ヨハネの黙示録13章12~14 2016.5.15
13:12この獣は、最初の獣が持っているすべての権威をその獣の前で働かせた。また、地と地に住む人々に、致命的な傷の直った最初の獣を拝ませた。
「この獣は、最初の獣が持っているすべての権威をその獣の前で働かせた。」とある。
2つ獣はいる。
最初の獣はアメリカ。 次の獣。小羊のような2本の角を持つ獣は、背教したキリスト教会。
2つの獣が出て来るのでややこしいが、この獣の区分を把握しないと何が何だかわからない。
全ての権威を持っている最初の獣とは要するに、アメリカが世界帝国になるという事。
今の現状を見ていたらあまりピンとこないけれども、聖書は明らかにその日を預言している。
アメリカは最初の獣、ダニエル書の中には4つの世界帝国が出て来るが、アメリカは4番目。
7つの頭と10本の角を持つ終末の獣、アメリカが預言されている。
過去のバビロン、メディヤペルシャ、ギリシャ。
ともに、当時世界を支配した世界帝国。なのでアメリカは世界帝国になるという事が大きな基本としてある。
そして、「この獣は、最初の獣が持っているすべての権威をその獣の前で働かせた。」
ここは何を言っているかというと、具体的にはその獣がアメリカの圧倒的な権威の下で、キリスト教会の背教を進める。
今のキリスト教会ではあり得ないような、逆の教えを次々とキリスト教会に入れていくために、
圧倒的な支配。全世界を支配する、アメリカという国。
それに服従しない者は、首を切る(ギロチン!)という事。
アメリカの権威の下で、あらゆる背教が進む時になる。
今の常識だけで物事を見ていたのでは、「この時」は理解できない。
アメリカはかなり傲慢だが、まだ本性、本当の力を見せていない。
教会も背教しつつあるけれども、本当の意味での、大変な背教には至っていない。
アメリカは獣の国であり、獣は、「人喰い獣」
人というのは、神の霊を受けて生きた者となるが、獣は、クリスチャンを殺す存在。
過去の獣はみな人喰い獣だった。
獅子、熊、豹。
アメリカの明らかな意図。 現時点でも、正しいクリスチャンが、トラクトを配ったというだけで逮捕されたり、同性愛に反対したからと言って逮捕されたりしていて、アメリカの本性は出つつある。後に明らかな本性が出て来る。
そして、サタン的な国になる。アメリカこそ獣の国であり、竜(サタン)の心を行なう国。
サタンが望むように、教会の最も大事な教理、贖い、キリストによる救い、こういったものをなし崩しにしてしまい、アメリカすなわちサタンの心に叶った者しか、教会では働き人として任命されなくなる。
何故なら主が言われている様に、サタンは「初めから人殺し」だから、正しいクリスチャンを殺してしまいたい。
それがアメリカの権威の下で、教会に関連して行われる時、それをもって、「最初の獣が持っているすべての権威をその獣の前で働かせた。」
要するに、背教のキリスト教会というのは、アメリカの全てに従う。
「反キリストを拝まなければならない」「今までの教理は廃止しなければならない。」
「イエス・キリストによる贖いなどという教えは、教会の教理から排除しなければならない」など、アメリカの圧倒的な支配、罰、法律、権力の下で強行する。
そして教会は、獣化する。
全世界的な規模でそうなると思われる。
「また、地と地に住む人々に、致命的な傷の直った最初の獣を拝ませた。」
「地」とか「地に住む人」という事に関しては、よくよく理解しなければならない。
黙示録の13章は、明らかに、あらゆる教会に関しての災いが書いてあるけれども、「地に住む者」、この世についたクリスチャンに関しての問題。
クリスチャンは、本来は「地」に住む者ではない。
この世においては旅人であるから。
「住む」というのは、英語では「定住する者」という言葉が使われている。
地に住む人々が、災いに遭う。 それが黙示録の13章。
12章においては、「天的な教会」「天的なクリスチャン」の事。「太陽を着る女」
13章に書いてある事は恐ろしい。
「獣の像を拝まない者をみな殺させた」と書いてあるが、これは、背教した教会、地に住む者、
そういった公の教会にどこまでも留まる人はそう。
なので、12章、13章を通しての結論は、公の教会には留まるべきではないという事。
そこに残れば、あらゆる災いが来る。
この事は理解して行きたい。
もう1つは、「致命的な傷の直った最初の獣を拝ませた。」
最初の獣とは、アメリカ。
何故致命的な傷も治ったかというと、これから、「やらせ」で、一度壊滅すると考えられる。
7番目の獣は、致命的な傷を受けるが、再度復活して8番目の獣として出て来ると考えられる。
アメリカを指している。
アメリカを拝むというのは、アメリカ由来のあらゆる教えとか、あらゆる教理、あらゆる霊、
アメリカ由来のリバイバルの霊とか、こういったものや、アメリカ的なカルチャー、教え、考え方、こういうものを全てまとめて、アメリカを拝むという事を言っているかも知れない。
なのでこれから、我々が、アメリカ的な教理、アメリカの霊、こういったものを吟味無しに受け入れるという事が、強制されたり、奨励されるようになる。
しかし、聖書で明らかに書いてある通り、獣からのものなので、我々はそれを受け入れるべきではない。
アメリカでは今、次々とキリスト教会が変質していって、アメリカのカトリック信者の70%は「同性愛を受け入れる」と。
そして、聖書には、明らかに同性愛を禁じているのに、何故カトリックがそうなってしまっているかは分からないが、要は背教。
巧妙な論理で、クリスチャンを惑わしていくというのが、アメリカ。
これを拝んでしまうというのが、強制されるかも知れない。
我々はそれを受け入れるべきではない。
今の時代、我々が成すべき事は、逆にアメリカ由来のあらゆる教え、教理、霊を吟味して、正しくないものは受け入れないというのが正しい。
なのでレムナントでは、レフトビハインドを初めとした、「艱難前携挙」の教え、また、クリスチャンと名がつけば、「どんなに罪を犯しても絶対に天国へ入れる」などというわけの分からない教えは受け入れない。
また、アメリカ由来のリバイバル、ベニーヒンなど、受け入れない。
最初の獣を拝む事に通じるが、これには御心は無い。
逆に吟味して、おかしなものはどんどん弾くようにする事に大いにポイントがあると思う。
13:13また、人々の前で、火を天から地に降らせるような大きなしるしを行なった。
なのでこれから、教会がこの世的なものになり、背教の教会において行われる事は、ここに書いてある、「火を天から地に降らせるような大きなしるし」
要するに、しるしと不思議のリバイバル。
本物の火が下りて来るのではなく、「火」は霊的な事柄の喩えだと理解する。
ペンテコステの日に聖霊が下ったように、霊は火に喩えられる。
黙示録13章3節に書いてあるのは、聖霊ではなく、悪霊。
悪霊も火に喩えられる。
だから「火を天から地に降らせる」すなわち霊を下すという事に関しても、喩えている。
こんな霊を受け入れるべきではない。
それとともに、聖書が語っている事、また、明らかに預言しているというように思われる事は、
世の終わりの時と言うのは、他の聖書の箇所で、ノアの時、ロトの時と書いてあるように、ノアの時は、洪水の時だけれども、霊的な洪水が起きる時ではないかと理解している。
なので、ノアの洪水のような事が再現する。
世の終わりの時に起きて来る、霊的な洪水という事を理解するためには、逆に、過去に戻る。
未来を見るには、過去に戻る。
ノアの洪水に関しての記述であるが、主が「世の終わりの時は、ロトの時、ノアの時の様になる」と言われている事は、この洪水は、終末の時に起きる悪霊の洪水を預言したものであると理解出来る。
創世記
7:11ノアの生涯の六百年目の第二の月の十七日、その日に、巨大な大いなる水の源が、ことごとく張り裂け、天の水門が開かれた。
この時は、洪水によって、8人の家族を除いて、全生命が実際に死んでしまった。
7:12そして、大雨は、四十日四十夜、地の上に降った。
これは600年目の第二の月の17日目だと書いてある。
この事は過去の事であるが、「世の終わりの時は、ノアの時の様だ」と書いてあるので、この事は喩えで、再現するという事が理解出来る。
何を言っているかというと、これからまさに、水門が開かれる。
霊的な水門。
何故かというと、テサロニケの手紙に書いてあるように、反キリストをとどめている聖霊を、
背教の教会は、離縁して、押しのけてしまう。
「自分が取り除かれる」と書いてある。
ギリシャ語では「離縁する」というニュアンスがある。
なので、水門をとどめていた、門の扉が吹き飛ばされ、留める者は無い。
ここで、大変な大洪水が起きるように、世の終わりには明らかに、霊的な大洪水が起きるという事を理解しないと、最も基本的な部分、聖書が言っている終末に関しての最も根本的な部分が、理解できていない事になる。
霊が根本的に変わってしまう。これは黙示録の中で、いろんな形で預言されている。
例えば、ユーフラテスが枯れた(聖霊が枯れた)とか。
7:13ちょうどその同じ日に、ノアは、ノアの息子たちセム、ハム、ヤペテ、またノアの妻と息子たちの三人の妻といっしょに箱舟にはいった。
7:14彼らといっしょにあらゆる種類の獣、あらゆる種類の家畜、あらゆる種類の地をはうもの、あらゆる種類の鳥、翼のあるすべてのものがみな、はいった。
7:15こうして、いのちの息のあるすべての肉なるものが、二匹ずつ箱舟の中のノアのところにはいった。
「いのちの息のあるすべての肉なるもの」・・・これはクリスチャンの喩え。
我々はいのちの息である聖霊を持っている。
その時に、箱舟に入った人だけが救われた。
箱舟は、新約聖書で見ると、契約の箱と同じ言葉が使われている。
契約の箱はまさに神の臨在。
神の臨在に留まる人は、洪水から守られるというように理解出来る。
どこまでも聖霊の中に留まり、祈る人は、洪水から守られる。
これはノアの箱舟を通して救われた人々に関しての教えではないかと思われる。
7:16はいったものは、すべての肉なるものの雄と雌であって、神がノアに命じられたとおりであった。それから、主は、彼のうしろの戸を閉ざされた。
戸が閉じられてしまう。
7:17それから、大洪水が、四十日間、地の上にあった。水かさが増していき、箱舟を押し上げたので、それは、地から浮かび上がった。
地にはとどまらない。
17:18水はみなぎり、地の上に大いに増し、箱舟は水面を漂った。
地的な人、地に住む者たちはみな、洪水でやられてしまう。
17:19水は、いよいよ地の上に増し加わり、天の下にあるどの高い山々も、すべておおわれた。
あらゆる高い山、みんな水に覆われた。 これには喩えの意味合いがある。
山を教会に喩えるなら、どのような洪水も、悪霊の洪水の下に入るという事。
背教に対しての、神の凄まじい怒りの時であるので、あらゆる教会という教会、「この教会は助かる」というような教団は無いと思う。
福音派、プロテスタント、カトリック、ペンテコステ派、どこであろうと山が水に覆われたように、悪霊のリバイバルに入って行くと思われる。
17:20水は、その上さらに十五キュビト増し加わったので、山々はおおわれてしまった。
17:21こうして地の上を動いていたすべての肉なるものは、鳥も家畜も獣も地に群生するすべてのものも、またすべての人も死に絶えた。
肉なる者は死に絶えた。
肉的な歩みは良くない。
17:22いのちの息を吹き込まれたもので、かわいた地の上にいたものはみな死んだ。
いのちの息は聖霊を喩える。 だからクリスチャンの喩え。
乾いた地の上。 水が無い。すなわち聖霊の無い歩みをしている人達は、みな死んだという事。
だから我々がこれらの事の教えのポイント、結論は明らか。
聖霊に正しく留まるかどうかが、悪霊の洪水にやられるかどうかの分かれ目になる。
救われた時に聖霊を受けるのは、一つの事。
しかし、乾いた地にいるというのは、また別の事。
乾いた地にいて、聖霊の無いような歩みをしていく時に、実は、死に入って行ってしまう。
これらの事を見て行きたい。
17:23こうして、主は地上のすべての生き物を、人をはじめ、動物、はうもの、空の鳥に至るまで消し去った。それらは、地から消し去られた。ただノアと、彼といっしょに箱舟にいたものたちだけが残った。
このノアの時というのは、どういう時か。
「主は地上のすべての生き物を、人をはじめ、動物、はうもの、空の鳥に至るまで消し去った。」
地につく歩みは、この世についた歩み。
これは「消し去られて行く」というのが、ノアの洪水に関連しての教え。
黙示録13章は、地に住む者たちの事を明らかに書いてある。
12章は、天的な「太陽を着る女」 女は、教会の喩え。 天的な教会。
天的な教会は、3年半の間艱難に遭うが、養われた。
聖霊によって養われたと書いてある。
この2種類の結論という事を見て行かなければならない。
我々が、地に住むような歩みをして行くならば、いずれ、悪霊の洪水の中で滅びていくという事が、明らかに聖書が語っている結論。
黙示録13章13節は、反キリスト、アメリカに支配された背教の教会においては、大いなるしるしや不思議が現われて来る。 癒し、金粉、奇蹟的な事も起きて来る。
今アメリカで起きているリバイバルは、その走り。そしてとどまることは無い。ベニーヒンや
ロドニーハワードとかは、その走り。途中で消えてしまう者ではない。
どんどん発展して行く、大リバイバルになる。
しかし、これに引っかかって行く人は、結局、獣の像を拝むようになる。
だから教会はこれから増々しるしと不思議のリバイバルが起きて来る。
分からない人にとっては、「どんどん神の働きが広がって行く」と見える。
黙示録
13:14また、あの獣の前で行なうことを許されたしるしをもって地上に住む人々を惑わし、剣の傷を受けながらもなお生き返ったあの獣の像を造るように、地上に住む人々に命じた。
地上に住む人々。地に住む人々。 この人々は惑わされる。
これから、あらゆる悪霊のリバイバル、しるし、不思議、また偽りの教理の中で、この世的なクリスチャン、「同性愛は性的マイノリティで同情しなければならないから、聖書が言っていても、一概に非難すべきではない」と主張する人々も、地に住むクリスチャン。
こういう人たちは、惑わしに入って行く。
その時に、あの獣の像、「剣の傷を受けながらもなお生き返ったあの獣の像」と書いてあるが、あの獣の像という事は、獣は、アメリカの国。 像は、アメリカを象徴するようなものかも知れない。
ダニエル書の3章の中に、バビロン王のネブカデネザルが、獣の像を建てて、「獣の像を拝まなければ誰でも殺される。」と言って、ダニエルの友人のシャデラク、メシャク、アベデ、ネゴは像を拝まないので、火の中に投げ込んたが、バビロンという獣の国と、獣の国を象徴するかのような獣の像を建てた。 それと同じ意味合いで、アメリカという国は、これから獣の像を建てる。しかし、これは石や木、金属などの物によって建てられたのではなく、生きた人間の事。
「像」というのは、イメージ(英語)と書いてあるが、この像と同じ言葉が、獣の像として使われている、これと同じ原語が、ここで使われている。
第二コリント
4:4そのばあい、この世の神が不信者の思いをくらませて、神のかたちであるキリストの栄光にかかわる福音の光を輝かせないようにしているのです。
「神のかたち」・・・この原語が、まさに「像」という言葉と同じ。
だから、反キリストとか、獣の国がやろうとしているのは、神の真似。
キリストに対する対抗。
イエス・キリストは人であられるが、見えない神を、見えるような形で、神の形として現われ、人として現われたのがイエス・キリスト。
だから、見えない神は、イエス・キリストという見える人を通して、「神はこのようなお方だ」と、我々は理解出来る。
同じ意味合いで、獣の国も似たような事をする。
サタンの国も同じ事をして、サタンの国を再現する様な人物が出て来る。
イエス・キリストを拝む事は、神を拝む事に通じる。
逆に獣の像(生きた人間・・・反キリスト)をすなわち反キリストを拝む事は、獣の国を拝む事に通じ、サタンを拝む事に通じる。そういう意味合いで、人を拝ませる。
これから終末の時には、ひとつの鍵になっていく。
反キリストはどこまで行っても、1人の個人に過ぎない。
サタンはキリストの真似をする。
イエス・キリストにあらゆる力と神の栄光が現われたように、反キリストという個人を強調して、あらゆる形でサタンの力とか、サタンへの礼拝とか、しるし、不思議、パワーを、個人に集中させる。
だから、この人物が、反キリストと言われる所以。
キリストという言葉が出て来る。 キリストの真似。
反キリストをイエス様は、「荒らす憎むべき者」という表現をしている。
マタイ
24:15それゆえ、預言者ダニエルによって語られたあの『荒らす憎むべき者』が、聖なる所に立つのを見たならば、(読者はよく読み取るように。)
24:16そのときは、ユダヤにいる人々は山へ逃げなさい。
24:17屋上にいる者は家の中の物を持ち出そうと下に降りてはいけません。
24:18畑にいる者は着物を取りに戻ってはいけません。
これは、「荒らす憎むべき者」とは、獣の像。 反キリストの事を言っている。
「聖なる所に立つのを見たならば」 聖なる所とは、イエス・キリストが着座されていた、神の王座。 「イエスキリストの時代は終わった。これからは反キリスト様を教会をあげて拝みましょう」となったら、これがまさに、「聖なる所に立つ」という事。
「屋上にいる者は家の中の物を持ち出そうと下に降りてはいけません。」
屋上は、仮庵の祭で、屋上に、家の上に、仮庵を作る事を前提に言われている。
仮庵の祭(地下教会)に既に入っている人は、公の教会に戻ってはいけないとその様に言われている。
「畑にいる者は着物を取りに戻ってはいけません。」
畑で種を蒔く人も家(公の教会)に戻ってはいけない、もう公の教会から出よ、という事。
今日は、「反キリスト」という事で、「反キリスト」という者に関して、預言者ダニエルの書の中で、「荒らす憎むべき者」に関していくつか説明がある。
これを見る事によって、終末の日に、反キリストが、どんな形で何をするのかが分かるので、それを見たいと思う。
ダニエル書
9:27彼は一週の間、多くの者と堅い契約を結び、半週の間、いけにえとささげ物とをやめさせる。荒らす忌むべき者が翼に現われる。ついに、定められた絶滅が、荒らす者の上にふりかかる。」
「翼」とは神殿の事。 新約の神殿は「教会」
教会の真ん中に、キリストが座している所に、反キリストが居座り、イエス・キリストを追い出すという事を言っている。
9:26その六十二週の後、油そそがれた者は断たれ、彼には何も残らない。やがて来たるべき君主の民が町と聖所を破壊する。その終わりには洪水が起こり、その終わりまで戦いが続いて、荒廃が定められている。
これは、1つはイエス・キリストが絶たれるという事。その跡には何も残らないという事。
70週の預言は、終末の日に再度成就するという事。
油そそがれた者とは明らかに聖霊。「絶たれ」と書いてあるように、聖霊が追い出されるという事。 そうであるが故に、あらゆる悪霊の働きだとか、教会の背教が進む。
だから、世の終わりに関して、「油注がれた者が絶たれる」とあるように、聖霊が追い出され離縁され、教会から排除されるという事が書いてある。
教会が世の終わりの時に、どんどん発展するなどと言うような事は書いていない。
逆に、世の終わりに「教会は背教する」というのが正しい。
あらゆる箇所が語っているが、「艱難前携挙」の人達は、全く御言葉を捻じ曲げてしまっている。
「やがて来たるべき君主の民が町と聖所を破壊する。」と書いてある。
来たるべき君主の民とは、反キリストの民。
「町と聖所を破壊する。」とある。
聖所は、神の宮、神殿であり、神殿の基が覆される。
礎も覆され、教会の土台の石も覆される。
使徒、預言者の土台の石も取り除かれて、隅のかしら石であるイエス・キリストの贖いの教えも取り除かれる。
教会は崩壊する。
終末に関して、あらゆる御言葉は同じ事を語っている。
「その終わりには洪水が起こり、その終わりまで戦いが続いて、荒廃が定められている。」
霊的な悪霊の洪水が起きるという事は、聖書のあらゆる箇所が預言しているけれど、見ない人は1つも見ない。
我々は見なければいけない。
「その終わりまで戦いが続いて、荒廃が定められている。」
教会の最後は荒廃だという事。
イエス・キリストの福音書の時もそう。
神の民ユダヤ人の、エルサレムの最後は、全てが荒廃、崩壊で終わった。
なのでこれは再現する。
やはり世の終わりの時には、教会が背教して荒廃し、崩壊してしまう。
望ましくはないが、そうなるのは明らかに聖書が預言している事なので、見て行くべき。
9:27彼は一週の間、多くの者と堅い契約を結び、半週の間、いけにえとささげ物とをやめさせる。荒らす忌むべき者が翼に現われる。ついに、定められた絶滅が、荒らす者の上にふりかかる。」
一週の間は7年。
固い契約というのは、アブラハムが神と結んだ、同じ契約。
これは、反キリスト、サタンと契約を結ぶ1週。 7年の時がある。
そう言う時代を、教会は経過する。
だから、あらゆる形で反キリストを拝ませたり、あらゆるクリスチャンに対し、「お前も反キリストと素晴らしい契約を結ばないか」とか、「手、額に獣の刻印を付けないか」と、そういう7年もある。 これは飢饉の7年だけど、その時、間違っても契約を結んではならない。
早めに地下教会に入った方が良い。
「半周の間、いけにえとささげ物とをやめさせる。」
つまり、神へのささげ物をやめさせる。
御言葉、メッセージのパンが無い。 聖霊の油注ぎもない。 悪霊の油注ぎしかない。
結論としては「荒らす憎むべき者が来る」というのは、この世の時。
ダニエル書を見る事によって、これから起きる未来の事が見えて来る。
ダニエル書
11:31彼の軍隊は立ち上がり、聖所ととりでを汚し、常供のささげ物を取り除き、荒らす忌むべきものを据える。
これは、実は過去において成就している。
アンティオコス・エピファネスという、反キリストの型のような人物が、この時、実際にユダヤの神殿に入って、「荒らす憎むべき者」を据えた。
ここに書いてある事は、世の終わりに再現する事になると思う。
だから主は、「荒らす憎むべき者」という事を、「ここに注目せよ」という意味合いで語られたのだと思う。
11:3キティムの船が彼に立ち向かって来るので、彼は落胆して引き返し、聖なる契約にいきりたち、ほしいままにふるまう。彼は帰って行って、その聖なる契約を捨てた者たちを重く取り立てるようになる。
「聖なる契約」とはクリスチャンとキリストと神との間に結ばれた契約。
「この教えを守れ。そうすれば、いのちの書から名を消されることは無い。」
これに対して、反キリストはいきり立つ。
「ほしいままにふるまう。」要は、クリスチャンが、キリストとの契約を破るようにふるまう。これから、反キリストの統治の時にはそうなる。
クリスチャンがキリストを「主」と言わない人が用いられる。
「聖なる契約を捨てた者たちを重く取り立てるようになる。」
これからそういう時代が来る。
教会のトップが、もうキリストを神と認めない人達がトップリーダーになる。
牧師も、メッセージするのは、「キリストは贖い主でも何でもない。ただのインチキ男だ」などというものになり、そういう者が重く用いられるようになる。
教会が逆転するようになる。
それをここでは預言している。
だから主は、「荒らす憎むべき者」に関して、世の終わりの時に対して引用している。
この事は、再現する。
11:31彼の軍隊は立ち上がり、聖所ととりでを汚し、常供のささげ物を取り除き、荒らす忌むべきものを据える。
終末において、反キリストを、教会のど真ん中、キリストの位置に据えるという事。
「聖所ととりでを汚し」 つまり教会を汚す。
「キリストは神ではない」と言うような冒涜的な教えが、教会でなされるようになる。
これがまさに「聖所を汚す」という事。
11:32彼は契約を犯す者たちを巧言をもって堕落させるが、自分の神を知る人たちは、堅く立って事を行なう。
正しく知る人は留まる。
12:11常供のささげ物が取り除かれ、荒らす忌むべきものが据えられる時から千二百九十日がある。
12:12幸いなことよ。忍んで待ち、千三百三十五日に達する者は。
12:13あなたは終わりまで歩み、休みに入れ。あなたは時の終わりに、あなたの割り当ての地に立つ。」
常供のささげ物・・・新約で言うなら、キリストに対する純粋なメッセージ。
または、聖霊の油が注がれる礼拝。 それらが教会から取り除かれる。
だから、教会は、神やキリストの正しい事を語る場所ではなくなる。
常供のささげ物が取り除かれるゆえ。また、聖霊の下る場所ではなくなる。
なので、教会は教会でないものになり、荒らす憎むべき者、反キリストが教会のど真ん中に座る。 しかし、これは永遠に続くわけではない。 続くのは、約3年半。
ここはよく分からない。しかし約3年半。
艱難時代は3年半続く。
「幸いなことよ。忍んで待ち、千三百三十五日に達する者は。」
これはよく分からない。
3年半耐え忍び、あと45日を待たなければならないとは「よくわからない」
一応その流れとしては、荒らす憎むべき者の流れとして、分かるのは、明らかに教会は背教するという事。 そうとしか読めない。
「聖なるものを汚す」とは、反キリストが教会の中に入り込み、冒涜的な事を言う。
明らかにそうなので、そういう時代は来る。
ただ、ポイントは、教会は、あらゆる背教のゆえにあらゆる災いに入っているが、その時にはキリストが先に「屋上にいる者は、家の中の物を取り出そうとして中に入ってはならない。」
言われた通り、我々は仮庵の祭に入るべきであり、「反キリストが、どんな顔をしているのか、少し見て行こう」とは言わないで、行かないで留まるというのが正しい。地下教会で 。
そうすると、やはり3年半の間、守りがあるので、それを望んでいきたい。
あらゆるものを捨てなければならない。
教会において、どんなに名声があろうと。仲の良い人がいようと、教会からいくらお金を得ていようが、そんな事は気にせずに、我々は背教の教会から出ていかなければならない。
こういったところは是非見て行きたい。
黙示録
13:14また、あの獣の前で行なうことを許されたしるしをもって地上に住む人々を惑わし、剣の傷を受けながらもなお生き返ったあの獣の像を造るように、地上に住む人々に命じた。
「剣の傷を受けながらもなお生き返ったあの獣の像を造るように、地上に住む人々に命じた。」像を造るように命ずる、という事。
これは、何を言っているのかというと、背教の教会が自ら、自分の手でキリストを追い出し、反キリストを自分たちの教会の「神」とし、キリストの位置に置いて、像として造り、そこに置くという事。 そこに、背教の教会の自発的なものがある。
教会が自ら選んだという形になる。
強制的にではなく、自発的に。
いずれにしても、「地に住む」人々には、ろくな事が無い。
我々は、天的な歩みをして行き、たとえ公の教会からどの様に批判されようとも、仮庵の祭の中、地下教会に入って行き、今の教会のトレンド、歩み、教理を、聖書を投げ捨ててでも迎合するという、そんな歩みに入る事が無いように、よくよく気を付けて、これから、全世界の公の教会は、明らかに、反キリスト化して行く。
レムナントキリスト教会
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天皇家は万世一系のダビデ王朝の末裔である!警告の角笛シリーズ エレミヤ著