箴言12章 2016.5.8

 

 

 

12:1 訓戒を愛する人は知識を愛する。叱責を憎む者はまぬけ者だ。

 

 

 

訓戒(KJV訳):指示

 

 

 

こういうことを愛する人は、知識を愛する人。

 

 

 

真に狭い門&狭い道に入るときに、これは欠かせない、という知識がある。

 

 

 

でも、これは隠されている。

 

 

 

御国に入るための知識があり、ある人はそれをゲットして入る。でも、ある人はゲットせずに入らない。

 

 

 

必要な知識は、「奥義」とも言われている。そして、「叱責」を通して教えてくださる。

 

 

 

そして、神の叱責に耳を傾ける人は得る。

 

 

 

エレミヤ牧師の証:失敗を通して、色々と学んだ。奉仕を通して失敗し、恥を見て、知識を得た。

 

 

 

必要なことに神はムチ打ちをして、訓戒をする。

 

 

 

でも、聞く耳の無い人は知識を得ずに、永遠の命をミスしてしまう可能性がある。

 

 

 

12:2 善人は主から恵みをいただき、悪をたくらむ者は罰を受ける。

 

 

 

恵みを受けるクリスチャンと、そうではないクリスチャンがいる。

 

 

 

主にあって、正しい歩みをしていくなら、恵みを受ける。

 

 

 

しかし、違う方向&別の計画だと、問題やトラブルが起きる。

 

 

 

12:3 人は悪をもって身を堅く立てることはできず、正しい人の根はゆるがない。

 

 

 

クリスチャンであっても根本が御心とズレていると、個人の信仰&教会は破壊されてしまう。

 

 

 

正しいみことばをもとに歩むときに、揺るぐことは無い。

 

 

 

レムナントキリスト教会は、根本的な教理&歩みに揺るぎは無い。

 

 

 

12:4 しっかりした妻は夫の冠。恥をもたらす妻は、夫の骨の中の腐れのようだ。

 

 

 

「妻」とは、第一義的には、家庭の奥さんのことを言っている。

 

 

 

でも、「妻」は「教会」を指すたとえでもある。パウロが、「それゆえ、人はその父と母を離れ、妻と結ばれ、ふたりは一心同体となる。この奥義は偉大です。私は、キリストと教会とをさして言っているのです。」(エペソ人への手紙5章31,32節)と言われている通り。

 

 

 

そして、ここでは、キリストの栄光や誉れをあらわす教会と、恥をかかせる教会がある、ということを言われている。

 

 

 

恥をかかせる教会とは、仏教徒にも救いがある、という風なことを教える教会。

 

 

 

12:5 正しい人の計画することは公正で、悪者の指導には欺きがある。

 

 

 

指導(KJV訳):カウンセル

 

 

 

教会の中で、正しい方向へ行く教会がある一方で、あざむきの教会がある。

 

 

 

働き人次第で、別の方向へ行き、入るべき所に入らない教会がある。

 

 

 

あざむきのカウンセリングがある。Ex:律法学者、パリサイ人

 

 

 

ゆえに、相手を見て、カウンセリングを受ける。

 

 

 

12:6 悪者のことばは血に飢えている。しかし正しい者の口は彼らを救い出す。

 

 

 

「血」は、霊的なことのたとえ。

 

 

 

惑わしを入れるメッセージがある。

 

 

 

でも、惑わしに入った人を救い出すメッセージもある。

 

 

 

奉仕者を選びなさい!というのが、本日の結論。

 

 

 

12:7 悪者はくつがえされて、いなくなる。しかし正しい者の家は立ち続ける。

 

 

 

このことは、その通り。

 

 

 

働き人の中でも、「悪者」と呼ばれる類いの人がいる。

 

 

 

このような類いの奉仕者、すなわち、神の前に、「悪者」という歩みをしている人は、ひっくり返されて消え去る。

 

 

 

でも、正しく御心を行っていくなら、立ち続けていく。

 

 

 

レムナントキリスト教会は、主の前に立ち続けている。

 

 

 

12:8 人はその思慮深さによってほめられ、心のねじけた者はさげすまれる。

 

 

 

思慮深さ(KJV訳):知恵

 

 

 

私たちが聖霊の知恵を求めるような歩みをしていくときに、人々から誉められる。

 

 

 

でも、捻じ曲がった奉仕者は、蔑まされる。Ex:地獄は無い、と語るメッセンジャー

 

 

 

エレミヤ牧師の証:先日、ある人から奉仕のことで誉められた。

 

 

 

12:9 身分の低い人で職を持っている者は、高ぶっている人で食に乏しい者にまさる。

 

 

 

(KJV訳):しもべ

 

 

 

教会において、主のしもべを求めていくことにポイントがある。

 

 

 

主のしもべとして、一日5分でも奉仕をしていくことが大事。

 

 

 

12:10 正しい者は、自分の家畜のいのちに気を配る。悪者のあわれみは、残忍である。

 

 

 

「自分の家畜のいのちに気を配る。」と書かれているように・・・教会に属する信者のことを、気を付けることは大事。

 

 

 

エレミヤ牧師の証:「わたしの羊を飼いなさい」というみことばを気にかけて、成長クラスを実行した。また、音声礼拝メッセージをすべての人が聴けるように、公開するようにした。

 

 

 

12:11 自分の畑を耕す者は食糧に飽き足り、むなしいものを追い求める者は思慮に欠ける。

 

 

 

「畑」は、教会に連なるクリスチャンの人々のこと。

 

 

 

牧会的な事柄に意を用いることにポイントがあることを、ここでも言われている。

 

 

 

でも、「むなしいものを追い求める者は思慮に欠ける。」と書かれているように、関係無い方向に用いるのは良くない。

 

 

 

エレミヤ牧師の証:レムナントキリスト教会は、そのように実践している。日曜日は、ノンクリスチャン向けへの音声も含めて3回メッセージをしている。その他、メールマガジンを発行したり、成長クラスを行ったりしている。そうしていくときに・・・「食糧」(みことばのパン)に飽き足りる。

 

 

 

12:12 悪者は、悪の網を張るのを好み、正しい者の根は、芽を出す。

 

 

 

「網」は、教会や牧会に関すること。

 

 

 

そして、「悪の網」に捕らえられると滅んでしまう。Ex:地獄は無い

 

 

 

芽を出すKJV訳):実を結び

 

 

 

滅びに行ってしまう働き人もいる一方で、実を結ばせる働き人もいる。

 

 

 

ポイント:奉仕者を選びなさい!と言っている。

 

 

 

12:13 悪人はくちびるでそむきの罪を犯して、わなにかかる。しかし正しい者は苦しみを免れる。

 

 

 

「悪人」とは、働き人のことを言っている。

 

 

 

教会の働き人の中で、あざむきを語る人がいる。Ex:艱難前携挙説

 

 

 

そして、「わな」にかかってしまう。

 

 

 

レムナントキリスト教会は、主の憐れみで、何とか正しいことを語っている。ゆえに災いから免れている。

 

 

 

12:14 人はその口の実によって良いものに満ち足りる。人の手の働きはその人に報いを与える。

 

 

 

このことも、働き人に関連しての事柄。

 

 

 

働き人は、正しい口の実で、正しくみことばを語っていくなら、良いものに満ち足りていく。

 

 

 

そして、良い報いを神さま&人から受けるようになる。

 

 

 

メッセージも行い、そして働きによって、報いを得る。

 

 

 

偽りを語るときに、ゲヘナへ行く。Ex:パリサイ人、律法学者

 

 

 

良いことには良い報いを、悪いことに悪い報いを・・・それぞれのことに報いを受けるので、気を付ける。

 

 

 

12:15 愚か者は自分の道を正しいと思う。しかし知恵のある者は忠告を聞き入れる。

 

 

 

クリスチャンでも、明らかに神の前に間違えている人がいる。たとえば、艱難前携挙説やクリスチャンは皆、天国等と、語る人。

 

 

 

でも、正しいと思っている。しかし、聖書的に間違えている。

 

 

 

しかし、知恵のある人は、忠告(聖霊のカウンセル)を聞き入れる。

 

 

 

神は間違えているときに、忠告を与えてくださり、教えてくださる。

 

 

 

そして、忠告を聞き入れていくときに、真理が見えてくる。

 

 

 

聖霊の声に聞き従っていくときに、正しいことが見える。

 

 

 

ゆえに頑なにならずに、耳を傾ける。そうするなら、正しい方向に入る。

 

 

 

12:16 愚か者は自分の怒りをすぐ現わす。利口な者ははずかしめを受けても黙っている。

 

 

 

腹が立つことがあっても、すぐに怒ってはダメ。

 

 

 

神が対応してくださることを信じる。

 

 

 

パウロも、「神の怒りに任せなさい!」という風に勧めている。

 

 

 

イエスさまも辱めを受けたけれども、黙っていた。すべて神に委ねた。その後、イエスさまを死罪にして、さいごまで悔い改めなかった人々に神の怒りが下った。

 

 

 

12:17 真実の申し立てをする人は正しいことを告げ、偽りの証人は欺き事を告げる。

 

 

 

真実の申し立てをする人は正しいことを告げ(KJV訳):真理を語る奉仕者は義を語る

 

 

 

真理を語ったり、見るときに、神のさばきのことも語るようになる。

 

 

 

真理を求めていくときに、どうしても義に至る。

 

 

 

そして、偽りの証人は欺き事を語る。Ex:艱難前携挙説

 

 

 

12:18 軽率に話して人を剣で刺すような者がいる。しかし知恵のある人の舌は人をいやす。

 

 

 

ここも、働き人に関してのことを言われている。

 

 

 

「剣」は、みことばのこと。そして、「剣」で刺されたら、死んでしまう。

 

 

 

働き人によって、命を失うことがある。Ex:地獄は無いとか、聖書に誤りがある、という教え。

 

 

 

そういう働き人に気を付ける。

 

 

 

しかし、対照的な働き人もいる。メッセージを聞いているだけで、癒されたり、強められたりする働き人もいる。

 

 

 

12:19 真実のくちびるはいつまでも堅く立つ。偽りの舌はまばたきの間だけ。

 

 

 

真実のくちびるはいつまでも立つ。(KJV訳):真理のくちびるは永遠に立つ。

 

 

 

でも、偽りのくちびるは、まばたきの間だけ。→永遠の命に至らない。この世の生涯だけ。

 

 

 

これも奉仕者のこと。

 

 

 

永遠の命に至るメッセンジャーと、そうでないメッセンジャーがいる。

 

 

 

ゆえに、メッセンジャーは選ぶべき。

 

 

 

12:20 悪をたくらむ者の心には欺きがあり、平和を図る人には喜びがある。

 

 

 

キリストの時に、蛇とかまむしと呼ばれる働き人がいた。そして、今もそう。

 

 

 

今も、悪を企む人がいる。あざむきがあり、みことばを曲げる。

 

 

 

聖霊に触れていくメッセージにポイントがある。

 

 

 

12:21 正しい者は何の災害にも会わない。悪者はわざわいで満たされる。

 

 

 

働き人、個々のクリスチャンにおいてもそう。

 

 

 

正しくみことばに立っていくなら、災いに会わない。

 

 

 

しかし、正しく歩まないときに、今日も明日も災いに、ということになってしまう。

 

 

 

もし、災いに満ちているかな?と思ったら・・・悪者になっていないか?ということを点検して、悔い改めるべきところがあれば、悔い改めていく。

 

 

 

12:22 偽りのくちびるは主に忌みきらわれる。真実を行なう者は主に喜ばれる。

 

 

 

いくら耳障りに良くても、偽りの教理を語る時に、主に忌み嫌われる。

 

 

 

「くちびる」は、メッセンジャーに関することば。

 

 

 

しかし、真実を行う人は、喜ばれる。

 

 

 

12:23 利口な者は知識を隠し、愚かな者は自分の愚かさを言いふらす。

 

 

 

知識を隠す、という類いの事柄がある。

 

 

 

神が知識。

 

 

 

「愚か者」とは、メッセンジャーのこと。的外れなことばかり語るメッセンジャーがいる。Ex:艱難前携挙説

 

 

 

12:24 勤勉な者の手は支配する。無精者は苦役に服する。

 

 

 

これも働き人のこと。

 

 

 

勤勉な働き人は、支配する。Ex:12弟子。ミナを儲けた働き人。

 

 

 

今の働き次第で、後の世において結論が大いに変わる。

 

 

 

エレミヤ牧師の証:主の働きを一生懸命行っている。働きに時間を割いて、天に宝を積んでいる。

 

 

 

勤勉にポイントがある。無精はNG。

 

 

 

12:25 心に不安のある人は沈み、親切なことばは人を喜ばす。

 

 

 

 

 

 

12:26 正しい者はその友を探り出し、悪者の道は彼らを迷わせる。

 

 

 

正しい者はその友を探り出し、KJV訳):義なる人は、隣人を良くする。

 

 

 

でも、悪者の道(違ったことを語る奉仕者)があり、それは天の御国に入らない。

 

 

 

ゆえに奉仕者は、皆、吟味する。

 

 

 

12:27 無精者は獲物を捕えない。しかし勤勉な人は多くの尊い人を捕える。

 

 

 

無精者KJV訳):偽り者

 

 

 

伝道とか、人の魂をとらえる働きについてのことを言われている。

 

 

 

「偽り者」とは、インチキを語る人のこと。Ex:キリストは復活していない。

 

 

 

偽りの教理では、人をとらえることは出来ない。

 

 

 

人をとらえるなら、偽りの教理から離れることが大事。

 

 

 

ゆえに、勤勉に奉仕をしていく。

 

 

 

エレミヤ牧師の証:さらに奉仕を増やして、人をとらえていく。

 

 

 

主の前に、忠実に、なすべきことを行っていく。

 

 

 

12:28 正義の道にはいのちがある。その道筋には死がない。

 

 

 

正しい人の道は、「永遠の命」に通じる。

 

 

 

ゆえに真理を求めて歩んでいきたい。

 

 

 

本日のポイント:教会の働き人は、色々といるので、選びなさい!と言っている。