割礼の者に気をつけてください。

こういう人が、キリストの敵として歩んでいる

キリストを信じると言いながら、十字架を敵としている人がいる

十字架を敵とするなら、クリスチャンであっても滅びる、これは単に知識だけではない

自分の歩みの中で十字架を経験することに力を入れていくか?→このことは“must

十字架をきちんと経験しないと、得るべきものを得ない

死者と同じ状態になって、はじめて復活する

参照 ピリピ人への手紙3:10,11

3:10 私は、キリストとその復活の力を知り、またキリストの苦しみにあずかることも知って、キリストの死と同じ状態になり、

3:11 どうにかして、死者の中からの復活に達したいのです。

実質、経験しているかどうか?

このことをちゃんと経験できるかが大事な問題

人は十字架を経験しないかぎり、喜ばれない

よみがえりの経験をして、神は喜ばれる

ある人は十字架をスキップする

地上のことばかりが気になる人がいる Ex:この世の流行を追いかける→入るべき所(天の御国)に入らない

生まれつきのものに頼って仕えていくのはNG

すべての人が十字架を経験しなければいけない

生まれつきのものは、この世のものだけ、ゆえに滅びる

起きてくる理不尽なことは、神がその人に根本的なもっとも大事なことを語ろうとされている

 

3:20 けれども、私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主としておいでになるのを、私たちは待ち望んでいます。

あまり、この世のことばかりを考えてはダメ

 

3:21 キリストは、万物をご自身に従わせることのできる御力によって、私たちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じ姿に変えてくださるのです。

神の目から見て、私たちの体は卑しいもの→永遠のものではない、一時的なもの

地上の幕屋、すなわち仮のテント、そういった認識を持つ

後に受ける栄光のからだに期待する、そこに力を入れる

地上の体のことで、あまり深刻にならない、一時的に過ぎない

栄光のからだにポイントがある、別のものを掴まないように

後の世が本番

心を聖書の考えにシフトしていく