詩篇26篇 2013.9.29

 

26:1 私を弁護してください。主よ。私が誠実に歩み、よろめくことなく、主に信頼したことを。

26:2 主よ。私を調べ、私を試みてください。私の思いと私の心をためしてください。

試み:テスト

クリスチャン生活を経ていくと、ダビデの言っていることが分かってくる

主が私たちの本当の有様をテストする→益になる

自分の本当の心を知らないということがある

しかしテストを経て間違えているところは直していく

テストが無いときに、あるいは避けていくときに大きな間違えをしてしまい、最悪永遠の命をミスしてしまう

テストは過酷

問題があった場合、改善しないとダメ

実際に試験をしないと本当のところが分からない

試験をして実力がわかる

試験をしないと本当の有様がわからない

試験を経て、なおかつ問題がない、改善したというのが良い

私たちの心の思いを調べて試験する→悪い所は直せば良い

神によって試されて、本当の有様が見えるのは感謝

神の試験を受けなかった人は大事な時にずっこけてしまう

試験は神様の愛情

神の恵みによって試験によって本当のところが分かる

 

26:3 あなたの恵みが私の目の前にあり、私はあなたの真理のうちを歩み続けました。

26:4 私は、不信実な人とともにすわらず、偽善者とともに行きません。

ダビデは心理のうちを歩んだ

真理の道を歩み続けたというのは一度だけでなくずっと、そしてそれは恵み

真理の道を歩み続けるのが大事

主の恵みがある時に真理の道を歩み続ける

どれもこれ真理の道を歩むのは特別な恵みがないとできない

真理の道を歩むのは結構難しい、結構間違えが多いから

結構間違えるのが現実

しかし主が憐れんでくださり、特別な恵みを与えてくださるなら、常に真理を歩み続けることができる

神の恵みが私たち目の前にあるときに、真理の道を歩み続ける

この真理もあの真理も主の前にパスする

 

26:5 私は、悪を行なう者の集まりを憎み、悪者とともにすわりません。

共に座らない=交わりを持たない

基本的には交わりのこと

集まり=教会

人の義理で出席し続けていくと、おかしな信仰になっていく→影響を及ぼす

Ex:ホーリネス、カトリック→よくよく気をつける、自分の身に跳ね返ってくる

 

26:6 主よ。私は手を洗ってきよくし、あなたの祭壇の回りを歩きましょう。

26:7 感謝の声を聞こえさせ、あなたの奇しいみわざを余すことなく、語り告げましょう。

26:8 主よ。私は、あなたのおられる家と、あなたの栄光の住まう所を愛します。

(教会)によっては主が臨在しているし、そうでない教会がある

教会を選べと言っている

主の栄光が住まう教会が良い

 

26:9 どうか私のたましいを罪人とともに、また、私のいのちを血を流す人々とともに、取り集めないでください。

26:10 彼らの両手には放らつがあり、彼らの右の手はわいろで満ちています。

神によって罪人がまとめて集められる時がある Ex:麦と毒麦

変な霊の集会に行っていたら、同じような者と見なされてしまう可能性がある

 

26:11 しかし、私は、誠実に歩みます。どうか私を贖い出し、私をあわれんでください。

26:12 私の足は平らな所に立っています。私は、数々の集まりの中で、主をほめたたえましょう。

平らなところに立っている→大事なこと

足場がよくないと落っこちてしまう、倒れてしまう

主の恵みの中で足場がよいところで歩めるように求めていきたい

平らなところを教会は用意したい

平らなところなら、そうそう倒れない、ひっくり返ったり、つまずいたりしない