詩篇77篇 2014.9.21
指揮者のために。エドトンの調べによって。アサフの賛歌
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77:1 私は神に向かい声をあげて、叫ぶ。私が神に向かって声をあげると、神は聞かれる。
77:2 苦難の日に、私は主を尋ね求め、夜には、たゆむことなく手を差し伸ばしたが、私のたましいは慰めを拒んだ。
77:3 私は神を思い起こして嘆き、思いを潜めて、私の霊は衰え果てる。セラ
77:4 あなたは、私のまぶたを閉じさせない。私の心は乱れて、もの言うこともできない。
77:5 私は、昔の日々、遠い昔の年々を思い返した。
77:6 夜には私の歌を思い起こし、自分の心と語り合い、私のたましいは問いかける。
77:7 「主は、いつまでも拒まれるのだろうか。もう決して愛してくださらないのだろうか。
苦難の中で、「神の愛を感じない」ということが往々にしてある
77:8 主の恵みは、永久に絶たれたのだろうか。約束は、代々に至るまで、果たされないのだろうか。
77:9 神は、いつくしみを忘れたのだろうか。もしや、怒ってあわれみを閉じてしまわれたのだろうか。」セラ
疑問、不信に至ってしまう
8節のような思いになることがある、こういうことがあり得る
77:10 そのとき私は言った。「私の弱いのはいと高き方の右の手が変わったことによる。」
私の弱いのはいと高き方の右の手が変わったことによる(KJV):これは私の弱さだ、しかし私はいと高き方の右の手の年々を思い出そう
どうしても「不信」になってしまうときに、それは「自分の信仰の弱さ」と思われる、でもあるべき姿は「神さまのみわざ」を思い出すこと、それが正解
77:11 私は、主のみわざを思い起こそう。まことに、昔からのあなたの奇しいわざを思い起こそう。
77:12 私は、あなたのなさったすべてのことに思いを巡らし、あなたのみわざを、静かに考えよう。
一時的なこと(一時的な試練や困難)がある
Ex:アブラハム→イサクを捧げるよう神に要求された、ヨブは神の許しの下、サタンの試みに散々会った
でも、現時点の事柄だけですべてを判断したり、結論付けずに、「昔の神のわざ」を思い起こすのが正しい
困難の時もある、しかしその後、祝福や恵みに入る
77:13 神よ。あなたの道は聖です。神のように大いなる神が、ほかにありましょうか。
77:14 あなたは奇しいわざを行なわれる神、国々の民の中に御力を現わされる方です。
神は奇蹟的なことをする、しかも神は「どんでん返し」をされる
クリスチャンの常識と異なることをされる
Ex:教会の崩壊→聖書の教えが教会で覆される
レムナントで語っていることもそう
奇想天外のことをされる
77:15 あなたは御腕をもって、ご自分の民、ヤコブとヨセフの子らを贖われました。セラ
77:16 神よ。水はあなたを見たのです。水はあなたを見て、わななきました。わたつみもまた、震え上がりました。
水:霊的なたとえ
16節→別の霊がキリストを見て、わなないた
77:17 雲は水を注ぎ出し、雷雲は雷をとどろかし、あなたの矢もまた、ひらめき飛びました。
77:18 あなたの雷の声は、いくさ車のように鳴り、いなずまは世界を照らし、地は震え、揺れ動きました。
主が来られたとき、あらゆる霊が恐れ、わなないた
神の臨在と共に歩むなら、惑わすことかできない、害を及ぼすことができない
Ex:パウロは「蛇」にかまれた、しかし「毒」を受けなかった
「霊」を見分けることができる
主に正しくついていくときに、「霊の害」を受けない
「神の臨在」を求めるなら、おかしな霊を受けない
77:19 あなたの道は海の中にあり、あなたの小道は大水の中にありました。それで、あなたの足跡を見た者はありません。
海:聖霊
「神の道」は「海の中」にある、小道もそう、そして「道」は狭い
しかし「聖霊」にあるときに、見出すことができる
「海の中」を通らないと、「命の道」を通ることができない
「聖霊」の中を歩まないと、「命の道」を通ることができない
「狭い道」を求めるなら、「大水」の中に入らないとダメ
「あなたの足跡を見た者はありません」とあるように、分からない、このことは「聖霊」の臨在を歩まない人には分からない、ということを言っている、それは「神の足跡」を見ないから
でも、「神の足跡」を見たら、そこを辿っていけばよい、着いて行けばよい
「聖霊」の臨在の中にいない人には、「命の道」は見えない
知性的にしか聖書を読んでいない人は、到達することができない
77:20 あなたは、ご自分の民を、モーセとアロンの手によって、羊の群れのように導かれました。
ご自分の民:イスラエルの民
モーセ(聖書学者)とアロン(当時の大祭司、今で言う牧師)の手によって導かれた
そういう働き人を遣わして、教会やクリスチャンを養う
神がクリスチャンを羊のように思い、養うために、聖書学者や礼拝に導く牧師を導いた
神はクリスチャンを「羊」のように思っている、「羊」は弱い動物
飼われたり、牧会されたり、養われたりする
クリスチャンは「独立独歩」で歩んでいくわけではない
教会の中で歩み、建て上げられていく
ポイント:聖書に書かれているように、一緒に集まることをやめない、どんな形でも御心の教会に関わりを持っていく、働きをなしていく中で共に強められていく、神の言われることを尊重する
レムナントキリスト教会
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