詩篇73篇 2014.8.24
第三巻 アサフの賛歌
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73:1 まことに神は、イスラエルに、心のきよい人たちに、いつくしみ深い。
73:2 しかし、私自身は、この足がたわみそうで、私の歩みは、すべるばかりだった。
73:3 それは、私が誇り高ぶる者をねたみ、悪者の栄えるのを見たからである。
73:4 彼らの死には、苦痛がなく、彼らのからだは、あぶらぎっているからだ。
悪者が益々栄えていくので、正しく歩む人たちが、頭では「正しい」と分かっていても、つまずきそうになったり、不信仰になりそうになっていく、ということを言われている
「悪者が栄えていく」というのは、この世だけでなく、キリスト教会にも広がっていく
アメリカにおいて、みことばを曲げたり、みことばに反する人が尊敬されたり、平安を得たり、安泰だったりする
ローマ法皇のように、キリストのみことばに逆らって歩む人は、世の中で受け入れられる
この世の人&クリスチャンの間で、受け入れられていく
アメリカもおかしなクリスチャンになっていくことを奨励している
アメリカでは「501C3」という法案が施行された
この法案は、「復活や再臨や贖いを信じない教会には税の優遇を施す」というもの、つまりみことばを捨てることを奨励している、そして実際にそういうことを受け入れている教会が多い
日本の一部の教会では、同性愛を受け入れている、そしてそういう所が益々栄えている
正しく歩んでいくときに、「こんなことでいいのか?」という疑問が出てくる
「たわみ」とは、「つまずく」こと、つまり歩みがつまずいていく、ということを言っている
「すべる」とは、クリスチャンとしての歩みができなくなりそうだ、ということを言っている
見えるところだけを見ているクリスチャンが選り分けられる時代、このことは黙示録に書かれている「全世界に来ようとしている試練の時」とも言える
この世のトレンドはそういう方向(悪者が栄えていくという流れ)へ行く、という風に心を決める
思いがけないと思うときに、どこかでつまずいてしまう
どんなことでも仕掛け人がいる、つまり反キリスト的な仕掛け人がいる
これから益々ハッキリしてくる
世の初めから終わりに至るまで、邪悪なことが計画されている
キリストの教えに逆らったり、ないがしろにしている人は、この世において益々尊敬されたり、居心地が良くなったりする
しかし一方、正しい人はつまずきそうになる
そして反キリスト的なトレンドは、キリストの再臨までとどまることはない、これから益々広がっていく
ゆえにつまずいたり、びっくりしていたりしたら、やっていられなくなる
73:5 人々が苦労するとき、彼らはそうではなく、ほかの人のようには打たれない。
悪い人は、人格者、立派だと言われ、一方、正しい人は、「非難の的」となる
73:6 それゆえ、高慢が彼らの首飾りとなり、暴虐の着物が彼らをおおっている。
73:7 彼らの目は脂肪でふくらみ、心の思いはあふれ出る。
訳の分からない間違えた考えが広がっている
73:8 彼らはあざけり、悪意をもって語り、高い所からしいたげを告げる。
キリストに対して反キリスト的なことを言う
73:9 彼らはその口を天にすえ、その舌は地を行き巡る。
天にすえ、その舌は地を行き巡る:天に向けて逆らうことを言う、この世のことばかり語る
参照 ヨハネの黙示録13:6
13:6 そこで、彼はその口を開いて、神に対するけがしごとを言い始めた。すなわち、神の御名と、その幕屋、すなわち、天に住む者たちをののしった。
天に住む者:天的なクリスチャン、この世にいても天に座するようなクリスチャン
一方「地に着いたクリスチャン」は、この世で受け入れられる
詩篇8節に書かれているのは、この世のことやこの世の考えやこの世の常識を語るクリスチャンについて
たとえばローマ法皇は、この世に調子を合わせている、こういう人がキリスト教会でもてはやされている、しかしこれは「背教のしるし」とも言える
この世のことばかりを言っている人が、どんどんキリスト教会でもてやされている、その延長線上に反キリストがいる
正しいことが非難される時代にだんだんと入っていく、そしてもし、「聖書は非科学的」なんて言われたときにはどうするのか?なんていうことも考えておく
73:10 それゆえ、その民は、ここに帰り、豊かな水は、彼らによって飲み干された。
傲慢な人がキリスト教会で益々地位を得る
73:11 こうして彼らは言う。「どうして神が知ろうか。いと高き方に知識があろうか。」
神に対して「傲慢」なことを言う
73:12 見よ。悪者とは、このようなものだ。彼らはいつまでも安らかで、富を増している。
73:13 確かに私は、むなしく心をきよめ、手を洗って、きよくしたのだ。
73:14 私は一日中打たれどおしで、朝ごとに責められた。
正しい人が打たれたり、責められたりする
73:15 もしも私が、「このままを述べよう。」と言ったなら、確かに私は、あなたの子らの世代の者を裏切ったことだろう。
73:16 私は、これを知ろうと思い巡らしたが、それは、私の目には、苦役であった。
正しい人が苦難に会ったり、思い悩んだり、ジレンマを抱く
73:17 私は、神の聖所にはいり、ついに、彼らの最後を悟った。
このことばが尊い
不信仰な主張、みことばに逆らった主張にジレンマを感じるのはなぜか?それは真の意味で、そういう人への神の怒りを理解していないから
しかし悪を行う人の末路を理屈ではなく、霊で悟る時に一喜一憂したり、つまずかなくなる
レムナントの働きは、これらのことを悟ったので行っている
おかしな教理のほうがたしかに栄えている、しかしそれはそれ、それをもって妬んでいたらダメ、今はそういう時代だということを理解する Ex:レフトビハインド
神の聖所にまず入り、その中で理解する
見えるところばかり見ていたり、人のことばかり見ていたら悟らない
主に着いていくときに見る
73:18 まことに、あなたは彼らをすべりやすい所に置き、彼らを滅びに突き落とされます。
73:19 まことに、彼らは、またたくまに滅ぼされ、突然の恐怖で滅ぼし尽くされましょう。
73:20 目ざめの夢のように、主よ、あなたは、奮い立つとき、彼らの姿をさげすまれましょう。
すべりやすい所は危ない、しかし正しく歩まない人のことを神はすべりやすい所に置かれる、その結果歩みが危なくなる
Ex:ブラザレン系の人は惑わされている、おかしな教理にとらえられていて、「牧師」などの「中間祭司職」の立場を否定している、そして兄弟が順番に雑談を語っているので礼拝になっていない、しかしブラザレン系の人はそれを喜んでいる、これは「すべりやすい所にいる」と言える、その原因は彼らの「傲慢」にある、自分は何でもよく知っていると・・・けれども「永遠の命」が危ない
「神の恐ろしさ」を覚え、理解する
高慢な時に、自分は最善のものを掴んでいると思っている、これは「すべりやすい所」に置かれる
カトリックも滑りやすい Ex:煉獄の教え、マリヤ崇拝
高慢のゆえに「すべりやすい所」に置かれるので、神を恐れる
「すべりやすい所」に置かれるということに、理由がある
73:21 私の心が苦しみ、私の内なる思いが突き刺されたとき、
73:22 私は、愚かで、わきまえもなく、あなたの前で獣のようでした。
73:23 しかし私は絶えずあなたとともにいました。あなたは私の右の手をしっかりつかまえられました。
色々なジレンマを感じる、正しい人は見えるところで、そのことを理解していなかった
しかしポイントは23節にある、そういう時でも主から離れないこと、祈りをきちんとすること
73:24 あなたは、私をさとして導き、後には栄光のうちに受け入れてくださいましょう。
私をさとして導き(KJV):私をカウンセリングして導き
神さまが個々の人の状況に応じて必要なアドバイスを下さる
問題があるときに、必要なアドバイスをしてくださる
信仰の歩みの一部に、このことを取り入れていく
その時々の歩みに応じて、カウンセリングをしてくださる
73:25 天では、あなたのほかに、だれを持つことができましょう。地上では、あなたのほかに私はだれをも望みません。
73:26 この身とこの心とは尽き果てましょう。しかし神はとこしえに私の心の岩、私の分の土地です。
73:27 それゆえ、見よ。あなたから遠く離れている者は滅びます。あなたはあなたに不誠実な者をみな滅ぼされます。
クリスチャンの中で二種類の人がいる
27節に書かれているように、神さまから遠く離れている人がいる、しかしこのことにポイントは無い
神に近づくこと、神を知ることを求める
しかしあるクリスチャンは、この世のことばかりに一生懸命、しかしその結果は滅び
神に近づく人は、「滅び」から免れ、離れていく人は滅びる
神に近づく人は、得るべきもの(永遠の命)を得、入るべき所か(天の御国)に入る
73:28 しかし私にとっては、神の近くにいることが、しあわせなのです。私は、神なる主を私の避け所とし、あなたのすべてのみわざを語り告げましょう。
神の近くにいることが、しあわせなのです→こういう歩みにポイントがある
こういう歩みに入っていくときに、真実を見たり、恵みを受けたりする
レムナントキリスト教会
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