詩篇111篇 2015.5.17
111:1 ハレルヤ。私は心を尽くして主に感謝しよう。直ぐな人のつどいと集会において。
111:2 主のみわざは偉大で、みわざを喜ぶすべての人々に尋ね求められる。
主に感謝できている、というのが、あるべきクリスチャンの姿。
私たちの間でなしてくださる偉大なみわざに目を留める。
Ex:贖いをしてくださったり、啓示を開いてくださる。
111:3 そのみわざは尊厳と威光。その義は永遠に堅く立つ。
永遠のもの、一時的ではない。
111:4 主は、その奇しいわざを記念とされた。主は情け深く、あわれみ深く、
神さまの御性質のひとつ:情け深く、あわれみ深い
人はそれぞれ。しかし主は、あわれみ深い。
「あわれみ深い」とは・・・簡単に人を見捨てない。このことは見習いたい。短気を起こさず、人に対して忍耐強く対応していきたい。
エレミヤ牧師の証:主に仕えていくことをずっと示されていた。でも、実際に仕えていくようになったのは、そんな風に示されてから20年後だった。その間、「今の歩みでは良くない」ということを主が語られた。そして人を通して「主に仕えていくのがベスト」ということを示され、そういう道に入った。その裏には、主がおりにふれ、語ってくださったから。それは恵みとなった。ゆえに自分も人に対して簡単にあきらめずに語っていきたいと思う。
主はそういうお方、ということをおぼえていきたい。
111:5 主を恐れる者に食べ物を与え、その契約をとこしえに覚えておられる。
主を恐れない人、いわば傲慢な人は、食べ物(パン:みことば、水:聖霊の働き)をもらえない。
これらは主を恐れる者に与えられる。
エレミヤ牧師の証:あることを契機に、色々と主から食べ物を与えられるようになった。主を恐れて仕えていこうと決意してから与えられるようになった。Ex:たとえやなぞの理解
ポイント:主を恐れる中で、大事な事柄が教えられる。
主を恐れることを尊重していきたい。
111:6 異邦の民のゆずりの地を、ご自分の民に与え、彼らに、そのみわざの力を告げ知らせられた。
主に従っていくなら、異邦の民が受け継がなかったもの、つまりクリスチャンが受け継ぐべき永遠の地を受けていく。
111:7 御手のわざは真実、公正、そのすべての戒めは確かである。
主の戒め、律法は、交通法規のようなもの。
一度定められたら変更は無い。必ず実行される。
Ex:交通法規を知ろうと知るまいと、交通法規にしたがって車は走行する。それと同じく・・・たとえば聖書の中で、御使いをそしることや霊の戦いをしてはダメだということが書かれていて、それらを実行してしまう場合に、聖書に書かれているように、真っ暗な闇に入れられてしまう。つまり真理が見えなくなってしまう。
そういう意味で、戒めは確かなもの。
みことばを正しく知ることが大事。
サタンはすべてを知っていて、その上でだます。
決められた定めは実現するので、正しく知り、行っていく。
111:8 それらは世々限りなく保たれ、まことと正しさをもって行なわれる。
どのみことばも皆、法則、教え、律法はそのとおりに実行される。
例外は無いので、私たちが合わせていく。
111:9 主は、御民に贖いを送り、ご自分の契約をとこしえに定められた。主の御名は聖であり、おそれおおい。
主は私たちに契約を行い、永遠に定められ、守ってくださる。
私たちが主の契約にしたがって、入るべき所に入る。
しかし、契約は相互に義務がある。
Ex:家の賃貸→借り手側がきちんと契約を守っているなら、いくら大家さんであっても追い出すことはできない。
それと同じように、神さまも契約を守る、しかし、私たちも契約を守る。
主の契約について。
参照 創世記17:9‐11
17:9 ついで、神はアブラハムに仰せられた。「あなたは、あなたの後のあなたの子孫とともに、代々にわたり、わたしの契約を守らなければならない。
17:10 次のことが、わたしとあなたがたと、またあなたの後のあなたの子孫との間で、あなたがたが守るべきわたしの契約である。あなたがたの中のすべての男子は割礼を受けなさい。
17:11 あなたがたは、あなたがたの包皮の肉を切り捨てなさい。それが、わたしとあなたがたの間の契約のしるしである。
たしかにこれはアブラハムと神との契約のことを言われている。
しかし、アブラハムは、すべての神の先祖の代表として書かれている。つまり私たちクリスチャンの先祖。ゆえにすべてのクリスチャンはアブラハムと同じ契約を個々に結んでいる。ゆえにアブラハムのように契約を守るよう、導かれている。
そして約束の地に入るための契約はたったひとつだけである。→「割礼を守れ!」というのが、神が私たちに要求しているたったひとつの契約。そしてこれはすべてのクリスチャンにかかわること。しかも男女に関係なく、皆受けるべきもの。また、神が言われている「割礼」とは、「心の割礼」のことである。
ゆえにここでの結論は、「心の割礼」を受けるなら、クリスチャンとして入るべき所に入る、という風に認められる、ということ。ちなみに「心の割礼」とは、「肉を切り離す」こと。そして「肉」はしつこく、なかなか切り取られないということも理解する。それゆえに「心の割礼」は、ある意味、一生の課題とも言える。そして唯一神さまが要求しているのが「心の割礼」だけ。けれどもとても大事な事柄で、神さまはこのことに非常にこだわりを持っておられるので、ゆえにこのことを心に留める。たしかに、なかなか切り取られないのも事実。しかしその方向へ向かっていく。
Ex:今までテレビに夢中になっていた時間を、少しずつ祈りのためにさいていく。
繰り返しますが、どうも神さまはこのこと(心の割礼)にこだわっている。そしてどんなに霊的なクリスチャンであっても、これはさいごまで課題となる。「心の割礼」は、生涯にわたって受け続けていくものなのかもしれない。
また、聖霊によって歩んでいくのを妨害するのは、「肉」だということを正しく理解しておくのも大事。
111:10 主を恐れることは、知恵の初め。これを行なう人はみな、良い明察を得る。主の誉れは永遠に堅く立つ。
神を恐れることが知恵のある歩みをするはじめ。
明察:悟り
みことばを行う人は、悟りを得る。
エレミヤ牧師の証:主から「エレミヤの召し」を受けたので、みことばを行うことにした。そしてある時、以前行っていた教会の牧師に、主から示されたメッセージを渡した。でも、受け入れてもらえなかったので、HPに載せた。そんな風に行っていく中で、徐々に聖霊にあって悟りを得るようになった。アメリカが獣の国であるということも悟った。それはみことばを行ったからだと思う。
ポイント:主を恐れ、みことばを行っていき、悟りを得て、この時代に必要な奉仕の一端を担っていきたい。
レムナントキリスト教会
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