ローマ人への手紙15章 2011.4.3,4.10,4.17

 

14章のおさらい

教理を他人を裁く道具としてはいけない

 

15:1 私たち力のある者は、力のない人たちの弱さをになうべきです。自分を喜ばせるべきではありません。

15:2 私たちはひとりひとり、隣人を喜ばせ、その徳を高め、その人の益となるようにすべきです。

15:3 キリストでさえ、ご自身を喜ばせることはなさらなかったのです。むしろ、「あなたをそしる人々のそしりは、わたしの上にふりかかった。」と書いてあるとおりです。

もし信仰の奥義を持っていたり力を持っているなら力の無い人たちの弱さを担ったり喜ばせるべき

場合によっては人のそしりを負ってしまってもその人の益となるようなことをしていくのが良い→志していきたい

Ex:セミナー:はじめて来た人にもわかるようにメッセージする

人の益となるような働きをしていく

 

15:4 昔書かれたものは、すべて私たちを教えるために書かれたのです。それは、聖書の与える忍耐と励ましによって、希望を持たせるためなのです。

昔書かれていたもの:聖書

聖書が心の中に入っているなら現実に起きている困難の中にあっても励ましを受ける

 

15:5 どうか、忍耐と励ましの神が、あなたがたを、キリスト・イエスにふさわしく、互いに同じ思いを持つようにしてくださいますように。

15:6 それは、あなたがたが、心を一つにし、声を合わせて、私たちの主イエス・キリストの父なる神をほめたたえるためです。

互いに同じ思いを持つことがポイント

心をひとつにして働きをしていく

その際忍耐が必要、寛容な心が無いとダメ

語っていく中で理解したり福音が分かってくる可能性があるから

 

15:7 こういうわけですから、キリストが神の栄光のために、私たちを受け入れてくださったように、あなたがたも互いに受け入れなさい。

互いに受け入れ合う

教理をもとに非難したり区分したり排除することにポイントは無い

 

15:8 私は言います。キリストは、神の真理を現わすために、割礼のある者のしもべとなられました。それは先祖たちに与えられた約束を保証するためであり、

15:9 また異邦人も、あわれみのゆえに、神をあがめるようになるためです。こう書かれているとおりです。「それゆえ、私は異邦人の中で、あなたをほめたたえ、あなたの御名をほめ歌おう。」

15:10 また、こうも言われています。「異邦人よ。主の民とともに喜べ。」

キリストがしもべとなられたので割礼のある人が恵みや救いに入り、異邦人もキリストの贖いによって救いを見るようになった

私たちもキリストのしもべになるならこのような働きを担っていく

神の働きに関しては仕えていく人にポイントがある

 

15:11 さらにまた、「すべての異邦人よ。主をほめよ。もろもろの国民よ。主をたたえよ。」

15:12 さらにまた、イザヤがこう言っています。「エッサイの根が起こる。異邦人を治めるために立ち上がる方である。異邦人はこの方に望みをかける。」

イスラエル人でない人もイエス・キリストにより頼んでいく

真に信頼していくことにポイントがある→恵みを得、助けを受ける

どんなことでも望みを持って祈る

主の時に答えられたり道が開かれたりする

 

15:13 どうか、望みの神が、あなたがたを信仰によるすべての喜びと平和をもって満たし、聖霊の力によって望みにあふれさせてくださいますように。

クリスチャンは聖霊にあって望みに満ちて歩んでいくときに恵みに入る

敵の望みというのもあるので気をつける

どんなときでも望みをもって祈っていく

聖霊は困難の中でも望みを持たせてくださる

 

15:14 私の兄弟たちよ。あなたがた自身が善意にあふれ、すべての知恵に満たされ、また互いに訓戒し合うことができることを、この私は確信しています。

すべての知恵にクリスチャンは満たされていく

しかしこの世の知恵や人の知恵と神の知恵は異なる

人間の知恵が強いと変なものをつかんでしまう、惑わされる

聖霊にある知恵を求めるならポイントをつく

 

15:15 ただ私が所々、かなり大胆に書いたのは、あなたがたにもう一度思い起こしてもらうためでした。

15:16 それも私が、異邦人のためにキリスト・イエスの仕え人となるために、神から恵みをいただいているからです。私は神の福音をもって、祭司の務めを果たしています。それは異邦人を、聖霊によって聖なるものとされた、神に受け入れられる供え物とするためです。

異邦人が神に仕えるために、行きすぎかな?と思うことを書いた

神から果たされた任務を行うために大胆に書く

供え物:(旧約)の牛とか羊

神は捧げものを喜ぶ

神に受け入れられる供え物がポイント

しかし神に受け入れられない奉仕もある→最悪、災いとなり裁きになってしまう

主に祈り求め、恐れをもって奉仕をしていく

 

15:17 それで、神に仕えることに関して、私はキリスト・イエスにあって誇りを持っているのです。

15:18 私は、キリストが異邦人を従順にならせるため、この私を用いて成し遂げてくださったこと以外に、何かを話そうなどとはしません。キリストは、ことばと行ないにより、

15:19 また、しるしと不思議をなす力により、さらにまた、御霊の力によって、それを成し遂げてくださいました。その結果、私はエルサレムから始めて、ずっと回ってイルリコに至るまで、キリストの福音をくまなく伝えました。

働きのために神はパウロに力を与えられた

御霊の賜物を通して人々が真理に立ち返る

 

15:20 このように、私は、他人の土台の上に建てないように、キリストの御名がまだ語られていない所に福音を宣べ伝えることを切に求めたのです。

何を土台とするかが大事

キリストを土台とすることがポイント

しかし人や教理を土台にしてしまうとひっくり返されてしまう

※カソリック:普遍的なもの:どんなものも受け入れる、用いる

人を土台としてしまうと変なものを受け継いでしまう

しかしキリストのみを土台としていくなら間違えることはない

真理だけを見ることができる

見えないものが見えるようになる

何を土台とするかによって違う結論をもたらす

 

15:21 それは、こう書いてあるとおりです。「彼のことを伝えられなかった人々が見るようになり、聞いたことのなかった人々が悟るようになる。」

今までキリストを聞いていなかった人が悟るようになる

 

15:22 そういうわけで、私は、あなたがたのところに行くのを幾度も妨げられましたが、

15:23 今は、もうこの地方には私の働くべき所がなくなりましたし、また、イスパニヤに行くばあいは、あなたがたのところに立ち寄ることを多年希望していましたので、

15:24というのは、途中あなたがたに会い、まず、しばらくの間あなたがたとともにいて心を満たされてから、あなたがたに送られ、そこへ行きたいと望んでいるからです。

異邦人、西洋の人々に福音が伝わり、神の祝福に触れ、経済や文明が発展した

しかし終末は背教に入る(福音が別のものになってしまう)

 

15:25 ですが、今は、聖徒たちに奉仕するためにエルサレムへ行こうとしています。

神の器(パウロ)は働きに関して仕える

仕えていくのが働き人のポイント Ex:祈りやメッセージ

仕えていく人に恵みがある

御言葉が身に染みて入ってくる、御言葉が反映されていく

仕えないと分からないことがある

人間的な目と神の働きの目は違う

弟子の歩みは実際に行ってみないと分からない

 

15:26 それは、マケドニヤとアカヤでは、喜んでエルサレムの聖徒たちの中の貧しい人たちのために醵金することにしたからです。

15:27 彼らは確かに喜んでそれをしたのですが、同時にまた、その人々に対してはその義務があるのです。異邦人は霊的なことでは、その人々からもらいものをしたのですから、物質的な物をもって彼らに奉仕すべきです。

霊的な恵みを受けたらそれぞれの収入に応じて献金をしたほうがよい→歩みに関係してくる

 

15:28 それで、私はこのことを済ませ、彼らにこの実を確かに渡してから、あなたがたのところを通ってイスパニヤに行くことにします。

15:29 あなたがたのところに行くときは、キリストの満ちあふれる祝福をもって行くことと信じています。

15:30 兄弟たち。私たちの主イエス・キリストによって、また、御霊の愛によって切にお願いします。私のために、私とともに力を尽くして神に祈ってください。

パウロは切にお願いしている

「力を尽くして祈ってください」と言っている

危険な奉仕に関して祈りを通して功を奏する

この時、祈った人はパウロの助けをした人

このことは今の時代に当てはまること

祈りを通して守られる

 

15:31 私がユダヤにいる不信仰な人々から救い出され、またエルサレムに対する私の奉仕が聖徒たちに受け入れられるものとなりますように。

15:32 その結果として、神のみこころにより、喜びをもってあなたがたのところへ行き、あなたがたの中で、ともにいこいを得ることができますように。

15:33 どうか、平和の神が、あなたがたすべてとともにいてくださいますように。アーメン。

ユダヤにいる不信仰な人々:(英訳)信じない人々

神の民であるにも拘らず神の言葉を信じない人がいる

神の言葉を語るパウロを迫害した人々がいる→神の働きの妨害となっていた

神の働きを妨害するのはこの世の異邦人だけではなくクリスチャン

クリスチャンであっても御言葉を信じない人は神の敵となる

足かせになったり敵になったりする

昔も今もこのことは変わらない

教会の働きは命がけ

実は教会こそ物騒なところ

このことは聖書の形であり、ホーム、繰り返し繰り返し聖書で語っているパターン

ポイントをついた歩みや働きをするならこのことに準ずる

神のパターン、聖書のパターンを見ていく