ヨハネの黙示録16章10節~12節        2016.9.4

 

 

 

16:10第五の御使いが鉢を獣の座にぶちまけた。すると、獣の国は暗くなり、人々は苦しみのあまり舌をかんだ。

 

 

 

黙示録は獣の国と呼ばれるものに関して、終末の日に語っている。

 

獣の国は、旧約聖書の時代では、バビロンだったりする。

 

全世界すべてが、獣の国というわけではないが、ある特定の国が獣の国。

 

バビロン、メディアペルシャ、ギリシャが獣の国だった。

 

そして、世の終わりにも、獣の国といわれる国が出て来る。

 

ここに書いてあるのは、「獣の国は暗く」なったとある。

 

獣の国は、アメリカであると理解している。

 

アメリカは獣の国のあらゆる特性を持っているというように思う。

 

獣国の、非常に大きな特徴は、「軍事的な大国」だという事。

 

ダニエル書には、鉄のように強い第四の国と書かれているし、その国は、噛み砕いて、残りの国を足で踏みつけた・・・・あらゆる軍事力で、全世界をねじ伏せるという感じ。

 

それは、はっきりとした形ではなく書かれているが、喩えを使って書いてある。

 

70人訳では、この獣の国は、「一本の強い角」と表現している。

 

70人訳というのは、パウロ、また他の弟子も引用していた聖書なので、信憑性の高い役だが、

 

他の訳では何故か、「一本の小さい角」と書いてある。

 

70人訳の「強い角」の方が信憑性がある。

 

角のある動物は、角は戦うだけの器官。

 

世界の軍事費用の、40%をアメリカが占めている。  圧倒的である。

 

なので、獣の国に関して、あらゆる意見、色んな論調があるが、それはそれで、意味があったり、それぞれ真面目に考えている。

 

10章で書かれているのは、獣の国に関しての特徴の事。

 

具体的にはアメリカに関して。

 

 

 

16:10第五の御使いが鉢を獣の座にぶちまけた。すると、獣の国は暗くなり、人々は苦しみのあまり舌をかんだ。

 

 

 

これは、獣の国であるアメリカに関しての特別な預言。

 

喩えの理解では、「暗くなり」とは、真理の光が消えて行くという事。

 

現に今、真理の光は消えつつあり、テロ防止という名目で、電話が盗聴されたり、プライバシーは冒されているが、これがさらに進んで、真理が見えなくなる。 また今、アメリカを始めとした、テレビとか新聞とか、色々人々を洗脳するようになって、真理が見えなくなっている。

 

今、色んな所で起きている、イスラム国のテロも、真相はかなりインチキくさいものだが、そんな事は、大手の新聞やテレビには載らない。

 

光が暗くなる事。

 

「人々は苦しみのあまり舌をかんだ。」

 

これは、喩えだと思う。

 

舌は喋るための器官だから、「舌を噛んだ」とは、喋る事ができなくなった、という事。

 

福音を語るのが出来なくなった。路上でトラクトを配ったら逮捕されたりしている。

 

 

 

16:11そして、その苦しみと、はれものとのゆえに、天の神に対してけがしごとを言い、自分の行ないを悔い改めようとしなかった。

 

 

 

「天の神に対してけがしごとを言い」・・・今まさに、アメリカやアメリカのキリスト教会は、そうなりつつある。

 

アメリカは、国としても同性婚を認めている。

 

これは、全く聖書に対する汚しごと。

 

リックウォレンも、「キリスト教もイスラム教も同じようなもの」

 

「クリスラム」などというものまで出て来ている。

 

こういった事がどんどんアメリカで、言われてきている。 これは、汚し事。

 

「自分の行ないを悔い改めようとしなかった。」

 

自分の行ないを改める。  「悔い改める」とは、「方向転換」という事。

 

方向転換で、正しい方向に向かう。

 

しかし、汚しごとを言い、自分の行ないを悔い改めようとしなかった。

 

その場合に、増々神からの怒り、災いに入って行くという事が、獣の国の現状で有り、これから起きて来る災いの現状。

 

そういう意味では、黙示録は、原理は単純明快。

 

罪を犯したから神が怒りを受ける。

 

獣の国、具体的にはアメリカのクリスチャン。

 

「自分の行ないを悔い改めようとしなかった。」とあるので、

 

悔い改めようとしないなら、自分の道をずっと行く。

 

そして、最後には災いに入る。   その様になって行く。

 

アメリカのキリスト教会には、どんどん災いが起きて来る。

 

反キリストも起きて来るし、教会の土台もひっくり返されて、あらゆる教理も失われて行く事が預言されている。

 

宮の土台である、使徒、預言者、更には隅のかしら石であるイエスキリストの教えさえも取り除かれ、教会が徹底的に崩壊するという事が預言されているが、神は、何が何でも意地悪で、

 

何が何でも教会にこれを行なうのではなく、悔い改めるなら、そういう災いは回避される。

 

そういう事が旧約聖書に書いてある。

 

悔い改めると、猶予がある。

 

今のクリスチャンの選択は、この御言葉を読んで、学び、行なうべき事は、

 

11節で「自分の行ないを悔い改めようとしなかった。」と書いてあるので、もし、神の怒りを明らかに買っていると、自分で思うところがあれば、悔い改め(方向転換)をして行くのが得策。

 

どの国のクリスチャンも大なり小なり、悔い改めるべき事がある。

 

神の怒りが来ている。

 

我々は、これを見て他人事と思ってはいけない。

 

今は、残念ながら、アメリカがキリスト教会のリーダー(獣の国がリーダー)

 

そのアメリカを中心として、我々がどんなに言いわけ、弁解しようとも、聖書のみ言葉ははっきりしており、自分の行ないを悔い改めようとしなかった。要するに、行ないが悪い。

 

そして、その道に邁進してどんどん悪くなって行くような時代に我々は、居合わせている。

 

あらゆる事柄に関して、我々が永遠のいのちを得て、自分の魂を本気で救うつもりがあるなら、

 

やはり、歩みを正して、たとえ、アメリカ由来のもので、みんながやっていようと、神に喜ばれないものは排除して、そこから抜け出して、怒りをもたらすものから距離を置くのが正しいと思う。

 

具体的には、レムナントは、この歩みに入って十数年経つが、やはりあらゆる、アメリカ由来のおかしなものから縁を切った。

 

つまり、悔い改め方向を変換した。

 

そうしたら、ヤベツの祈りとか、そういうものからも、距離を置くようにした。

 

また、「艱難前携挙説」を始めとした、人間中心のおかしな教理、自己中な教理から距離を置くようになった。

 

そうしたら、いろんな意味で祝福が来た。

 

聖霊からの守りもあったし、今の時代の真理も見えるようになった。

 

悔い改め、神に喜ばれる道に入れば、祝福がある。

 

今の時代は、アメリカを頂点とし、どの国の教会も、神の怒りを買うような道を邁進しているような時代。

 

そんな時に、「悔い改めようとしなかった。」とあるが、悔い改めて方向転換して、神に喜ばれない歩みから、外れて行くのが正しい。

 

その先には崖があって滅びが待っており、預言されている様に、宮の崩壊(教会の崩壊)  があり、反キリストが教会の中心に立つという、冒涜の極みの時代が来るが、それは、気まぐれに来るのではなく、ちゃんとした理由、必然性がある。

 

理由なく神が怒っておられるのではない。

 

我々がちゃんとした歩みをしていくなら、神はそういう人を分離したり、見分けたり、きちんと見ておられるので、一緒くたに滅びや災いに入ることは無い。

 

個々に対応される。

 

レムナントは、このような時代だが、増々、主の憐れみにより、真理が見えたり、また、祝福に入っているかなと思う。

 

悔い改めるべき事は、悔い改める。

 

 

 

16:12第六の御使いが鉢を大ユーフラテス川にぶちまけた。すると、水は、日の出るほうから来る王たちに道を備えるために、かれてしまった。

 

 

 

我々が、聖霊の知恵をもって初めて理解出来ることがある。

 

ユーフラテスの事に関しても、明らかに御国の奥義とか、謎とか、喩えが使われている。

 

聖書が言う事とちがう歩みをしている人は、100回読んでも、この箇所は分からないと思う。

 

喩えを理解しなければならない。

 

また、神の知恵によって書かれたものなので、聖霊の知恵を持って、御国の奥義を主によって理解して行かなければならない。

 

ユーフラテスという事に関して、喩えや、謎や、秘められた教えがある事を見て行かなければならないと思う。

 

 ペテロの書簡で、「私的解釈」はいけないとあるが、これは、そのテキストのみから読んではいけないという事。

 

神の知恵によって読んで行きたいと思う。

 

旧約聖書では、ユーフラテスは、どのような意味合いで使われているのかを読まない事には、何も分からない。

 

ユーフラテスとはそもそも旧約聖書のどこにあって、どんな意味を持つかという、そういう箇所から見て行って初めて、神の言われた通り、謎とか、喩えとか、御国の奥義が見えて来る。

 

結論を言うと、ユーフラテスというのは、神の国の境界線。

 

旧約聖書読んでわかる事は、イスラエルの国というのは、実際の境界はともかく、旧約で神はイスラエルの国の境界を、ナイルからユーフラテスに至る地域と書いてあるように、下の方の境界線は、ナイルからであり、エジプト。 上の方の境界線は、ユーフラテス川。

 

イスラエルの国は、この二つの川に挟まれている。

 

これは、喩え。

 

ある人達は「イスラエルの国は、もっと占領して、ナイルからユーフラテスにかけて占領するのが神の御心」などと言っているが、何も分かってはいない。  喩えも謎も。

 

我々はこういった、シオニストには全く同調しない。

 

ただ、喩えの意味合いを見て行きたい。

 

これを通してわかる事は、ユーフラテスは、隣の異邦人の国、今で言うなら、未信者の間にある境界線。   ユーフラテスは、クリスチャンと未信者の境界線。

 

つまり、クリスチャンと未信者の間を流れる川という意味合いがある。

 

結論から言えば、聖霊の川。

 

イエス様は「私を信じる者は、その内側から生ける水の川が流れ出る」と言われた。

 

我々は、どんなクリスチャンも、ユーフラテス川を持っていると言えるかもしれない。

 

我々と、未信者との間を隔てているものは、この川以外に無い。

 

クリスチャンになって、変わる事が何もないかと言うと、違う。

 

それは、ユーフラテス川。

 

クリスチャンと未信者を別つ川。 これは聖霊。

 

喩えで言われている事は、

 

 

 

16:12第六の御使いが鉢を大ユーフラテス川にぶちまけた。すると、水は、日の出るほうから来る王たちに道を備えるために、かれてしまった。

 

 

 

枯れてしまった。    川はあるが水が無いという事。

 

これは、世の終わりの時に起きて来る、教会の大きな問題点に関して書かれている。

 

聖霊が枯渇する。

 

世の終わりの時の、大きな問題点がいくつかあるが、その一つの非常に大きなポイントは、聖霊が消えて行く、聖霊の水が枯渇し、乾いて行く。 去って行く。

 

理解に間違いがなければ、聖書にて、いくつも、何度も神が警告しており、預言している事だと思う。

 

その1つの例は、テサロニケの手紙の中に出ている。

 

「今は、反キリストをとどめる者がいる。」

 

とどめるのは聖霊。  しかし、自分が取り除けられる時までは「とどめている」

 

聖霊が取り除かれる、要するに追い出されるという事。

 

「取り除かれる」とは、原語のニュアンスでは「離縁される」という意味がある。

 

結婚関係を解消されるという意味。

 

だから教会と聖霊の婚姻関係が解消され(離縁)、離縁されるのは聖霊。追い出すのは教会。

 

何か所か、このような事が預言されている。

 

世の終わりの時は、キリストが、「見よ、わたしは戸の外に立ってたたく」時代。

 

聖霊が枯渇する、追い出される。  キリストは本来、家(教会)の中におられる筈だが、外に追い出されている。

 

なので、特にペンテコステ系の人々が、信じている教理とか、思い描いている未来と全然違う事を聖書は語っている。    その事を理解しなければならない。

 

今、聖霊派の人の話を聞いていると、「どんどんすごい神の働きが、世界中を覆い尽くしている」と言うが、これは、我々の理解とちがう。

 

悪霊のしるし、不思議が現われているのであって、聖霊は、逆に追い出されていると理解出来る。

 

悪霊のしるし、賜物に引っ張られて、肝心な聖霊が追い出されている。

 

聖書は、喩えではあるが、封印によって封じられているが、我々から見れば、明らかな表現で聖霊が取り除かれる時代に関して書かれている。

 

 

 

16:12第六の御使いが鉢を大ユーフラテス川にぶちまけた。すると、水は、日の出るほうから来る王たちに道を備えるために、かれてしまった。

 

 

 

大ユーフラテス川で、川の水が枯れてしまった、と書いてある。 ここがまさにそう。

 

聖書は明らかに、世の終わりに、聖霊が枯渇するという事を語っている。

 

それは、何故なのか、黙示録を読めば解って来る。

 

時々勘違いする人もいる。

 

世界全体のキリスト教を見るならば、枯れる時代が来る。

 

しかし、忠実に歩む人や、主の前に、それほど悪い時代であっても、聖霊の御声に正しく聞き従う人には、聖霊は留まる、という事が聖書で語られている。

 

艱難時代の大きな特徴は、教会に、聖霊が働かなくなってしまう事。

 

まさにエリヤが言った、「天が閉ざされ、決して雨が降らない時が来る」

 

これは確かに3年半。 艱難時代の1つの大きな特徴は、教会に聖霊が働かない時代。

 

それでまさに、エリヤが言った、「水が得られない。雨も降らない」のは、まさに艱難時代の特徴。

 

エリヤ自身は、やもめに養われた。 そしてやもめには、パンを焼く材料が尽きる事が無かった。 小麦粉も。

 

これは、御言葉のパンに通じる。

 

また、瓶の油も尽きなかった。  これは聖霊の働き。

 

だから、我々は、エリヤを助けた様なやもめの歩みをして行く時には、我々も同じように守られるという事が、聖書が預言している事なので、こういった事は見て行きたい。

 

平常通り、正しく主に従って行くなら、周りの教会は確かに、聖霊が取り除かれる時代に入るが、しかし、主につく人々には、ちゃんと聖霊が留まる。

 

12節の真ん中では、

 

 

 

16:12第六の御使いが鉢を大ユーフラテス川にぶちまけた。すると、水は、日の出るほうから来る王たちに道を備えるために、かれてしまった。

 

 

 

「日の出るほうから来る王」というのは、同じ黙示録にも出て来る。

 

 

 

7:1この後、私は見た。四人の御使いが地の四隅に立って、地の四方の風を堅く押え、地にも海にもどんな木にも、吹きつけないようにしていた。

 

7:2また私は見た。もうひとりの御使いが、生ける神の印を持って、日の出るほうから上って来た。彼は、地をも海をもそこなう権威を与えられた四人の御使いたちに、大声で叫んで言った。

 

 

 

この箇所は、黙示録1612節あたりと対応している。

 

先程ユーフラテスが枯れたと書いてある。

 

ここでは、風を吹き付けないようにしている。

 

「地の四方の風を堅く押え、地にも海にもどんな木にも、吹きつけないようにしていた。」

 

ここは、同じ表現ではないかと理解出来る。

 

聖霊は、色々な表現が使われていて、水にも喩えられるので、ユーフラテスは聖霊の川。

 

また、風にも喩えられる。

 

主は言われた。 「聖霊によって生まれる」という事に関して、ニコデモに言った。

 

「新しく生まれなければならない」という事に関して、「風は思いのままに吹くが、それがどこから来て、どこへ行くかは知らない。神の御霊によって生まれる人もその通りである」と言われた。

 

ここでは風は聖霊に喩えられている。

 

71節でも、聖霊が働かなくなる日の事に関して、ここでは、「地にも海にもどんな木にも、吹きつけないようにしていた。」

 

だから、そういう意味では、残念だが、何度も繰り返し聖書は、世の終わりの時に、教会に聖霊が働かない時代が来ることを預言している。

 

しかし、「聖霊らしき」現象は、これから増々盛んになる。

 

しかしそれは、聖霊ではなく、悪霊によるしるしと不思議。

 

聖会のど真ん中で、「獣の印をつけろ」などと目立たないように言っている器がいるという事。この人を大いに理解した。

 

これは残念な事だが、「聖霊もどき」の悪霊の働きがどんどん広がっている。

 

本当の聖霊は、これから枯れ果てて行く、教会から失われ、消えて行く、その事が、聖書に何度も何度も、いくつかの箇所を通して、預言している。

 

これを理解しないと、終末における、非常に基本的な大事な部分が見えないので、黙示録を何度読んでも大事な事柄が解らなくなってしまう。

 

ここでは2つの事が書いてある。

 

1つは、聖霊が働かなくなる事。

 

もう1つは、1612節で

 

「また私は見た。もうひとりの御使いが、生ける神の印を持って、日の出るほうから上って来た。彼は、地をも海をもそこなう権威を与えられた四人の御使いたちに、大声で叫んで言った。」7章の、日の上る方で、聖霊の印をもって来るのが、「王たち」・・・1612節の「王たち」と符合する。

 

黙示録で書いてある事は、1つは、「日の出る方」つまり東。

 

言わんとしている事は、これからアジアとか、日の出る方に、聖霊の働きが現われて来る。

 

逆に、これから、その裏返しとして、特に西洋方面においては、段々と聖霊の働きが、消えて行くという事が予想される。

 

福音は、西回りで回っている。

 

それは、使徒行伝にも書いてあるが、

 

 

 

使徒

 

16:6それから彼らは、アジヤでみことばを語ることを聖霊によって禁じられたので、フルギヤ・ガラテヤの地方を通った。

 

 

 

そういう意味では、福音というものは、東、西という事を考えると、西回りにおいてキリスト教を受け入れ、キリスト教国家となり、キリストを信じるが故に、神からの祝福をヨーロッパは受けていると感じる。

 

1面は、キリストを信じるが故の祝福。

 

しかし、最も、西の極みはアメリカ。

 

西洋文明の最終的な姿はアメリカ。

 

結局恩を仇で返す様に、アメリカは獣の国になってしまった。

 

西回りで広まった福音も、最後は冒涜で終わりつつあるように思える。

 

西とか東というならば、西のキリスト教に対してのあらゆる神の働きという事柄が、終焉を迎えつつあって、冒涜の中で聖霊が追い出されるような時代に来ている。

 

逆にこれから、アジアで、日の上る方で、先程の黙示録の7章でも、日の上る方で、アジアの方で、イスラエル12部族、144000人が、聖霊の印を押された。

 

これは東。 イスラエルの12部族はみんな、アジアに来ている可能性が多いと思う。

 

今エルサレムに住んでいるユダヤ人?はセム系ではない。要するに、にせユダヤ人。

 

セム系は黄色人種。

 

本物のユダヤ人はどこにいるかと言うと、「日の上る方」と黙示録7節に書いてあるので、今はアジアの方にいると思われる。

 

そういう意味ならば、これからどんどん福音が、イスラエルに戻って来る時代に来るかなと思う。   

 

 

 

ロマ書

 

11:25兄弟たち。私はあなたがたに、ぜひこの奥義を知っていていただきたい。それは、あなたがたが自分で自分を賢いと思うことがないようにするためです。その奥義とは、イスラエル人の一部がかたくなになったのは異邦人の完成のなる時までであり、

 

11:26こうして、イスラエルはみな救われる、ということです。こう書かれているとおりです。「救う者がシオンから出て、ヤコブから不敬虔を取り払う。

 

11:27これこそ、彼らに与えたわたしの契約である。それは、わたしが彼らの罪を取り除く時である。」

 

 

 

だから、ロマ書の中で、イスラエルは皆救われるという事が預言されている。

 

これを勘違いしたクリスチャン、神学者は今の中東イスラエル国に注目して、今イスラエルに住んでいる人が、これからキリストを信じるようになると思っているが、それは違う。

 

彼らは悪魔教徒なので、それで終わってしまうと思うが・・・

 

まず人種的にも違う。

 

この約束は、日の上る方で成就する。    日の上る方は東。

 

本当に救われるイスラエル人は、今、東に移っている。

 

バビロン捕囚、アッシリヤ捕囚を経て、今は東の方に来ている可能性が大いにあると思う。

 

その人達が、皆救われるという事。

 

それが具体的に書いてあるのが、先ほどの黙示録7章で書いてある、144000人が、日の上る方で、イスラエルの12部族で、あらゆる部族が印を押され・・・とある。

 

その筆頭はユダ。  ユダは日本であると思う。

 

ユダ族の特徴というのは、ダビデ王朝の王族には特徴があって、万世一系という事。

 

だからダビデの王族は絶えないという事は、聖書に度々約束されている。

 

だから、王族は、世界のどこかにある筈。

 

3000年も続いた万世一系の王朝は、日本の王朝以外無い。

 

なので、日本はそういう可能性は大いにある。

 

そういったところをよく見て行きたいと思う。