詩篇86篇 2014.11.23

 

ダビデの祈り

 

86:1 主よ。あなたの耳を傾けて、私に答えてください。私は悩み、そして貧しいのです。

貧しくて必要があって、神の前に求めていくなら、神のわざを見る→幸いなこと

 

86:2 私のたましいを守ってください。私は神を恐れる者です。わが神よ。どうかあなたに信頼するあなたのしもべを救ってください。

クリスチャンの目標:永遠の命

参照 マタイの福音書16:26

16:26 人は、たとい全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら、何の得がありましょう。そのいのちを買い戻すのには、人はいったい何を差し出せばよいでしょう。

ここで言われている「いのち」とは、肉体の命のことではなく、永遠の命のこと

「永遠の命」をゲットすることこそが、クリスチャン生活のもっとも大事な部分

しかし今のキリスト教会の惑わしのひとつに「永遠の命をゲットするのは楽勝」というものがある

しかし聖書に書かれているように、「永遠の命」を得るというのは、実際には狭い門、細い道である

参照 マタイの福音書7:14

7:14 いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見いだす者はまれです。

ノンクリスチャンからクリスチャンに新生して歩むのはひとつのこと、しかしゴールして永遠の命を得るのは別のこと

しもべを救ってください:滅びに入らないように祈っている

クリスチャンは新生したら「救われた」と言う、このことばは「滅び」から救われることを意味する

滅びへの門は大きい、しかし神を恐れ、敬虔な歩みをしている人は、不思議と救いに入ったり、正しい道に入る

ちなみに知識だけの人はわなに入る

Ex:パリサイ人、律法学者→彼らは、救い主はベツレヘム以外から生まれるわけはない、と言い、ナザレのイエスを否定した、そして異端者とした、彼らにとって聖書のことばはわなとなった、一方ナタナエルは、はじめは「ナザレから何の良いものが出るだろうか」と言っていたが、しかしいざイエス・キリストを目の当たりにしたときに「イスラエルの王」と認めることができた

ゆえに敬虔な人はたとえ「わな」の中にいても、真理を見る

神を恐れる歩みをしているなら、たとえ間違えても真理を見る

 

86:3 主よ。私をあわれんでください。私は一日中あなたに呼ばわっていますから。

86:4 あなたのしもべのたましいを喜ばせてください。主よ。私のたましいはあなたを仰いでいますから。

たましい:霊的な部分

たましいは、神によって喜ばせ、神によって落ち着く

祈りの中で聖霊に触れ、たましいが癒されていく

ゆえに祈りに時間を割き、心を割いていく

 

86:5 主よ。まことにあなたはいつくしみ深く、赦しに富み、あなたを呼び求めるすべての者に、恵み豊かであられます。

主に求める者は豊か

 

86:6 主よ。私の祈りを耳に入れ、私の願いの声を心に留めてください。

86:7 私は苦難の日にあなたを呼び求めます。あなたが答えてくださるからです。

苦難や問題のために、主に呼び求めていきたい

 

86:8 主よ。神々のうちで、あなたに並ぶ者はなく、あなたのみわざに比ぶべきものはありません。

真の神ご自身がおこされるみわざに比べるべきものは無い

ダビデは敬虔に主を求めていた

ダビデはサウル王に憎まれ、追いかけられた

しかし真に主に助けを求めて、主に命を守られた

そして、最後はサウルに代わって王となり、それは延々と続いている

私たちにも神さまは奇しいわざを行ってくださる

ダビデは危機一髪のところを通されている

しかし神からとしか思えないようなふしぎなわざを見て、守られている

私たちも神さまのわざを見ていきたい

ダビデのように歩むべき道を歩んでいくときに、不思議なわざを見る

 

86:9 主よ。あなたが造られたすべての国々はあなたの御前に来て、伏し拝み、あなたの御名をあがめましょう。

その通りにする

 

86:10 まことに、あなたは大いなる方、奇しいわざを行なわれる方です。あなただけが神です。

86:11 主よ。あなたの道を私に教えてください。私はあなたの真理のうちを歩みます。私の心を一つにしてください。御名を恐れるように。

11節の祈りは大事→道を教えてください

滅びる道は広いので、そのように祈る

ダビデは天の御国に入った型なので、ダビデと同じような祈りをするなら、入るべき所に入る

祈るなら、真理を見ることができる

惑わされたり、真理からズレていても、祈っていく価値がある、道が見えていく

 

86:12 わが神、主よ。私は心を尽くしてあなたに感謝し、とこしえまでも、あなたの御名をあがめましょう。

86:13 それは、あなたの恵みが私に対して大きく、あなたが私のたましいを、よみの深みから救い出してくださったからです。

よみの深み(英語:hell):地獄

本来、地獄へ入るべきだった、しかし神が救い出してくださる

地獄の穴はひょんな所に「落とし穴」のようにあるのでは?

教会が災いになる場合がある

Ex:艱難前携挙説が語られていたり、聖霊以外の霊が下されたりしている

でも、私たちが求めていくときに、主が救い出してくださる

ポイント、ポイントで大事なことを教えてくださる

 

86:14 神よ。高ぶる者どもは私に逆らって立ち、横暴な者の群れは私のいのちを求めます。彼らは、あなたを自分の前に置いていません。

86:15 しかし主よ。あなたは、あわれみ深く、情け深い神。怒るのにおそく、恵みとまことに富んでおられます。

86:16 私に御顔を向け、私をあわれんでください。あなたのしもべに御力を与え、あなたのはしための子をお救いください。

86:17 私に、いつくしみのしるしを行なってください。そうすれば、私を憎む者らは見て、恥を受けるでしょう。まことに主よ。あなたは私を助け、私を慰めてくださいます。

見えるしるしはない、しかしいざというときに、神のわざを見る