詩篇67篇 2014.7.13
指揮者のために。弦楽器によって。賛歌。歌
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67:1 どうか、神が私たちをあわれみ、祝福し、み顔を私たちの上に照り輝かしてくださるように。セラ
聖書のあらゆることばに意味がある
「神の体」について、「足」「手」「御顔」に関して語っていて、それぞれに意味がある
その中で、「御顔を輝かせてください」ということばがある
良いことは「御顔」が輝いている、そして私たちに向けられていること→祝福
それと対称的に「御顔を隠す」ことがある→災い
「御顔」が隠されているときの問題:どっちに向いているのか?怒っているのか?笑っているのか?分からない、神さまの表情が見えない
今の時代、神が教会やクリスチャンに「御顔」を隠している可能性がある
あまりにも頓珍漢なことを言っているクリスチャンが多いから
Ex:神は愛に溢れているからどこまでも許す神
今は神が「御顔」を隠されている状態、じつは神が怒っている
参照 ローマ人への手紙1:18
1:18 というのは、不義をもって真理をはばんでいる人々のあらゆる不敬虔と不正に対して、神の怒りが天から啓示されているからです。
多くのクリスチャンに対して、神が完全に「御顔」を隠されている、ゆえに全然違う方向に行っている
しかし、もし、「御顔」を見られるなら幸い、仮に神が怒っていても、真実を見ることが大事
67:2 それは、あなたの道が地の上に、あなたの御救いがすべての国々の間に知られるためです。
「神の道」が「国々」に知られるのが大事
「神の道」は人々に分かりづらい、「見出す者は稀」とも言われている
参照 マタイの福音書7:14
7:14 いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見いだす者はまれです。
神が「道」を知らせてくださるなら恵み、それと同時に「神の道」を見出すのは困難
でも、「狭い道」を見出すなら恵み
聖書は「道を見出すのが困難であり、稀」だと言っている
「道」が狭いために、間違えてしまうことが多い
参照 マルコの福音書4:26-29
4:26 また言われた。「神の国は、人が地に種を蒔くようなもので、
4:27 夜は寝て、朝は起き、そうこうしているうちに、種は芽を出して育ちます。どのようにしてか、人は知りません。
4:28 地は人手によらず実をならせるもので、初めに苗、次に穂、次に穂の中に実がはいります。
4:29 実が熟すると、人はすぐにかまを入れます。収穫の時が来たからです。」
上記みことばは、「神の国」に対しての「道」について語っている、しかし多くの人は誤解して見出せない
〔上記みことばの解説〕
28節にあるように、初めに「苗」となり、次に「穂」となり、「穂の中」に「実」が入る
そして29節にあるように、そのあとすぐに「かま」を入れる
これは何を言っているのか?このことからも「神の道」は分かりづらかったり、ピンと来なかったりする
たとえば「麦」の中にも「葉」や「花」や「根」がある、これらはキリスト教会の一部としてのたとえでもある、そして「麦」の目的が「実」であるように、神さまが目的としているのも「実」、そして「かま」を入れる、このことは「再臨」のことを言っている
参照 ヨハネの黙示録14:14,15
14:14 また、私は見た。見よ。白い雲が起こり、その雲に人の子のような方が乗っておられた。頭には金の冠をかぶり、手には鋭いかまを持っておられた。
14:15 すると、もうひとりの御使いが聖所から出て来て、雲に乗っておられる方に向かって大声で叫んだ。「かまを入れて刈り取ってください。地の穀物は実ったので、取り入れる時が来ましたから。」
再臨の時、「実」が実ったら刈り取る
クリスチャンはみことばで育つので麦の一部、でも、「根っこ」や「穂」や「花」だったら価値が無いので刈り取ってもらえない、ゆえに再臨の時に「携挙」されない、「実」は「御霊の実」に通じる
ここでシビアなことを言っている、神が関心があるのは「御霊の実」のみ、すべてのクリスチャンが刈り取られるわけではない、「実」にならないなら、刈り取られない
イエスさまはシビアなお方、結構選ぶお方
「御霊の実」を結ぶのが必須、しかし多くの人はこのことを見ない、主が示さないと見ない、主が示してくださるのが大事
「贖い」はすべてのクリスチャンに適用されていて、「贖い」の権利がある、しかし神の前に「宝」とならなければ持って帰る価値が無い
参照 マタイの福音書13:44
13:44 天の御国は、畑に隠された宝のようなものです。人はその宝を見つけると、それを隠しておいて、大喜びで帰り、持ち物を全部売り払ってその畑を買います。
「贖い」とは「畑(教会)全体」のこと、しかしポイントは「宝」にある
「狭い道」を見出すなら感謝
67:3 神よ。国々の民があなたをほめたたえ、国々の民がこぞってあなたをほめたたえますように。
67:4 国民が喜び、また、喜び歌いますように。それはあなたが公正をもって国々の民をさばかれ、地の国民を導かれるからです。セラ
「公正」をもって、国々をさばかれる
悪いことをした人には「悪い報い」を、良いことをした人には「良い報い」をする
あらゆるクリスチャンや教会は、神に「公正」にさばかれる
67:5 神よ。国々の民があなたをほめたたえ、国々の民がこぞってあなたをほめたたえますように。
67:6 地はその産物を出しました。神、私たちの神が、私たちを祝福してくださいますように。
67:7 神が私たちを祝福してくださって、地の果て果てが、ことごとく神を恐れますように。
7節にあるように、「神は恐るべき」お方、そしてクリスチャンにとってあるべき姿は「神を恐れる姿」、もし恐れないなら滅んでしまう
「しかるべき恐れ」を神に持てるなら幸い
パウロも神への恐れについて言っている
参照 Ⅰコリント人への手紙5:1-5
5:1 あなたがたの間に不品行があるということが言われています。しかもそれは、異邦人の中にもないほどの不品行で、父の妻を妻にしている者がいるとのことです。
5:2 それなのに、あなたがたは誇り高ぶっています。そればかりか、そのような行ないをしている者をあなたがたの中から取り除こうとして悲しむこともなかったのです。
5:3 私のほうでは、からだはそこにいなくても心はそこにおり、現にそこにいるのと同じように、そのような行ないをした者を主イエスの御名によってすでにさばきました。
5:4 あなたがたが集まったときに、私も、霊においてともにおり、私たちの主イエスの権能をもって、
5:5 このような者をサタンに引き渡したのです。それは彼の肉が滅ぼされるためですが、それによって彼の霊が主の日に救われるためです。
レムナントキリスト教会
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