詩篇70篇 2014.8.3

 

 

 

指揮者のために。ダビデによる。記念のために

 

 

 

 

70:1 神よ。私を救い出してください。主よ。急いで私を助けてください。

 

70:2 私のいのちを求める者どもが、恥を見、はずかしめを受けますように。私のわざわいを喜ぶ者どもが退き卑しめられますように。

 

70:3 「あはは。」とあざ笑う者どもが、おのれの恥のためにうしろに退きますように。

 

ダビデは大変な苦難に会った

 

サウルに命を狙われた

 

その中で、ダビデは神に助けを求めた

 

そしてダビデが真に祈ったことは聞かれ、不思議な方法で奇跡的に守られた

 

こういう祈りは天の主の耳元まで運ばれ、聞かれ、助けは神から来て実現した

 

困難の中でこのことをとらえ、思い起こして実践していきたい、助けを祈り求めていきたい

 

祈りがすぐに聞かれなくても主の時に聞かれ、守りや助けが与えられる

 

祈りは具体的に実現していく

 

ダビデの命を求める人に対してこのように祈っている

 

サウルはダビデを追いかけて、逆に恥を見た

 

私たちが正しく御心を行っていくなら、私たちを害そうとする人が「恥」を受ける、後ろに退く、つまり「歩み」が後退する

 

ケースバイケースで主が良しとした時には、迫害した人が「恥」を受ける

 

ゆえに一時的な事柄ですべてを判断してはいけない

 

 

 

70:4 あなたを慕い求める人がみな、あなたにあって楽しみ、喜びますように。あなたの救いを愛する人たちが、「神をあがめよう。」と、いつも言いますように。

 

神をあがめようと、いつも言いますように(KJV):神は大いなる方、偉大なる方といつも言いますように

 

大いなる方:恐るべきことをされる方、私たちの想像を絶することをなさる、力あるわざをなさる

 

人間の歴史にも介入されるお方

 

小さなことを含めて偶然は無い

 

Ex:ナザレのイエスに関して→旧約の聖書を読んでいる人はメシヤの来臨を知っていた、しかしそれはパリサイ人や律法学者のように、神を侮っている人をひっくり返すような形で降臨した

 

Ex:偽ユダヤ人

 

 

 

70:5 私は、悩む者、貧しい者です。神よ。私のところに急いでください。あなたは私の助け、私を救う方。主よ。遅れないでください。

 

「貧しい人」について

 

参照 ルカの福音書6:2026

 

6:20 イエスは目を上げて弟子たちを見つめながら、話しだされた。「貧しい者は幸いです。神の国はあなたがたのものですから。

 

6:21 いま飢えている者は幸いです。あなたがたは、やがて飽くことができますから。いま泣いている者は幸いです。あなたがたは、いまに笑うようになりますから。

 

6:22 人の子のために、人々があなたがたを憎むとき、また、あなたがたを除名し、はずかしめ、あなたがたの名をあしざまにけなすとき、あなたがたは幸いです。

 

6:23 その日には、喜びなさい。おどり上がって喜びなさい。天ではあなたがたの報いは大きいからです。彼らの先祖も、預言者たちをそのように扱ったのです。

 

6:24 しかし、富んでいるあなたがたは、哀れな者です。慰めを、すでに受けているからです。

 

6:25 いま食べ飽きているあなたがたは、哀れな者です。やがて、飢えるようになるからです。いま笑っているあなたがたは、哀れな者です。やがて悲しみ泣くようになるからです。

 

6:26 みなの人にほめられるときは、あなたがたは哀れな者です。彼らの先祖は、にせ預言者たちをそのように扱ったからです。

 

20節:マタイの福音書では「心の(霊において)貧しい者は幸い」と言っている

 

霊において、満ち足りていないことを自覚している人は幸い

 

貧しいから、満ち足りていくように求めていく→聖霊に触れることになる、具体的には祈る

 

そういう人が神の国を得るようになる

 

霊において貧しさを感じるなら、祝福のもといになる

 

21節:飢え→みことばについてのこと

 

このことも幸いの素

 

みことばにパンに飢えるなら、真理を得る

 

満ち足りる:たらふく食べる

 

22節:「泣く」ことについて

 

参照 エゼキエル書9:4

 

9:4 主は彼にこう仰せられた。「町の中、エルサレムの中を行き巡り、この町で行なわれているすべての忌みきらうべきことのために嘆き、悲しんでいる人々の額にしるしをつけよ。」

 

まともでないことに笑っているなら、問題

 

御霊の悲しみや苦しみが反映されているなら幸い

 

悲しみ→みことば行ったために迫害を受ける

 

しかし主にあって泣くなら幸い

 

さっきのルカの福音書21節の「泣く」ということにつながっている

 

迫害されて泣く

 

23節:キリストの御心を行って酷い目に会って泣くなら幸い

 

24節:霊において「貧しい」ことと反対

 

別の霊を受けて喜んでいるのは災い

 

25節:みことばのパンに関連する

 

艱難前携挙説を聞いて安心している、しかしこのことは神の前に哀れ

 

神からのものでないので、「飢え」を満たさない

 

26節:間違えた教師は拍手喝采、しかしこのことも哀れ

 

真理や神の霊に着いている人は、人受けは良くない、それは多くの人が偽物を掴んでいるから

 

真理にあるものを求めていきたい

 

みことばのゆえに迫害されたときに、真の神の助けがある