ヨハネの黙示録18章15節~18節 2017.1.15
18:15これらの物を商って彼女から富を得ていた商人たちは、彼女の苦しみを恐れたために、遠く離れて立っていて、泣き悲しんで、
18:16言います。『わざわいが来た。わざわいが来た。麻布、紫布、緋布を着て、金、宝石、真珠を飾りにしていた大きな都よ。
黙示録は喩えを通して語られている。黙示録だけではないが。
主ご自身が言われた。また、旧約聖書の中にもある。
「わたしは喩えをもって語ろう」とか、「謎を通して語る」とか、主ご自身も、弟子が喩えを理解できない時、叱責された。
「この喩えを理解できないのか。そんな事でどうしてすべての喩えを理解できようか」と。
「喩えによらないで、話す事はなかった」とまで書かれている。
そして、聖書全巻は、イエス・キリストを証している。
キリストの言葉は全部喩えであり、旧約聖全巻に喩えが使われたとしても、その様に理解したとしても言い過ぎではない。それ程に多くの喩えが使われている。
黙示録においては、喩えが多用されているので、これを理解できない事には、「読むには読むが悟らない」という風になる。 その事は大事。
黙示録18章には、商人、「地上の商人」「地の商人」という言葉が出て来る。
これが理解できないとこの章は殆ど理解できない。
地上は、クリスチャンの内の、「地に住む者」とか。
クリスチャンは、アブラハムの子孫だが、「天の星」「地の砂」という風に言われている。
天に住む歩みをしているクリスチャンもいるが、地において砂のような歩みをしているクリスチャンもいる。「地」は良くない。 アブラハム、イサク、ヤコブの歩みとは正反対の歩みをしている。
アブラハム、イサク、ヤコブは、旅人、寄留者のような歩みをしていた。
この世には居場所は無いとして、天の都を目指していた。
天幕生活は、そういう意気込み。
我々は、団地に住もうが、一軒家に住もうが、志は天幕生活。
それがクリスチャンのあるべき姿。
地上においては寄留者たりとも、地上の定住者ではない。
「地上の商人」というのは、全くこの世についた人達。
旧約聖書の創世記において、「地」の初めの事が書いてある。
「地」について、創世記の1章ではこうある。
「地」に関しての定義。
どう言う定義なのかというと、創世記1章の9節10節にこう書いてある。
創世記
1:9神は「天の下の水は一所に集まれ。かわいた所が現われよ。」と仰せられた。するとそのようになった。
1:10神は、かわいた所を地と名づけ、水の集まった所を海と名づけられた。神は見て、それをよしとされた。
「地」というのは、どういう意味があるかというと、「水」に関係した表現。
聖書的には、「水が無い所」が「地」
地問う事に関しては、信仰的な事を言っている。
水は聖霊を指す。だから、聖霊の無い歩みは、地についたクリスチャン。
「地に住む人」= 聖霊の無い人
「地上の商人」というのは、聖霊を持たない働き人の事を言っている。
聖書は、思いもかけないところで定義が出て来る。
黙示録を理解するカギは、なんと創世記にある。
だから聖書を読む事をさぼってはダメ。
どこに、どんな定義が隠れているか分からない。
「地上の商人」商人は、売ったり買ったりするから、これは明らかに、御言葉的に理解するなら、売り買い、贖いに関する。 救い、救いのメッセージをする、牧師、神父など、教師、宣教師、こういった人々。
しかし、宣教師だから、この世についてないと思ったら大間違い。
神がこのように、地上の商人という事を言っているなら、働き人の中にも、そういう人達がいる。 実際にいる。アメリカなどまさにそう。
どんどんこの世について、この世のトレンドをずっと追いかけているような働き人がいる。
アメリカのある教団で、牧師がその教団に加わるという時に、「同性婚を認めない人は、その教団の牧師になれない」との事。 全ての教団ではないが、そんな教団もある。
なので、どんどんそういう所が広がって来る可能性がある。
それは確かに、この世のトレンドには迎合しているが、聖書的に言うなら、この世の地上の商人、まさに聖書で語られている人々。
聖書に語られている言葉は、喩えを理解しないとピンと来ない。
しかし意味があって「地上の商人」と書かれている。
悟ると理解出来て来る。
神が、終末の時代の教会というのをどの様に理解しているか、「地についている人々、働き人が出て来る」と言っておられる。
レムナントで言っている事は、極端に見えたり、また、耳触りが良くないので、拒否して来る人もいるので、人気はあまりない。 しかし、聖書的。
何故なら聖書が、こういう厳しい事を言っているから。
「地上の商人」という言葉に関しての、シビアな面を理解しなければならない。
「地上の商人」という言葉は、本質を突いて来る。
我々は気を付けなければならない。
「これらの物を商って彼女から富を得ていた商人たちは、彼女の苦しみを恐れたために、遠く離れて立っていて、泣き悲しんで、言います。」
ここで理解しなければならないのは、バビロンの裁きという事と、地上の商人達は、場所が違うという事。
バビロンは火で焼かれる。なので、「遠く離れる」という事。距離を離す。
火事があれば、逃げる。
地上の商人が、遠く離れている時に解る事は、バビロンと地上の商人とは、具体的に言えば、
アメリカがバビロンのキリスト教会だとすると、そこから離れている、イギリス、フランス、日本、韓国など、「遠く離れる」という表現。
彼女(アメリカのキリスト教会)が焼かれると聖書は預言していると思うが、これは具体的な話。
隣の火事から逃げて行くという、そういうスタンス。
だから、架空の話とか、信仰上とか、火で焼かれる「ような」ではなく、実際に、火で家が焼かれるような意味合いで、アメリカの都市などが、実際に火で焼かれて行くというスタンス。
そういう事を聖書は語っている。
ようするに、自分たちもその災いに遭わないため。
17節の後半で、「すべての船長、すべての船客、水夫、海で働く者たちも、遠く離れて立っていて、彼女が焼かれる煙を見て、叫んで言いました。」
火事の家を見て、類焼、延焼を避けるという意味、ニュアンス。
バビロンはアメリカのキリスト教会だと理解しているし、そこが焼かれるのだと思うが、具体的な話を描写していると思う。
なのでこれから起きて来るのは、実際に都市が焼かれれば、そこにいる背教のクリスチャンたちも火で焼かれてしまうという、その様な具体的な話がここに書いてあると理解出来る。
バビロンは富を得ていた。
「富を得る」という言葉を理解したい。
この言葉が使われている箇所がある。全く同じ表現が使われている。
黙示録
3:17あなたは、自分は富んでいる、豊かになった、乏しいものは何もないと言って、実は自分がみじめで、哀れで、貧しくて、盲目で、裸の者であることを知らない。
ここは、ラオデキヤの教会に対しての御言葉。
ここで、「富んでいる」という言葉が出て来る。
先程のバビロンにおいて、「富んでいる」と、全く同じ言葉が使われている。
「富を得る」という言葉と同じ。
聖書のあらゆる言葉、用語というのは、意味なく他の箇所で使われているわけではない。
聖書は、神の知恵によって書かれたものなので、神の知恵が用いられている。
この「富んでいる」と、全く同じ言葉が、ラオデキヤの教会に関して出て来る事を通して出て来る事に関して理解出来る事は、このラオデキヤの教会の実態、ラオデキヤがまさに、体現している教会はまさに、アメリカ・バビロンのキリスト教会。
アメリカのキリスト教会こそが、ラオデキヤを実現している教会。
そして、アメリカのキリスト教会は、一見、そこを通して、我々クリスチャンが「富を得る」様に、思えないでもない。
色々な大事な教理や、レフトビハインド、リックウォレンのパーパスドリブンチャーチ、ビリーグラハム、有名な牧師とか、キリスト教の大事な富を得ると「思える」かも知れない。
また、ベニーヒンの様に、霊的な器とか、リバイバルの器とか、「富を得る」と思うかも知れないが、実際はそうではないという事が、この黙示録3章17節の言っている事。
3:17あなたは、自分は富んでいる、豊かになった、乏しいものは何もないと言って、実は自分がみじめで、哀れで、貧しくて、盲目で、裸の者であることを知らない。
と、全く正反対。
神の視点と、人の視点は違う。
聖書に書いてある事は、昔話ではなく、リアルに実現する預言。
なので、これを軽視したり、自分と無関係だと思ってはいけない。
逆に、まさに今、アメリカ・バビロンのキリスト教会が誇っている時代なので、この事は実現すると思った方が正しい。
今のクリスチャンは、この事を理解しなければならない。
「自分は富んでいる、豊かになった、乏しいものは何もない」とあるが、これは賜物だったり信仰だったり、すごい霊の賜物だったりといろいろ思うが、神の目には、「みじめで、哀れで、貧しくて、盲目で、裸の者である」有り得るという事。
こちらの理解では、霊的な賜物。
そして何故、食い違いが出て来るかというと、それを得る人達はみんな、神の賜物であり、神の霊からのものであり、聖霊からのものであると思い込んでいる。
しかし、実質、神の目の前には、それらの賜物を起こしているのは、神の霊すなわち聖霊ではなく、別の霊。
だから、神の前では、みじめであり、裸の者だと言っている。
このギャップ。 本人は解っていない。
現実、うっかり騙されている。
明らかにラオデキヤの教会は、騙されている。
騙されている理由も現象もある。
癒しがあったり、不思議、奇蹟が起きたり、教会もどんどん人が増えたり、会堂も大きくなるとか、そういう実態がある。
だから、誇ってしまうのは解るが、神の目の前には裸でみじめであるという事。
アメリカのキリスト教会、しかもバビロンに関して、ラオデキヤと全く同じ「富んでいる」という言葉が使われているという事は、アメリカのキリスト教会こそ、ラオデキヤの実態。
アメリカのキリスト教会で起きている事こそ、ラオデキヤの教会で預言されている。
だから、主の言われたように、我々は、アメリカのキリスト教会、バビロンに関して理解しなければならないという事。
そこで、教理を見て、神学校に行き、優秀な神学校を経たと思っている事は、神の前に裸であったりする。
また、ベニーヒンのすごい霊を受け、人がバタバタと倒れて行ったとしても、みじめで裸だったりする。
このギャップ。 今はそういう時代。
世の中も、キリスト教会も、そういう事が横行する時代。
その様に預言されている。
神も、それを許す時代。
テサロニケの手紙に、「神は惑わす霊を送る」と書いてある。
すっかり騙されてしまう。
明らかに霊の惑わしなので、霊的な惑わし、特にペンテコステ系を初めとした、霊的な事に重きを置く教団が危ないと思われる。
なのでそのあたりを理解しないと、終末の時代というのは見えない。
レムナントの牧師は、このように言うが、実体験に基づいて言っている。
前は理論であったが、ある人を通してすごい預言が来たことがある。
神が語っているとしか思えない、背後にすごい霊的存在がいるとしか思えなく、あまりに的確で、レムナントにピッタリの預言だったが、インチキだった。
神からのものではなかった。
しかし、良い経験であって、今の時代を悟ることが出来た。
ちょっとした隙をついて、すごい預言や賜物が入って来る。
それは、悟らなければならない。 まさにそういう事を言っている。
18:16言います。『わざわいが来た。わざわいが来た。麻布、紫布、緋布を着て、金、宝石、真珠を飾りにしていた大きな都よ。
麻布、紫布、緋布、金、宝石、真珠。 これらはみなキリスト教会の用語。
金は信仰を表し、真珠は賜物、麻布は義の衣に関する。
紫布という言葉が出て来る。
紫布のギリシャ語の聖書箇所で同じ言葉が使われているのがどこかというと
ヨハネ福音書
19:2また、兵士たちは、いばらで冠を編んで、イエスの頭にかぶらせ、紫色の着物を着せた。
ここでは、兵士たちが、イエス・キリストを侮辱、冒涜し、卑しめ、辱める時に、まさに着てた着物が紫色だった。
まさに、黙示録のバビロンが、紫色の着物を着ている。
聖書が暗示している事は、バビロン、アメリカのキリスト教会において、イエス・キリストに対して、冒涜、嘲弄、嘲りという言葉が、起きてくる事を暗示していると理解出来る。
そんな事を言うと、「言いがかりだ」とか、そんなふうに言う人もいると思うが、もう一か所そういう言葉が出て来る。
黙示録の18章16節では「緋布」と書いてある。
あまり使われない言葉だが、緋とは赤の事。
「緋布」という言葉がギリシャ語でどこで使われているか。
マタイ
27:28そして、イエスの着物を脱がせて、緋色の上着を着せた。
他の箇所では紫の着物だったのに、ここでは緋色となっている。
しかしどっちもキリストを嘲り、嘲弄したり、十字架につけたりした。
これを通し、聖書が暗示している事がある。
明らかに、アメリカのキリスト教会、バビロンは、これから、否、現にそうかも知れないが、キリストを侮り、馬鹿にし、嘲り、非難し、神の言葉である方キリストを非難するような、そういう方向に行く。それを暗示しているように思われる。
アメリカのキリスト教会の動向を見る時に、そういう方向に来ている。
キリストの言葉である聖書は、明らかに同性愛を否定しているが、アメリカのキリスト教会及び、アメリカの国自体が、同性愛をどんどん擁護している。
今、アメリカで事は、女性のゴスペルシンガーが、メッセージをした。
そのメッセージの中で明らかに、「同性愛は神の言葉に逆らっている」と明確に語っている。
それは全く聖書的。それが、インターネットで上がっているようだが、今は悪い時代なので、
アメリカ中から彼女に対して非難が殺到している。
クリスチャンや、色んな働き人さえも彼女を非難している。
擁護者も出ているが、それが1つのニュースになっている。
アメリカの体制は、彼女を非難する。
この場合は、このゴスペルシンガー個人をを非難しているが、結局は、神の言葉、聖書を非難している。
聖書は、イレズミを禁じているが、ゴスペルシンガーもイレズミをしている人が、かなり多い。
クリスチャンでもどんどんイレズミをしたり、姦淫をしている。
「殺すな」と、聖書は銘じているが、クリスチャンでも、戦争で人を殺すのに賛成している。
あれもこれも、神のキリストの言葉を侮っている。
まさに、キリストを馬鹿にしているローマ兵が着物を着せたのと、同じような事をしている。
紫布、緋布は、キリストを侮辱し、卑しめるという事の象徴でもある。
それをまさに、アメリカのキリスト教会すなわちバビロンが着てるという事で暗示している事は、まさにアメリカのキリスト教会が、キリストを侮る者になるという事と理解出来る。
それは今起きているし、どんどん行くだろうと思う。
しかし、「神は侮られるようなお方ではない」
そういう事は続くけれども、バビロンの行き着く場所は、1日で滅ぶか、1時間で滅ぶかというすさまじい滅び。
我々は、愚か者になってしまってはならない。
いくらトレンドが変わっても。 また、人を過大に恐れてはいけない。
受ける非難は一時的なものであり、冒涜する勢力は、火で滅ぶ。
だから、神のみ言葉は、変わる事が無い。
揺るがしが来る。
御言葉が言われた通り、物事は進んでくる。
我々は、天地が過ぎ去っても、変わることの無い御言葉に留まる事は、過去、現在、艱難時代においても正しい。
それを今からはっきり心の中に定めないと、揺るがされてしまう。
明らかに艱難時代は、揺るがしの時。
我々は、まさに、これから揺るがし(地震)の時代に入って行く。
倒れるべき者は倒れろという時。それが艱難時代。
心の中が、フラフラしていると、揺るがされてしまう
しかし、結論がはっきりと、黙示録の中に書いてある。
結局、冒涜の歩みをしている人達は、速やかに滅ぶ。
聖書の通りに未来は進む。 何故なら、過去においても、聖書にある通りの時が来ている。
アメリカは4番目の獣の国だが、1番目の獣であるバビロンも、聖書に書いてある通りに滅んだし、2番目の獣の国メディヤペルシャも同様であり、3番目のギリシャも同様。
4番目のアメリカも、いずれ台頭し、君臨するけれども、いずれ滅ぶ。
聖書に書いてある事はすべて正しい。
我々は今、未来にいるわけではないので、御言葉を通して、これから起こる事は、大事な事は教えられる。バビロンに関しても、アメリカに関しても。
獣に分は無い。 生きたまま火の池に投げ込まれる。
獣の台頭は、一時的な栄華に過ぎない。
獣に迎合して、少し富んでも、いずれ永遠に滅んでしまう。
そういう意味で、単純な未来を聖書は語っている。 子供でもわかる事。
しかし、信じない人には、さっぱりわからない事。
なので、こういった事は見て行かなければならない。
16節には、「大きな都」と書いてある。
18章には、『このすばらしい都のような所がほかにあろうか。』とある。
このバビロンという都は、世界のキリスト教会の中でも、比較にならないほど大きな、中心的な、模範的な、大きな影響力を及ぼす、キリスト教国。
アメリカ以外に無い。
世界のキリスト教の中心地はアメリカ。
欧米の、イギリス、フランス、ドイツのキリスト教会も、やはり、アメリカのトレンドが影響するし、まして日本なんかは、全くアメリカがキリスト教の先生になっている。
韓国、フィリピンもみんなそう。
フィリピンのキリスト教書店にも、アメリカの本がいっぱい並んでいる。
ここで言う素晴らしい都とか、世界的にキリスト教会をリードするような、キリスト教国は、
アメリカ以外無い。
もう1つは、
黙示録
18:17あれほどの富が、一瞬のうちに荒れすたれてしまった。』また、すべての船長、すべての船客、水夫、海で働く者たちも、遠く離れて立っていて、
新改訳だと、「一瞬」と書いてあるが、KJVとは違う。
KJVでは「1時間」と書いてある。
アメリカがもし、仮に今の現状で想定すると、アメリカ全土、アメリカのキリスト教会が1時間で滅ぶ。
19節でも、後半で、「それが一瞬のうちに荒れすたれるとは」と書かれている。
つまり、1時間で荒れすたれる。
また、10節でも、「あなたのさばきは、一瞬のうちに来た。」
ここも1時間。
そして18章の8節では、「一日のうちに」と書いてある。
アメリカが滅びる時に関しては、「1時間」とか「1日」など、限られた時間を語っている。
この事は理解しなければならない。
具体的に滅びる。
しかも、1日とか、1時間という事。
旧約のバビロンは、1日で滅んでいる。
ダニエルが、指の文字を解き明かした。
「メネ・メネ・テケル・ウ・パルシン」
「足りない」という意味。
その夜、バビロンは滅んだ。
この出来事は、預言。
未来のバビロンも1日で滅ぶという事。
我々が理解しなければならない事は、1つは、今の時代というのは、神の認識と、人、クリスチャンの認識が、非常にかけ離れた時代だという事。
神は、バビロン、アメリカのキリスト教会に関して、「これは滅ぶべき存在である」と。
だから今、その時が、刻々と迫っている。
しかし、日本のクリスチャンもそうだし、アメリカのクリスチャンもそう。
そんな事を真面目に思っている人は、ほとんどいない。
つまり、認識が違う。
我々は、甘く考えている。それはバビロン由来の教理の事もあるが。
日本でも、そんなに深刻に思っている人はいない。
「アメリカはちょっと良くないが、まさか1日で滅ぶなんて、そんなに神様は怒っているのか」
と多くの人は思っていない。 認識が違う。
だから、そういう意味では、今のクリスチャンは、神と、思いが1つになっていない。
我々は、出来れば、やはり神の視点で、今の時代を見分けられた方が良い。
神の視点で、何が良いか悪いかを見る。
そうしないと、我々も滅びに入って行く。
アメリカのバビロンに関して、凄まじい怒りが、神の前に燃え上っている。
全く賛同していない。
しかし、アメリカの殆どのクリスチャンはこれに気づいていない。
日本でも、それをあえて警告しようなどと言う人は殆どいない。
バビロンの、確定した滅びは、聖書に書いてある。
アメリカは誕生した日から、滅びが確定している。
「火で焼かれる」というのは、これは、ソドム、ゴモラのさばきの再現。
アメリカは、火で滅びるのは事実。
それは、ソドム、ゴモラと同じ罪を犯しているという事を、暗示している。
だから、黙示録の中で、「ソドムやエジプトと呼ばれる都」がまさにアメリカだったりする。
なので、火で焼かれるという事は、同性愛に対しての、神の裁きの定番。
ソドム、ゴモラの例があるのに、全く神を恐れようともしないし、悔い改めようともしないので、書かれた通りに滅びて行く。
我々は、そこに巻き込まれるのは得策ではない。
その為に書かれている。
多くの人は、黙示録を読まない。 神を恐れもしない。
そこから離れようともしないから、日本のキリスト教会でも、何処とは言わないが、同性愛の牧師がいる。
明らかにバビロンが、同性愛と関係していると言っている。
世界全体もその様になって行くと思う。
ペテロの手紙では、天と地は、「火で滅びる」と書いてある。
いずれ、どの国も、同性愛を受け入れるので、定番(火のさばき)が再度、再現する。
天も地も滅びる。 何故なら全世界が同性愛を受け入れるから。
日本もそういう方向に来ている。 見事に滅びるようになる。
地球も火で焼き尽くされる。肉体を持って地上に留まる人はいなくなる。
だから、神の言葉を侮ってはいけない。
神がソドム、ゴモラを通して、警告しているが、聞かない以上、火の滅びに入っても仕方がない。
我々のすべきことは、書かれている事を理解し、本当に起きた事と考え、我が身と引き比べ、
「これはしてはならない」と定めて、行なわない事。
それが、賢い。
しかし、自分でも頭が良いと思って、難しい神学を語ったり、肝心かなめの単純な事が解らないで、結局分からず、滅びに入るクリスチャンが多い時代。
こうであってはいけない。
その為に、聖書は書かれ、黙示録は書いてあるが、残念ながら、「読む人」がいない。
7つの封印で封じられたというのは事実。
多くの人に、黙示録はまだ開かれていない。 封じられているので読む事が出来ない。
歩みが正しくないので封じられている。
それは、悔い改めて行かなければならない。
18:18彼女が焼かれる煙を見て、叫んで言いました。『このすばらしい都のような所がほかにあろうか。』
あれほどの富が、一瞬のうちに荒れすたれてしまった。』また、すべての船長、すべての船客、水夫、海で働く者たちも、遠く離れて立っていて、
レムナントキリスト教会
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