詩篇148篇 2016.1.31
148:1 ハレルヤ。天において主をほめたたえよ。いと高き所で主をほめたたえよ。
148:2 主をほめたたえよ。すべての御使いよ。主をほめたたえよ。主の万軍よ。
主をほめたたえる。
色々なことがあっても・・・しかし、歩みの中で、主をほめたたえていきたい。
ポイント:主をほめたたえる歩みに入っていく。
148:3 主をほめたたえよ。日よ。月よ。主をほめたたえよ。すべての輝く星よ。
148:4 主をほめたたえよ。天の天よ。天の上にある水よ。
「日」「月」「星」は、クリスチャンのたとえ。
「星」は、夜空を照らす。
そして、「星」のポイントは、輝くこと。
なぜ、「星」(クリスチャン)は、輝く必要があるのか?→世の中は、罪や悪が多い。でも、クリスチャンは世の中で輝く存在だから。
私たちクリスチャンは、輝いていなければいけない。
ポイント:クリスチャンとしての「光」をあらわすこと。
そのことに関連して、さらにみことばを見ていきましょう。
参照 マタイの福音書5:13
5:13 あなたがたは、地の塩です。もし塩が塩けをなくしたら、何によって塩けをつけるのでしょう。もう何の役にも立たず、外に捨てられて、人々に踏みつけられるだけです。
「塩」は、腐敗を防ぐもの。そんな風に・・・クリスチャンは、世の中の腐敗を防ぐ存在。ゆえに、正しいことに立って、神の光をあらわしていきたい。
もう少し、見てみましょう。
参照 マタイの福音書5:14‐16
5:14 あなたがたは、世界の光です。山の上にある町は隠れる事ができません。
5:15 また、あかりをつけて、それを枡の下に置く者はありません。燭台の上に置きます。そうすれば、家にいる人々全部を照らします。
5:16 このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせ、人々があなたがたの良い行ないを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい。
クリスチャンを指す星とは、こういうことを言われている。暗い世の中で、光をあらわす。
そして、16節に書かれているように、お一人一人の行いを通して、人々に神を見てもらう。神は目には見えないお方であるのは事実。しかし、クリスチャンを通して、目に見えない神さまが、どのようなお方なのかを知ってもらうことが出来る。そして、私たちクリスチャンの良い行いを通して、神さまを見てもらい、神さまを崇めてもらう。
Ex:三浦綾子著「塩狩峠」の話を通して、多くの人がクリスチャンになった。
エレミヤ牧師の証:ある友人に、「あの人(エレミヤ牧師)を見ると・・・何かが違う、ということが分かる。イエス・キリストのことが分かる。」ということを言ってもらったことがある。
私たちクリスチャンを通して、キリストの光が輝いていく、というのが聖書の方法。ゆえに、ことば&行いの両方で、イエス・キリストのことを伝えていく。
148:5 彼らに主の名をほめたたえさせよ。主が命じて、彼らが造られた。
「主が命じて、彼らが造られた。」ということばに関連して、「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。」(Ⅱコリント人への手紙5章17節)という風にも書かれているので・・・主によって、私たちは新しく造られたので、このことでも、主をほめたたえていきたい。
148:6 主は彼らを、世々限りなく立てられた。主は過ぎ去ることのない定めを置かれた。
148:7 地において主をほめたたえよ。海の巨獣よ。すべての淵よ。
148:8 火よ。雹よ。雪よ。煙よ。みことばを行なうあらしよ。
「火」「雹」「雪」「煙」は、良いことばではない。災いをあらわしている。
「みことばを行なうあらし」ということばも、しかり。このことも、呪い&災いに関してについて言われている。
主は、みことばに関して、祝福&呪いの両面に関して語られている。ゆえに、レムナントキリスト教会も、両面について語るようにしている。ちなみに、片面しか言わないことを「異端」と言う。
そして、「みことばを行なうあらし」ということばの意味合いは・・・私たちがみことばを正しく行っていくなら問題は無い、しかし、みことばを行わないなら呪いが来たり、おかしな霊でやられてしまう、ということを言われている。
少しでもおかしな歩みをしていると、おかしな霊にとらわれてしまう。
特に今は、惑わしの霊が身近に働く時代なので、気を付けなければいけない。
正しく歩まないときに、悪い霊が続出してしまう。
ゆえに、神に対して恐れを持つことが大事。
ポイント:さばきの矢面にならないように、恐れをもって歩んでいきたい。
148:9 山々よ。すべての丘よ。実のなる木よ。すべての杉よ。
148:10 獣よ。すべての家畜よ。はうものよ。翼のある鳥よ。
148:11 地の王たちよ。すべての国民よ。君主たちよ。地のすべてのさばきづかさよ。
148:12 若い男よ。若い女よ。年老いた者と幼い者よ。
148:13 彼らに主の名をほめたたえさせよ。主の御名だけがあがめられ、その威光は地と天の上にあるからだ。
13節に書かれているように、「主の御名」を崇める。ここにポイントがあることを求めていくときに、神さまからの誉れ&助けを受ける。ゆえに、「主の御名」を尊重し、このことを求めていく。
エレミヤ牧師の証:最近、福音的なことを主に示されている。月刊バイブルの原稿を書いていく中で、今ひとつポイントが掴めなかった。何を書いて良いか?についてのポイントが見えなかった。そして、そのことで「キリストの名」によって、祈った。そうしたら、最近、福音のポイントが見えてきた。救いのポイントが見えるようになった。方向性が見えてきた。
そんな風に・・・信仰をもって、「主の御名」だけを頼りにすることにポイントがある。
148:14 主は、その民の角を上げられた。主の聖徒たち、主の近くにいる民、イスラエルの子らの賛美を。ハレルヤ。
「主の近くにいる民」とあるように、主の近くに居る民に、大いにポイントがある。
旧約聖書に「レビ人」(レビ:「くっつく」という意味)ということばが出てくる。このことばは、新約時代のキリストの12弟子に相当する。
12弟子のように・・・霊的に、主に近い歩みをしていきたい。
そのために、祈りの時間をきちんと持ちたい。
主に近い歩みをしていくときに、色々と大事なことを教えてもらえる。
主の近くに居ると、主の小声が聞こえたり、御国の奥義を教えてもらえたりする。
主の近くを歩むことにポイントがある。
レムナントキリスト教会
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