詩篇65篇 2014.6.29

 

 

 

指揮者のために。ダビデの賛歌。歌

 

 

 

 

65:1 神よ。あなたの御前には静けさがあり、シオンには賛美があります。あなたに誓いが果たされますように。

 

あなたの御前には静けさがあり:どんな時でも「心の静けさ」や「平安」がある

 

シオンには賛美があります:神のわざに賛美を捧げる

 

あなたに誓いが果たされますように:「誓い」を神に果たす、それをきちんと果たすなら「祝福&恵み」を受ける

 

Ex:十分の一献金→きちんと行うなら守られる

 

「誓い」を守ったり、果たすのは「祝福の道」と言える

 

 

 

65:2 祈りを聞かれる方よ。みもとにすべての肉なる者が参ります。

 

神は、私たちの「祈り」を聞かれるお方、ゆえに祈りが聞かれることが「通常状態」と言える

 

 

 

65:3 咎が私を圧倒しています。しかし、あなたは、私たちのそむきの罪を赦してくださいます。

 

(KJV):不義

 

キリスト教会において、インチキや不正が私たちを圧倒していることが多い

 

 

 

65:4 幸いなことよ。あなたが選び、近寄せられた人、あなたの大庭に住むその人は。私たちは、あなたの家、あなたの聖なる宮の良いもので満ち足りるでしょう。

 

神によって選ばれない人は、神に近づくことができない

 

神によって選ばれて近寄せられる人は幸い&恵み、ゆえにそこに「力」を入れる

 

神に選ばれない人がいる、でも神に近寄せられると色々と教えてもらえる、密かに語っていただける

 

Ex1:マタイの福音書24章→ほんの少数の弟子たちに密かに語られた

 

Ex2:戦争と戦争のうわさのこと

 

今の時代も、主によって選ばれること、密かに語っていただけることにポイントがある

 

 

 

65:5 私たちの救いの神よ。あなたは、恐ろしい事柄をもって、義のうちに私たちに答えられます。あなたは、地のすべての果て果て、遠い大海の、信頼の的です。

 

「神の義」について、「恐ろしい事柄」をもって神は答える

 

神のことばを正しく語らなければいけない

 

パウロも自分のことを「大使」と言っていた

 

「みことば」について、自分の思いつきで語ってはダメ、「愛」だけでなく「義(裁き)」のこともきちんと語ること

 

そして恐ろしい形で神は「正義」をあらわす

 

Ex:日本に二度にわたって投下された原爆(2011年の原発事故を入れると3回)は、神のさばき、それはかつてキリシタンを迫害したため、しかもそのことをいつまでも悔い改めないから色々な災いに会っている

 

起きていることに関して、「神の怒り」があるので勝手なことを言ってはダメ、正しく語る、「災い」は神から来る、そしていずれアメリカへのさばきも来ると思われる

 

参照 ヨハネの黙示録18:7,8

 

18:7 彼女が自分を誇り、好色にふけったと同じだけの苦しみと悲しみとを、彼女に与えなさい。彼女は心の中で『私は女王の座に着いている者であり、やもめではないから、悲しみを知らない。』と言うからです。

 

18:8 それゆえ一日のうちに、さまざまの災害、すなわち死病、悲しみ、飢えが彼女を襲い、彼女は火で焼き尽くされます。彼女をさばく神である主は力の強い方だからです。

 

 

 

65:6 あなたは、御力によって山々を堅く建て、力を帯びておられます。

 

:教会

 

「教会」を建てるのも、神のわざ

 

主が強めてくださったら、どんなに弱い集まりでも大丈夫、助けてくださり、あらゆることに乗り切っていける

 

 

 

65:7 あなたは、海のとどろき、その大波のとどろき、また国々の民の騒ぎを静められます。

 

「霊」が荒れ狂うことを言っている

 

参照 ルカの福音書8:2325

 

8:23 舟で渡っている間にイエスはぐっすり眠ってしまわれた。ところが突風が湖に吹きおろして来たので、弟子たちは水をかぶって危険になった。

 

8:24 そこで、彼らは近寄って行ってイエスを起こし、「先生、先生。私たちはおぼれて死にそうです。」と言った。イエスは、起き上がって、風と荒波とをしかりつけられた。すると風も波も治まり、なぎになった。

 

8:25 イエスは彼らに、「あなたがたの信仰はどこにあるのです。」と言われた。弟子たちは驚き恐れて互いに言った。「風も水も、お命じになれば従うとは、いったいこの方はどういう方なのだろう。」

 

23節:「霊」が荒れ狂ったことのたとえ

 

24節:イエスが叱ると、「荒れ狂った霊」も静まってくる

 

私たちの歩みや心の思いや感情の中に、「霊が荒れ狂う」ことがある

 

でも、主が「風と波」を叱って静かになった

 

私たちも主に頼っていくときに、霊的なことも静まっていく

 

主によって歩んでいくときに、徐々に「霊」が静まっていく

 

祈りの中で徐々に静められていく

 

 

 

65:8 地の果て果てに住む者もあなたの数々のしるしを恐れます。あなたは、朝と夕べの起こる所を、高らかに歌うようにされます。

 

65:9 あなたは、地を訪れ、水を注ぎ、これを大いに豊かにされます。神の川は水で満ちています。あなたは、こうして地の下ごしらえをし、彼らの穀物を作ってくださいます。

 

「穀物」を育てるのに「水」は必須

 

主についていくときに、クリスチャンとしての奉仕&働きは「水(聖霊の働き)」がポイントとなる

 

主にきちんと祈るなら「水(聖霊)」が注がれていく

 

祈りで聖霊に触れ、聖霊の働きを受けていく

 

 

 

65:10 地のあぜみぞを水で満たし、そのうねをならし、夕立で地を柔らかにし、その生長を祝福されます。

 

「水」をもって成長を祝福し、穀物を得させてくださる

 

みことばの奉仕、すなわち穀物の働きをするときに、水(聖霊の働き)を求める

 

とにかく祈る、そうするなら成長していく、恵み&祝福をもたらす、さらに色々なことを教えていただける

 

「聖霊」をいただくことにポイントがある

 

 

 

65:11 あなたは、その年に、御恵みの冠をかぶらせ、あなたの通られた跡にはあぶらがしたたっています。

 

65:12 荒野の牧場はしたたり、もろもろの丘も喜びをまとっています。

 

その通り

 

 

 

65:13 牧草地は羊の群れを着、もろもろの谷は穀物をおおいとしています。人々は喜び叫んでいます。まことに、歌を歌っています。

 

神の恵みであり、あるべき教会の姿