詩篇54篇 2014.4.13

 

 

 

指揮者のために。弦楽器に合わせて。ダビデのマスキール。ジフの人たちが来て、「ダビデはわれらの所に隠れているではないか。」とサウルに言ったとき

 

これはどんな状況の時か?ジブ人とは?

 

参照 Ⅰサムエル記23:19,20

 

23:19 さて、ジフ人たちがギブアのサウルのところに上って来て言った。「ダビデは私たちのところに隠れているではありませんか。エシモンの南、ハキラの丘のホレシュにある要害に。

 

23:20 王さま。今、あなたが下って行こうとお思いでしたら、下って来てください。私たちは彼を王の手に渡します。」

 

ダビデがサウルに追いかけられたときのこと、そしてジフ人はサウルに言いつけている

 

ダビデの苦難は、主イエスの苦難、そしてそれは単にダビデやキリスト個人のことだけを言っているのではなく、艱難時代の型

 

ダビデがサウルに国中しつこく追いかけられたのは、世の終わりに正しいクリスチャンが迫害を受けたり、追いかけられたりするパターン

 

参照 ルカの福音書21:16,17

 

21:16 しかしあなたがたは、両親、兄弟、親族、友人たちにまで裏切られます。中には殺される者もあり、

 

21:17 わたしの名のために、みなの者に憎まれます。

 

艱難時代の描写

 

裏切られる→ジフの人がそう、言いつけた

 

主イエスも裏切られた

 

両親:牧師、牧師夫妻

 

兄弟:信仰の兄弟姉妹

 

教会の間にある裏切り

 

こういう日が終末に来る

 

終末の日について、聖書は極端なことを預言している

 

終末の日は、異常な日

 

イエスの名が憎まれるというとんでもない日

 

イエスをまもとに信じている人が迫害される大どんでん返しの日

 

その日への道備えが今、行われている

 

「原理主義者」は今、褒め言葉ではない

 

そのうちキリストの評判がひっくり返される

 

その日、びっくりしてはダメ

 

クリスチャンの中でも、裏切られることを心の隅に置いておく

 

イエスさまも、群衆をはじめ、裏切られた

 

でも、裏切る人ばかりではなく、12弟子のように、最後までキリストに従う人たちもいる

 

はじめは4千人、5千人という人がいたが、しかし最後の晩餐は12人だけ、ゆえに残る人は少数

 

クリスチャンの間に裏切りがある

 

結局残った人が「隅のかしら石」になる Ex:ペテロ、ヨハネ

 

弟子の歩みをしている人にポイントがある

 

 

 

54:1 神よ。御名によって、私をお救いください。あなたの権威によって、私を弁護してください。

 

艱難時代のこと

 

 

 

54:2 神よ。私の祈りを聞いてください。私の口のことばに、耳を傾けてください。

 

54:3 見知らぬ者たちが、私に立ち向かい、横暴な者たちが私のいのちを求めます。彼らは自分の前に神を置いていないからです。セラ

 

正しい人を非難する

 

非難する人たちは、自分たちは神に仕えていると思っている

 

参照 ヨハネの福音書16:2

 

16:2 人々はあなたがたを会堂から追放するでしょう。事実、あなたがたを殺す者がみな、そうすることで自分は神に奉仕しているのだと思う時が来ます。

 

「彼らは自分の前に神を置いていないからです」とあるように、自分の前に神を置いていないから、真理が見えない

 

真に神に従っているか?の試しが来る

 

ペテロはキリストを悟った、でも群衆は悟らなかった

 

私たちの歩みが名目かどうか、試される時が来る

 

今、神を目の前において歩む→艱難時代、助けになる

 

 

 

54:4 まことに、神は私を助ける方、主は私のいのちをささえる方です。

 

54:5 神は、私を待ち伏せている者どもにわざわいを報いられます。あなたの真実をもって、彼らを滅ぼしてください。

 

艱難時代を経る

 

艱難に会うけれど、助けられる(殉教もあるが・・・)

 

反キリストを拝んだり、正しい人を迫害したり、既存の教会にとどまる人は滅ぼされる

 

旧約のキリストを殺した民にも、決定的なさばきが来た、これは世の終わりにも再現する、そういう人は文字通り滅ぶ

 

参照 Ⅰテサロニケ人への手紙5:3

 

5:3 人々が「平和だ。安全だ。」と言っているそのようなときに、突如として滅びが彼らに襲いかかります。ちょうど妊婦に産みの苦しみが臨むようなもので、それをのがれることは決してできません。

 

正しく歩んでいれば、滅びがにわかに来ることはない

 

艱難時代の中でも、主の助けがある

 

 

 

54:6 私は、進んでささげるささげ物をもって、あなたにいけにえをささげます。主よ。いつくしみ深いあなたの御名に、感謝します。

 

神の前に、いけにえを捧げる

 

賛美のいけにえや歩みや奉仕を捧げていく

 

進んで捧げる捧げ物が大事、それが尊い

 

自分から進んで捧げないと、続かない

 

主は、私たちがやる気になるまで忍耐をもって、待っていてくださる

 

実践していく中で、真に栄光やわざを見る

 

働きをするには、弟子の歩みが必須

 

 

 

54:7 神は、すべての苦難から私を救い出し、私の目が私の敵をながめるようになったからです。

 

艱難時代の結論:すべての苦難から救い出される

 

参照 ルカの福音書21:35,36

 

21:35 その日は、全地の表に住むすべての人に臨むからです。

 

21:36 しかし、あなたがたは、やがて起ころうとしているこれらすべてのことからのがれ、人の子の前に立つことができるように、いつも油断せずに祈っていなさい。」

 

35節:すべてのクリスチャンは艱難に会う、ゆえに艱難前携挙説は無い

 

36節:やがて起ころうとしているこれらすべてのことからのがれ、人の子の前に立つことができるように、いつも油断せずに祈っていなさい(KJV):すべてのことから逃れるにふさわしいと認められるように祈りなさい

 

ある人は、神の前に忠実に歩んだので、これらの苦難から逃れ、困難に引っ掛からずに永遠の命を得る

 

しかしある人は、不従順のゆえに反キリストを拝んで、選り分けられてしまう

 

主がふさわしいと認めたら残る、しかし認められないなら消えていく

 

そして途中で消えていく人が多い

 

神さま次第なので、残れるように祈る

 

損得を考えずに従う人は残る

 

神が認めたら残る