ヨブ記28章 2012.12.23
28:1 まことに、銀には鉱山があり、金には精練する所がある。
28:2 鉄は土から取られ、銅は石を溶かして取る。
「火」のような試練を通る→金の信仰
28:3 人はやみを目当てとし、その隅々にまで行って、暗やみと暗黒の石を捜し出す。
人:神さま、キリスト
あらゆるところに行って、キリストは探す
Ex:ペテロやヨハネをガリラヤ湖で探した
主の目は確か、必要な「石」を探す
28:4 彼は、人里離れた所に、縦坑を掘り込み、行きかう人に忘れられ、人から離れてそこにぶら下がり、揺れ動く。
KJV訳だと、「霊的」なことを言われている
「聖霊」の働きを通して、正しい人を探す
28:5 地そのものは、そこから食物を出すが、その下は火のように沸き返っている。
KJV:聖霊&御言葉の働きを通して正しい人を探す
28:6 その石はサファイヤの出るもと、そのちりには金がある。
弟子の歩みの中に信仰がある
サファイヤ(宝石):聖霊の賜物
これらは弟子の歩みから出る
同じクリスチャン人生でも、弟子の歩みをしないと神の前に尊い者とならない
多くの聖霊の働きは、弟子の歩みをして「なんぼ」のもの
28:7 その通り道は猛禽も知らず、はやぶさの目もこれをねらったことがない。
28:8 誇り高い獣もこれを踏まず、たける獅子もここを通ったことがない。
弟子の歩みの中に、色々な賜物がある
弟子の歩みをしないで、聖霊の賜物を求めるのは無理がある
弟子の歩みに大きなポイントがある
28:9 彼は堅い岩に手を加え、山々をその基からくつがえす。
28:10 彼は岩に坑道を切り開き、その目はすべての宝を見る。
彼:神、キリスト
岩:弟子の歩み
手を加えられて、変えられていく
堅い:頑固、うなじが怖い
歩みが正しくないと、覆されてしまう
主は、すべての宝を見る
主から見てもらっていない人はいない
主は見る、しかし、目に留まる人と留まらない人がいる
ちゃんとやっていく人を見ている
28:11 彼は川をせきとめ、したたることもないようにし、隠されている物を明るみに持ち出す。
28:12 しかし、知恵はどこから見つけ出されるのか。悟りのある所はどこか。
28:13 人はその評価ができない。それは生ける者の地では見つけられない。
知恵、悟りはクリスチャン生活を送るのに非常に大事
クリスチャン生活の根幹に影響してくる
13節(KJV):その価値を知らない→知恵に関して勘違いしている
自分の心の奥底で悟った Ex:ペテロ、ヨハネ
どんなことよりも、神からの悟りを求める
悟りが無いと、滅びに入る
悟りは永遠の命に直結する価値がある
28:14 深い淵は言う。「私の中にはそれはない。」海は言う。「私のところにはない。」
28:15 それは純金をもってしても得られない。銀を量ってもその代価とすることができない。
15節:信仰があるからといって、悟りや知恵があるわけではない
28:16 オフィルの金でもその値踏みをすることができず、高価なしまめのうや、サファイヤでもできない。
28:17 金も玻璃もこれと並ぶことができず、純金の器とも、これは取り替えられない。
信仰があれば、いいってものではない
信仰があっても、悟りが無いと滅びに入ってしまう
28:18 さんごも水晶も言うに足りない。知恵を獲得するのは真珠にまさる。
28:19 クシュのトパーズもこれと並ぶことができず、純金でもその値踏みをすることはできない。
どんな賜物を得ても、知恵と悟りが無いとダメ
どんな賜物より、知恵と悟りはまさる
28:20 では、知恵はどこから来るのか。悟りのある所はどこか。
28:21 それはすべての生き物の目に隠され、空の鳥にもわからない。
隠されている、わからない
本当の知恵は主の時代も隠されていた→律法学者や群集にも隠されていた、ゆえにキリストを十字架に付けて滅んだ
隠されているから、価値がわからない
今の時代も、終末のことは隠れされている
28:22 滅びの淵も、死も言う。「私たちはそのうわさをこの耳で聞いたことがある。」
滅ぶ人は、悟りや知恵を得ていない
滅ぶ人は、悟りや知恵から離されている
28:23 しかし、神はその道をわきまえておられ、神はその所を知っておられる。
28:24 神は地の隅々まで見渡し、天の下をことごとく見られるからだ。
天:教会
隅々まで見て、「この人に知恵を与えよう」という人に、与えられる、そして見る
イエスさまの時代、少数の弟子たちに見せた
キリストが見させようとしないと見られない、選びがある
28:25 神は風を重くし、水のはかりで量られる。
28:26 神は、雨のためにその降り方を決め、いなびかりのために道を決められた。
28:27 そのとき、神は知恵を見て、これを見積もり、これを定めて、調べ上げられた。
水、風:聖霊
25節の「量られる」とは何を言っているのか?
知恵は「聖霊の量」によって変わってくる
聖霊が与えられれば与えられるほど、知恵が与えられる
Ex:パウロの書簡
聖霊の与えられる量がどうか?
その人が聖霊をどの程度受けているかで、知恵や悟りが変わってくる
26節:その人の歩みによって、雨(聖霊)の降り方が変わる
聖霊を正しく受けるか否かで、悟るかどうかが変わってくる
クリスチャンの間でも、聖霊によって悟りの差が出てくる
28:28 こうして、神は人に仰せられた。「見よ。主を恐れること、これが知恵である。悪から離れることは悟りである。」
神を恐れる人が知恵を得、悪から離れる人が悟りを得る
神を恐れる→もっとも賢い結論にいく
人よりも神を恐れる
悪に仕える人は、悟りを得ることは無い
レムナントキリスト教会
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