詩篇105篇 2015.4.4

 

105:1 主に感謝して、御名を呼び求めよ。そのみわざを国々の民の中に知らせよ。

105:2 主に歌え。主にほめ歌を歌え。そのすべての奇しいみわざに思いを潜めよ。

 

◆「主をたたえる」というのは、めったにないこと。

 

◆主が色々なみわざを見せてくださる。その際万人に見せてくれるわけではないが、みわざをほめたたえる。

 

105:3 主の聖なる名を誇りとせよ。主を慕い求める者の心を喜ばせよ。

 

◆クリスチャンも主の名が付いているので、主の恵みや助けを受けていく。

 

105:4 主とその御力を尋ね求めよ。絶えず御顔を慕い求めよ。

 

◆主の力を尋ねる人は、「わざ」を見る。

 

◆「祈り」に時間を割くことにポイントがある。

 

◆求めるかどうかで、「わざ」を見るかどうか、結果が変わってくる。

 

ポイント:求めてわざを見ていきたい。

 

105:5 主が行なわれた奇しいみわざを思い起こせ。その奇蹟と御口のさばきとを。

 

「主が行なわれた奇しいみわざを思い起こせ」とあるように、「みわざ」を忘れてはダメ。時々、「証することが無いのですが・・・」と言う人がいるそうですが、もしかすると神さまがなしてくださったことをすっかり忘れてしまっているのでは?と思う。

 

ポイント:主のわざをきちんと覚えていたい。そして証をしていきたい!

 

105:6 主のしもべアブラハムのすえよ。主に選ばれた者、ヤコブの子らよ。

 

「アブラハム」は、私たちの信仰の先祖。

 

◆アブラハムの生涯の記述において、私たちに必要なことが書かれている。

 

◆アブラハムの生涯を通して、クリスチャンの歩みに関するヒントがある。そのことから「御国の奥義」に関することを得ていく。

 

ポイント:アブラハムの生涯に大事なことが隠れている。そういうことを通して「祝福」を受けていく。

 

105:7 この方こそ、われらの神、主。そのさばきは全地にわたる。

 

 

105:8 主は、ご自分の契約をとこしえに覚えておられる。お命じになったみことばは千代にも及ぶ。

105:9 その契約はアブラハムと結んだもの、イサクへの誓い。

 

「千代」とは、アブラハムの時から現代までのこと。

 

◆新約のクリスチャンを含めてアブラハムの結んだ契約は有効ということを言われている。

 

◆ゆえにアブラハムの生涯を通して学びをせよ!ということをここでも言っている。

 

105:10 主はヤコブのためにそれをおきてとして立て、イスラエルに対する永遠の契約とされた。

105:11 そのとき主は仰せられた。「わたしはあなたがたの相続地としてあなたに、カナンの地を与える。」

 

「永遠の契約」ということばについて見てみたい。

 

◆一般的に「契約」とは、お互いの条件を全うして成り立つもの。たとえば家を借りるというときに、大家さんのほうで条件を出して、私たちがそれを呑んで家賃を払うなら家を貸してもらえる。

 

◆また、アブラハムは新約のクリスチャンの型でもある。

 

◆ゆえに「わたしはあなたがたの相続地としてあなたに、カナンの地を与える。」という祝福が私たちにもある。しかし「これを守りなさい!」というものがある。

 

◆11節では「祝福」について書かれている。「相続地」とは、「天の御国の約束」のこと。そして私たちはアブラハムの子孫なので、「契約(天の御国を相続する)」が結ばれている。しかし「契約」は守ってなんぼのもの。

 

◆「契約」に関して、たとえばこういう話を聞いたことがある。ある人が無理な契約をしてしまって一日か二日家賃を滞納した。そうしたところ、管理人さんに鍵を取り替えられてしまい、家の中に入れなくなったそう。それと同じように、私たちが契約を守らないと、「天の御国」に入れない可能性がある。

 

それではどんな契約を守るべきなのか?について見てみましょう。

 

参照 創世記17:711,14

17:7 わたしは、わたしの契約を、わたしとあなたとの間に、そしてあなたの後のあなたの子孫との間に、代々にわたる永遠の契約として立てる。わたしがあなたの神、あなたの後の子孫の神となるためである。

17:8 わたしは、あなたが滞在している地、すなわちカナンの全土を、あなたとあなたの後のあなたの子孫に永遠の所有として与える。わたしは、彼らの神となる。」

17:9 ついで、神はアブラハムに仰せられた。「あなたは、あなたの後のあなたの子孫とともに、代々にわたり、わたしの契約を守らなければならない。

17:10 次のことが、わたしとあなたがたと、またあなたの後のあなたの子孫との間で、あなたがたが守るべきわたしの契約である。あなたがたの中のすべての男子は割礼を受けなさい。

17:11 あなたがたは、あなたがたの包皮の肉を切り捨てなさい。それが、わたしとあなたがたの間の契約のしるしである。

17:14 包皮の肉を切り捨てられていない無割礼の男、そのような者は、その民から断ち切られなければならない。わたしの契約を破ったのである。」

 

少しずつ見ていきましょう。

 

17:7 わたしは、わたしの契約を、わたしとあなたとの間に、そしてあなたの後のあなたの子孫との間に、代々にわたる永遠の契約として立てる。わたしがあなたの神、あなたの後の子孫の神となるためである。

 

◆ここでも、「契約」ということばが出てくる。そして、「そしてあなたの後のあなたの子孫との間に、代々にわたる永遠の契約として立てる」とあるように、のちの新約のクリスチャンとも結んでいる、ということを言われている。

 

17:8 わたしは、あなたが滞在している地、すなわちカナンの全土を、あなたとあなたの後のあなたの子孫に永遠の所有として与える。わたしは、彼らの神となる。」

 

◆天の都、天の約束の地を受ける、という契約について言われている。

 

◆けれども「契約」はギブ&テイクなので、守らないと入るベき所に入れない。

 

17:9 ついで、神はアブラハムに仰せられた。「あなたは、あなたの後のあなたの子孫とともに、代々にわたり、わたしの契約を守らなければならない。

 

◆ここでも、「契約」を守ることについて、繰り返し語られている。

 

◆そしてアブラハムだけを見ずに、私たちとも結ばれたということを見ていく。

 

17:10 次のことが、わたしとあなたがたと、またあなたの後のあなたの子孫との間で、あなたがたが守るべきわたしの契約である。あなたがたの中のすべての男子は割礼を受けなさい。

 

「割礼」を受けることにポイントがある。

 

◆ちなみに「肉の割礼」というのがあり、それは男性の体の一部を切り取ることですが、しかし男女に関係無く、「心の割礼」というものがある。

 

17:11 あなたがたは、あなたがたの包皮の肉を切り捨てなさい。それが、わたしとあなたがたの間の契約のしるしである。

 

◆割礼=クリスチャンとして肉を切り取る

 

17:14 包皮の肉を切り捨てられていない無割礼の男、そのような者は、その民から断ち切られなければならない。わたしの契約を破ったのである。」

 

◆もし、「心の割礼」を受けないなら、「クリスチャン」として見なされないので、「約束」は「無効」となる。ゆえに約束の地、すなわち天の御国に入るためには「心の割礼」を受けるか否かがポイントとなる。

 

◆私たちが唯一守らなければならないのは、「肉を切り取る」こと。

 

◆それに関して不完全ではダメ。

 

◆クリスチャン生活をしていく中で、神が強調されているのは自分の肉が切り取られていくか?ということ。

 

◆神が出している条件はひとつだけ。→「肉」が切り取られているかどうか?

 

◆クリスチャンであっても、ある人は割礼がきちんと行われない。しかしそれでは「天の御国」を受け継げない可能性がある。

 

◆しかし「肉」が明確に切り取られるなら、楽々「天の御国」に入る。

 

◆「天の御国」を相続するかどうかのポイント=「肉」が切り取られるかどうか?

 

◆ゆえに「肉」に従ったクリスチャン生活は、「危ない」と言える。

 

105:12 そのころ彼らの数は少なかった。まことにわずかで、そのうえそこでは、寄留の他国人であった。

105:13 彼らは、国から国へ、一つの王国から他の民へと渡り歩いた。

105:14 しかし主は、だれにも彼らをしいたげさせず、かえって、彼らのために王たちを責められた。

105:15 「わたしの油そそがれた者たちに触れるな。わたしの預言者たちに危害を加えるな。」

 

◆主があちこちで助けや守りを与えてくださっている。

 

◆クリスチャンとしての恵みがある。

 

※エレミヤ牧師の証:主の助けによって、本来は恥を受けるところだったが、そうならずに済んだ。

 

105:16 こうして主はききんを地の上に招き、パンのための棒をことごとく折られた。

105:17 主はひとりの人を彼らにさきがけて送られた。ヨセフが奴隷に売られたのだ。

105:18 彼らは足かせで、ヨセフの足を悩まし、ヨセフは鉄のかせの中にはいった。

105:19 彼のことばがそのとおりになる時まで、主のことばは彼をためした。

 

◆19節:ヨセフに夢を通してことばが与えられた。詳細は創世記を読めば分かるのですが、ヨセフの兄たちがヨセフ(ちなみにヨセフはキリストの型でもある)を拝むという夢を見た。けれども事態はどんどん悪くなり、牢獄に入った。しかしヨセフは神のことばを捨てなかった。そうするうちに形勢が変わっていった。

 

105:20 王は人をやってヨセフを解放し、国々の民の支配者が、彼を自由にした。

 

◆解放された。

 

105:21 王はヨセフを自分の家のかしらとし、自分の全財産の支配者とした。

 

◆逆転した。

 

105:22 これはヨセフが意のままに王の高官を縛り、王の長老たちに知恵を与えるためだった。

 

◆どんどん出世して、他の人から崇められるようになった。ゆえにここから教訓を学びたい。

 

◆約束は来る。しかしそれと反比例して、事態は悪くなる。

 

◆でも、その時に主のことばに留まることが大事。

 

◆約束が来てもすぐに開花せず、試される時がある。

 

※エレミヤ牧師の証:エレミヤ書の「主の宮の庭に立ち、主の宮に礼拝しに来るユダのすべての町の者に、わたしがあなたに語れと命じたことばを残らず語れ。」のことばが与えられた。そのことばを信じて留まったら働きが広がっていった。そして働きを通して教えられる人も出てくるようになった。

 

ポイント:試されたときに、不信仰にならずに留まるときに、神の約束は実現していく。

 

105:23 イスラエルもエジプトに行き、ヤコブはハムの地に寄留した。

105:24 主はその民を大いにふやし、彼らの敵よりも強くされた。

105:25 主は人々の心を変えて、御民を憎ませ、彼らに主のしもべたちを、ずるくあしらわせた。

105:26 主は、そのしもべモーセと、主が選んだアロンを遣わされた。

 

「モーセ」とは、「引き出す」という意味。

 

◆モーセは、イスラエルの民をエジプトから引き出した。

 

◆世の終わりも、エジプト化した教会、すなわちこの世化した教会から人々を引き出すという働きがある。

 

◆背教の教会から出て行くことを言わなければいけない。

 

◆時代時代において、神の働きに関しては正しく対応していきたい。今は何をすべき時なのか?についてきちんと把握して、なすべき働きを行っていきたい。たとえば津波の警報が出されたときに、本来はそこから離れていくように呼びかけなければならない。しかし対応を間違えてそこに留まり続けても大丈夫、なんて言ったら流されてしまって命を失ってしまいますよね?それと同じように、これから教会がどんどんこの世化してしまってそこに留まると永遠の命が危なくなるので、そのことを警告する働きを今はしていかなければいけない。

 

105:27 彼らは人々の間で、主の数々のしるしを行ない、ハムの地で、もろもろの奇蹟を行なった。

 

 

105:28 主はやみを送って、暗くされた。彼らは主のことばに逆らわなかった。

 

◆この世化した教会から「真理」が消えるということを言われている。

 

105:29 主は人々の水を血に変わらせ、彼らの魚を死なせた。

 

「魚」(クリスチャン)が、霊的に死んでいく。

 

105:30 彼らの地に、かえるが群がった。王族たちの奥の間にまで。

 

かえる:汚れた霊

 

105:31 主が命じられると、あぶの群れが来た。ぶよが彼らの国中にはいった。

 

あぶ(KJV):蝿、悪霊

 

105:32 主は雨にかえて雹を彼らに降らせ、燃える火を彼らの地に下された。

 

:災い、霊的な災い

 

105:33 主は彼らのぶどうの木と、いちじくの木を打ち、彼らの国の木を砕かれた。

 

ぶどう、いちじく:クリスチャンのたとえ→クリスチャンが打たれたり、倒されたりする。

 

105:34 主が命じられると、いなごが来た。若いいなごで、数知れず、

105:35 それが彼らの国の青物を食い尽くし、彼らの地の果実を食い尽くした。

 

いなご:食べ物を食い荒らす生き物

 

◆エジプト化した教会からまともな教えが無くなっていく。反キリストを拝めというパン(メッセージ)が与えられる。

 

105:36 主は彼らの国の初子をことごとく打たれた。彼らのすべての力の初めを。

 

初子:キリスト→キリストの贖いが失われていく。

 

105:37 主は銀と金とを持たせて御民を連れ出された。その部族の中でよろける者はひとりもなかった。

 

◆信仰のある人は、エジプトから出る。

 

105:38 エジプトは彼らが出たときに喜んだ。エジプトに彼らへの恐れが生じたからだ。

 

◆実際にそうなっていく。

 

105:39 主は、雲を広げて仕切りの幕とし、夜には火を与えて照らされた。

 

◆雲の柱、火の柱がイスラエルの民(荒野の民)を導いた。

 

◆逆にこの世化した教会は、神ではなく、人が導く。

 

Ex:ローマ・カトリック教会では、「創世記は神話」と言っている。しかしこれは神からの教えではない。人からのものである。

 

◆地下教会で必ずしも人のリーダーが出るかは分からない。しかし神に仕えるなら、主の臨在に導かれる。人に頼らずに主に頼る。そうするなら「真理」が見える。

 

◆ちなみにレムナントキリスト教会は地下教会ですが、主の声を聞いていくときに、必要なことを教えてもらっている。その結果、時代を見分けられるようになり、大事なポイントを教えてもらえるようになった。

 

ポイント:地下教会を行っていくときに、恵みに入る。

 

105:40 民が願い求めると、主はうずらをもたらし、また、天からのパンで彼らを満ち足らわせた。

 

◆「荒野」(地下教会)に入った人たちは、天からのパンが与えられる。これは「荒野」に出て行った人の特権であり、エジプト(背教化した教会)では受けられないもの。エジプトと荒野の区分についてここで言われている。

 

ポイント:本当の恵みは、荒野(地下教会)に下る。地下教会に御心がある。

 

105:41 主が岩を開かれると、水がほとばしり出た。水は砂漠を川となって流れた。

 

◆水(聖霊の水)も出る。

 

◆地下教会に関して・・・見た目と実態は違う。天からのパン&聖霊の水がある。

 

105:42 これは主が、そのしもべアブラハムへの聖なることばを、覚えておられたからである。

105:43 主は御民を喜びのうちに連れ出された。その選ばれた民を喜びの叫びのうちに。

 

◆エジプト(背教の教会)から連れ出されることにポイントがある。

 

◆エジプト(背教の教会)から出てくるのは選民。神に声を掛けられて、そののち「地下教会」(荒野)に入る。

 

105:44 主は、彼らに国々の地を与えられた。彼らが国々の民の労苦の実を自分の所有とするために。

105:45 これは、彼らが主のおきてを守り、そのみおしえを守るためである。ハレルヤ。

 

◆主のおきてを守るように、「地下教会」に入る。

 

Ex:レムナントキリスト教会はみことばに関してたとえの理解をすることに努めている。そして私的解釈をしないことを守っている。そうする中で、入るべき所にどんどん入ってきている。