ヨブ記21章 2012.11.4
ヨブ記は艱難時代の予表
21:1 ヨブは答えて言った。
21:2 あなたがたは、私の言い分をよく聞け。これをあなたがたの私への慰めとしてくれ。
21:3 まず、私が語るのを許してくれ。私が語って後、あなたはあざけってもよい。
本来なら、なぐさめてくれるはずの友人からあざけられたり非難されたりしている
21:4 私の不平は人に向かってであろうか。なぜ、私がいらだってはならないのか。
21:5 私のほうを見て驚け。そして手を口に当てよ。
21:6 私は思い出すとおびえ、おののきが私の肉につかみかかる。
21:7 なぜ悪者どもが生きながらえ、年をとっても、なお力を増すのか。
悪者(英語):邪悪な者
「悪者」とは、ほんとうはどんなことを指すのか?
「悪者」とは未信者だけでなくクリスチャンのなかで、まちがえて邪悪な道を歩んでいる人のこと
悪者の定義→14節「しかし、彼らは神に向かって言う。「私たちから離れよ。私たちは、あなたの道を知りたくない。」
このことはいかにも未信者が言いそう
クリスチャンでも、こういう歩みがある
クリスチャンは、ほんとうは神に従っているはず、しかし、ほんとうの意味合いで神のことを知りたくないという人がいる
神さまは私たちの心の奥底を切り分けるお方、その人の本音を見るお方
参照 へブル人への手紙4:12
4:12 神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます。
Ex:なにがなんでも艱難に会いたくないから艱難前携挙説を信じる等
クリスチャンであってもほんとうのことは知りたくない
聖書がどう言っているというより、その人の思いや考えが優先される
しかし、こういう歩みは他人事ではない
表面的には神に仕え、本音では神を知りたくない Ex:律法学者、パリサイ人
でも7節に書かれているように、そういう人にかぎって繁盛する
Ex:アメリカではレフトビハインドの本がたくさん売れた
21:8 彼らのすえは彼らとともに堅く立ち、その子孫は彼らの前に堅く立つ。
21:9 彼らの家は平和で恐れがなく、神の杖は彼らの上に下されない。
かんちがいした人のほうが、いかにも典型的なクリスチャンのようにみえる
21:10 その牛は、はらませて、失敗することがなく、その雌牛は、子を産んで、仕損じがない。
かんちがいしている教会は、どんどん信者が増える
21:11 彼らは自分の幼子たちを羊の群れのように自由にさせ、彼らの子どもたちはとびはねる。
21:12 彼らはタンバリンと立琴に合わせて歌い、笛の音で楽しむ。
21:13 彼らはしあわせのうちに寿命を全うし、すぐによみに下る。
タンバリンは賛美に通じる
賛美が盛んだったりする
21:14 しかし、彼らは神に向かって言う。「私たちから離れよ。私たちは、あなたの道を知りたくない。
でもたとえクリスチャンが増えたとしても、本音で神を知りたくない
そしてあまりにも嘘・偽りを公言してしまうと真理がみえなくなってしまう
しかし若干不都合があったとしても、みことばに従っていきたいという気持ちがあるときに真理をみる
多くのクリスチャンは、いまの歩みにおいてまちがえている
宮の崩壊に関してもなにも理解していない→ほんとうのことを知りたくないから偽りに入っている、その人の本音が出てしまう
21:15 全能者が何者なので、私たちは彼に仕えなければならないのか。私たちが彼に祈って、どんな利益があるのか。」と。
「私たちは彼に仕えなければならないのか」のことばにかたりかけがある
いまのクリスチャンの問題:真の意味合いで神に仕えようとしない
神さまは表面ではなくその人の本音をふるいわけたり試験にかけたりする
Ex:初降臨においても本音が出ていた→パリサイ人や律法学者や群集のようにほんとうに仕えようとない人はより分けられた、イエスを理解しなかった、でも、ペテロやヨハネのように仕えたいという人はイエスを理解した
いまのクリスチャンは万難を排して神さまに仕えようとしないので、べつのものに仕えたりしている
神さまに仕えるのはけっこう大変→えらびがあり、よりわけがある
ほんとうはどうなのか?の選択がある、ほんとうは何に仕えているのか?野心なのか?成功なのか?
自分の考えや歩みを優先するのなら、それ以上のものではなくなる
極端な選択があったとしても神のことを優先していくときに神にみとめられる
神に仕えようとする人は神からの啓示がくる、神に仕えていくことにポイントがある
21:16 見よ。彼らの繁栄はその手の中にない。悪者のはかりごとは、私と何の関係もない。
21:17 幾たび、悪者のともしびが消え、わざわいが彼らの上に下り、神が怒って彼らに滅びを分け与えることか。
ほんとうの意味で神のことを知ろうとしない人は「悪者」とみなされる
21:18 彼らは、風の前のわらのようではないか。つむじ風に吹き去られるもみがらのようではないか。
風:霊的なことのたとえ
ほんとうの意味で神のことを知ろうとしない人はあらゆる種類の霊的な惑わしに入る
Ex:ブラザレン系の教会→牧師を教会に置いてはいけないという変な教えがあり、それをもとにわけのわからないおしえに入っている
ほかにもいろいろとある・・・艱難前携挙が正しいと言った時点で神のまえに話にならない
正しい道に入らない人は変な道や惑わしに入る、ほんとうに従うつもりがないと惑わしにやられる
21:19 神はそのような者の子らのために、彼のわざわいをたくわえておられるのか。彼自身が報いを受けて思い知らなければならない。
ほんとうに従うつもりのない人は災いに入る
21:20 彼の目が自分の滅びを見、彼が全能者の憤りをのまなければならない。
21:21 彼の日の数が短く定められているのに、自分の後の家のことに何の望みがあろうか。
21:22 彼は神に知識を教えようとするのか。高い所におられる方がさばきを下すのだ。
21:23 ある者は元気盛りの時に、全く平穏のうちに死ぬだろう。
21:24 彼のからだは脂肪で満ち、その骨の髄は潤っている。
21:25 ある者は苦悩のうちに死に、何の幸いも味わうことがない。
21:26 彼らは共にちりに伏し、うじが彼らをおおう。
21:27 ああ、私はあなたがたの計画を知っている。私をそこなおうとするたくらみを。
24節に書かれているように、たくさんのみことばをつめこんだとしても惑わしに入る
27節では、ヨブをそこなおうとするたくらみについて書かれている
艱難時代は正しいクリスチャンを罠や災いにかけるというサタンのたくらみがある
しかしダニエル書に登場するシャデラク、メシャク、アベデ・ネゴが火の炉に入ってもそこなわれなかったように、神さまからのふしぎな守りや助けがある
サウル王に追いかけられたダビデにしてもしかり、さいごまで守られた
艱難はくる、しかし守りもある
正しく歩んでいくときに益になり、主からのふしぎな助けを受ける
21:28 あなたがたは言う。「権門の家はどこにあるか。悪者の住んだ天幕はどこにあるか。」と。
21:29 あなたがたは道行く人に尋ねなかったか。彼らのあかしをよく調べないのか。
21:30 「悪人はわざわいの日を免れ、激しい怒りの日から連れ出される。」という。
30節(KJV):悪人はほろびの日のためにとっておかれ、彼らは怒りの日へ連れていかれる
バビロンのほろびがそうだったように、バビロン化したクリスチャンは、なんの災いもなくとつぜんほろびる
ほろびの日に、一網打尽にほろびる
参照 黙示録18:8
18:8 それゆえ一日のうちに、さまざまの災害、すなわち死病、悲しみ、飢えが彼女を襲い、彼女は火で焼き尽くされます。彼女をさばく神である主は力の強い方だからです。
だから神を知りたくないなどと言わないように!!そうでないと「悪人」とみなされてしまう
21:31 だれが彼に面と向かって彼の道を告げえようか。だれが彼のなしたことを彼に報いえようか。
21:32 彼は墓に運ばれ、その塚の上には見張りが立つ。
21:33 谷の土くれは彼に快く、すべての人が彼のあとについて行く。彼より先に行った者も数えきれない。
33節に「彼より先に行った者は数えきれない」と書かれているように、ほとんどの人がそうだと言っている
ほとんどのクリスチャンがほんとうの意味合いで神の道を知りたくない
神はシビアにお一人お一人の本音をみわけるお方
パリサイ人や律法学者は思い込みを優先して真理を知ろうとしない型だった
でも弟子たちはちがった
くりかえしますが、ほんとうは神の道を歩みたくないというクリスチャンが圧倒的に多い
しかし、そうでないのなら例外的なめぐみを受けていると言える
21:34 どうしてあなたがたは、私を慰めようとするのか。むだなことだ。あなたがたの答えることは、ただ不信実だ。
KJV:なぜ、あなたがたはまちがえた答えを持ちながら私をむなしくなぐさめようとするのか
ヨブの友人はなぐさめに来た、しかし的外れ、真実から外れたことをかたっている、これはまちがえたクリスチャンの歩み
的外れになってはダメ、ポイントをつくことにみこころがある
的外れなことを言っていたら意味が無い
神のみちをほんとうに歩もうとするのなら意味のあることをおこなっていく
レムナントキリスト教会
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