詩篇94篇 2015.1.18

 

94:1 復讐の神、主よ。復讐の神よ。光を放ってください。

94:2 地をさばく方よ。立ち上がってください。高ぶる者に報復してください。

94:3 主よ。悪者どもはいつまで、いつまで、悪者どもは、勝ち誇るのでしょう。

94:4 彼らは放言し、横柄に語り、不法を行なう者はみな自慢します。

94:5 主よ。彼らはあなたの民を打ち砕き、あなたのものである民を悩まします。

聖書のことばは、クリスチャン向けに書かれているということを理解する

ゆえに「不法を行う者」とは、単なる犯罪人とかヤクザのことを言われているだけではなく、クリスチャンの中にも不法を行ったり悪いことをしたりする人がいる、ということをも言われている

たとえば初降臨の時にイエス・キリストに対して猛烈に反対した人たちはこの世の人というより、聖書の専門家である律法学者やパリサイ人(今で言う牧師や教師、すなわちクリスチャン)だった

そしてこのことは終末に再現すると思われる、ゆえにみことばに従っているがゆえに非難されたり、迫害されたり、訴えられたりしたとしてもおどろいてはダメ

主は無罪でありながら、有罪にされ、十字架で殺された

しかし神はそれに対して報復された

神は不法に対して復讐する

そして復讐は神に委ねる、それこそ「愛する人たち。自分で復讐してはいけません。神の怒りに任せなさい。それは、こう書いてあるからです。「復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする、と主は言われる。」(ローマ人への手紙12章19節)と書かれているので、自分で解決したり復讐したりしないこと!

旧約時代、エルサレムの人は一人残らず皆滅ぼされた

たしかにこれからクリスチャンは艱難に会う、でも「復讐の神」がいるので安心して良い

そこで惑わされて反キリストを拝んだり、獣のしるしを付けたりしてはダメ

「復讐の神」ということを覚えておく

また、「不法」とは、まっすぐなみことばに対して曲がったことを言うこと

それに関しても神が正しく対応してくださるので、心配せずに歩んでいきたい

 

94:6 彼らは、やもめや在留異国人を殺し、みなしごたちを打ち殺します。

ここは、「たとえ」で語られている

聖書の多くのことばは「なぞ」や「たとえ」が使われている

やもめ:旦那が今いない人のこと、そしてこのことばは今地上に夫とすべき方がいず、来るべきキリストを夫とするクリスチャンのたとえ

みなしご:聖書に「あなたがたは地上のだれかを、われらの父と呼んではいけません。あなたがたの父はただひとり、すなわち天にいます父だけだからです。」(マタイの福音書23章9節)とあるように、地上の誰も父と呼ばずに天の父なる神だけを父とするクリスチャンのたとえ、ゆえにカトリックのローマ法皇が「パパさまと呼べ!」なんていうのはNG、このことはみことばに反する

ゆえにやもめ、みなしごの立場が正しい、しかしそういう人が艱難に会う、迫害に会う、そしてこのことは不変的な真理でもある、こういうことは昔からそうだった

しかし主の目は、やもめやみなしごに注がれている

ゆえに正しくみことばに従うゆえに教会を追い出されたりして、そのことがたとえ不本意であっても、神さまが報いてくださる

これから艱難時代に向けてこういうことが益々起きてくる、しかし主が正しく復讐されるので、心配しなくて良い

 

94:7 こうして彼らは言っています。「主は見ることはない。ヤコブの神は気づかない。」

94:8 気づけ。民のうちのまぬけ者ども。愚か者ども。おまえらは、いつになったら、わかるのか。

94:9 耳を植えつけられた方が、お聞きにならないだろうか。目を造られた方が、ご覧にならないだろうか。

94:10 国々を戒める方が、お責めにならないだろうか。人に知識を教えるその方が。

神はすべてをご存知

 

94:11 主は、人の思い計ることがいかにむなしいかを、知っておられる。

これはその通り、聖書に書かれていることが正しい、人から出た思いはむなしい、というのが正しい

Ex:月刊バイブルにおいて「進化論の誤り」について語った、それは人のむなしい思い込みだから

そして人から出た教えはどこかで潰れる

Ex:艱難前携挙説はみことばと違う、しかし艱難後携挙だと、つじつまが合う

神の思いを聖霊にあって教えられるときに、永遠の命につながる

エレミヤ牧師が理解したクリスチャンの大事なポイント→クリスチャンは永遠の命を得てなんぼのもの、しかしクリスチャンは根拠の無い勘違いをしている、それを悟って歩みを正した、それは神からの悟りだった、ゆえに神からの悟りを求めていきたい

 

94:12 主よ。なんと幸いなことでしょう。あなたに、戒められ、あなたのみおしえを教えられる、その人は。

94:13 わざわいの日に、あなたがその人に平安を賜わるからです。その間に、悪者のためには穴が掘られます。

ここで「幸いな人」のことを書いている

「みおしえ」を教えられるなら幸い

ちなみに「戒められる」とは、良いことばではない

また、皆が皆、戒めを受け、教えを受けるとはかぎらない、ある意味あまり言うことを聞かない人は神に見捨てられている可能性がある

でも、神から教えられるなら幸い、そしてその声に従っていくなら「狭い道」に入り、「御国」に入る

たしかに人が滅多に行かない道である

神はお一人一人が「天の御国」に入るべく、訓練し、教えている

きちんと神さまに聞いていくなら、どんなに門が小さくても入っていく、問題は聞かないこと

本当に神の声を聞いて行っていくなら、益になる

主はハッキリしている→戒める、教える、けれども聞く気が無いことが問題

本当に聞いていくなら、「永遠の命」に入っていく、ゆえに歩むべき道を歩んでいきたい

自分の悟りに頼らず、主に頼る

参照 箴言3:5

3:5 心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りにたよるな。

天の御国への門は「狭い門」なので、人の悟りでは入れない、しかし謙虚になって聞いていくなら、みごとに入る

そして主の導きに間違いは無い、問題は心を頑なにして聞かないこと

13節に書かれていることを通して分かるのは、12節とは扱いが全く違う、こちらは「穴」が掘られる、ゆえに神を恐れないとダメ、「落とし穴」は結構落ちる

ゆえに「悪者」と見なされてはいけない

Ex:パリサイ人や律法学者は会衆から尊敬されていた、しかしイエスさまからは「白く塗られた墓」と言われた

参照 マタイの福音書23:27

23:27 忌わしいものだ。偽善の律法学者、パリサイ人たち。あなたがたは白く塗った墓のようなものです。墓はその外側は美しく見えても、内側は、死人の骨や、あらゆる汚れたものがいっぱいなように、

「悪者」とは、ヤクザや犯罪人だけではなく、「白く塗られた墓」と言われた人たちのことも言っている、そして彼らのために神によって「穴」が掘られた

Ex:ナザレのイエスが引っ掛け問題となった、彼らは救い主はベツレヘムと思い込み、イエス・キリストを目の当たりにしながらも救い主と認められなかった

そしてこのことは今の教訓として語られている

神に「悪者」と見なされたら、「落とし穴」が掘られる Ex:艱難前携挙説

それにみごとに引っ掛かっている人が多い、ゆえに神を恐れないとダメ

どこまでも頑固におかしな教理を掴んでしまうのはなぜか?→「悪者」と見なされている可能性があるから

悟りも含めて、歩みが正しくないと、「わな」が理解できない

「悟り」と「歩み」は大いに関係がある、そして「わな」が仕掛けられる

神が書かれたことを無視してはダメ、「悪者」に「穴」が仕掛けられる

そして多くのクリスチャンが悟っていない

変な教理を掴むのは、その人の歩みに関係する、その人の本音が大いに関わる

 

94:14 まことに、主は、ご自分の民を見放さず、ご自分のものである民を、お見捨てになりません。

94:15 さばきは再び義に戻り、心の直ぐな人はみな、これに従うでしょう。

94:16 だれが、私のために、悪を行なう者に向かって立ち上がるのでしょうか。だれが、私のために、不法を行なう者に向かって堅く立つのでしょうか。

94:17 もしも主が私の助けでなかったなら、私のたましいはただちに沈黙のうちに住んだことでしょう。

94:18 もしも私が、「私の足はよろけています。」と言ったとすれば、主よ、あなたの恵みが私をささえてくださいますように。

94:19 私のうちで、思い煩いが増すときに、あなたの慰めが、私のたましいを喜ばしてくださいますように。

正しく神のことばに従っている人は、色々と不本意な目に会う

 

94:20 おきてにしたがって悪をたくらむ破滅の法廷が、あなたを仲間に加えるでしょうか。

こういう日が来る

参照 マタイの福音書10:17,ヨハネの福音書16:2

10:17 人々には用心しなさい。彼らはあなたがたを議会に引き渡し、会堂でむち打ちますから。

16:2 人々はあなたがたを会堂から追放するでしょう。事実、あなたがたを殺す者がみな、そうすることで自分は神に奉仕しているのだと思う時が来ます

おきて:みことば

ここで言われていることは、みことばに従って正しいクリスチャンに悪を行ったり、罪に定めたりする日が来る、ということ

イエスさまの時もそうだった、そして終末にこのことは再現する

 

94:21 彼らは、正しい者のいのちを求めて共に集まり、罪に定めて、罪を犯さない人の血を流します。

このことも終末に再現する

正しい人が訴えられることが、世の終わりにも起きる

 

94:22 しかし主は、わがとりでとなり、わが神は、わが避け所の岩となられました。

94:23 主は彼らの不義をその身に返し、彼らの悪のゆえに、彼らを滅ぼされます。われらの神、主が、彼らを滅ぼされます。

正しいクリスチャンにとって不本意な時が来る、このことは色々な形で書かれている、しかし期間は三年半

ゆえに絶望してはいけない、また悪者にはキッチリと「罰」をくださるので、心配する必要は無い

聖書は神さまを中心に書かれている、しかし多くのクリスチャンは自分を中心に聖書を理解している

そして神は明らかに選り分けをする

同じクリスチャンでも対応は二種類

Ex:良い魚VS悪い魚、賢い娘VS愚かな娘、麦VS毒麦

「悪い魚」「毒麦」は火で焼かれる、そして「愚かな娘」は花婿であるキリストから「あなたがたがどこの者か、私は知らない」(ルカの福音書13章25節)と言われた、ゆえにいずれもこれらは天の御国を継がないパターンと言える

ゆえに聖書は書かれているように読み、私たちのほうでみことばに合わせる

主の言われている方向へ合わせていく