箴言5章 2016.3.20

 

 

 

5:1 わが子よ。私の知恵に心を留め、私の英知に耳を傾けよ。

 

5:2 これは、分別を守り、あなたのくちびるが知識を保つためだ。

 

 

 

主の知恵に心を留めることが大事。

 

 

 

英知(KJV訳):理解→聖霊にある理解をすることが大事。そうするなら、正しい方向性が分かるようになる。

 

 

 

5:3 他国の女のくちびるは蜂の巣の蜜をしたたらせ、その口は油よりもなめらかだ。

 

 

 

箴言の中で度々、「女」ということばが出てくる。

 

 

 

「女」は、「教会」のたとえ。

 

 

 

「他国の女」とは、別の種類の教会のこと。Ex:エドム、イシマエル

 

 

 

真のキリスト教ではないような教会があるので、そういう教会に引っ掛かることのないように気を付ける。

 

 

 

「蜂の巣の蜜」とは、クリスチャンを滅びに行かせるような教え。Ex:艱難前携挙説

 

 

 

5:4 しかし、その終わりは苦よもぎのように苦く、もろ刃の剣のように鋭い。

 

 

 

そういう教会の教理にやられてしまうと、永遠の命が危なくなる。

 

 

 

5:5 その足は死に下り、その歩みはよみに通じている。

 

 

 

よみ=地獄

 

 

 

地獄へ通じている。

 

 

 

ゆえに教会は選ばないとダメ。

 

 

 

5:6 その女はいのちの道に心を配らず、その道筋は確かでないが、彼女はそれを知らない。

 

 

 

教会は永遠の命に至ってなんぼ。

 

 

 

教会でも、命の道に心を配らない場所がある。しかも、そのことを知らない。

 

 

 

Ex:地獄は無い

 

 

 

こういうことに引っ掛かってはダメ。

 

 

 

5:7 子どもらよ。今、私に聞け。私の言うことばから離れるな。

 

 

 

このことが大事。

 

 

 

聖霊のことばから離れてはダメ。

 

 

 

簡単に神のことばから離れてしまってはダメ。

 

 

 

神のことばから離れてしまうと、正しいことが見えなくなる。

 

 

 

みことばに留まる人に、恵み&助けがある。

 

 

 

5:8 あなたの道を彼女から遠ざけ、その家の門に近づくな。

 

 

 

これはおかしい教会!と聖霊が語ったら、そこから離れる。

 

 

 

5:9 そうでないと、あなたの尊厳を他人に渡し、あなたの年を残忍な者に渡すだろう。

 

 

 

もし、変な教団に引っ掛かるときに、尊厳が無くなる。クリスチャンとしての誉れが消える。

 

 

 

神の前に「間違えた者」と見なされてしまう。

 

 

 

ノンクリスチャンの人に、「えっ?クリスチャンなの??」と言われてしまったりする。

 

 

 

尊いクリスチャン生活を、虚しいものにしてしまう。本質とズレたものに力が入ってしまう。

 

 

 

5:10 そうでないと、他国人があなたの富で満たされ、あなたの労苦の実は見知らぬ者の家に渡るだろう。

 

 

 

自分の富を他の人に持って行かれてしまう。

 

 

 

人を導いたり教えたり、ということが、他の人へ行ってしまう。

 

 

 

ポイントがズレてしまうと、他の教会へ行ってしまう。

 

 

 

5:11 そして、あなたの終わりに、あなたの肉とからだが滅びるとき、あなたは嘆くだろう。

 

 

 

教会に行きながら、滅びへ入ってしまう。

 

 

 

5:12 そのとき、あなたは言おう。「ああ、私は訓戒を憎み、私の心は叱責を侮った。

 

 

 

神がどこかで語っている。

 

 

 

5:13 私は私の教師の声に聞き従わず、私を教える者に耳を傾けなかった。

 

 

 

教師=聖霊

 

 

 

このような教会に引っ掛かったクリスチャンは、こういう声が来ている。聖霊の語りかけがある。

 

 

 

5:14 私は、集会、会衆のただ中で、ほとんど最悪の状態であった。」と。

 

 

 

教会=集会

 

 

 

5:15 あなたの水ためから、水を飲め。豊かな水をあなたの井戸から。

 

5:16 あなたの泉を外に散らし、通りを水路にしてよいものか。

 

5:17 それを自分だけのものにせよ。あなたのところにいる他国人のものにするな。

 

 

 

:聖霊

 

 

 

聖霊の声に聞き従っていく。

 

 

 

5:18 あなたの泉を祝福されたものとし、あなたの若い時の妻と喜び楽しめ。

 

5:19 愛らしい雌鹿、いとしいかもしかよ。その乳房がいつもあなたを酔わせ、いつも彼女の愛に夢中になれ。

 

 

 

聖霊は女性系で書かれている。

 

 

 

そういう意味で、クリスチャンは男女問わず、妻(聖霊)を持っている。

 

 

 

クリスチャン生活は一人では出来ない。一人だと惑わされてしまう。助け手(聖霊)が必要。

 

 

 

聖霊こそが、私たちのクリスチャン生活を助けてくださる。

 

 

 

聖霊の言うことを聞いていくことが大事。

 

 

 

5:20 わが子よ。あなたはどうして他国の女に夢中になり、見知らぬ女の胸を抱くのか。

 

 

 

終末の問題:多くのクリスチャンが聖霊と離縁(背教)していく。聖霊を追い出してしまう。

 

 

 

賜物に目が眩んでしまって、聖霊を裏切ってしまう。

 

 

 

聖霊を捨て去って、悪霊を選んではダメ。

 

 

 

5:21 人の道は主の目の前にあり、主はその道筋のすべてに心を配っておられる。

 

5:22 悪者は自分の咎に捕えられ、自分の罪のなわにつながれる。

 

 

 

私たちがどういう道を歩むか?

 

 

 

神さまはすべてお見通し。

 

 

 

「自分の咎に捕らえられ、」とあるように、なぜ、変な道を選んでしまうのか?

 

 

 

主の前に歩みが不誠実だと、変な教理を掴む。

 

 

 

正しい道を歩んでいる人は、正しい教理を掴む。

 

 

 

それぞれの人の判断は、それぞれの人の行いに通じる。

 

 

 

おかしな教理に入る人は自業自得。

 

 

 

自分の罪のために、真理が見えない。

 

 

 

真理を見たいなら、歩みを糾す。罪から離れる。そうするなら、歩むべき方向が明確に見える。

 

 

 

5:23 彼は懲らしめがないために死に、その愚かさが大きいためにあやまちを犯す。

 

 

 

このことばの通り。

 

 

 

クリスチャン生活のさいごまで、聖霊の声に逆らい続けると、懲らしめが無くなってしまう。

 

 

 

ゆえに聖霊が語ったときには、聞いていきたい。