ヨハネの黙示録20章1節~3節 2017.4.16
黙示録
20:1また私は、御使いが底知れぬ所のかぎと大きな鎖とを手に持って、天から下って来るのを見た。
20:2彼は、悪魔でありサタンである竜、あの古い蛇を捕え、これを千年の間縛って、
20:3底知れぬ所に投げ込んで、そこを閉じ、その上に封印して、千年の終わるまでは、それが諸国の民を惑わすことのないようにした。サタンは、そのあとでしばらくの間、解き放されなければならない。
終末の時に、サタンが縛られる時が来る。
千年の間縛る。
我々が理解しなくてはいけない事は、サタンは、今は縦横無尽に働いているように見える。
また、それに合わせて、どんどん獣の国がやりたい放題 。アメリカが裏で画策して、あらゆる災いを起こしている。
イスラム国も、アメリカが裏で手を引いている。
あらゆる偽りを起こしたり、サタンが、「同性愛に反対した」クリスチャンを逮捕させたりしている。
あらゆる事をサタンが牛耳っているが、それは限られた時の中であり、やがて封じられ、底知れぬ所へ投げ入れられたりする。 またその後、解き放たれる。
最終的には、サタンは火の池に投げ込まれる。その様に終わりが来る。
故に、サタンが勝つのは一時的な事。
神はサタンより遥かに強い方。
悪がのさぼる時も結構許されるというのも、聖書的な事実。
サタンの型は、サウル王。 どうもそうとしか思えない。
ダビデは、イスラエル中を逃げまわった。
艱難時代に追いかけられるクリスチャンの型でもある。
しかし結局は、サウル王は、剣にかかり死んでしまう。
正しい人を殺そうと追いかけまわしている者にも、いずれ滅びが来るのと同じように、サタンにもいずれは滅びが来るので、一時的なサタンの事柄を見て、惑わされるのではなく、今、そして未来の事も見て行かなければならないと思う。
サタンは封じられる。
「底知れぬ所の鍵」という言葉が出て来る。
「鍵」という言葉。
マタイ
16:17するとイエスは、彼に答えて言われた。「バルヨナ・シモン。あなたは幸いです。このことをあなたに明らかに示したのは人間ではなく、天にいますわたしの父です。
16:18ではわたしもあなたに言います。あなたはペテロです。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。ハデスの門もそれには打ち勝てません。
16:19わたしは、あなたに天の御国のかぎを上げます。何でもあなたが地上でつなぐなら、それは天においてもつながれており、あなたが地上で解くなら、それは天においても解かれています。」
この箇所を指して、ローマカトリックは、御言葉を盗み、ローマ法王とかは、カトリックの権威を用いている。(ローマ法王はペテロの末裔だと思っている)
「ローマ法王が天国の鍵を持っているから、何でもいう事を聞け」と、権威付けに使っている。
ペテロは12弟子の筆頭。
ペテロの言った事は、12弟子全体の事。
また今も、12弟子やペテロに従って行く、主の弟子の歩みをしている人は、御国の鍵は、我々にも与えられている。
大事な事は、1つは、「バルヨナ・シモン。あなたは幸いです。このことをあなたに明らかに示したのは人間ではなく、天にいますわたしの父です。」
というように、やはり、啓示を受ける弟子。
「ではわたしもあなたに言います。あなたはペテロです。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。ハデスの門もそれには打ち勝てません。」
ペテロは、石とか岩の意味合いがある。
弟子の歩みが、岩の上に家を建てる。
だから、砂の上に家を建てるのは群衆の歩み。
弟子の歩みをし、御言葉に従った歩みをすることは、岩の上に家を建てる事。
その上に教会を建てるなら、黄泉の門(地獄の門)もそれに打ち勝つことは出来ない。
だから教会を建てるという時に、大事な事は、土台。
弟子の歩みが、教会の土台。
群衆の歩みをする人が、教会の役員、筆頭など、1番偉い位置に置いたなら、その教会は崩壊する。
ペテロの様に弟子の歩みをしている人が、土台になれば、岩の上に建てた教会なので揺るぎない。 それがポイント。
「わたしは、あなたに天の御国のかぎを上げます。何でもあなたが地上でつなぐなら、それは天においてもつながれており、」とある。
これが何を言っているのかと言うと、「生きる、死ぬ」に関わるような権威。
弟子の歩みは、厳かなもの。
ある人が、天の御国に入れるかどうかは、場合によっては、弟子の裁量に任されているという事を言っていると理解出来る。 そういう意味で恐ろしい権威だが、その様に書いてある。
そこはそうと読まなければならない。 しかし、高ぶってはならない。
端的な例は、アナニヤとサッピラ。 その時、ペテロは決断した。このふたりに対して、天の御国を閉じるという事を。 それを、主が許可している。
弟子の歩みは、人からは、その様に見えないが、神の前では権威がある。
そういったところは気を付けて行きたい。
20章の1節で「底知れぬ所のかぎ」と書いてある。そして、
ルカ
8:31悪霊どもはイエスに、底知れぬ所に行け、とはお命じになりませんようにと願った。
悪霊と、底知れぬ所は関係がある。
黙示録で、「彼は、悪魔でありサタンである竜、あの古い蛇を捕え、これを千年の間縛って、」と書いてある。
この時、悪魔、サタン、竜、古い蛇が、1000年の間縛られる。
ここでは、サタンに関して色んな表現で語られている。
「悪魔、サタン、竜、古い蛇」これらが、サタンに関して言われている表現。
これを通して、サタンはどんな存在か理解出来る。
1つは、「竜」という表現。
黙示録
12:3また、別のしるしが天に現われた。見よ。大きな赤い竜である。七つの頭と十本の角とを持ち、その頭には七つの冠をかぶっていた。
「竜」とは具体的には、「七つの頭と十本の角」を持つ。
これはアメリカの事。
獣の名前は、「竜」つまり恐竜。 恐竜の骨は、世界のあちらこちらで発掘される。
想像上のモノではなく、現存していた。
地上最強の動物。
だから、アメリカという国がまさに「獣の国」であり、獣の名前は「竜」だという事を覚えておく。
ダニエル書を見て行く時に、4つの獣が出て来る。
第一の獣は「獅子」の様であると。
第二の獣は「熊」の様であると。
第三の獣は「豹」の様であると。
第四の獣に関しては名前がのっていない。しかしその名は、黙示録の中に出て来る。
それは「恐竜」
獅子も熊も豹も、人を殺す凶暴な獣だが、最強の獣は、「恐竜」
終末の獣であるアメリカというのは、人類の歴史に出て来る色んな帝国とか、国の中で、「最強」だと言っている。
終末の獣の国の事を考える時に、具体的には軍事力、破壊力という事を、聖書はめどにしている。 そうしたら、もはや統計、数値の問題になる。 話もかなり簡単になる。
世界最強の国はアメリカしかない。
40兆円を軍事費に入れている。 日本の税収に匹敵する。
世界中の軍事費の中では、アメリカが1番であり、2番目から最下位の国の軍事費を全部集めても、アメリカのそれに匹敵するかしないかのもの。
アメリカという国の「特別さ」を理解しなければならない。
黙示録20章の中で、サタンを表現する表現の中で、「サタン、悪魔、古い蛇、」そして「竜」
と言っている。 アメリカは、サタンの代名詞になっている。
これを理解しなければいけない。
サタンの申し子のような国。
アメリカは特別な国。 聖書がそれを語っているような国。
まさにサタンと同義語として書かれている。
今もそうだが、これからアメリカのする事をずっと注目して行くべき。
アメリカの国策、方針、なす事、みんなサタンの意図とか、考えが反映されている。
しかも簡単に裏を読み取れないようになっている。
結構騙される人は多い。
イスラム国は、捕えた人を生きたまま火で焼き殺したり、キリスト教に目くじらを立て、クリスチャンを敵とみなしているが、こういったものの裏にはアメリカがいると思う。
アメリカとかイスラエル。
あらゆるサタンの思惑を行なっているような国に対して、「竜」という表現で、「七つの頭と十本の角を持つ」 これはまさにアメリカ。
ヒューマニズム的な人間的な常識で考えたりすると、ひっくり返されたり、誤解したりする。
20章の2節で、「悪魔でありサタン」 英語ではデビル。
この言葉の意味合いは、「非難」という言葉。
人を非難する。
我々は理解しなければならない。
人は、思いの中に、いろいろ自分を非難したりするのは、サタンから来ている可能性がある。
サタンは、非難する。 人が立つ前から腰砕きをしたりする。役立てないようにさせる。
自滅している人は、サタンの声を聴いている可能性がある。
サタン=デビル(悪魔)=非難 という意味合いがある。
1つは自分に聞こえて来る声。
もう1つは、人を非難する思いもサタン=デビル(悪魔)=非難
非難する言葉が出やすいというのは悪魔にやられてしまっている可能性があるので、そのような時は気を付けた方が良い。 クリスチャンにも多い。弟子の歩みをする人も。
もう1つ、「サタン」はどういう意味か。
「サタン」は「反対する者」という意味。
どんどん反抗して行くとか、権威に逆らって行くとか、ぶつかって行くとか、主張して行くとか、それらにはサタン的な働きがある。
モーセの頃にも、コラやその仲間もそうだった。
神は、彼らには、生きたまま黄泉に落ち込ませるという厳しい処置を下された。
何故なら、結局反抗というのは、サタン的なモノだから。
何でもかんでも反対する、反対したくて仕方がない、という場合は、悪魔から来ている可能性がある。
それは、気を付けて行った方が良い。
黙示録の20章2、3節「彼は、悪魔でありサタンである竜、あの古い蛇を捕え、これを千年の間縛って、底知れぬ所に投げ込んで、そこを閉じ、その上に封印して、千年の終わるまでは、それが諸国の民を惑わすことのないようにした。サタンは、そのあとでしばらくの間、解き放されなければならない。」
ここで、千年の間、サタンが縛られる時があるという事が書いてある。
これを「千年王国」という人もいるが、これをどの様に解釈して行けばよいのか。
正直解らない。
「千年王国」は喩えである可能性がある。
ペテロの手紙には、「主にあっては、千年は一日の様であり、一日は千年の様である」と書いてある。
「一日は千年の様である」との、喩えの意味合い、解釈は聖書の中で、度々出て来る。
例えば、「1週間の間、6日間はマナが降るが、7日目には降らない、探してもいけない。」と書いてあるが、これは喩えと理解出来る。
アダム以来6000年の間は、パンは降る。しかし7000年目、今がまさにそう。 7つ目のミレニアム。 千年を1日とすると、今は7日目。
もう正しい御言葉は降って来ない。 正しい御言葉はもう、教会から消え去る時なので、それを集めてはならず、逆に、その為に、6日目には2倍のパンが降っている。
具体的には、21世紀の前の世紀には、あらゆる教会時代にあらゆる恵みがあるので、そういった、教理、教えに目を止めるのが正しいのであって、逆に安息日にパンは降らないのであって、その時に、パンを集め、リックウォレン、ビリーグラハム、ピーターワグナーとか、インチキなレフトビハインドとか、インチキな教理を掴んで惑わされる。その様に理解出来る。
そういう意味では、聖書の中では「一日は千年である」という喩えが明らかに使われている。
だから、千年王国は、本当の千年の可能性もゼロとは言わないが、「1日」の喩えかも知れないと思っている。 その一日とは何かとか、どのような日を指すかは正直分からないので、何とも言えないが、文字通り、絶対に千年と取る理由は無いと思う。
千年王国というのは、聖書全巻の中で、この黙示録にしか出てこない。他にはない。
主も、マタイ24章の預言で、「これらの日の苦難が続いてすぐに、太陽は暗くなり、月は光を放たず、星は天から落ち・・・」と言われた。「千年が云々・・・」とは言っておられない。
ダニエル書にも書いていない。
断定は出来ないが、ただこれを文字通り「千年」と、とらえなければならないと考える必要は無いと思う。
神が後に開いて下されば、解説できるが、今無理をすると、変な教理に入って行くと思う。
その他にも解らない箇所はいくつでもある。その時にはまだ神が示しておられないので、放っておく。
しかし、ある時に示して下さる時もある。
例えば、獣の国はアメリカだと、今は解るが、昔はEUだと思っていた。
「宮の崩壊」に関しても、神が開いて下さって初めて、多くの人が、第三神殿が建つと言っているが、「これは違う」と思った。
宮の土台は使徒、預言者、隅のかしら石がイエス・キリストだと理解できた。
「宮の崩壊」は「教会の崩壊」だと理解できた。
しかし、分からない箇所については、無理をしないで行く。
黙示録20章の3節「底知れぬ所に投げ込んで、そこを閉じ、その上に封印して、千年の終わるまでは、それが諸国の民を惑わすことのないようにした。サタンは、そのあとでしばらくの間、解き放されなければならない。」
「諸国の民を惑わす」と書いてある。
聖書で言う「諸国の民」というのは、この世の一般で言う諸国(日本、アメリカ、カナダ、ヨーロッパ・・・・・)の民とは違う。
聖書でいう諸国というのは、旧約聖書でいうイスラエル。エドムであったり、モアブであったり、エジプトであったりする。
これらの国は、聖書的、信仰的であったりする。
黙示録で言う諸国の民とは、具体的に言うと、キリスト教会の諸団体を、もうこれ以上サタンが惑わす事が出来ないというように理解出来る。
今はまだ、サタンは全く縛られてはいない。
サタンが今やっている事は、諸国の民、具体的に言えば、キリスト教会の各教団に、あの教団にはあんな惑わし、この教団にはこんな惑わし、という具合に、うまくインチキを入れて、誰も彼も皆目つぶしを食らったりして、一生懸命やっていても、目的地に行かないような惑わしを入れている。
そういう事が暗示されている。
ある意味では、どの様な教団もサタンに惑わされているという事。
現実と符合している。
カトリックはカトリックで、見事に惑わされている。(地獄は無いと言っている)
マリアを拝んだりもしている。
教会に行きながら、偶像を拝んでいるから、やはり惑わし。
カトリックは、極端な例だが、他の教団もやはり惑わされている。
色んな教団が、惑わされている。
ペンテコステ系の教団では、ベニーヒンは、神の器、神の霊だと思っているが、実は悪霊だったりするから、全く惑わされている。
「艱難前携挙説」など、ホーリネスや福音派では受け入れられている。
サタンが縛られた時に、そういう惑わしが切れるかも知れないが、今は、サタンが、機敏に動き回り、各教団を惑わしている事は理解しなければならない。
どの教団も、見事に騙されている。
我々は何をするかと言うと、他の人が「惑わされているぞ」という事ではなくて、我々もそういった惑わしがあるかも知れないので、惑わしを一掃したいという事。
サタンが、色んな巧妙な惑わし、インチキな教理を入れているので、気付き次第排除したい。
聖書すらも毒されている。
新改訳だけ読んでも殆ど意味が解らないような所がある。
午後の礼拝メッセージでは、仕方なしに70人訳を用いている。
聖書が言っている事が正しいので、「諸国の民をサタンが惑わす」という解釈が正しい。
残念ながら、教会時代の終わりなので、どの教団もサタンに惑わされているという現実を受け止めて、惑わされ、おかしくなったところは受け入れないで、正しい所は受け入れる。
主によって吟味して、間違った教理を手間をかけて外していくという努力は必要。
そうすれば、徐々に真理が見えて来て行くと思う。
だから、残念ながら諸国の民は、キリスト教会の各教団も残念ながら、サタンによって大いに惑わされて来た。
しかも象徴的なのは、サタンのもう1つの表現である「悪魔でありサタンである竜、あの古い蛇」と書いてある。
この蛇は、エデンの園で登場したあの蛇。
その蛇は何をやったかと言うと、突然現れて、イブを騙して、神の言葉を信用させず、インチキな言葉を垂れだした。
結局、永遠のいのちを奪った。
サタンの大きな働きというのは、「古い蛇」であるから、エデンの園以来、今に至るまで変わらない。今も働いている。今も過去も変わらない。
そして、諸教会のメッセージにおいて、アダム、イブを騙したように、せっせと御言葉を変えたり、改ざんしたりして、永遠のいのちを奪うような、働きをしている。
「古い蛇」は、健在!
最後に封じられる時までは、大加速してしぶとくやって来る。
それを通してわかる事は、キリスト教会の歴史は、惑わされた歴史であり、道を崩された歴史であり、インチキを掴んだ歴史であり、キリスト教会の教理の中では、本質からずれた歴史であり、的外れになってしまった教理が多いのが現実。
我々は、どうするべきかと言うと、やはり、それらの事を捉え、全ての事を吟味し、「艱難前」を初めとした、あらゆるキリスト教会の教理を吟味して、インチキくさいモノは、伝統があろうと無かろうと、それを排除して、「異端」と言われようと言われまいと、怪しいモノは受け入れないようにしていくのが正しいと思う。 また、そうなって行くと思う。
これらの言葉が語っている事は、サタンは、コツコツと一生懸命自分の仕事をして来た。
それにより、ずっとキリスト教会はイブの様に惑わされて来たという事。
イブの事件は、1つの型。
教会も蛇によってサタンの教理に騙されてきたというのが現実だが、そういったインチキは排除して行くべきであり、正しく吟味し、見分けて行くのが正しい。
レムナントキリスト教会
お問合わせ
Tel
E-mail koukanojisan★yahoo.co.jp
(★の箇所を@に変換してください)
天皇家は万世一系のダビデ王朝の末裔である!警告の角笛シリーズ エレミヤ著