詩篇17篇 2013.7.28



 



17:1 主よ。聞いてください、正しい訴えを。耳に留めてください、私の叫びを。耳に入れてください、欺きのくちびるからでない私の祈りを。



17:2 私のためのさばきが御前から出て、公正に御目が注がれますように。



17:3 あなたは私の心を調べ、夜、私を問いただされました。あなたは私をためされましたが、何も見つけ出されません。私は、口のあやまちをしまいと心がけました。



ダビデはサウルに攻撃されて神の前に訴えを出した、そしてその祈りは聞かれた



色々と大変なところを通っても、主の前に訴えを出す



しかし、そこで私たち自身に罪があるとダメ



でも、私たちが正しい場合、主は正しく裁いてくださる



ダビデは何も落ち度が無かったので守られた



理不尽なことが多くても、主の前に必要に応じて祈り求めていきたい



 



17:4 人としての行ないについては、あなたのくちびるのことばによりました。私は無法な者の道を避けました。



この世において、どのように行動したら良いか?→主のくちびるのことばによる



参照 マタイ4:4



4:4 イエスは答えて言われた。「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる。』と書いてある。」



口からの神のことば



①パンも、もちろん大事→「パン」は書かれた聖書のことば、しかし人は聖書のみで生きるわけではない



②神の口から出る一つ一つのことばによって生きる→書かれたことばは誰に対しても総括的、しかし神のことばは個々の人に対して主がことばをくださる、それによって生きる



たしかに聖書は読むべき、しかし個々のケースにおいて一つ一つ神に聞いていく



神の口から出る一つ一つのことばに通じる→あなたのくちびるのことばによりました



このように書かれている以上、聖書だけでは個々の問題に対応できるかどうかは分からない



このことを信じる人には実現する→神のことばを求めていく人には与えられる



書かれている聖書のことばを読み、信じる、しかし一つ一つの問題の微妙な事柄についてきちんと聞いていく



必要に応じて個々の問題について神は語られる



 



17:5 私の歩みは、あなたの道を堅く守り、私の足はよろけませんでした。



よろけませんでした(KJV):他へ踏み出したり、出ては行かなかった



主が語られた一本の道があるので、それを求め目指していきたい



たとえばマラソンでもコースを間違えたら栄冠は得られない



それと同じく、神様が正しく歩む道を示しているのでそこを歩んでいきたい



Ex:レムナントの警告の働き:出版、外国圏への道、ニュースレター



よろけたり、ズレたりしたらダメ、ひょこひょこ道が変わったらダメ



道を堅く守り、行っていくことにポイントがある



 



17:6 神よ。私はあなたを呼び求めました。あなたは私に答えてくださるからです。耳を傾けて、私の申し上げることを聞いてください。



17:7 あなたの奇しい恵みをお示しください。立ち向かう者から身を避けて右の手に来る者を救う方。



17:8 私を、ひとみのように見守り、御翼の陰に私をかくまってください。



17:9 私を襲う悪者から。私を取り巻く貪欲な敵から。



17:10 彼らは、鈍い心を堅く閉ざし、その口をもって高慢に語ります。



17:11 彼らは、あとをつけて来て、今、私たちを取り囲みました。彼らは目をすえて、私たちを地に投げ倒そうとしています。



色々とこんな風に敵がいる



 



17:12 彼は、あたかも、引き裂こうとねらっている獅子、待ち伏せしている若い獅子のようです。



獅子→サタンに通じる



参照 Ⅰペテロ5:8



5:8 身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたけるししのように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。



クリスチャンの信仰の歩みは敵や害する人がいない道ではない、獅子がいたり猛禽がやってきたりする歩み



待ち伏せ→1km先にも獅子がいる



いきなり来るから分からない



サタンは思いもかけないところで待ち伏せしていて、食い尽くそうとしている



思いがけない方法で引っ張っていく



サタンの方法がある、色々な方法がある



待ち伏せして、引き裂こうとしている



命の道があったら、引き裂こうとする



実際にはサタンがそういう思いを入れてきているにもかかわらず、それぞれの人は正しい思いが与えられていると勘違いして、命の道と関係無くなってしまう場合がある→サタンの方法、そしてサタンは人よりも知恵がある、ゆえにコロッと騙される



待ち伏せして、命の道に入らせないように色々と画策している



Ex:ユダ→サタンが命へと引き裂く画策があり、まんまと乗せられた、しかし自分の意志で裏切った



サタンがそそのかした、しかしユダが実行しているのも事実



クリスチャン命の道に入ってもサタンはあきらめず、ゴールしていても、そこから引きずり降ろす、サタンはしつこい、ゆえに安全ではない!



 



17:13 主よ。立ち上がってください。彼に立ち向かい、彼を打ちのめしてください。あなたの剣で、悪者から私のたましいを助け出してください。



17:14 主よ。人々から、あなたの御手で。相続分がこの世のいのちであるこの世の人々から。彼らの腹は、あなたの宝で満たされ、彼らは、子どもらに満ち足り、その豊かさを、その幼子らに残します。



この世の人々はダビデを迫害した



ダビデのように歩んでいくときに、同じ目に会う



赤いもの(エサウ)の問題→永遠の命を受け継ぐ権利を失う



この世の人は永遠の命を相続しない、ゆえにこの世の人がこの世のことに一生懸命になっても不思議ではない



どんなに素晴らしかったり、賞賛を受けたり、誉められたりしても、所詮この世のこと



そしてこの世の人は、この世の命のみなので、この世で終わり



しかし、クリスチャンは違う



ゆえにこの世についてはいけない



今の時代、パッとしなかったり、ハンディがあっても、この世で終わりではなく、後の世があるので気にしない



後の世で受けるべきものを受けることを覚える



しかし、問題は、「命に至る門は小さく、道は狭い」こと



ゆえにクリスチャンになってせっかくのものを失う人がいる



この世のことばかりに焦点を置き過ぎず、得るべきものを得ていきたい



門は小さく、道は狭い、しかし求めて叩くなら開かれる



参照 マタイ7:7



7:7 求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。



多くの人は求めないから開かれない



しかし御言葉は真実なので門を叩くなら開かれる



門を叩かないなら開かれない



たとえ門は小さく、道は狭くても、叩くなら開かれる



このラインに沿っていくときに、いずれパウロのように、「私は勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。今からは、義の栄冠が私のために用意されているだけです。かの日には、正しい審判者である主が、それを私に授けてくださるのです。私だけでなく、主の現われを慕っている者には、だれにでも授けてくださるのです。」と言うようになる



ゆえにこの世の人の歩みに連なってはダメ、この世の人が気にしているのはこの世の寿命のことだけ、しかしどんなに長生きしてもいずれ死ぬので、永遠の命を得るのにポイントがある



 



17:15 しかし、私は、正しい訴えで、御顔を仰ぎ見、目ざめるとき、あなたの御姿に満ち足りるでしょう。



正しいことを語り、求めとていくときに、主から正しい答えが与えられるので、道を外さずに歩んでいきたい