詩篇85篇 2014.11.16

 

指揮者のために。コラの子たちの賛歌

 

85:1 主よ。あなたは、御国に恵みを施し、ヤコブの捕われ人を、お返しになりました。

85:2 あなたは、御民の咎を赦し、彼らのすべての罪を、おおわれました。セラ

85:3 あなたは、激しい怒りをことごとく取り去り、燃える御怒りを、押しとどめられました。

あってはならないことですが、クリスチャン生活の中で、激しい神の御怒りに会うことが結構ある

なぜ神が怒るのか?それについて旧約聖書から学ぶ

神は理由があって怒る

Ex:イゼベルが殺されたのは、正しいナボテを殺したから

神の怒りは益となる

しかるべき時に罰を下す

神はたしかに怒る、しかし2節にあるように憐れみをもって罪を赦す

罪をおおってくださる、そして「おおわれる」とは、「目には見えない」という意味合いがある

私たちが正しく悔い改めれば、罪をおおってくださる

私たちがきちんと悔い改めるなら、神は罪をどこまでも追求されるお方ではない

 

85:4 われらの救いの神よ。どうか、私たちを生き返らせ、私たちに対する御怒りをやめてください。

85:5 あなたは、いつまでも、私たちに対して怒っておられるのですか。代々に至るまで、あなたの御怒りを引き延ばされるのですか。

85:6 あなたは、私たちを再び生かされないのですか。あなたの民があなたによって喜ぶために。

85:7 主よ。私たちに、あなたの恵みを示し、あなたの救いを私たちに与えてください。

85:8 私は、主であられる神の仰せを聞きたい。主は、御民と聖徒たちとに平和を告げ、彼らを再び愚かさには戻されない。

ここは神の怒りが臨んでいる箇所

このようなことはあってはならない、そういう時にはどうするのか?についてよ9節に書かれている

 

85:9 まことに御救いは主を恐れる者たちに近い。それは、栄光が私たちの国にとどまるためです。

神を恐れることにポイントがある

神を恐れていないと罪に入り、神の怒りを引き起こす

今のクリスチャンは神を恐れていない、ゆえに神の怒りを引き起こしている

神を恐れないときに、災いがやってくる

 

85:10 恵みとまこととは、互いに出会い、義と平和とは、互いに口づけしています。

恵みとまこと(真理)とは、互いに出会う、つまりこれらは仲良しの関係

真理に歩んでいくときに、神からの恵みを受けやすい

裏返すと、真理から外れている人は恵みを受けていない

義と平和は互いに口づけする、このふたつも仲が良い

正しい歩みをしているときに、平和が起きてくる、神と戦争状態ではない

しかし神と戦争状態のクリスチャンがいる

Ex:ヨナ→正しい道から逃げていた、バラム→違う道を歩んでいた

正しくない道を歩んでいくときに、平和から外れていく

でも、正しく歩んでいくときに平和があり、祝福がある

 

85:11 まことは地から生えいで、義は天から見おろしています。

まこと(真理)は、地から生える

普通、地面から生えるのは麦

真理の道を歩んでいくときに、麦(みことば)を受ける、みことばのパンに不足することはない

天から降るのは雨

正しく歩むなら、聖霊の働きが与えられる

 

85:12 まことに、主は、良いものを下さるので、私たちの国は、その産物を生じます。

真理の道を歩むときに良いものをくださる、悪いことをしているならもらえない

 

85:13 義は、主の御前に先立って行き、主の足跡を道とします。

この箇所は訳が少し違う

義は、主の前に先立って行き:義は彼の前に先立っていく

:私たちのこと

私たちが正しい道を追い求めていくなら、歩むべき方向が示されてくる

義の道を歩むか?否か?によって、大きく結論が変わる

罪から目を離すことを求めていくなら、祝福に入る