詩篇132篇 2015.10.18

 

都上りの歌

 

 

132:1 主よ。ダビデのために、彼のすべての苦しみを思い出してください。

132:2 彼は主に誓い、ヤコブの全能者に誓いを立てました。

132:3 「私は決して、わが家の天幕にはいりません。私のために備えられた寝床にも上がりません。

132:4 私の目に眠りを与えません。私のまぶたにまどろみをも。

 

 

132:5 私が主のために、一つの場所を見いだし、ヤコブの全能者のために、御住まいを見いだすまでは。」

132:6 今や、私たちはエフラテでそれを聞き、ヤアルの野で、それを見いだした。

132:7 さあ、主の住まいに行き、主の足台のもとにひれ伏そう。

132:8 主よ。立ち上がってください。あなたの安息の場所に、おはいりください。あなたと、あなたの御力の箱も。

132:9 あなたの祭司たちは、義を身にまとい、あなたの聖徒たちは、喜び歌いますように。

 

これらのみことばは、ダビデがしたことを見れば理解出来る。ダビデは宮の備えをし、ソロモンがそれを建てた。宮を建て、契約の箱が入った。しかし、それはたとえとしても語られている。

 

契約の箱のひとつのポイントについて・・・神の宮、すなわち家とか住宅というのは、普通は不動産。ゆえに「宮」とか「家」とか「住まい」というのは基本的には動かない。しかし、契約の箱は動く。たとえば「神輿」がそう。人が担いで移動する。府中にある神社の神輿は、途中一泊して次の朝に帰ってくる。そして、「契約の箱」とは、「神の臨在」のことをあらわす。つまり「聖霊」は常に動いて、お一人一人と共に歩いてくださる。

 

また、5節のことばにポイントがある。それまでは眠ったらダメ。何が何でも主のために場所を用意する。このことに教えがある。とにかく居眠りをしていてはダメ。ダビデは文字通り、契約の箱を納める場所を求めた。私たちは神の臨在をどこであっても確保し、その後、眠ったり、他のことを行う。神に生活に入っていただく。「この所で祈る」という場所、住まいを確保する。聖霊に祈る、という時間を確保する。

 

エレミヤ牧師の証:ある時からクリスチャン生活に不足を覚えた。それから祈りの時間を決めるようにした。祈りの習慣を身に付けた。当時は台所で、夜寝る前に一時間祈った。

 

しかし、5節のことを場合によっては見出さない可能性がある。けれどもそれでは祝福が来ない。

 

132:10 あなたのしもべダビデのために、あなたに油そそがれた者の顔を、うしろへ向けないでください。

132:11 主はダビデに誓われた。それは、主が取り消すことのない真理である。「あなたの身から出る子をあなたの位に着かせよう。

 

ダビデはイスラエルの王であり、代表的な王。そしてこのことを文字通り取るなら、ダビデ王朝は続く。しかし、それだけではなく、ダビデは王であるキリストの型でもある。そして私たちはキリストの跡を継ぐ者としている。「しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。」(ヨハネの福音書1:12と書かれている通りである。

 

キリストを信じた人は、神の子孫。そして王の位を継ぐ、ということを考えてみたい。

 

参照 ルカの福音書22:2430

22:24 また、彼らの間には、この中でだれが一番偉いだろうかという論議も起こった。

22:25 すると、イエスは彼らに言われた。「異邦人の王たちは人々を支配し、また人々の上に権威を持つ者は守護者と呼ばれています。

22:26 だが、あなたがたは、それではいけません。あなたがたの間で一番偉い人は一番年の若い者のようになりなさい。また、治める人は仕える人のようでありなさい。

22:27 食卓に着く人と給仕する者と、どちらが偉いでしょう。むろん、食卓に着く人でしょう。しかしわたしは、あなたがたのうちにあって給仕する者のようにしています。

22:28 けれども、あなたがたこそ、わたしのさまざまの試練の時にも、わたしについて来てくれた人たちです。

22:29 わたしの父がわたしに王権を与えてくださったように、わたしもあなたがたに王権を与えます。

22:30 それであなたがたは、わたしの国でわたしの食卓に着いて食事をし、王座に着いて、イスラエルの十二の部族をさばくのです。

 

キリストの弟子たちは、キリストのように王座に着く。ゆえに、旧約聖書に書かれていることは型であり、未来への預言でもある。つまりキリストにあって生まれた、キリストに真に着く人こそ、王の位に着く。

 

22:29 わたしの父がわたしに王権を与えてくださったように、わたしもあなたがたに王権を与えます。

 

正しくキリストに着いていくときに、王の位に着く。

 

22:30 それであなたがたは、わたしの国でわたしの食卓に着いて食事をし、王座に着いて、イスラエルの十二の部族をさばくのです。

 

正しくキリストに着いていくときに、12部族をさばく。ゆえに、今の時代やこの世のことばかりではなく、永遠のことに視点を置く。

 

22:24 また、彼らの間には、この中でだれが一番偉いだろうかという論議も起こった。

 

この世にあっては、威張るようなことを求めてはダメ。人間の本性にこういうことがある。しかし、26節のような歩みが正しい。そうするなら、後の世で高い位に上げられる。

 

22:28 けれども、あなたがたこそ、わたしのさまざまの試練の時にも、わたしについて来てくれた人たちです。

 

王に座す、という素晴らしい約束がある。しかし28節のことがセットとなる。私たちも12弟子と同じパターン。つまりキリストに正しく従うなら、王座は確定。

 

132:12 もし、あなたの子らが、わたしの契約と、わたしの教えるさとしを守るなら、彼らの子らもまた、とこしえにあなたの位に着くであろう。」

 

ダビデの子孫に王座が約束されている。しかし、条件がある。「わたしの契約と、わたしの教えるさとしを守るなら、」のことばがその答えである。ゆえに正しく守る。キリストのゆえに途中カルトと呼ばれても、12弟子は守り続けた。私たちも同じように守り続けるなら、王座に着く。

 

そして主の言われたことは腰を軽くしてすぐに行う。そして、「契約を守る」という歩みに入っていきたい。世の中で行動&決断の早い人がいる。ペテロやヨハネやヤコブがまさにそうだった。彼らは良い模範である。そして神の働きに関連してはそれが良い。

 

ポイント:さとし&契約を行う。そうするなら王座に着く。

 

132:13 主はシオンを選び、それをご自分の住みかとして望まれた。

132:14 「これはとこしえに、わたしの安息の場所、ここにわたしは住もう。わたしがそれを望んだから。

132:15 わたしは豊かにシオンの食物を祝福し、その貧しい者をパンで満ち足らせよう。

 

聖霊がクリスチャンに臨在する。その結果、パンで満ちていく。そして安息に住むことが、パンの祝福につながる。聖書を読んだりすることと、主の臨在とパンは大いに関係する。

 

132:16 その祭司らに救いを着せよう。その聖徒らは大いに喜び歌おう。

 

祭司は救いをゲットする。

 

ポイント:主が臨在している時間があるかどうかは大事。

 

132:17 そこにわたしはダビデのために、一つの角を生えさせよう。わたしは、わたしに油そそがれた者のために、一つのともしびを備えている。

132:18 わたしは彼の敵に恥を着せる。しかし、彼の上には、彼の冠が光り輝くであろう。」

 

主の臨在の中を歩み、用意するなら恥を見ない。逆に敵対する者が恥を見る。