詩篇49篇 2014.3.9
49:1 すべての国々の民よ。これを聞け。世界に住むすべての者よ。耳を傾けよ。
49:2 低い者も、尊い者も、富む者も、貧しい者も、ともどもに。
とても大事なことを語っている
49:3 私の口は知恵を語り、私の心は英知を告げる。
49:4 私はたとえに耳を傾け、立琴に合わせて私のなぞを解き明かそう。
たとえやなぞについて
なぞも聖書の語る方法
なぞなので、簡単には分からない、しかし知恵のある人は理解する
たとえやなぞを神は用いるので、レムナントは惑わされることなく持っていたい
多くの教会は私的解釈はダメだと言って、がんじからめに教会が言っている解釈以外はダメだと言っている
しかしレムナントでは、たとえやなぞが示されることによって、キリスト教会をひっくり返すようなことが示された
主が示されたように読んでいくのが正しい
たとえやなぞに意を用いるようになると、色々と理解できる、特に終末のことやなぞが解かれていく
Ex:ダニエル書では終末の70週のことを言っている
70週×7=490日
英語:70の7という言い方をする
兄弟を赦すとき、7度を70倍にしなさいと言っている
ゆえに「70週」とは、罪を犯した兄弟を赦す限界のことを指す、神は無限に赦すとは言っていない、限度があると言っている
70週は限度、ここまでは主が我慢する、しかしそれを超えたら怒りがある、裁きがくる、神の怒りが爆発する
このことはなぞを解くと理解できる
聖書がそのように語っているから、なぞを理解しなければいけない
なぞを解くことにポイントがある
49:5 どうして私は、わざわいの日に、恐れなければならないのか。私を取り囲んで中傷する者の悪意を。
49:6 おのれの財産に信頼する者どもや、豊かな富を誇る者どもを。
わざわいの日:正しく行っているのに、非難されたり中傷されたりする
財産:持ち物だけでなく、自分の能力や人間的なものも言われている
5,6節では、そういうことを誇る人を恐れることはないと言っている
49:7 人は自分の兄弟をも買い戻すことはできない。自分の身のしろ金を神に払うことはできない。
人は(KJV):彼らは→その前の節に続いていることば
49:8 たましいの贖いしろは、高価であり、永久にあきらめなくてはならない。
49:9 人はとこしえまでも生きながらえるであろうか。墓を見ないであろうか。
たしかに私たちはこの地上にいるときに、そういう人たち(6節で言われている人)を間近に見る、しかし目に見えるものだけで判断してはいけないということが、ここで言われている真義
人間的なものでは、後の世を継ぐことはできない
身代金は高い Ex:一万タラントの借金のしもべ→私たちは皆、神の前にそれくらいの借金(罪)を背負っている
このあたりを考えに入れる
現時点だけを見てはダメ
後の世のことを考える
私たちは物語の前半しか見ていない、後半は見ていない
私たちが自力で返そうとしても返せない
そして、後の世において返せない
このことをきちんとしていかないときに、客観的に見られない、両面を考える
多くの人は前半しか見ていない、しかし後半も見ないとコケる
49:10 彼は見る。知恵のある者たちが死に、愚か者もまぬけ者もひとしく滅び、自分の財産を他人に残すのを。
たとえこの世で色々と貯めても、後の世には持っていけない
そのために時間を使っても、この世のものだけで、死んだら遺産になってしまう
ゆえにクリスチャンはバランスを考えなければいけない
たしかに生活していく上で金銭も必要、しかしこの世のことだけでなく、後の世のことも考える
49:11 彼らは、心の中で、彼らの家は永遠に続き、その住まいは代々にまで及ぶと思い、自分たちの土地に、自分たちの名をつける。
この世の人は、このように思っている
しかし、その人の寿命の間だけと考える
49:12 しかし人は、その栄華のうちにとどまれない。人は滅びうせる獣に等しい。
あくまでこの世に寿命がある間だけで、後の世に全く関係無い
この世のことで力を費やしても、後の世に続かない
49:13 これが愚か者どもの道、彼らに従い、彼らの言うことを受け入れる者どもの道である。セラ
この世の価値観や方法が続くという考えは愚かな道
そういった価値観は愚かだと、聖書は明言している
49:14 彼らは羊のようによみに定められ、死が彼らの羊飼いとなる。朝は、直ぐな者が彼らを支配する。彼らのかたちはなくなり、よみがその住む所となる。
49:15 しかし神は私のたましいをよみの手から買い戻される。神が私を受け入れてくださるからだ。セラ
彼らのかたちはなくなり、美しさは消える
たとえば容姿に関しても、一時的なもの
そして狭い道を歩んでいないなら、よみから買い戻される
多くの人は滅びに入る、しかし例外的にイエスによって救いの道を歩むなら買い戻される、地上にいる間、これをゲットする
49:16 恐れるな。人が富を得ても、その人の家の栄誉が増し加わっても。
49:17 人は、死ぬとき、何一つ持って行くことができず、その栄誉も彼に従って下っては行かないのだ。
クリスチャンでも往々にして、栄誉とかに恐れを持つことがある
あくまでこの世のことだけ、クリスチャンでも間違える、しかし後の世のことに徹底しなければいけない
聖書に従った価値観を持たなければいけない
後の世には何も持って行けない
たしかに生活するのに最低限のものは必要
でも、この世に固執し過ぎるのは的外れ、後の世のことに力を入れる
信仰の導き手であり完成者であるイエス・キリストを見上げ、主の歩みに学ぶ
キリストは神のことを最優先することにみごとに徹底し、後の世において栄誉を得た
たしかにはじめは一万人位の人がメッセージを聞きにイエスのところに集まった、しかし少しずつ弟子が減っていき、十二弟子しか残らず・・・しかも一人は裏切り、また、罵倒され、最後は有罪になり、死刑になった、そしてすべてを取られた(下着まで)
主はあらゆるものを失った、しかし主は得るべきものを得た、そしてそれは私たちの模範
イエスの歩みは1つの例
イエスがそうだったので、私たちも似たようなもの
ゆえに名声を得ることに目を留めると、どこかで足をすくわれる
すべて失うと考えるのが正しい
パウロもそうだった、有罪になり、命を失った、持ち物も人も失った、しかし得るべきものを得た、私たちもそれで良しとする
私たちもどこかで「しかりはしかり、否は否」としないと、コケてしまう
そのあたりは徹底したほうが良い
自分から捨てなくても、取られたら仕方がないと思う、そのように考える
49:18 彼が生きている間、自分を祝福できても、また、あなたが幸いな暮らしをしているために、人々があなたをほめたたえても。
49:19 あなたは、自分の先祖の世代に行き、彼らは決して光を見ないであろう。
この世で祝福があっても、それはそれ、光があっても真理を見ないということがある
49:20 人はその栄華の中にあっても、悟りがなければ、滅びうせる獣に等しい。
栄華があろうとなかろうと、生きている間に悟りを持たないとダメ
この世のものは滅んでしまう
多くの人は生きている間に後の世のことを理解しないので滅んでいってしまう(死後の備えをしないため)
しかし私たちは悟らないとダメ、そして得るべきものを得る
小さい門、狭い道を通る人は例外的、他の人の大半が後悔する
神のことばを真実とした人は、後の日に得るべきものを得る、ゆえに価値観を明確にする
クリスチャンでも結構この世の価値観で歩んでいる人がいる、しかし得るべきものを得る歩みをする
レムナントキリスト教会
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