詩篇110篇 2015.5.10
本日の箇所は、「敵」とか「足台」とか「さばき」に関して言われている。
110:1 主は、私の主に仰せられる。「わたしがあなたの敵をあなたの足台とするまでは、わたしの右の座に着いていよ。」
「敵を足台とする」ということが言われていますが、「足台」は教会に関して出てくることばなので、そのことを見ていきましょう。
参照 Ⅰ歴代誌28:2
28:2 ダビデ王は立ち上がって、こう言った。「私の兄弟たち、私の民よ。私の言うことを聞きなさい。私は主の契約の箱のため、私たちの神の足台のために、安息の家を建てる志を持っていた。私は建築の用意をした。
ここで、神の家を建てる、とあり、神の家は「足台」だと言っている。
神の家:教会
「足台」に関して、他も見てみましょう。
参照 マタイの福音書5:33‐36
5:33 さらにまた、昔の人々に、『偽りの誓いを立ててはならない。あなたの誓ったことを主に果たせ。』と言われていたのを、あなたがたは聞いています。
5:34 しかし、わたしはあなたがたに言います。決して誓ってはいけません。すなわち、天をさして誓ってはいけません。そこは神の御座だからです。
5:35 地をさして誓ってもいけません。そこは神の足台だからです。エルサレムをさして誓ってもいけません。そこは偉大な王の都だからです。
5:36 あなたの頭をさして誓ってもいけません。あなたは、一本の髪の毛すら、白くも黒くもできないからです。
35節
地:教会
33,34節
天:教会
つまり、「天地」は「教会」を指す。「天」とは、「天的な教会」のことで、「地」とは「この世的な教会」のこと。たとえば、進化論は正しいと唱える教会は、この世的な教会と言える。
36節
頭:キリスト
キリストを指しても誓ってはダメ。
世の終わりの大事なポイント:誓ってはいけない。反キリストに誓って、それが永遠の分かれ目に至ってしまうクリスチャンがいる。ゆえに誓ってはダメ!ということは覚えておく。そういう日が必ず来るから。
さらに見ていきましょう。
参照 へブル人への手紙1:10,11
1:10 またこう言われます。「主よ。あなたは、初めに地の基を据えられました。天も、あなたの御手のわざです。
1:11 これらのものは滅びます。しかし、あなたはいつまでもながらえられます。すべてのものは着物のように古びます。
10節
教会に関連して言われている。
11節
天地(教会)は滅びる。このことは、聖書の教えのひとつの柱なので、覚えておきたい。
教会は変わり、取り替えられてしまう。教会が変えられる、というのが聖書の概念。古くなって、取り替えられる。そしてこのことは主の時にも成就した。→ユダヤ教の会堂から新約の教会に変えられた。そして再度取り替えられる。黙示録には新しいエルサレムとか、新しい天地ということばが出てくる。
ゆえに教会を私たちの歩みの指針にしてはダメ。
たとえば、ローマ・カトリックは聖書に誤りがあり、教会に間違いはない、と言っている。しかしこれはみことばとは逆。
再び詩篇に戻ります。
つまりこの節において、教会がキリストの敵になる可能性があることを言っている。
ポイント:教会をすべての土台、標準にしてはダメ。なぜなら教会は変わっていくから。たとえば、艱難前携挙説がひとつの例である。しかし聖書のみことばにどこまでも従っていく。
110:2 主は、あなたの力強い杖をシオンから伸ばされる。「あなたの敵の真中で治めよ。」
杖:モーセの杖と同じ。「教師」のたとえ。
教師としてのキリストについて言われている。→民を治めたり、必要な助けを自分の民に対して行う。
「あなたの敵の真中で治めよ。」とあるように、主に頼っていくなら、敵の真ん中にいても、助けを受けたり、教えを受けたりする。
ゆえにどのような環境でも、主を助けとしていく。
エレミヤ牧師の証:以前いた教会で、たとえの意味合いとかで異端扱いされ、さいごは追い出された。でも、その間もキリストが導いてくださった。その教会は神学校が併設されていたので、聖書の読み込みやお祈りの訓練を受けることができた。その後、このようにして、終末の啓示を解き明かす働きに召された。
ゆえに環境が悪いからとか、そんな風に、一概に決め付けずに・・・キリストを信頼していきたい。敵の中でも主が治めてくださるから。
ポイント:一概にすべて敵と見なさない。そういう中でも主が治めるから。
110:3 あなたの民は、あなたの戦いの日に、聖なる飾り物を着けて、夜明け前から喜んで仕える。あなたの若者は、あなたにとっては、朝露のようだ。
「喜んで仕える」ということについて。
このことは、心から進んでささげるささげ物のことを言っている。
クリスチャンの歩み→奉仕、ささげ物はボランティア。自分の意思で自らすすんで行う。弟子の歩みもそう。このことに関しておすすめはしますが、強制はしません。
自分からささげるささげ物を神さまは喜んでくださる。そしてあらゆるトラブルから解放されていく。
ポイント:自ら仕えて、ささげていくことを神さまは喜んでくださる。
110:4 主は誓い、そしてみこころを変えない。「あなたは、メルキゼデクの例にならい、とこしえに祭司である。」
「メルキゼデク」について見てみましょう。
参照 へブル人への手紙5:6
5:6 別の個所で、こうも言われます。「あなたは、とこしえに、メルキゼデクの位に等しい祭司である。」
「メルキゼデク」ということばを通して、二種類の祭司について言われている。
①レビ系(モーセ、アロン)→モーセは石の律法を与えた。アロンは動物のささげ物をもって贖いをした。しかし律法は何事も成し遂げなかった。
②メルキゼデク系(キリスト)→キリスト自身をささげ、贖った。石の板ではなく、心の板に律法が書かれる。この歩みが完全。大いに人を助ける。しかも神がはじめからこのことを意図していた。
ポイント:紙や石に書かれた律法に歩んでいるわけではない。ポイントは心に書かれた律法。聖書に従って歩むつもりなら、このことを理解する。
さらに見ていきましょう。
参照 へブル人への手紙8:9‐11
8:9 それは、わたしが彼らの先祖たちの手を引いて、彼らをエジプトの地から導き出した日に彼らと結んだ契約のようなものではない。彼らがわたしの契約を守り通さないので、わたしも、彼らを顧みなかったと、主は言われる。
8:10 それらの日の後、わたしが、イスラエルの家と結ぶ契約は、これであると、主が言われる。わたしは、わたしの律法を彼らの思いの中に入れ、彼らの心に書きつける。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。
8:11 また彼らが、おのおのその町の者に、また、おのおのその兄弟に教えて、『主を知れ。』と言うことは決してない。小さい者から大きい者に至るまで、彼らはみな、わたしを知るようになるからである。
律法を心の板に書き付ける。→新約時代の真の意味合いの神の律法。
このことを信じて、そうなんだぁ、と思っていくときに、実態があらわれてくる。
信じて歩んでいくと、だんだんとリアルになっていく。
このことをきちんと体得していかないと、信仰生活が成り立たない。
エレミヤ牧師の証:某ファミリーレストランに何度か行ったことがあった。そのときに、ひとりのウェイターと顔見知りになり・・・とても感じの良さそうな人だったので、「月刊バイブルを渡してみよう!」という思いがきたのでそうしたところ、快く受け取ってくださった。それ以前には、自分が書いた天皇家の本も渡したことがある。いずれも、「渡したほうがいい」という思いを神さまが心に与えてくださり、そのとおり行ったら、良い結果をもたらした。
110:5 あなたの右にいます主は御怒りの日に、王たちを打ち砕かれる。
110:6 主は国々の間をさばき、それらをしかばねで満たし、広い国を治めるかしらを打ち砕かれる。
御怒りの日:さばきの日
キリストが王たちを打ち砕く時がくる。
しかばね:死体→聖書にかかわるさばきがくる。
Ex:キリストの十字架のあと、エルサレムは敵に囲まれて、しかばねで満たされた。
世の終わりにもこのことは再現する。パターンは同じ。
西暦70年のエルサレムの攻撃に対するさばきは終末にも繰り返される。→世の終わり、惑わされたトップの人たちがさばかれる。正しくクリスチャンを迫害したり、死に至らせたりするから。これに関連しても見てみましょう。
参照 ヨハネの黙示録16:13‐16
16:13 また、私は竜の口と、獣の口と、にせ預言者の口とから、かえるのような汚れた霊どもが三つ出て来るのを見た。
16:14 彼らはしるしを行なう悪霊どもの霊である。彼らは全世界の王たちのところに出て行く。万物の支配者である神の大いなる日の戦いに備えて、彼らを集めるためである。
16:15 ――見よ。わたしは盗人のように来る。目をさまして、身に着物をつけ、裸で歩く恥を人に見られないようにする者は幸いである。――
16:16 こうして彼らは、ヘブル語でハルマゲドンと呼ばれる所に王たちを集めた。
黙示録は、教会やクリスチャンに向けて書かれた「さばきの書」。
王たち:教会のトップ、リーダー
おかしなリバイバルで惑わされたクリスチャンが正しく歩むクリスチャンの敵となる。→霊のぶつかり合いが起きる。福音書にも、聖霊の火が下ると分裂が起きる、とある。
王たちを戦いのために集めた。
参照 ヨハネの黙示録19:13,14
19:13 その方は血に染まった衣を着ていて、その名は「神のことば」と呼ばれた。
19:14 天にある軍勢はまっ白な、きよい麻布を着て、白い馬に乗って彼につき従った。
神のことばに従うかどうか?
14節は、真理に従うクリスチャンのこと。
参照 ヨハネの黙示録19:15‐19
19:15 この方の口からは諸国の民を打つために、鋭い剣が出ていた。この方は、鉄の杖をもって彼らを牧される。この方はまた、万物の支配者である神の激しい怒りの酒ぶねを踏まれる。
19:16 その着物にも、ももにも、「王の王、主の主。」という名が書かれていた。
19:17 また私は、太陽の中にひとりの御使いが立っているのを見た。彼は大声で叫び、中天を飛ぶすべての鳥に言った。「さあ、神の大宴会に集まり、
19:18 王の肉、千人隊長の肉、勇者の肉、馬とそれに乗る者の肉、すべての自由人と奴隷、小さい者と大きい者の肉を食べよ。」
19:19 また私は、獣と地上の王たちとその軍勢が集まり、馬に乗った方とその軍勢と戦いを交えるのを見た。
戦いが起きる。
みことばに着くクリスチャンと、反キリストに着くクリスチャンのぶつかり合い。そしてしかばねに満たされることにつながる。
Ex:キリストと律法学者
結論:みことばに逆らっている人は、結局、永遠の命を失う。
再び詩篇に戻ります。
最終的に命を失うような滅びに至る。Ex:艱難前携挙説
ゆえに真理を信じる。
110:7 主は道のほとりの流れから水を飲まれよう。それゆえ、その頭を高く上げられる。
主に水(聖霊の働き)を飲ませる人が幸い。
かつてイエスさまはサマリヤの女に「水を飲ませてください」と言った。しかしサマリヤ、すなわちカトリックには、キリストに飲ませる水が無い。
メッセージで聖霊が働いているなら、主を満たす。そのポイントは、祈ること。
レムナントキリスト教会
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