詩篇6篇 2013.5.12

 

6:1 主よ。御怒りで私を責めないでください。激しい憤りで私を懲らしめないでください。

主が怒りをもって、私たちを責められることがある

私たちが間違えたとき、怒りをもって罰せられる、しかし、このことは“益”になる

悪いことがあれば、懲らす

箴言23:13,14

23:13 子どもを懲らすことを差し控えてはならない。むちで打っても、彼は死ぬことはない。

23:14 あなたがむちで彼を打つなら、彼のいのちをよみから救うことができる。

このことは、聖書が貫いている原則

場合によっては、厳しく体罰をもって教えてくださる

御怒りで変わるなら、“益”となる

神は無意味に厳しいことはしない→神の愛のムチで変わる

正しい方向に変われば良い

 

6:2 主よ。私をあわれんでください。私は衰えております。主よ。私をいやしてください。私の骨は恐れおののいています。

6:3 私のたましいはただ、恐れおののいています。主よ。いつまでですか。あなたは。

3節について

参照 ヨハネ12:27,33

12:27 今わたしの心は騒いでいる。何と言おうか。『父よ。この時からわたしをお救いください。』と言おうか。いや。このためにこそ、わたしはこの時に至ったのです。

12:33 イエスは自分がどのような死に方で死ぬかを示して、このことを言われたのである。

これから困難に会うことを想定して主は言われた

主の艱難、艱難時代の恐れおののき、そういった中でも、主の助けがある

 

6:4 帰って来てください。主よ。私のたましいを助け出してください。あなたの恵みのゆえに、私をお救いください。

6:5 死にあっては、あなたを覚えることはありません。よみにあっては、だれが、あなたをほめたたえるでしょう。

6:6 私は私の嘆きで疲れ果て、私の涙で、夜ごとに私の寝床を漂わせ、私のふしどを押し流します。

6:7 私の目は、いらだちで衰え、私のすべての敵のために弱まりました。

死の淵を通るような困難の中でも、主に祈り、助けを求めていく

私たちが通る艱難時代に通じる

 

6:8 不法を行なう者ども。みな私から離れて行け。主は私の泣く声を聞かれたのだ。

参照 マタイ7:2123

7:21 わたしに向かって、『主よ、主よ。』と言う者がみな天の御国にはいるのではなく、天におられるわたしの父のみこころを行なう者がはいるのです。

7:22 その日には、大ぜいの者がわたしに言うでしょう。『主よ、主よ。私たちはあなたの名によって預言をし、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって奇蹟をたくさん行なったではありませんか。』

7:23 しかし、その時、わたしは彼らにこう宣告します。『わたしはあなたがたを全然知らない。不法をなす者ども。わたしから離れて行け。』

王であるキリストは、たとえ、しるしや奇蹟があっても、不法をする者(御言葉を行っていない人)は、退けられる

勘違いするクリスチャンが沢山出てくる

そういう惑わしやインチキや間違いにクリスチャンが入っていく

間違え→色々な賜物を追い求めて、肝心の御言葉を行うことに甘くなって、神様にとがめられる

賜物を追い求めるあまり、的外れになっている教会がある

賜物を追い求めるのは悪くはない、しかし、御言葉をすっ飛ばしてしまうのはマズイ

世の終わりのとき、サタンは人参をぶら下げて、クリスチャンのポイントをズラす、根本的なことがズラされる

賜物を持っている牧師がステータスになる Ex:死人のよみがえり

参照 黙示録9:20,21

9:20 これらの災害によって殺されずに残った人々は、その手のわざを悔い改めないで、悪霊どもや、金、銀、銅、石、木で造られた、見ることも聞くことも歩くこともできない偶像を拝み続け、

9:21 その殺人や、魔術や、不品行や、盗みを悔い改めなかった。

このことは、一見、クリスチャンとは何の関係も無いように見える

ここでは、たとえが使われている

手のわざ:自分の力に頼り、キリストに頼らない

悪霊を拝むことは、今のキリスト教会で行われていること

Ex:ロドニー・ハワード、ベニー・ヒン

偽善的なクリスチャンは、見えるところしか見ない、ゆえに見えないところで、律法に背かせるという災いに入っていく

殺人:兄弟を憎む者、クリスチャンでありながら、他の兄弟を赦さない

20節は、「器崇拝」について語っている

こういう罪を犯す時代

魔術:Ex:ヤベツの祈り、神社にいる霊との戦い

知らず知らずのうちに、クリスチャンがこういう罪に加担していく

盗み:御言葉を盗む Ex:神の愛や恵みといった良いことだけを言い、裁きについては語らない

また、イエス様が言われた“強盗の巣”とも関連する

教会に通って、不法を行う者と言われる可能性がある、こういうどんでん返しを神はされる

世の終わりの罠と脱出を考える

サタンは世の終わり、クリスチャンをなんとか永遠の命から外そうとする→知らず知らずのうちに罪に巻き込んでいくのがサタンの方法

そういう意味で、門は狭い、すべての人に道を開こうとしているわけではない

そういうことを理解し、悟って天の御国に入るのは稀

 

6:9 主は私の切なる願いを聞かれた。主は私の祈りを受け入れられる。

艱難に会った、しかし、ダビデの祈りを聞いてくださった

私たちも同じ

唯一の強みは、祈りによって引いていかれること

Ex:警告→インターネットの道が開かれ、メッセージが開かれた

神の働きを担うなら、祈りに応えてくださる

 

6:10 私の敵は、みな恥を見、ただ、恐れおののきますように。彼らは退き、恥を見ますように。またたくまに。

神の働きをしていく中で、敵となる人がいる

正しくない教理を言っている人が敵となる

しかし、神と一致しているなら、このことばは成就する

Ex:艱難前携挙説について異を唱え続けていくときに、敵が恥を見る

おかしな教理と正しく戦っていくときに、敵が恥を見る