ローマ人への手紙7章 H22.11.7(1-11節),H22.11.14(12-25節)
7:1 それとも、兄弟たち。あなたがたは、律法が人に対して権限を持つのは、その人の生きている期間だけだ、ということを知らないのですか。私は律法を知っている人々に言っているのです。
7:2 夫のある女は、夫が生きている間は、律法によって夫に結ばれています。しかし、夫が死ねば、夫に関する律法から解放されます。
7:3 ですから、夫が生きている間に他の男に行けば、姦淫の女と呼ばれるのですが、夫が死ねば、律法から解放されており、たとい他の男に行っても、姦淫の女ではありません。
旧約の民は律法に縛られた歩みをしていた
新約の民にも律法はある
良い律法が仇になることがある
参照 Ⅰヨハネ1:9
律法:自分が何も出来ないことを悟る、全部守ろうとしても無理
律法に縛られて行き詰っている人に良いニュースがある
そのことが結婚にたとえられている
男:律法
女:クリスチャン
7:4 私の兄弟たちよ。それと同じように、あなたがたも、キリストのからだによって、律法に対しては死んでいるのです。それは、あなたがたが他の人、すなわち死者の中からよみがえった方と結ばれて、神のために実を結ぶようになるためです。
私たちが死んで解放される
律法に対して死んでいることを信じること
全部守ろうとする義務から解放されている
律法を守ろうとすることによって死とか罪に入っていってしまう
死者の中からよみがえった→信じることによって実現する
罪の生活から生きてくる→よみがえりを経験する
弱かったり罪があったりしても、よみがえり、実を結んでいく
7:5 私たちが肉にあったときは、律法による数々の罪の欲情が私たちのからだの中に働いていて、死のために実を結びました。
律法は良いもの、しかし、守ろうとすると数々の罪の欲情が働く
7:6 しかし、今は、私たちは自分を捕えていた律法に対して死んだので、それから解放され、その結果、古い文字にはよらず、新しい御霊によって仕えているのです。
律法から解放されることが大切
2種類のクリスチャンがいる
●書かれていることを文字通り行っていく、ずっと言葉を忠実に行っていく→このことはパウロは推奨していない
●聖霊(新しい文字)によって仕えていく→律法が書き記されていく
聖霊がどのように私たちに内側に語られるか?主がどのように語ったか?
御霊が私たちの内側に語る
7:7 それでは、どういうことになりますか。律法は罪なのでしょうか。絶対にそんなことはありません。ただ、律法によらないでは、私は罪を知ることがなかったでしょう。律法が、「むさぼってはならない。」と言わなかったら、私はむさぼりを知らなかったでしょう。
7:8 しかし、罪はこの戒めによって機会を捕え、私のうちにあらゆるむさぼりを引き起こしました。律法がなければ、罪は死んだものです。
律法は仇になる
パウロはむさぼりを抑えようとしたが逆に引き起こされてしまった
7:9 私はかつて律法なしに生きていましたが、戒めが来たときに、罪が生き、私は死にました。
律法を守ろうとすると逆に罪に支配されてしまう
7:10 それで私には、いのちに導くはずのこの戒めが、かえって死に導くものであることが、わかりました。
7:11 それは、戒めによって機会を捕えた罪が私を欺き、戒めによって私を殺したからです。
律法とは私たち自身がどのような者であるかを分からせるためのもの
律法を通して真の姿を理解するため、そこからが贖いへのスタート
私たちは律法から解放されている
律法は養育係として与えられている
7:12 ですから、律法は聖なるものであり、戒めも聖であり、正しく、また良いものなのです。
7:13 では、この良いものが、私に死をもたらしたのでしょうか。絶対にそんなことはありません。それはむしろ、罪なのです。罪は、この良いもので私に死をもたらすことによって、罪として明らかにされ、戒めによって、極度に罪深いものとなりました。
律法(十戒をはじめとする神教え)の役割について理解する
律法とは私たちの実態を悟らせるために神があえて与えてくださったもの
参照 ガラテヤ3:21-24
律法を通して罪の下にいることを理解する
内側にある罪がどうしようもないことを理解する→キリストに拠り頼んでいく
まず実態を知らないとどうにもならない
クリスチャンが真剣に罪と向き合っていないことを神様は教えてくださった
7:14 私たちは、律法が霊的なものであることを知っています。しかし、私は罪ある人間であり、売られて罪の下にある者です。
律法は霊的なもの
律法=霊、罪=肉、体
もともとの意志や能力で、どんなに頑張っても肉の力はダメ
聖霊とは次元が違う
聖霊に拠り頼むなら律法をスムーズに行うことが出来る
霊的になっていくことによって律法を行っていくことが出来る
7:15 私には、自分のしていることがわかりません。私は自分がしたいと思うことをしているのではなく、自分が憎むことを行なっているからです。
7:16 もし自分のしたくないことをしているとすれば、律法は良いものであることを認めているわけです。
7:17 ですから、それを行なっているのは、もはや私ではなく、私のうちに住みついている罪なのです。
「自分のしたくないことをしている」と認識しているならば聖書的にはあるべき方向へ向かっている
7:18 私は、私のうち、すなわち、私の肉のうちに善が住んでいないのを知っています。私には善をしたいという願いがいつもあるのに、それを実行することがないからです。
7:19 私は、自分でしたいと思う善を行なわないで、かえって、したくない悪を行なっています。
7:20 もし私が自分でしたくないことをしているのであれば、それを行なっているのは、もはや私ではなくて、私のうちに住む罪です。
7:21 そういうわけで、私は、善をしたいと願っているのですが、その私に悪が宿っているという原理を見いだすのです。
自分の内側に悪が宿っている→このことを正しくきちんと理解しないと歩みが進まない
↓
はっきりと理解することがポイント
15-20節のことに気づいてはじめてキリストに頼っていく
マイナスと思っていても神様に従っていくのがベスト
7:22 すなわち、私は、内なる人としては、神の律法を喜んでいるのに、
7:23 私のからだの中には異なった律法があって、それが私の心の律法に対して戦いをいどみ、私を、からだの中にある罪の律法のとりこにしているのを見いだすのです。
体の中に罪がある
生まれつきのものでやっていてもダメ
悪が住んでいて善が無いという理解が正しい
7:24 私は、ほんとうにみじめな人間です。だれがこの死の、からだから、私を救い出してくれるのでしょうか。
救いを求め、キリストを求める
7:25 私たちの主イエス・キリストのゆえに、ただ神に感謝します。ですから、この私は、心では神の律法に仕え、肉では罪の律法に仕えているのです。
キリストに救いがある
女(クリスチャン) 夫(律法)
はじめは夫(律法)と結婚していた
でも、一人目の夫(律法)が死んで二人目の夫(キリスト)と結婚したら入るべき恵みに入った
参照 ルツ記1:1-4
マフロン:病、ききん キルヨン:消えうせる
ボアズ:キリストの家系、キリストにたとえられている
ルツは一人目の夫であるマフロンが亡くなり、二人目の夫であるボアズ(キリスト)につながった
キリストに頼っていくことがポイント→祝福の道に入る
レムナントキリスト教会
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