ヨブ記24章 2012.11.25
24:1 なぜ、全能者によって時が隠されていないのに、神を知る者たちがその日を見ないのか。
神を知っている人は、昔も今も多い
しかし・・・神を知っているにもかかわらず、クリスチャンが時を悟らない
でも、時を知るのは大事、イエスさまは時代を見分けられない人たちのことを「偽善者」と言っている
参照 ルカ12:54-56
12:54 群衆にもこう言われた。「あなたがたは、西に雲が起こるのを見るとすぐに、『にわか雨が来るぞ。』と言い、事実そのとおりになります。
12:55 また南風が吹きだすと、『暑い日になるぞ。』と言い、事実そのとおりになります。
12:56 偽善者たち。あなたがたは地や空の現象を見分けることを知りながら、どうして今のこの時代を見分けることができないのですか。
ヨブ記に戻ります
「その日を見ないのか」(KJV):時を知らないのか?!
ヨブの時代にも、そういう人がいた
神の裁きが近づいているのに、曲がった信仰生活を送っている
今のキリスト教会は、時を悟っていない
しかし、実際は、今は緊迫した時代→ソドム化、エジプト化が成就しつつある時(背信の多くの教会が同性愛を受け入れつつある)
今、ダニエル書や黙示録が言われていることが成就しているのに悟っていない、これは大きな問題→悟らない人、正しく見ない人は滅んでしまう!!
ヨブ記24章の全体は、時を悟らない人について書かれている
24:2 ある者は地境を動かし、群れを奪い取ってこれを飼い、
地境を動かす→当然のことながら、これは悪いこと、そして、このことには、たとえの意味合いがある
この世においても、地境を動かすときに領域が変わってくる、それと同じように、聖書で言われている救いに関しても「広い門」になる
聖書で言う地境を発見して、そこにとどまり続けなければいけない
「永遠のいのち」に関して、聖書では「見いだす者は稀」とまで言われている、ゆえに、めったに見出せないということが理解できるし、そのようなことを前提に歩んでいかなければいけない
結局は、変なものをつかんでしまう確率のほうが高いと言われている
今の教師は地境を移している、「地獄は無い」とか「クリスチャンは艱難は通らず携挙される」とか言っている、これはあきらかに滅びへと向かう大きな門や広い道への教え、ゆえに信者は増える、しかし、神の前にはNG
24:3 みなしごのろばを連れ去り、やもめの牛を質に取り、
「みなしご」:この地上には父がいない、天の父のみが父という正しいクリスチャンのこと
「やもめ」:この地上には夫がいない、真の夫は天におられる神、再臨のキリストのみを待つクリスチャン
3節の御言葉は、そういう正しいクリスチャンを惑わしへと引っ張っていこうとする教師のことを言われている、ゆえに、このことは、そのような教師への警告と言える、そして、もし、最後まで悔い改めないのなら、キリストの再臨のときに裁かれる
24:4 貧しい者を道から押しのける。その地の哀れな人々は、共に身を隠す。
「貧しい者」:神さまの前に謙遜な人のこと、ちなみに福音書の中で、イエスさまは「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人のものだからです」と言われている
4節の御言葉は、正しい人を道(永遠のいのちに至る道)から、そらすことを言われている
24:5 見よ。荒野の野ろばを。彼らは、出て行き、荒れた地で獲物を求めて捜し回り、自分の子らのためにえさを求める。
24:6 飼葉を畑で刈り取り、悪者のぶどう畑をかすめる。
24:7 彼らは着る物もなく、裸で夜を明かし、寒さの中でも身をおおう物がない。
「着る物もなく、裸で夜を明かし、寒さの中でも身をおおう物がない」:義の衣が無い
おかしな教えに入っていくときに、神の前に立てない
24:8 山のあらしでずぶぬれになり、避け所もなく、岩を抱く。
「あらしでずぶぬれになり」:変な霊でやられる
24:9 彼らはみなしごを乳房からもぎ取り、貧しい者の持ち物を質に取る。
おかしな教師が正しいことに異を唱える
「乳房」:御言葉の乳に関係する
おかしな教師が正しい道を歩む人たちを間違えた方向に引っ張っていく
このことは災い
24:10 彼らは着る物もなく、裸で歩き、飢えながら麦束をになう。
変な教えを受けるなら、正しくなれない
「麦束」:パン、御言葉に関する
「飢えながら麦束をになう」:せっかくの聖書の教えがあるのに、礼拝のメッセージでおかしな教えを受けて、霊的に飢えて帰る
24:11 その植え込みの間で油をしぼり、酒ぶねを踏みながら、なお渇く。
「油」:聖霊のたとえ
「油をしぼり、酒ぶねを踏みながら、なお渇く」:一生懸命祈っても、聖霊に触れないなら渇く Ex:おかしなリバイバル集会(ベニー・ヒンの悪霊を下す集会等)
一生懸命祈っている、しかし、変な霊に導かれて渇く
24:12 人の住む町からうめき声が起こり、傷ついた者のたましいは助けを求めて叫ぶ。しかし、神はその愚痴に心を留められない。
24:13 これらの者は光に反逆する者で、光の道を認めず、また、その通り道にとどまらない。
13節:終末のクリスチャンや教師の問題について→光(真理)に反逆したり、光を求めない、ゆえに光にとどまる人は少ないことを言われている
24:14 人殺しは、夜明けに起き上がり、哀れな者や貧しい者を殺し、夜には盗人のようになる。
ここに書かれている「人殺し」と、教会とは密接な関係がある
永遠のいのちを与えない人や広い道を語る人」、人殺し
「盗人」:御言葉を盗むたとえ
また、「盗人」ということばは、艱難時代や世の終わりのキーワード
聖書のことばに関して、「恵み」とか「祝福」とか「神の愛」のように、良い面、すなわち片面しか語らない人、裁きに関して言わない人は、盗人
今は夜で、光が無いので盗人が教会にどんどん入り込んできている
教会で語っているからといって、すべて真実とは限らない
24:15 姦通する者の目は夕暮れを待ちもうけ、「私に気づく目はない。」と言い、その顔におおう物を当てる。
24:16 彼は暗くなってから、家々に侵入する。昼間は閉じこもって光を知らない。
「彼は暗くなってから、家々に侵入する」:光が無くなったときにおかしな教理を持ってくる人のこと
24:17 すべて彼にとっては暗黒が朝である。彼は暗黒の恐怖と親しいからだ。
24:18 彼は水の面をすばやく過ぎ去り、彼の割り当ての地は国の中でのろわれる。彼はぶどう畑の道のほうに向かわない。
24:19 ひでりと暑さは雪の水を奪い、よみは罪を犯した者を奪う。
24:20 母の胎は彼を忘れ、うじは彼を好んで食べ、彼はもう思い出されない。不正な者は木のように折られてしまう。
24:21 彼は子を産まない不妊の女を食いものにし、やもめによくしてやらない。
「雪の水」:聖霊のこと??
21節:キリストを頼みとしている人に対して正しい対応をしない
24:22 しかし、神は力をもって暴虐な者たちを生きのびるようにされる。彼はいのちがあるとは信じられないときにも立ち上がる。
24:23 神が彼に安全を与える。それで、彼は休むことができる。神の目は彼らの道の上に注がれる。
24:24 彼らはしばらくの間、高められるが、消えうせる。彼らは低くされ、ほかのすべての者と同じように刈り集められる。麦の穂先のように枯れてしまう。
正しくない歩みをしている人の結論:むなしいことをつかんでいる
このことは、おかしな教師に対する警告
それに見習ってはいけない!!
24:25 今そうでないからといって、だれが私をまやかし者だと言えよう。だれが私のことばをたわごとにしようとするのか。
おかしなことを言っていたとしても、今、裁きが下されているわけではない
しかし、今はそうでなくても、そういう人への裁きは必ず実現する
たとえば、旧約の時代の祭司長、律法学者、パリサイ人、群集がキリストを殺してすぐに裁かれたわけではなく、40年後に裁かれたように、今の時代に関しても、それと同じ
なので、見えるところではなく、神の目で判断する、たとえ遅くなっても不法をおこなう人への裁きは必ずくる
Ex:日本で起きたキリシタン迫害への裁き→空襲によって多くの場所が焼け野原となった、原爆が2度も落とされた
地境を移したり、御言葉を盗んではダメ!!
偽善的な歩みには、必ず災いがくる!!
レムナントキリスト教会
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