箴言10章 2016.4.24

 

 

 

10:1 ソロモンの箴言  知恵のある子は父を喜ばせ、愚かな子は母の悲しみである。

 

 

 

箴言の多くは、たとえによって書かれている。

 

 

 

:天の父、:聖霊。

 

 

 

私たちが愚かな道、滅びの道に入るとき、聖霊は悲しむ。

 

 

 

でも、知恵があるなら、天の父に喜んでいただける。

 

 

 

10:2 不義によって得た財宝は役に立たない。しかし正義は人を死から救い出す。

 

 

 

「不義によって得た財宝は役に立たない。」とあるように、聖書と違った話をしても、役に立たない。

 

 

 

しかし、正義は人を救い出す。

 

 

 

レムナントキリスト教会は、みことばの真実を求めてきた。そして、人々を救いへと導いている。これがレムナントキリスト教会の売り&良い点。

 

 

 

10:3 主は正しい者を飢えさせない。しかし悪者の願いを突き放す。

 

 

 

飢える→みことばのパン、聖霊の水を飲むことに飢える。

 

 

 

レムナントキリスト教会は、食べるパン&メッセージがある。

 

 

 

しかし、悪者の願いは、突き放される。

 

 

 

正しく歩まないと、みことばのパンが無かったり、祈りが答えられないかも知れない。

 

 

 

10:4 無精者の手は人を貧乏にし、勤勉な者の手は人を富ます。

 

10:5 夏のうちに集める者は思慮深い子であり、刈り入れ時に眠る者は恥知らずの子である。

 

 

 

怠けていてはダメ。

 

 

 

主の前にさぼっているより、時を得て、なすべきことを行っていきたい。

 

 

 

10:6 正しい者の頭には祝福があり、悪者の口は暴虐を隠す。

 

 

 

 

 

 

10:7 正しい者の呼び名はほめたたえられ、悪者の名は朽ち果てる。

 

 

 

正しく行っていくときに、評判が良くなっていく。

 

 

 

エレミヤ牧師の証:だんだんと良い評判を得られるようになった。

 

 

 

10:8 心に知恵のある者は命令を受け入れる。むだ口をたたく愚か者は踏みつけられる。

 

 

 

心に知恵のある人は、神の命令を受け入れる。

 

 

 

でも、拒む人は、踏みつけられる。

 

 

 

エレミヤ牧師の証:かつては不満が出るタイプだった。でも、悔い改めた。

 

 

 

知恵のある人は、神の命令を受け入れて行う。

 

 

 

エレミヤ牧師の証:マタイの福音書を読んでいた。ペテロが自分に罪を犯した人を何度まで許すべきか?という質問をイエスさまにしていたが・・・このあとに、一万タラントの負債の話が出てくる。そしてこのたとえを理解して慄然とした。もし、自分に罪を犯した人が、たとえ謝ってこなかったとしても・・・許そう!という風に思った。

 

 

 

10:9 まっすぐに歩む者の歩みは安全である。しかし自分の道を曲げる者は思い知らされる。

 

 

 

教理をまっすぐ解釈して受け入れている牧師&クリスチャンがいる。

 

 

 

でも、インチキを受け入れる人は、思い知らされる。

 

 

 

Ex:艱難前携挙説。地獄は無い。

 

 

 

10:10 目くばせする者は人を痛め、むだ口をたたく愚か者は踏みつけられる。

 

10:11 正しい者の口はいのちの泉。悪者の口は暴虐を隠す。

 

 

 

正しく歩み、みことばを理解するなら、メッセージ&証を通して、命に入る。

 

 

 

どのように歩むか?は、大事。

 

 

 

10:12 憎しみは争いをひき起こし、愛はすべてのそむきの罪をおおう。

 

 

 

教会でも、憎しみを持つことがある。

 

 

 

でも、愛をもって許していきたい。

 

 

 

人の弱いところ、足らないところに寛容になっていくときに、憎しみを覆うことが出来る。

 

 

 

10:13 悟りのある者のくちびるには知恵があり、思慮に欠けた者の背には杖がある。

 

 

 

 

 

 

10:14 知恵のある者は知識をたくわえ、愚か者の口は滅びに近い。

 

 

 

知識をたくわえていくべき。

 

 

 

永遠の命を得ていくためのいくつもの知恵がある。

 

 

 

知恵のある人に、聖霊が教えてくださる。

 

 

 

10:15 富む者の財産はその堅固な城。貧民の滅びは彼らの貧困。

 

 

 

教会も「城」のようなもの。

 

 

 

堅固な歩みをして、城のように建てていく。

 

 

 

 

 

10:16 正しい者の報酬はいのち。悪者の収穫は罪。

 

 

 

みことばを正しく解釈し、正しく歩んでいくときに、曲がった道を歩まずに、永遠の命に行き着く。報酬は永遠の命。

 

 

 

10:17 訓戒を大事にする者はいのちへの道にあり、叱責を捨てる者は迷い出る。

 

 

 

訓戒&戒めを大事にする人は、永遠の命に向かっている。

 

 

 

でも、耳を傾けない人は、迷い出て、滅びに入ってしまう。

 

 

 

10:18 憎しみを隠す者は偽りのくちびるを持ち、そしりを口に出す者は愚かな者である。

 

 

 

「そしり」を出さないように、気を付ける。

 

 

 

このことに関して、イエスさまが模範。

 

 

 

結構大変だったけれど、そしらなかった。ユダに対して穏やかだった。死刑の判決を受けても、呪いのことばを出さなかった。

 

 

 

10:19 ことば数が多いところには、そむきの罪がつきもの。自分のくちびるを制する者は思慮がある。

 

 

 

おしゃべりの人は、気を付ける。

 

 

 

10:20 正しい者の舌はえり抜きの銀。悪者の心は価値がない。

 

 

 

正しい者として歩むときに、話すことは「銀」になる。そうでないと、滅びになる。

 

 

 

10:21 正しい者のくちびるは多くの人を養い、愚か者は思慮がないために死ぬ。

 

 

 

正しい歩みをしていくときに、メッセージ&証が祝福になる。

 

 

 

エレミヤ牧師の証:正しく歩んでいく中で、メッセージを語る道が開かれた。

 

 

 

正しく歩むかどうかで、祝福に入るかどうかが決まる。

 

 

 

そして、人を養えたほうが良い。

 

 

 

10:22 主の祝福そのものが人を富ませ、人の苦労は何もそれに加えない。

 

 

 

能力でも何でもなく、主の祝福が富ませてくれる。

 

 

 

10:23 愚かな者には悪事が楽しみ。英知のある者には知恵が楽しみ。

 

 

 

その通り。

 

 

 

10:24 悪者の恐れていることはその身にふりかかり、正しい者の望みはかなえられる。

 

 

 

悪いことをしている人は、暴かれる。

 

 

 

正しく歩んでいくときに、祈ったことが叶えられる。

 

 

 

10:25 つむじ風が過ぎ去るとき、悪者はいなくなるが、正しい者は永遠の礎である。

 

 

 

:霊的なたとえ。

 

 

 

悪い人は、霊の惑わしに入る。

 

 

 

正しく歩んでいくときに、惑わしから守られ、とどまる。

 

 

 

10:26 使いにやる者にとって、なまけ者は、歯に酢、目に煙のようなものだ。

 

 

 

神の前に、しもべとして使いに行く。

 

 

 

主に喜ばれる使いとなる。

 

 

 

怠け者はNG。

 

 

 

10:27 主を恐れることは日をふやし、悪者の年は縮められる。

 

 

 

主を恐れるなら、長生きをして、永遠の命を得る。

 

 

 

10:28 正しい者の望みは喜びであり、悪者の期待は消えうせる。

 

 

 

 

 

 

10:29 主の道は、潔白な人にはとりでであり、不法を行なう者には滅びである。

 

 

 

「主の道」は、聖書に示されている。

 

 

 

正しく歩んでいくときに、「とりで」になる。

 

 

 

正しく歩まないときに、滅びになる。Ex:艱難前携挙説

 

 

 

私たちが正しく歩んでいるか?そうでないか?は、守りor滅びとなる。

 

 

 

10:30 正しい者はいつまでも動かされない。しかし悪者はこの地に住みつくことができない。

 

 

 

イスラエルは「約束の地」に入ったが、バビロンに捕囚された。

 

 

 

正しく歩まず、悪者の道に入るなら、捕囚される。

 

 

 

10:31 正しい者の口は知恵を実らせる。しかしねじれた舌は抜かれる。

 

10:32 正しい者のくちびるは好意を、悪者の口はねじれごとを知っている。

 

 

 

正しいことを語るときに、受け入れられる。

 

 

 

でも、教えを曲げる人は、悪い報いを受けてしまう。

 

 

 

ゆえに、正しい歩みをしていきたい。