詩篇99篇 2015.2.22
99:1 主は王である。国々の民は恐れおののけ。主は、ケルビムの上の御座に着いておられる。地よ、震えよ。
◆主は王である(KJV):主は治める
◆「治める」とは、王として支配しておられる、という意味。
◆また、「治める」と聞くと、単に偉そうにふんぞり返っているように思える。しかしそうではなく、主が「治める」というときに、こういうことが言える。→正しい者には速やかに正しく報いる。そして悪い者には速やかに「罰」を下す。そういうニュアンスがある。
Ex:交通違反をすると・・・赤信号で車を走行して警察の人に見つかるなら、「罰金」を命じられる。それと同じように私たちも悪いことをするときに、神さまからの「罰」が速やかに来る。
ポイント:たとえ私たちの目には見えなくても、主が治めている、さばいている、ということは正しくとらえておきたい。そしてこの世の中のこともそうだけれども、キリスト教会の両方を治めている。すなわち全世界を主は治めている。
◆「ケルビム」とは?
参照 創世記3:24
3:24 こうして、神は人を追放して、いのちの木への道を守るために、エデンの園の東に、ケルビムと輪を描いて回る炎の剣を置かれた。
◆ケルビム=天使
◆ちなみに「契約の箱」の上にも、ケルビムの翼がある
参照 Ⅰ列王記8:6
8:6 それから、祭司たちは主の契約の箱を、定めの場所、すなわち神殿の内堂である至聖所のケルビムの翼の下に運び入れた。
◆ケルビム、すなわち神の命令を実行する天使が沢山いて、良いこと&悪いことの対応をする。このあたりも「信仰の世界」になる。たとえ目には見えなくても、神の言うことを正しいという立場に立つときに、正しい歩みに入る。
Ex:イエスの母マリヤの夫ヨセフに「幼子を連れてエジプトに逃げなさい」という御告げがあった。そのおかげで助かった。
参照 マタイの福音書
2:13 彼らが帰って行ったとき、見よ、主の使いが夢でヨセフに現われて言った。「立って、幼子とその母を連れ、エジプトへ逃げなさい。そして、私が知らせるまで、そこにいなさい。ヘロデがこの幼子を捜し出して殺そうとしています。」
ポイント:正しい人には、助けが与えられる。歩みが正しければ、天使の助けがある。
※エレミヤ牧師の証:土曜日の集会後とかに、散歩をしながら祈っているときに、「ミルクティーを飲みながら新聞を読みたい」なんて思うことがある。そんな時に、ふとある場所に行くと、そこではサービスで飲み物を提供してくれて、温かいミルクティーも置いてあり、しかも新聞もある。そういうコーナーで一休みしてから・・・さらに散歩を続けていくと、辺りは夜になって暗くなっている。そして着ている服が黒い場合に、車が危ないことがある。その時に「御使い」が留めることがある。「危ない!」ということが心の思いに来たりする。そうすると、引かれずに守られる。
ポイント:御使いが危険を教えてくれたり、助けてくれたりする。
◆反対に・・・私たちが良くないことを行ってしまうときに、今度は御使いが災いになる。
参照 ヨハネの黙示録8:1,5,7
8:1 小羊が第七の封印を解いたとき、天に半時間ばかり静けさがあった。
8:5 それから、御使いは、その香炉を取り、祭壇の火でそれを満たしてから、地に投げつけた。すると、雷鳴と声といなずまと地震が起こった。
8:7 第一の御使いがラッパを吹き鳴らした。すると、血の混じった雹と火とが現われ、地上に投げられた。そして地上の三分の一が焼け、木の三分の一も焼け、青草が全部焼けてしまった。
◆ここでのたとえを理解する。
◆ひとつは御使いを通して「災い」が「地上」に下される。御使いは、神の命令を行う。そして地上(この世に着いたクリスチャン。天ではなく、地に属するクリスチャン)とか背教のクリスチャンに対して、御使いは災いを下される。
Ex:白バイが停まり、乗用車が止められている。そして切符を切られている。はじめからその状況を見ていなくても、それは悪いことをしたから、ということが分かる。
◆もうひとつとして、御使いを通して災いが下される。そしてそれは「神の命令」を行っている、と言える。さらにその理由としては、みことばを守らないゆえにそうなる。
青草が全部焼けてしまった:私たちが食べるべきみことばが変な霊でやられること。
ポイント:神は私たちの良い行い、良くない行い(悪い行い)の両方に反応する。
ポイント:神はクリスチャン生活に大いに「干渉」している。そのことを私たちが見ないだけ。ゆえに「ケルビム」は私たちの歩みと大いに関係する。
※エレミヤ牧師の証:某ペンテコステ派の教会で行われている集会に行った。当時はあまり吟味が無く、しかし年末に聖会があったので出掛けた。そこには外国人の器が来ていた。そして集会の合間に、コーヒーを飲んでいた。その時にその教会員の人らしき人たちが何人かいて、2,3話をしていた。他の人の悪口をいっていた。しかもそんな風に悪口を言っている彼らは、どうもクリスチャンらしい。その後、再び集会に出た。すると、さっき話していた人たちが倒されている。しかも気持ちの悪い倒れ方をしていた。何だか「悪霊」を受けているようだった。そのことを通して、神さまはそれぞれの人の行いに報いる、ということを理解した。
ポイント:同じように霊を受けて、ある人は守られる。しかし一方、歩み方次第によっては「変な霊」を受けてしまうので神を恐れていきたい。「変な霊」を受けることのないように、歩みを糾すべきところがあれば、糾していきたい。
99:2 主はシオンにおいて、大いなる方。主はすべての国々の民の上に高くいます。
99:3 国々の民よ。大いなる、おそれおおい御名をほめたたえよ。主は聖である。
99:4 王の力は、さばきを愛する。あなたは公正を堅く立てられた。あなたは、ヤコブの中で、さばきと正義を行なわれた。
◆神は、「さばき」をされる。
◆神はどういうことも見通されている。
◆「歩み」に応じて、「良い報い」or「悪い報い」を受ける。
◆「ヤコブ」は旧約で言う「イスラエル」であり、新約で言えば「教会」や「クリスチャン」のこと。
◆神は旧約の民の間でも、正しいさばきを行った。ゆえに新約も同様。私たちクリスチャンや教会のことをさばく。
◆キリスト教会の歩みの中で、正しいことには良いことを、そして正しくないことには「悪い報い」をされる。
※エレミヤ牧師の証:高校時代に東京都の練馬の教会で洗礼を受けた。そのことは感謝で、毎週礼拝に行っていた。しかしメッセージを聞いても恵まれなかったので、後ろのほうで本を読んでいた。そして先輩のクリスチャンに怒られた。それはそうとしても、しかしどうしてだろう?なぜ恵まれないのか?と疑問に思った。また、日○基督教会も恵みが無い、と聞いている。ちなみに日○基督教会は戦時中、キリストを否定していたそう。そういったことの報いが如実に来ている、ということが分かった。そしてエレミヤ牧師が行っていた教会も、どうもそうだったらしい。ゆえにメッセージを聞いていて「力」が出る、ということは無かった。ちなみに聖書には「離縁された教会」がある、ということについて書かれている。そして「離縁された教会」とは、キリストに見放された教会のこと。日○基督教会では「奇跡」や「復活」を否定しているそう。しかも「同性愛」を容認しているらしい。それはかつて戦時中にキリストを否定したから、と思われる。そして神さまに「恵まれる道をお開きください」と祈った。すると・・・しばらくしてから祈りが聞かれた。同じ駅の反対側の出口の教会に導かれ、恵まれた。同じ「教会」と名が付いていても、こんなにも違うのか?と思うほどだった。そこの教会は「ホーリネス系」の教会で、戦時中キリストを否定しなかった。初代牧師がキリストを信じるゆえに逮捕されて一年くらい牢に入れられていたとのこと。キリストに忠実のゆえに恵みが来て、聖霊の働きがある、ということを理解した。そしてこのことは、まさに上記4節のみことばの成就だと思った。キリストを裏切るような教会は、聖霊の働きが消える。しかし一方、忠実だと恵みがある、ということを悟った。
ポイント:あらゆる事柄に神が働いている。クリスチャンや教会に起きているあらゆることは、神と無縁ではない。ゆえに忠実に歩んでいきたい。
99:5 われらの神、主をあがめよ。その足台のもとにひれ伏せ。主は聖である。
99:6 モーセとアロンは主の祭司の中に、サムエルは御名を呼ぶ者の中にいた。彼らは主を呼び、主は彼らに答えられた。
99:7 主は、雲の柱から、彼らに語られた。彼らは、主のさとしと、彼らに賜わったおきてとを守った。
◆「主に仕える者」に対して、祈りが答えられる。
参照 民数記14:11‐20
14:11 主はモーセに仰せられた。「この民はいつまでわたしを侮るのか。わたしがこの民の間で行なったすべてのしるしにもかかわらず、いつまでわたしを信じないのか。
14:12 わたしは疫病で彼らを打って滅ぼしてしまい、あなたを彼らよりも大いなる強い国民にしよう。」
14:13 モーセは主に申し上げた。「エジプトは、あなたが御力によって、彼らのうちからこの民を導き出されたことを聞いて、
14:14 この地の住民に告げましょう。事実、彼らは、あなた、主がこの民のうちにおられ、あなた、主がまのあたりに現われて、あなたの雲が彼らの上に立ち、あなたが昼は雲の柱、夜は火の柱のうちにあって、彼らの前を歩んでおられるのを聞いているのです。
14:15 そこでもし、あなたがこの民をひとり残らず殺すなら、あなたのうわさを聞いた異邦の民は次のように言うでしょう。
14:16 『主はこの民を、彼らに誓った地に導き入れることができなかったので、彼らを荒野で殺したのだ。』
14:17 どうか今、わが主の大きな力を現わしてください。あなたは次のように約束されました。
14:18 『主は怒るのにおそく、恵み豊かである。咎とそむきを赦すが、罰すべき者は必ず罰して、父の咎を子に報い、三代、四代に及ぼす。』と。
14:19 あなたがこの民をエジプトから今に至るまで赦してくださったように、どうかこの民の咎をあなたの大きな恵みによって赦してください。」
14:20 主は仰せられた。「わたしはあなたのことばどおりに赦そう。
◆上記みことばを通して、神は祭司であるモーセやアロンの祈りに答えられる、ということが理解できる。
◆モーセは神の民のために「とりなし」をした。そして神の民への神罰がとどめられた。神が御民を赦された。
◆ここで理解できることは、神は決めたことを「絶対に変えない!」とは、語ってはいない。
◆そしてモーセが語ったことには意味がある。語りかけがある。
◆「祭司」として歩むときに、私たちもモーセやサムエルに準ずる。つまり神の前に祈っていくときに、その祈りを聞かれる。上記にあるように、モーセの祈りによって神の御怒りがとどまった。
※エレミヤ牧師の証:祈りのリストを見ながら、人々のためにとりなしをしている。その中で、かつて自分を裏切った人もいる。しかしそういう人のためにも祈る。滅んでは欲しくないし、いつか悔い改めるかもしれないから。
ポイント:私たちもモーセやアロンに倣う。信じて祈る。いつかどこかで悔い改めるかもしれないので・・・祈っているとどこかで報われる可能性もあるので・・・ゆえにこういうことも主の奉仕の一環として行っていきたい。
99:8 われらの神、主。あなたは、彼らに答えられた。あなたは、彼らにとって赦しの神であられた。しかし、彼らのしわざに対してはそれに報いる方であった。
◆私たちは悪いことをしたら、罰せられる。
◆モーセやアロンに対しても「罰」が下った。
Ex:「水が無いのですが・・・」とモーセが神に嘆願したときに、「岩に命じなさい」と神は言われたのだが、しかしモーセは「岩」を叩いてしまった。そのために「約束の地には入れない」と神に言われた。
ポイント:モーセやアロンのように神のことばに仕えている立場であっても、悪いことには「悪い報い」がくる、ということは覚えておく。
Ex:モーセの地位に着いていた律法学者やパリサイ人がまさにそうだった。彼らは神のことばを曲げたので、災いに入ってしまった。
参照 マタイの福音書23:23‐28
23:23 忌わしいものだ。偽善の律法学者、パリサイ人たち。あなたがたは、はっか、いのんど、クミンなどの十分の一を納めているが、律法の中ではるかに重要なもの、すなわち正義もあわれみも誠実もおろそかにしているのです。これこそしなければならないことです。ただし、他のほうもおろそかにしてはいけません。
23:24 目の見えぬ手引きども。あなたがたは、ぶよは、こして除くが、らくだはのみこんでいます。
23:25 忌わしいものだ。偽善の律法学者、パリサイ人たち。あなたがたは、杯や皿の外側はきよめるが、その中は強奪と放縦でいっぱいです。
23:26 目の見えぬパリサイ人たち。まず、杯の内側をきよめなさい。そうすれば、外側もきよくなります。
23:27 忌わしいものだ。偽善の律法学者、パリサイ人たち。あなたがたは白く塗った墓のようなものです。墓はその外側は美しく見えても、内側は、死人の骨や、あらゆる汚れたものがいっぱいなように、
23:28 あなたがたも、外側は人に正しいと見えても、内側は偽善と不法でいっぱいです。
◆結局このように、彼らが形だけうまく見せても実際の行いが正しくないときに、「災い」に入った。キリストを殺し、エルサレムで「災い」に入った。
ポイント:主に仕えていくがゆえに、偽善や形だけではダメ。なすべきことをなしていきたい!
※エレミヤ牧師の証:主の奉仕に携わるようになり、「神に仕える奉仕」ということを教えられた。たとえの意味合いを理解することを求めた。それによって神から直接恵みや助けが来た。あらゆる嘘、偽り、惑わしから逃れた。たとえば死後、行いによってさばかれるということを悟った。また、マタイの福音書7章「主よ、主よ~」のみことばを通して、終わりの時代のクリスチャンは「悪霊の賜物」に引っ張られて「永遠の命」を失うことを理解した。こういうことを教えてもらえたのは、ある意味主の奉仕に携わっているゆえの「報い」だと思う。
ポイント:「良い行い」には「良い報い」が来る。一方、「良くない行い」には「厳しいさばき」が来る。
99:9 われらの神、主をあがめよ。その聖なる山に向かって、ひれ伏せ。われらの神、主は聖である。
◆聖である=汚れたことから分離されている。
◆聖書で言われている「分離」とは、「反芻しない人」(聖書のみことばを繰り返し読まないクリスチャン)や「ひづめが分かれていない人」(この世に着いたクリスチャン)との分離のことを指す。そして主の言われたことをぜひ、実行していきたい!
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