詩篇46篇 2014.2.16
46:1 神はわれらの避け所、また力。苦しむとき、そこにある助け。
46:2 それゆえ、われらは恐れない。たとい、地は変わり山々が海のまなかに移ろうとも。
聖書のあらゆることに関連してたとえや奥義について理解しないとチンプンカンプンで霊において理解できない
この世の富士山やエベレスト山等の「山」は、たしかに基本的には移らない
しかし、たとえの理解として「山が移る」ということが語られている
これに関連してたとえや奥義を語っているので、たとえを理解しないと意味が分からない
旧約聖書&新約聖書にあらゆるたとえの意味合いがある
そして主が言われたように、御国の奥義について区分がある
多くの人は奥義や大事なことを見ていない
レムナントは奥義において主から召されているので解き明かしていきたい
46篇の1つの主題は「山が移動する」こと
「山」に大変化が起きてくるという記述
参照 ヨハネの黙示録8:8
8:8 第二の御使いがラッパを吹き鳴らした。すると、火の燃えている大きな山のようなものが、海に投げ込まれた。そして海の三分の一が血となった。
黙示録8章も、「山が動く」という説明
そして黙示録の中では、普通にないことが書かれている
さて、「山が移る」ということに関連しての事柄を見たい
ちなみに「山」は「教会」のたとえ
終末、「動くはずがないものが動く」ということについてさらに黙示録は語っている
参照 ヨハネの黙示録6:14
6:14 天は、巻き物が巻かれるように消えてなくなり、すべての山や島がその場所から移された。
世の終わりの1つの特徴→動くはずのないものが動く
「山」には沢山の「木」が生えている、「木」は「オリーブ(聖霊の油)の木」ということから「クリスチャン」のたとえであることが理解できる、ゆえに「山」は教会のたとえだということが分かる
一般的に「山」は滅多に動かない
しかし聖書では「動く」と言っている
本来、「教会」は不変であり、神の唯一の真理が語られていて、真理に堅くとどまっているはずなのに、霊の惑わしの中で教会は動いてしまう、別のところに動く
世の終わりの異常な現象について黙示録は語っている
聖書的な意味合いでみことばを読み、悟ることが大事
イエスさまの時にこのこと(山が動くこと)は成就した
律法学者、パリサイ人をはじめ、会堂(教会)や神の民が別のところに移されていた
しかし大体の場合は「自分は動いていない、あんたが変わったんだ!」と言う
律法学者たちもそうだった、そしてイエスを異端視し、十字架に付けて殺した
動くはずのない教えや会衆が動き、災いに入った
世の終わり、富士山や八ヶ岳だけを見てはダメ!!
変わるはず、移るはずのない教会が動く
霊的な惑わしをもとに動いている
Ex:カトリックはあらゆる変な霊にやられている→マリヤ崇拝、地獄は無い等
ローマ・カトリックはかつてのクリスチャンが言っていたことと別のことを言っている
Ex:ヒンズー教徒でも救われる
しかしカトリックだけでなく、プロテスタントも同様
Ex:同性愛の牧師がいる
以上のように、いずれも教会は動いている
神は無意味にこのことを書いていない
「この天地は滅び去ります。しかし、わたしのことばは決して滅びることがありません。」と言われているように、唯一の基点として神のことばに頼ることに御心がある
「山」(教会)であっても動く時には動く、そういう視点に立つなら、今起きていることが分かる、正しいことが見える
「教会が動く」ということについて、聖書のみことばの奥義は語っている
46:3 たとい、その水が立ち騒ぎ、あわだっても、その水かさが増して山々が揺れ動いても。セラ
「山々が揺れ動く」ことと、「水」が関係する
参照 ヨハネの黙示録8:8
8:8 第二の御使いがラッパを吹き鳴らした。すると、火の燃えている大きな山のようなものが、海に投げ込まれた。そして海の三分の一が血となった。
水:霊的な事柄のたとえ、教会が変動していくということを言われている
Ex:トロントの悪霊のリバイバル集会→正統なクリスチャンが悪霊のしるしを付けられている
教会に変な霊を呼び込むことによって根本的なことをはじめ、変質してきている
おかしな霊が教会に働いて導かれるがゆえに、正しい真理が見えなくなっている
Ex:艱難前携挙説は正しい→霊に惑わされている
熱心に教会に行っていても、変な霊に導かれるなら教会がおかしくなったり真理が見えなくなる
霊的に教会が動いてしまうということと大いに関係している
「火」も「海」も霊的なこと
教会の変質と霊的なことは密接に関係している
ペンテコステの人々は勘違いしている
教会はどんどん繁栄していくと言っている
そんな風に惑わしの霊によって教会は動く
しかし、とどまらなければダメ
46:4 川がある。その流れは、いと高き方の聖なる住まい、神の都を喜ばせる。
46:5 神はそのまなかにいまし、その都はゆるがない。神は夜明け前にこれを助けられる。
ここで一転して対照的なことが書かれている
川:聖霊の川
聖霊の水があるところは動かない
神がおられる都は動かない
教会はどんどん動く時代になっていくと黙示録は書いている、教理がおかしくなっている
しかし例外的にとどまる教会がある
レムナントも揺るがないところにとどまりたい
聖霊に導かれていくなら、他の教会の教理が変わっても、とどまり続けることができる
レムナントは聖霊の声を聞こうと、そしてとどまろうとし続けていく中で、揺るがなくみことばにとどまっている
レムナントはとどまり続けているということは見ておく
Ex:獣の国がアメリカ、エキュメニカルには賛成していない、艱難前携挙説は信じていない
聖霊にとどまる中で揺るがないものとなっている、これは希少価値とも言える
今の時代、聖霊の言うことにとどまらない教会が多い
46:6 国々は立ち騒ぎ、諸方の王国は揺らいだ。神が御声を発せられると、地は溶けた。
良くも悪くも地が揺らぐ時代に我々はいる
3.11の地震においても地は揺らいだが・・・しかし霊的にも地は揺らぐ
どんどん教会が変質してもびっくりしてはいけない Ex:同性愛容認
46:7 万軍の主はわれらとともにおられる。ヤコブの神はわれらのとりでである。セラ
この方にとどまるのが正しい
46:8 来て、主のみわざを見よ。主は地に荒廃をもたらされた。
46:9 主は地の果てまでも戦いをやめさせ、弓をへし折り、槍を断ち切り、戦車を火で焼かれた。
「地」はあまり良い意味で使われていない
参照 ヨハネの黙示録6:10
6:10 彼らは大声で叫んで言った。「聖なる、真実な主よ。いつまでさばきを行なわず、地に住む者に私たちの血の復讐をなさらないのですか。」
「地に住む者」は、英語では「定住する」という意味合いがある
地上に定住しなかったアブラハムやイサクやヤコブとは反対の立場
こういう人たちは揺らぐ
荒廃→「荒らすべき憎む者」と関連する
不従順な歩みをしている教会に、これから「荒廃」がもたらされる
クリスチャンの不従順に対するものもある
しかし教会に対しても、もたらされる
Ex:プロテスタントのクリスチャンの不従順のゆえに、これからカトリックのあらゆるおかしな霊、教理が入ってくる、しかも強制的に入ってくる
神が「荒廃」をもたらされて、教会は強制的に災いに入っていく
46:10 「やめよ。わたしこそ神であることを知れ。わたしは国々の間であがめられ、地の上であがめられる。」
46:11 万軍の主はわれらとともにおられる。ヤコブの神はわれらのとりでである。セラ
あらゆる災いもすべて書かれたようになる、ゆえに主を恐れる
すべて神の書かれた通りになる
動くはずのない山が動くというのが詩篇46篇の大きなテーマ
多くのクリスチャンの概念→正統派の教会は変わらない
しかし教会は動いて変質する
教会が別のもの、反キリストを拝むようになる
霊的な惑わしも強い
その中でも、とどまり続ける教会があるというのが、詩篇46篇のもう1つのポイント
聖霊に導かれるなら、右も左も変質していても正しくとどまる
レムナントキリスト教会
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