ヨハネの黙示録12章7~12             2016.3.27

 

 

 

12章の中で、必ず捉えておかなければならない事が一つ二つあると思う。

 

それは、「太陽を着る女」、もう一つは「竜」。

 

「太陽を着る女」を理解しなければ、この12章は何を書いてあるのかさっぱりわからない。

 

創世記の中の、ヨセフの見た夢が、喩えの中の基本。

 

「女」は、教会の喩え。

 

色んな教会が、黙示録の中に出て来る。

 

教会というのは、旧約聖書でいえば、集会、集まり、グループ。

 

特別なものではない。

 

この「女」の特徴は、明らかに天的な要素から出来ている。

 

教会は、アブラハムの子孫がクリスチャンであり、アブラハムの子孫は、天の星、地の砂の様であるので、地の子孫も、天の子孫もある筈だが、この女に関しては天的な要素しかない。

 

だから、天的な教会をさしていると捉えないなら、殆ど12章の要素を理解できていない。

 

捉えれば、かなり大事なポイントを捉える事が出来る。

 

女は、荒野に逃げたり、そこには1260日の間、彼女を養うために、神によって備えられた場所があったという風に、「女」は明らかに天的な教会にポイントがある。

 

女は、逃げたとか、荒野に行ったという風に、明らかに世の終わりにあっては、我々が天的な歩みをし、神の御心のクリスチャンの歩み、御心の教会の歩みをして行くつもりならば、荒野に行くという事柄を選択すべき。 本当にその時になったら、御霊が教えて下さると思う。

 

荒野は、何に対して関係しているかと言うと、エジプト。

 

出エジプトを見るならば、エジプト(この世の象徴)の民、エジプトにいて、御心の民であるモーセに率いられるイスラエルの人々は、荒野に行って、神によって引き出され、そこで真に神を礼拝したという事が、出エジプト記で語られているメッセージ。

 

出エジプト記は、未来に対する預言。

 

「女が荒野に逃げた」というのはまさに、出エジプト記の預言の成就。

 

何が正しい歩みなのかを知るために、出エジプト記は書かれている。

 

出エジプト記だけではなく、ノアの箱舟、ソドム、ゴモラなど、みな終末に関しての預言。

 

呼んだ人は、正しく理解し、見てない人は、何も分からない。

 

荒野に出て行くという事にポイントがある。世の終わりというのは、聖書はあらゆる意味合いで、喩えを理解すれば、公の教会に留まってはいけないという事。

 

仮庵の祭に入って行くべき。荒野に逃げていくべきだという事が、繰り返し語られている。

 

マタイ24章で、主が言われた。「屋上にいる者は、家の中の物を取り出そうと、中にもどってはいけない」  これは、公の教会は「家」。 ここに戻ってはいけない。

 

屋上にいるという事は、仮庵の祭を前提としている。

 

仮庵(地下教会)に留まれという事。

 

「山へ逃げよ、畑にいる者は、持ち物、上着を取り出そうと、戻ってはいけない。」

 

だから、公の教会に戻ってはいけないという、明確なメッセージ。

 

何一つ読まない人もいるが、読んだ方が良い。そうでないと、何のための警告だか、意味がなくなってしまう。

 

もう一つ、知るべきポイントは、「竜」が登場するという事。

 

恐竜は、架空の生物ではない。  実際に、化石として出て来る。

 

恐竜は、歴史上、最強の動物。  ライオンだって恐竜には負ける。

 

恐竜に喰われた人は、結構いたらしい。

 

ポイントは、世界の歴史で最大の国。「恐竜」と呼ばれるべき国が出て来る。

 

7つの頭と10本の角を持つ、これはアメリカそのもの。

 

だから、獣として呼ぶとしたら、「恐竜」

 

我々は、恐竜と、同居している。  そして我々はひどい目に遭っている。

 

日本は、原爆2つも落とされ、30万人ほどが死んでいる。

 

東京大空襲でも、10万人ほど死んだ。

 

沖縄の人は、もっとひどい目に遭っている。 アメリカは「恐竜」

 

我々は、よりによって恐竜と同居している世代。

 

アメリカによって、アフガンの人も、イラクの人も、この「恐竜」にひどい目に遭っている。

 

今はまだ、半分ほどしか本性を現していない。

 

アメリカが本気を出したら、世界中の国は支配されてしまう。

 

いずれその様な日が来る。

 

その下で、正しいクリスチャンに対して迫害が行なわれる。

 

しかし、無意味に不信仰になる必要は無い。

 

126節に書いてあるように、「女は荒野に逃げた。」と、そこには1260日の間に、彼女を養うために、「神によって備えられた場所があった」と書いてある。

 

1260日は、3年半。

 

それは艱難時代の初めから終わりまでの期間。

 

だから、メッセージは、「恐竜のような獣の国だから、クリスチャンは抵抗できないで、みな反キリストを拝んで終わり」というわけではない。

 

そう言う国が来るけれども、主の、荒野での備えとか、その女を1260日つまり3年半の間、養うその力を見よという事が、メッセージ。

 

そのあたりを読まないと、只々不信仰になって、「やはりだめだ」となるのは誤り。

 

 

 

黙示録

 

12:7さて、天に戦いが起こって、ミカエルと彼の使いたちは、竜と戦った。それで、竜とその使いたちは応戦したが、

 

12:8勝つことができず、天にはもはや彼らのいる場所がなくなった。

 

 

 

ここに書いてあるように、天に戦いが起こる。

 

「天に戦い」という事も、理解しなければならない。

 

この「女」は、天的な教会なので、「天」というのは、教会の喩えという事が理解出来る。

 

天と地は、教会の盾。

 

神は、アブラハムの子孫に関して、「天の星、地の砂のようになる」と言われた。

 

アブラハムの子孫であるクリスチャンは、必ずしも天的な人達ばかりではなく、地的なクリスチャンもそう。

 

地的とは、この世につくこと。「進化論は正しい」や、「同性愛は正しい」と言っている人も、この世の理論に従っている人々であり、「キリストのみに救いがある。イエスの名にのみ救いがある。イエスの名によって祈る」とか言うと、他の宗教の人が怒るから「天の至高者の名によって祈る」など、わけのわからない事になっている。

 

その様な祈りをしている人も、地的。

 

ポイントは、天において戦いがあるという事。

 

今は、天に戦いが起こるのだが、結果、サタンと彼の使いも、天から一掃されるようになるという事。

 

これから、天的な教会というのは、おそらく、公の教会から出るクリスチャン。

 

アメリカでも地下教会みたいな集会が、出て来ている。

 

日本でもそうなって行くだろうと思う。

 

その時に、公の教会に行けなくなって行くが、悪い事ばかりではない。

 

そうなる時に、教会は、純粋になって行く。

 

この世的なものから離れて、神ご自身から導かれるようになって、真理が見えて来るようになる。これをさして、天における戦いと言っている。

 

「竜とその使いたちは応戦したが、 勝つことができず、天にはもはや彼らのいる場所がなくなった。」とあるように、要するに、色々なインチキ教理を言う人々。

 

「艱難前は正しい」「セカンドチャンスは正しい」「地獄は無い」「一度洗礼を受け、クリスチャンと名がつけば、決して滅びることは無い」など。

 

これらはやはり、違う。  それに関して戦いが起きる。

 

ここで、天に戦いがあったという風に、戦いという事を理解してほしい。

 

世の終わりの時に、こういった教理だとか、クリスチャン同士の戦いが起きるという事は、実は聖書の中で、何度か預言されている事。  これは預言されている事。

 

 

 

マタイ

 

24:6また、戦争のことや、戦争のうわさを聞くでしょうが、気をつけて、あわてないようにしなさい。これらは必ず起こることです。しかし、終わりが来たのではありません。

 

 

 

ここに書いてある「戦い」という言葉は、黙示録の、「天に戦いが起こって」と書いてあるが

 

まさに、ギリシャ語では同じ言葉。

 

これが「天の戦い」の説明。

 

 

 

24:7民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、方々にききんと地震が起こります。

 

 

 

マタイの24章がそうであるように、ここで書かれているのは、あれも、これも、喩え。

 

全く喩えを理解しないで、そのまま解釈する人がいるが、「これは第一次世界大戦、こっちは第二次性大戦」だとか、いう人は多いが、これは喩え。

 

今までキリスト教会に無かった事柄。

 

これは、キリスト教会の中における、教理や、教えに関しての争いを、「戦争や、戦争のうわさ」と書いてある。    その様に預言している。

 

「民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、」とあるように、イスラエル民族、エソウ(エドム、俗悪なクリスチャンなど・・) 天的なクリスチャンと俗悪なクリスチャンの戦いとか、

 

クリスチャン同士の争いとか、そういう事に関しての預言。

 

だから、「方々にききんと地震が起こります。」という事もしかり。

 

ききんは、御言葉のききん。

 

なので、聖書が明確に語っている一つの事を理解しなければならない。

 

世の終わりの時に、我々は好むと好まざると、キリスト教会の中で大きな論争が起きて来る。

 

それは、教団、教派を巻き込んでの論争。

 

そして、極端な場合、訴え合ったり、そういうような事柄もある。

 

結論は、黙示録を見た限り、良い方向へ行く。

 

(天的な教会)から、竜、蛇。そう言った働きが一掃されるようになる。

 

これに関連してのメッセージは、レムナントは、今まで通りにやって行く。

 

「艱難前」は間違い。  「命の書から名を消される人も出て来る」など。

 

今は、市民権は無いが、天的な教会においては、段々とこれが主流になって来る。

 

最後までこの世につく人は分からないが、見るべき人には、これが主流になって行く。

 

「艱難前携挙」が間違いだという事も、「命の書から、名が消される事もある」という事が、常識になって来ると思う。

 

なので、今が、踏ん張りどころ。引いてはいけない。

 

我々のこういった、教理的な戦いとかは、全面的な戦いになって行く。

 

真理を見る人はそれを見て、「ここに真理がある」ということで、強められていく。

 

これは日本に限らず、全世界的な戦いになって行く。真理が回復されて行く。

 

今は、レムナントでは、真理の光が細々と見えているが、恥じる必要は無い。

 

いずれこれは広がって行く。  真理は広がって行く。

 

今の我々の戦いは、そういった最初の戦いの一部を戦っている。

 

「艱難前」の人から文句を言われたり、他にも色々文句を言われたりするが、真理を見る人にとっては、そういった事柄は、常識となっていくだろうと考えられる。

 

その時に大事なのは、留まる事。

 

頻繁に、いう事を変えたり、年ごとにいう事を変えたりするのはまずい。

 

それでは誰も相手にしなくなる。

 

 

 

黙示録

 

12:9こうして、この巨大な竜、すなわち、悪魔とか、サタンとか呼ばれて、全世界を惑わす、あの古い蛇は投げ落とされた。彼は地上に投げ落とされ、彼の使いどもも彼とともに投げ落とされた。

 

12:10そのとき私は、天で大きな声が、こう言うのを聞いた。「今や、私たちの神の救いと力と国と、また、神のキリストの権威が現われた。私たちの兄弟たちの告発者、日夜彼らを私たちの神の御前で訴えている者が投げ落とされたからである。

 

 

 

「巨大な竜」はアメリカだと思う。

 

これは、地に投げ落とされた。 これは、地(地についた教会)

 

この世についた教会には増々災いが来る。

 

なので、これからのトレンド、あるべきポイントは、はっきり捉える。

 

これから我々は、天的な教会へ進んでいく。

 

人間的には、全く良さそうには見えない。

 

二つ良い事は無い。

 

しかし、真理は明らかに天的な教会にある。

 

そして、「巨大な竜」。  「悪魔とか、サタンとか呼ばれて、全世界を惑わす、あの古い蛇は投げ落とされた。」

 

古い蛇とは、エデンの園に出て来た、あの蛇。

 

エデンの園以来、延々と、人を惑わして、アダムとエバを惑わして、いのちの木から外したあの蛇。その蛇が、投げ落とされた。

 

これを通して知らなければならない事は、「全世界を惑わす、あの古い蛇」と書いてあるように、この世の中には、サタン(竜、蛇)が居る。

 

蛇であるサタンは、嘘ばかりついている。  しかも、巧妙。

 

我々がクリスチャン生活を歩んでいる時に、近未来に悪魔が天から落とされる日が来るのだが、

 

まだ活動中。

 

我々が理解しなければならない事は、この様な詐欺師とか、全世界を惑わすことを仕事のようにしている、サタン、悪魔という存在がいるという事を、ここに書いてあるように、正しく認識しないといけない。

 

この世の人は、みな惑わされている。

 

我々は、進化論が間違いだと言っているが、この世の人はすっかりこれに騙されている。

 

これは惑わし。

 

しかし、サタンに惑わされているのは、この世の人だけではない。

 

クリスチャンも、大なり小なり、サタンに惑わされて行く人生だという事柄に関しては、よくよく理解しておくべき。

 

あっちの教団で惑わされており、こっちの教団で惑わされている。

 

カトリックはまさに、惑わされている。「地獄は無い。進化論は正しい」など。

 

マリアにキリストへのとりつぎなどと祈っている。

 

カトリックの人達は、一生懸命このように祈っている。また、ロザリオの祈りをしたり、結局入るべき所に入らなかったり、彼らは彼らで、教会へ行っているし、やる事をやっていると思っている。そこは、サタンの惑わし。

 

それは、クリスチャンもどき、天国もどきで、変なものを掴み、滅んでしまう。

 

そうやってサタンは、初めからの人殺しだというように、何が最も大事なのか分かっていて、あらゆる形で、妨害する。  特に、永遠のいのちに近い人に関しては、さらに色々と妨害する。  この事は覚えておく。  どんなところに惑わしが来るか分からないので、よくよく気を付けなければならない。

 

サタンは「永遠のいのち」を狙っている。

 

「全世界を惑わす」、悪魔とか、サタンとかとあるので、あらゆる人は、大なり小なり、サタンの惑わしの下にいる。サタンからのすりこみ、思い込みが来る。

 

この事は、よくよく自覚しておく。

 

例外的に、主の憐れみで、真理を見る。

 

レムナントも真理が段々と見えて来ている。

 

命の書から、名を消されることがある、とか、厳しい事だが、真理が見えて来ている。

 

真理が見えないのは、サタンが、見えなくしている。

 

あらゆる形で惑わしが来る。

 

クリスチャン生活というのは、サタンが色々すりこんだインチキとか、ネガティブだったり、間違った確信とか、インチキな教理とか、感情思索に来るインチキとか、こういったものから、

 

徐々に解放されて真理を見て行く道という、言い方が出来るかも知れない。

 

我々は、聖書を読みながら、また、祈りながら真理が見えて来る。

 

惑わす者は明らかにいるし、巧妙なので、惑わされる人は大勢いる。

 

逆に惑わされたことの無い人などいるのかと思う。

 

みんな、大なり小なり惑わされている。見事なもの。

 

人によって、程度があるが。

 

サタンの惑わしは凄い。

 

我々も何らかの惑わしに入っているのなら、そこから解放されるという事が、大事なポイント。

 

 

 

12:11兄弟たちは、小羊の血と、自分たちのあかしのことばのゆえに彼に打ち勝った。彼らは死に至るまでもいのちを惜しまなかった。

 

 

 

兄弟たちは男の子であり、殉教者である。

 

勝利は小羊の血(キリストの血)、言葉(御言葉)の故に。

 

なので、サタンに対して勝利する方法は、血である聖霊。

 

聖霊によって、我々が勝って行く。罪も赦され、真理も見えて来る。

 

また御言葉に真理があるので、御言葉を読む人は、偽りの教理に勝って行く。

 

レムナントもそう。

 

御言葉を読み込む中で、真理に触れて来ている。

 

だから我々は、ひたすら御言葉を読む中で、世の終わりの時には荒野が大事なポイントである事を見た。  「太陽を着る女」のポイントも理解した。

 

それは天的な教会。

 

表面的に読んでいたり、読む事に時間を費やしていないと見えない事。

 

そういった事柄を見るようになっている。

 

「荒野で養われる」という言葉も、見るようになって来ている。

 

御言葉を読む人は、真理に触れる。

 

そうでない人は、結局惑わされたり、御言葉を殆ど忘れてしまったりすると、サタンにいいように惑わされる。

 

ちゃんと読んでいる人にポイントがある。

 

 

 

12:12それゆえ、天とその中に住む者たち。喜びなさい。しかし、地と海とには、わざわいが来る。悪魔が自分の時の短いことを知り、激しく怒って、そこに下ったからである。」

 

 

 

ここで、天と地の区分がある。

 

天は、天的な教会。  これからのポイントは、仮庵の祭であり、荒野に入る教会にポイントがある。

 

そこからは、どんどん偽りが失せて、真理が回復したり、神の働きが出て、サタンの働きが一掃されるようになる。

 

しかし、災いが来るところがある。これから「地」に災いが来る。

 

これも喩え。  天地は教会の喩えであり、クリスチャンはアブラハムの子孫に喩えられるけれども、クリスチャンは、天の星、地の砂と言われるように、天的なクリスチャンもいるけれども、地的にこの世についたクリスチャンもいる。

 

地についたクリスチャンには、災いが来るときが来るという事。

 

この事は覚えておく。具体的に言うなら、公の教会。

 

理解が間違っていなければ、教団名がある教会。

 

日本キリスト教団であろうと、同盟であろうと、どこであろうと、あらゆる教団、教派はみな地的なものになって行く。

 

法律が変わって来る。

 

反キリストを拝まないと、教会と認めないような事になっていくので、そうすると、地に災いが来るという事に関しては、具体的に言うなら、黙示録13章に書いてあるように、反キリストを拝むようになる。

 

また、宮が崩壊するようになる。  土台がなくなる。  宮の土台石である、使徒や預言者、また隅のかしら石であるイエス・キリストすら崩壊する。

 

教会からパウロの書簡、へブル書だとか、ローマ書、コリント書とかの教理がひっくり返されて、追放される。

 

イエス・キリストが福音書で言った言葉も、追放される。

 

「イエス・キリストは復活しなかった、ただのインチキだった」とか。

 

教会から追い出される。

 

なので、これから「地」は、とんでもない事になって来る。

 

地には災いが来るとは、そういう事が書かれている。

 

この世についた教会は、これから災いが来る。

 

これは、神の裁き。

 

今の教会がすでにそうなりつつある。

 

同性愛を受け入れたり、「キリスト以外にも救いがある」とか、そういう所に入って行ってしまう。

 

我々は、何がポイントかと言うと、「地」についた、この世についた教会にいる選択肢は無い。

 

災いは前もって預言されている。  「地に災いが来る」と。

 

ここをよくよく理解しなければならない。

 

二つ良い事は無い。

 

「誰からも認められた、正統的な教団に属している」とか、会堂もあるし、立派なパイプオルガンもあるとか、それが良いにこしたことは無い。

 

二つ良い事は無いので、一つ良ければ良しとせよ。

 

「永遠のいのちを得られれば良しとせよ」という事。

 

地に災いが来るという事は、よくよく覚えておく。

 

そして、「海」にも災いが来る。

 

海は明らかに、霊的な事柄に関しての喩え。

 

これから、霊的な事柄に関しては、よくよく気を付ける。

 

「海」に災いが来るといわれているので、教会の霊的な、事柄に関して、気を付けなければいけない。

 

どこで、どんな霊の集会に引っかかるか分からない。

 

あらゆる聖会が、次々におかしな霊で、圧倒されるようになる。

 

出エジプト記に書いてある。

 

モーセが手を伸ばしたら、かえるがエジプトじゅうに入って来たとか、パロの家、パロの家臣の家といい、かえるが寝台にまで来たとか、聞くだけで気持ち悪い。

 

カエルの件も喩え。 黙示録には、「かえるのような汚れた霊」と書かれている個所もある。あらゆる形で、あらゆる変な霊が働くというのが、今がまさにそういう時代。

 

ペンテコステ系の教会で、おかしな霊が色々働いているようだが、良くなることは無いだろうと思う。

 

なので、「海」に災いが来るという事を、よくよく覚えておく。

 

霊的な集会、聖会は、これから、よほどに気を付けないと、迂闊には行けないという事を覚えておく。

 

主が言われた、「世の終わりの時は、ノアの時、ロトの時のようである」

 

これは、霊的な事。  洪水は霊的な洪水の事を言っているし、ソドムとゴモラが火で滅ぼされた「火」も霊的な事の喩え。

 

霊的な事に関してあらゆる災いが来るという事をよくよく覚えておく。

 

そして、変な霊に引っかかったり、そんな霊のしるしや不思議に引っかかって、すっかりおかしくなるという事があるので、よくよく気を付けておきたい。

 

「悪魔が自分の時の短いことを知り、激しく怒って、そこに下ったからである。」とあるように、知らなければならない事というのは、サタンは有限。定まった寿命がある。

 

キリストの再臨がある、その時ではなかろうか。

 

しかし、サタンは、我々より頭が良い。 悪巧みは得意。

 

「俺が滅びるから、道連れにしてやる」とか、そういう気持ちを持つ。自己中丸出し。

 

だからあらゆる形で、色々惑わしが来るようになる。

 

これから、正念場を迎えるようになる。

 

クリスチャンとしても教会としても、これからが、永遠のいのちの本番を迎えるようになる。

 

聖書には「永遠のいのちを獲得しろ」と書いてある。

 

我々は、戦う事には意味は無い。参加する事にも意味は無い。

 

勝利を得て、永遠のいのちを獲得する事に初めて意味があるので、引かない。