詩篇22篇 2013.9.1

 

22:1 わが神、わが神。どうして、私をお見捨てになったのですか。遠く離れて私をお救いにならないのですか。私のうめきのことばにも。

22:2 わが神。昼、私は呼びます。しかし、あなたはお答えになりません。夜も、私は黙っていられません。

主が十字架に付けられる預言

どうして主は十字架に付けられて亡くなったのか?→神の深い配慮の中でキリストの十字架の死が遂げられた

参照 イザヤ53:13

53:1 私たちの聞いたことを、だれが信じたか。主の御腕は、だれに現われたのか。

53:2 彼は主の前に若枝のように芽生え、砂漠の地から出る根のように育った。彼には、私たちが見とれるような姿もなく、輝きもなく、私たちが慕うような見ばえもない。

53:3 彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で病を知っていた。人が顔をそむけるほどさげすまれ、私たちも彼を尊ばなかった。

53:7 彼は痛めつけられた。彼は苦しんだが、口を開かない。ほふり場に引かれて行く小羊のように、毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、彼は口を開かない。

53:8 しいたげと、さばきによって、彼は取り去られた。彼の時代の者で、だれが思ったことだろう。彼がわたしの民のそむきの罪のために打たれ、生ける者の地から絶たれたことを。

53:9 彼の墓は悪者どもとともに設けられ、彼は富む者とともに葬られた。彼は暴虐を行なわず、その口に欺きはなかったが。

53:10 しかし、彼を砕いて、痛めることは主のみこころであった。もし彼が、自分のいのちを罪過のためのいけにえとするなら、彼は末長く、子孫を見ることができ、主のみこころは彼によって成し遂げられる。

これは主の一面を語っている

主が十字架に付けられた時のことを語っているのでは?

往々にして1,2節のようなことがある

主の働きを任される人は2節のようなことがある

世の中と神様の働きは違う

2節のような人に往々にして神のわざがあらわされる

主も誤解された

,5節:キリストが病を担った、ゆえに病の癒しがある

羊が犠牲になり、血を流した→救いへつながった

私たちの救いはきれいごとではない→神の深刻な問題

血を流して犠牲になった、それを信じる→罪が赦される

我々の救いのために一人の人が犠牲になった

みことばに「人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません。」とある、友はキリストのこと、キリストが私たちに対してそうしてくださったので、私たちも同じようにすることにポイントがある

7節:主は弁解しなかった

  たとえ私たちが主に従って非難を受けても、正しく裁く方に任せる

8節:理解されない→聖書的

  イエス様ですら誤解されたまま命を失った

私たちもそれに準じる、そして主の時に誉れを受ける

9節:死んだあとも評判は最悪

評判は挽回できない

10節:キリストは苦難を受けた、しかし神の御心だった

    末長く(KJV):自分の日を長くする→永遠の命を獲得する

    神の深淵の計画の中で主は命を失った

    でも、人はなかなかそれが納得できない

    しかし、神には必要だった

    ゆえに万一殉教するとしても心配は無い

    この原則は私たちも同じ

    どこかで犠牲を払っていくときに実を見たり、永遠の命を得る

    自分を捧げていくときに子孫を見、自分自身の命を得る

 

22:3 けれども、あなたは聖であられ、イスラエルの賛美を住まいとしておられます。

22:4 私たちの先祖は、あなたに信頼しました。彼らは信頼し、あなたは彼らを助け出されました。

22:5 彼らはあなたに叫び、彼らは助け出されました。彼らはあなたに信頼し、彼らは恥を見ませんでした。

こういう原則を見ていく

 

22:6 しかし、私は虫けらです。人間ではありません。人のそしり、民のさげすみです。

22:7 私を見る者はみな、私をあざけります。彼らは口をとがらせ、頭を振ります。

22:8 「主に身を任せよ。彼が助け出したらよい。彼に救い出させよ。彼のお気に入りなのだから。」

主も似たような扱いを受けた Ex:ローマ兵に頭を叩かれた

苦難を経て神の国に入る、なぜか?→裏にはサタンがいるから

イエス様が捕まったのもサタンの思惑、何がなんでも天の御国に入らせない

私たちの弱点を敵はついてくる、嫌味を言って気落ちさせる

 

22:9 しかし、あなたは私を母の胎から取り出した方。母の乳房に拠り頼ませた方。

22:10 生まれる前から、私はあなたに、ゆだねられました。母の胎内にいた時から、あなたは私の神です。

22:11 どうか、遠く離れないでください。苦しみが近づいており、助ける者がいないのです。

22:12 数多い雄牛が、私を取り囲み、バシャンの強いものが、私を囲みました。

22:13 彼らは私に向かって、その口を開きました。引き裂き、ほえたける獅子のように。

22:14 私は、水のように注ぎ出され、私の骨々はみな、はずれました。私の心は、ろうのようになり、私の内で溶けました。

22:15 私の力は、土器のかけらのように、かわききり、私の舌は、上あごにくっついています。あなたは私を死のちりの上に置かれます。

22:16 犬どもが私を取り巻き、悪者どもの群れが、私を取り巻き、私の手足を引き裂きました。

22:17 私は、私の骨を、みな数えることができます。彼らは私をながめ、私を見ています。

22:18 彼らは私の着物を互いに分け合い、私の一つの着物を、くじ引きにします。

こういう極端なところを通るかもしれない

その中にあっても主を模範として歩みをしていきたい

 

22:19 主よ。あなたは、遠く離れないでください。私の力よ、急いで私を助けてください。

22:20 私のたましいを、剣から救い出してください。私のいのちを、犬の手から。

22:21 私を救ってください。獅子の口から、野牛の角から。あなたは私に答えてくださいます。

22:22 私は、御名を私の兄弟たちに語り告げ、会衆の中で、あなたを賛美しましょう。

参照 へブル人への手紙2:11.12

2:11 聖とする方も、聖とされる者たちも、すべて元は一つです。それで、主は彼らを兄弟と呼ぶことを恥としないで、こう言われます。

2:12 「わたしは御名を、わたしの兄弟たちに告げよう。教会の中で、わたしはあなたを賛美しよう。」

神の名前は神の性質をあらわす

神は色々な名前を持っていて性質をそれぞれあらわす

Ex:神はアルファであり、オメガである→今あること、かつてあったこと、そして未来もすべて御存知

聖書は未来を語っているので、主が語られている範囲で語る

 

22:23 主を恐れる人々よ。主を賛美せよ。ヤコブのすべてのすえよ。主をあがめよ。イスラエルのすべてのすえよ。主の前におののけ。

22:24 まことに、主は悩む者の悩みをさげすむことなく、いとうことなく、御顔を隠されもしなかった。むしろ、彼が助けを叫び求めたとき、聞いてくださった。

本当に心から助けを叫ぶ時、主は助けてくださり、聞いてくださる

求めない人は答えが与えられない、真剣に求めていく人にポイントがある

 

22:25 大会衆の中での私の賛美はあなたから出たものです。私は主を恐れる人々の前で私の誓いを果たします。

22:26 悩む者は、食べて、満ち足り、主を尋ね求める人々は、主を賛美しましょう。あなたがたの心が、いつまでも生きるように。

求めていく人は与えられる

 

22:27 地の果て果てもみな、思い起こし、主に帰って来るでしょう。また、国々の民もみな、あなたの御前で伏し拝みましょう。

22:28 まことに、王権は主のもの。主は、国々を統べ治めておられる。

22:29 地の裕福な者もみな、食べて、伏し拝み、ちりに下る者もみな、主の御前に、ひれ伏す。おのれのいのちを保つことのできない人も。

22:30 子孫たちも主に仕え、主のことが、次の世代に語り告げられよう。

22:31 彼らは来て、主のなされた義を、生まれてくる民に告げ知らせよう。

このことばを信じる

クリスチャンは神の国の住民

神の国は神が治める

すべてのことは主が治め、管理している

すべて神が目を注がれている

神は小さなことを皆見ている、すべては主の管理のもとにいる

良いことをしてたとえ人に誉められなくても、主の時に報いが来る

良いものも悪いものも、いずれ報いが来る