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2014年5月11(日) 第34回黙示録セミナー by エレミヤ      前半
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      第34回黙示録セミナー       テキスト

 

第34回黙示録セミナー H26.5.11

 

 

 

 

 

「崩壊する教会」

 

 

 

 

主の語られたいわゆる終末預言をルカ21章から学ぶ。

 

 

 

 

 

テキスト:ルカの福音書

 

ルカの福音書

 

21:5 宮がすばらしい石や奉納物で飾ってあると話していた人々があった。するとイエスはこう言われた。

 

 

 

21:6 「あなたがたの見ているこれらの物について言えば、石がくずされずに積まれたまま残ることのない日がやって来ます。」

 

 

 

21:7 彼らは、イエスに質問して言った。「先生。それでは、これらのことは、いつ起こるのでしょう。これらのことが起こるときは、どんな前兆があるのでしょう。」

 

 

 

21:8 イエスは言われた。「惑わされないように気をつけなさい。わたしの名を名のる者が大ぜい現われ、『私がそれだ。』とか『時は近づいた。』とか言います。そんな人々のあとについて行ってはなりません。

 

 

 

21:9 戦争や暴動のことを聞いても、こわがってはいけません。それは、初めに必ず起こることです。だが、終わりは、すぐには来ません。」

 

 

 

21:10 それから、イエスは彼らに言われた。「民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、

 

 

 

21:11 大地震があり、方々に疫病やききんが起こり、恐ろしいことや天からのすさまじい前兆が現われます。

 

 

 

21:12 しかし、これらのすべてのことの前に、人々はあなたがたを捕えて迫害し、会堂や牢に引き渡し、わたしの名のために、あなたがたを王たちや総督たちの前に引き出すでしょう。

 

 

 

21:13 それはあなたがたのあかしをする機会となります。

 

 

 

21:14 それで、どう弁明するかは、あらかじめ考えないことに、心を定めておきなさい。

 

 

 

21:15 どんな反対者も、反論もできず、反証もできないようなことばと知恵を、わたしがあなたがたに与えます。

 

 

 

21:16 しかしあなたがたは、両親、兄弟、親族、友人たちにまで裏切られます。中には殺される者もあり、

 

 

 

21:17 わたしの名のために、みなの者に憎まれます。

 

 

 

21:18 しかし、あなたがたの髪の毛一筋も失われることはありません。

 

 

 

21:19 あなたがたは、忍耐によって、自分のいのちを勝ち取ることができます。

 

 

 

21:20 しかし、エルサレムが軍隊に囲まれるのを見たら、そのときには、その滅亡が近づいたことを悟りなさい。

 

 

 

21:21 そのとき、ユダヤにいる人々は山へ逃げなさい。都の中にいる人々は、そこから立ちのきなさい。いなかにいる者たちは、都にはいってはいけません。

 

 

 

21:22 これは、書かれているすべてのことが成就する報復の日だからです。

 

 

 

21:23 その日、悲惨なのは身重の女と乳飲み子を持つ女です。この地に大きな苦難が臨み、この民に御怒りが臨むからです。

 

 

 

21:24 人々は、剣の刃に倒れ、捕虜となってあらゆる国に連れて行かれ、異邦人の時の終わるまで、エルサレムは異邦人に踏み荒らされます。

 

 

 

21:25 そして、日と月と星には、前兆が現われ、地上では、諸国の民が、海と波が荒れどよめくために不安に陥って悩み、

 

 

 

21:26 人々は、その住むすべての所を襲おうとしていることを予想して、恐ろしさのあまり気を失います。天の万象が揺り動かされるからです。

 

 

 

21:27 そのとき、人々は、人の子が力と輝かしい栄光を帯びて雲に乗って来るのを見るのです。

 

 

 

21:28 これらのことが起こり始めたなら、からだをまっすぐにし、頭を上に上げなさい。贖いが近づいたのです。」

 

 

 

21:29 それからイエスは、人々にたとえを話された。「いちじくの木や、すべての木を見なさい。

 

 

 

21:30 木の芽が出ると、それを見て夏の近いことがわかります。

 

 

 

21:31 そのように、これらのことが起こるのを見たら、神の国は近いと知りなさい。

 

 

 

21:32 まことに、あなたがたに告げます。すべてのことが起こってしまうまでは、この時代は過ぎ去りません。

 

 

 

21:33 この天地は滅びます。しかし、わたしのことばは決して滅びることがありません。

 

 

 

21:34 あなたがたの心が、放蕩や深酒やこの世の煩いのために沈み込んでいるところに、その日がわなのように、突然あなたがたに臨むことのないように、よく気をつけていなさい。

 

 

 

21:35 その日は、全地の表に住むすべての人に臨むからです。

 

 

 

21:36 しかし、あなたがたは、やがて起ころうとしているこれらすべてのことからのがれ、人の子の前に立つことができるように、いつも油断せずに祈っていなさい。」

 

 

 

 

 

これらのみことばに従い、終末に関して理解を進めていく

 

 

 

ルカの福音書

 

21:5 宮がすばらしい石や奉納物で飾ってあると話していた人々があった。するとイエスはこう言われた。

 

 

 

21:6 「あなたがたの見ているこれらの物について言えば、石がくずされずに積まれたまま残ることのない日がやって来ます。」

 

 

 

 

 

 

 

ここでは、宮の崩壊に関して語られている。

 

宮の崩壊とは聖書的に見るなら、非常に意味のある特別な事柄である。

 

 

 

1列王記

 

9:6 もし、あなたがたとあなたがたの子孫が、わたしにそむいて従わず、あなたがたに授けたわたしの命令とわたしのおきてとを守らず、行ってほかの神々に仕え、これを拝むなら、

 

 

 

9:7 わたしが彼らに与えた地の面から、イスラエルを断ち、わたしがわたしの名のために聖別した宮を、わたしの前から投げ捨てよう。こうして、イスラエルはすべての国々の民の間で、物笑いとなり、なぶりものとなろう。

 

 

 

9:8 この宮も廃墟となり、そのそばを通り過ぎる者はみな、驚いて、ささやき、『なぜ、主はこの地とこの宮とに、このような仕打ちをされたのだろう。』と言うであろう。

 

 

 

9:9 すると人々は、『あの人たちは、エジプトの地から自分たちの先祖を連れ出した彼らの神、主を捨てて、ほかの神々にたより、これを拝み、これに仕えた。そのために、主はこのすべてのわざわいをこの人たちに下されたのだ。』と言うようになる。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

バビロンによる宮の崩壊:

 

 

 

2歴代誌

 

36:16 ところが、彼らは神の使者たちを笑いものにし、そのみことばを侮り、その預言者たちをばかにしたので、ついに、主の激しい憤りが、その民に対して積み重ねられ、もはや、いやされることがないまでになった。

 

 

 

36:17 そこで、主は、彼らのもとにカルデヤ人の王を攻め上らせた。彼は、剣で、彼らのうちの若い男たちを、その聖所の家の中で殺した。若い男も若い女も、年寄りも老衰の者も容赦しなかった。主は、すべての者を彼の手に渡された。

 

 

 

36:18 彼は、神の宮のすべての大小の器具、主の宮の財宝と、王とそのつかさたちの財宝、これらすべてをバビロンへ持ち去った。

 

 

 

36:19 彼らは神の宮を焼き、エルサレムの城壁を取りこわした。その高殿を全部火で燃やし、その中の宝としていた器具を一つ残らず破壊した。

 

 

 

 

 

終末の日には、崩壊するべき宮はエルサレムには存在しない。

 

従ってそれは、たとえとしての教会の崩壊と理解できる。以下の様に教会は宮にたとえられている。

 

 

 

エペソ人への手紙

 

2:20 あなたがたは使徒と預言者という土台の上に建てられており、キリスト・イエスご自身がその礎石です。

 

 

 

2:21 この方にあって、組み合わされた建物の全体が成長し、主にある聖なる宮となるのであり、

 

 

 

2:22 このキリストにあって、あなたがたもともに建てられ、御霊によって神の御住まいとなるのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

宮は崩壊し、キリスト教会の土台は崩され、反キリストは、宮、教会の中に座を設ける。

 

キリストは教会の王座から追い出される。

 

 

 

2テサロニケ人への手紙

 

2:3 だれにも、どのようにも、だまされないようにしなさい。なぜなら、まず背教が起

 

り、不法の人、すなわち滅びの子が現われなければ、主の日は来ないからです。

 

 

 

2:4 彼は、すべて神と呼ばれるもの、また礼拝されるものに反抗し、その上に自分を高く上げ、神の宮の中に座を設け、自分こそ神であると宣言します。

 

 

 

 

 

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ルカの福音書

 

21:8 イエスは言われた。「惑わされないように気をつけなさい。わたしの名を名のる者が大ぜい現われ、『私がそれだ。』とか『時は近づいた。』とか言います。そんな人々のあとについて行ってはなりません。

 

 

 

 

 

終末の日は、福音書に書かれたナザレのイエスは偽者である、本物は実はこの私だという人々が現れる時代。

 

 

 

反キリストもその一人、彼は多くの人を惑わし、正統派キリスト教会の真ん中に座を占め、多くのクリスチャンを惑わし、永遠の命を奪う。

 

 

 

 

 

ルカの福音書

 

21:9 戦争や暴動のことを聞いても、こわがってはいけません。それは、初めに必ず起こることです。だが、終わりは、すぐには来ません。」

 

 

 

21:10 それから、イエスは彼らに言われた。「民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、

 

 

 

 

 

ここで書かれているのは、世の中で起きる戦争や、第3次世界大戦のことではない。

 

そうではなく、たとえとして、キリスト教会の中の争いが勃発することを語る。

 

今まで一枚岩だったキリスト教会が大いに分裂し、お互いの教派が争い、訴え、非難合戦する日が来る。

 

 

 

何故そうなるか?宮、キリスト教会の土台が揺るぎ、根本教理が揺るがされるからである。

 

 

 

教会の中で揺らがない教理など一つもなくなる、イエスによる救いも使徒パウロの書簡の教理もみな、否定され、揺るがされる。

 

 

 

 

 

ルカの福音書

 

21:11 大地震があり、方々に疫病やききんが起こり、恐ろしいことや天からのすさまじい前兆が現われます。

 

 

 

これらもたとえである。大地震は建物を揺るがせ、崩壊させる。

 

同じように今まで、当然のごとく、受け入れられてきた、キリスト教会の根本教理が揺るがされる日がくる。

 

 

 

今起きているダビンチコードを始めとした偽りはその日、実を結ぶ。

 

 

 

 

 

 

 

疫病やききん」

 

 

 

聖書もキリストのことばも科学的に何の信憑性もないことが「証明」され、多くのクリスチャンがみことばに対する信頼を失う。

 

 

 

結果、命のパン、みことばに対する飢えが起き、ききんがおきる。

 

 

 

 

 

 

 

「天からのすさまじい前兆」

 

 

 

前兆と訳されたことばは、いわゆる「しるしと不思議」として使われていることばと同じ原語。

 

 

 

すなわち、キリスト教会の中で、多くのしるしが行われ、反キリスト、偽預言者がばっこし、選民、すなわち、ペテロやヨハネの様に選ばれた弟子さえ惑わされる時代になる。

 

 

 

ルカの福音書

 

21:12 しかし、これらのすべてのことの前に、人々はあなたがたを捕えて迫害し、会堂や牢に引き渡し、わたしの名のために、あなたがたを王たちや総督たちの前に引き出すでしょう。

 

 

 

 

 

何故、正しくキリストを信じている人々が、捕らえられたり、迫害されるのか?

 

その理由は、もうこの終末の日には、キリスト教会の常識やら、教理が逆転し、今まで、キリスト教会の主であった、ナザレのイエスは偽り者、それを信じる人々は悪質なカルトという「常識」が横行するからである。

 

 

 

正しいクリスチャンはカルトとして、逮捕され、迫害される。

 

 

 

 

 

 

 

「会堂(シナゴーグ)や牢に引き渡し」

 

 

 

みことばは、その日、正しいクリスチャンがシナゴーグすなわち、ユダヤ教の会堂に引き渡されることを語る。

 

 

 

従って、この迫害には、偽ユダヤ人が影で糸を引いていることが推察される。

 

 

 

聖書は以下の様に、偽ユダヤ人が正しいクリスチャンを迫害することを語る。

 

 

 

黙示録

 

3:9 見よ。サタンの会衆(シナゴーグ)に属する者、すなわち、ユダヤ人だと自称しながら実はそうでなくて、うそを言っている者たちに、わたしはこうする。見よ。彼らをあなたの足もとに来てひれ伏させ、わたしがあなたを愛していることを知らせる。

 

 

 

ルカの福音書

 

21:13 それはあなたがたのあかしをする機会となります。

 

 

 

21:14 それで、どう弁明するかは、あらかじめ考えないことに、心を定めておきなさい。

 

 

 

21:15 どんな反対者も、反論もできず、反証もできないようなことばと知恵を、わたしがあなたがたに与えます。

 

 

 

 

 

その日、正しいクリスチャンは、主のことばのゆえに迫害に会い、弁明を行う。

 

それは、神のことばのゆえに捕らえられ、律法学者、パリサイ人に迫害された主の後を追うことである。

 

 

 

この様に迫害を経てなおかつ主に従うものが入るべき御国に入る。

 

それは、かつての日、主に最後まで従った12弟子たちに主が天の住まいを約束したことに通じる。

 

 

 

ルカの福音書

 

21:16 しかしあなたがたは、両親、兄弟、親族、友人たちにまで裏切られます。中には殺される者もあり、

 

 

 

両親、兄弟はたとえであり、教会の信仰の両親である牧師夫妻、また、信仰の兄弟姉妹をさすと理解できる。

 

すなわち、その日、正しくみことばに従う人々は、同じ教会の牧師や兄弟姉妹からさえ裏切られ、売られてしまう。

 

何故そうなるか?それは、キリスト教会の土台が崩され、もうナザレのイエスは、救い主でも、奇跡を行った人でもない、ということが「常識」となるからである。

 

この様に科学的、歴史的な真理に従わない人々は異端として、決め付けられる。

 

また、その様なカルト信者は、密告するように奨励する法律が制定されると思われる。

 

 

 

 

 

中には殺される者もあり」

 

 

 

その日、世界中の世論、論調はたくみに操作され、正しいクリスチャンをカルトと認定する世論が起きる。 

 

 

 

意図的な作られた事件や、騒動も起こされる。そして、それらの「カルト」に対して厳しい法律が施行され、死刑が求刑される。殉教するクリスチャンも出てくる。

 

 

 

ルカの福音書

 

21:17 わたしの名のために、みなの者に憎まれます。

 

 

 

その日、キリストにどこまでも忠実に従おうとする人々が全世界の人々、また全世界の教会から、憎まれる日が来る。

 

 

 

今の我々には想像もできないが、世論がたくみに誘導され、イエスキリストに対する信頼、信仰は地に落ちる。

 

 

 

その日は、多くのクリスチャンにとり、より分けのときであり、その人の真の心が試される日である。

 

 

 

 

 

ルカの福音書

 

21:18 しかし、あなたがたの髪の毛一筋も失われることはありません。

 

 

 

21:19 あなたがたは、忍耐によって、自分のいのち(魂)を勝ち取ることができます。

 

この日は、多くのクリスチャンをよりわけるために用意されたよりわけの日、また、試みの日である。

 

 

 

その人の真の心が試される日である。少なくとも3年半の間、この艱難は続く。そして、忍耐をもって、その艱難の日を耐えた人は、得るべき永遠の命を受ける。

 

ここでは、「自分のいのち(魂)を勝ち取ることができます。」として、魂を勝ち取ることについて語られている。

 

このいのち、魂ということばは以下のたましいと同じことば。

 

 

 

マタイの福音書

 

10:28 からだを殺しても、たましいを殺せない人たちなどを恐れてはなりません。そんなものより、たましいもからだも、ともにゲヘナで滅ぼすことのできる方を恐れなさい。

 

 

 

すなわち、もし、我々が艱難時代に入ったなら、肉体の命を失うことに拘泥すべきでないことが暗示される。肉体の命をとるぞ、との脅かしに屈し、キリストを裏切るものは永遠の悔いを残す。

 

 

 

 

 

ルカの福音書

 

21:20 しかし、エルサレムが軍隊に囲まれるのを見たら、そのときには、その滅亡が近づいたことを悟りなさい。

 

 

 

 

 

ここにもたとえが使われている。エルサレムは旧約の神の民にとり、その中心の都。

 

しかし、彼らが背教した時、都は敵の軍に囲まれ、また、宮は崩壊した。

 

 

 

同じく、新約の神の民もその教会時代の終わりに、神の都であるエルサレムにたとえられる教会は、敵に囲まれ、その滅亡が起きる。

 

 

 

エルサレムの滅亡とは具体的には宮の崩壊と同じことであり、キリスト教会の土台が崩されることをたとえで表現しているに過ぎない。

 

 

 

 

 

「その滅亡」

 

 

 

滅亡と訳されていることばは以下の「荒らす」憎むべき者の原語と同じ。

 

 

 

 

 

マタイの福音書

 

24:15 それゆえ、預言者ダニエルによって語られたあの『荒らす憎むべき者』が、聖なる所に立つのを見たならば、(読者はよく読み取るように。)

 

 

 

すなわち、エルサレムが軍隊に囲まれるとはたとえの意味合いとして、教会がその背教のゆえに敵に囲まれ、荒らす憎むべきものが教会の真ん中に立つ日が近い、と語られているのである。

 

 

 

ルカの福音書

 

21:21 そのとき、ユダヤにいる人々は山へ逃げなさい。都の中にいる人々は、そこから立ちのきなさい。いなかにいる者たちは、都にはいってはいけません。

 

 

 

 

 

その日、荒らす憎むべき者が立つ日に都、背教の教会に留まるべきでないことがたとえで、語られている。

 

逆に都と呼ばれる正統派の教会を出て、地下教会を作るべきなのである。

 

 

 

 

 

ルカの福音書

 

21:22 これは、書かれているすべてのことが成就する報復の日だからです。

 

 

 

 

 

その日は、神の怒りが背教の教会に対して燃え上がり、かねてから、聖書に預言されていた、あらゆる終末の預言、報復が背教の教会に対して成就する。

 

 

 

何故教会の真ん中に反キリストが立ち上がるのか?何故そのようなことが許されるのか?

 

 

 

それは、神が無能だからでもなく、力がないからでもない。むしろそれは、神の怒りのゆえであり、その怒りのゆえ、反キリストによる、背教の教会の支配は許される。

 

 

 

 

 

ルカの福音書

 

21:23 その日、悲惨なのは身重の女と乳飲み子を持つ女です。この地に大きな苦難が臨み、この民に御怒りが臨むからです。

 

 

 

 

 

身重の女、乳飲み子は、ヘブル書のいう、堅い食物、乳と関係があり、たとえを理解できない、信者を持つ教会のこと。

 

 

 

彼らはたとえもみ国の奥義も知らないので、終末に関するみことばを理解できない。

 

 

 

「この地に大きな苦難が臨み、この民に御怒りが臨むからです。」

 

 

 

この地とは、キリスト教会であり、この民とはクリスチャンのこと。

 

 

 

神は終末の日の教会やクリスチャンの背教に対して大きな怒りをいだいており、それゆえ、災いが教会に臨む。

 

 

 

 

 

ルカの福音書

 

21:24 人々は、剣の刃に倒れ、捕虜となってあらゆる国に連れて行かれ、異邦人の時の終わるまで、エルサレムは異邦人に踏み荒らされます。

 

 

 

 

 

剣は「御霊の剣、すなわち神のことば」と書かれているように、みことばや教理のたとえ。

 

 

 

すなわち、多くのクリスチャンがあらゆるインチキ教理に惑わされ、約束の国、御国に入る約束から、外されていく、ことが語られている。

 

 

 

 

 

「異邦人の時の終わるまで、エルサレムは異邦人に踏み荒らされます。」

 

 

 

異邦人は今で言う未信者のこと。「エルサレムは異邦人に踏み荒らされます」とは、

 

すなわち、キリスト教会がクリスチャンではなく、未信者により運営され、未信者の論理で進んでいくことを語る。

 

 

 

同性愛はOKとされ、仏教やイスラム教との合同は受け入れられる。キリスト以外に救いはないとの教えは排他的ということで廃絶される。

 

 

 

 

 

 

 

ルカの福音書

 

21:25 そして、日と月と星には、前兆が現われ、地上では、諸国の民が、海と波が荒れどよめくために不安に陥って悩み、

 

 

 

「日と月と星」とは、たとえが使われている。

 

イスラエルすなわち、アブラハムの子孫は「地の砂、天の星」のようになると聖書で語られている。

 

 

 

であるので、日と月と星とは、イスラエルをさすことば。我々新約のイスラエル、クリスチャンをもさすことば。

 

 

 

従って、「日と月と星には、前兆(しるし)が現われ」とは、クリスチャンの間で多くのしるしや不思議が行われ、惑わされる人が出てくることがたとえで語られている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「地上では、諸国の民が、海と波が荒れどよめくために不安に陥って悩み」

 

 

 

海、波は、霊的なことがらに関するたとえ。霊的なしるしが教会内で行われることを語る。

 

 

 

ルカの福音書

 

21:26 人々は、その住むすべての所を襲おうとしていることを予想して、恐ろしさのあまり気を失います。天の万象が揺り動かされるからです。

 

 

 

 

 

天の万象とは先ほど語った、日、月、星のこと。

 

クリスチャンが揺り動かされること。

 

 

 

すなわち、その日、キリスト教会の土台、根本が揺るがされ、キリスト教会がキリスト教会ならぬものに変わってしまうことを語る。

 

 

 

ナザレのイエスが実はキリストではない、などと教会へ行って聞かされれば、たしかに、「人々は、その住むすべての所を襲おうとしていることを予想して、恐ろしさのあまり気を失います。」となるのは無理がない。

 

 

 

 

 

 

 

ルカの福音書

 

21:27 そのとき、人々は、人の子が力と輝かしい栄光を帯びて雲に乗って来るのを見るのです。

 

 

 

これらの全ての背教やら、艱難の後に、キリストの再臨が来るのである。艱難前だの中だののインチキ教理に惑わされてはいけない。

 

 

 

21:29 それからイエスは、人々にたとえを話された。「いちじくの木や、すべての木を見なさい。

 

 

 

21:30 木の芽が出ると、それを見て夏の近いことがわかります。

 

21:31 そのように、これらのことが起こるのを見たら、神の国は近いと知りなさい。

 

 

 

 

 

いちじくが芽生えことと主の再臨とが関係があるようである。イチジクの意味合いは何か?

 

 

 

はっきりはわからないが、いちじくに関して以下の記述も存在する。

 

 

 

マタイの福音書

 

21:18 翌朝、イエスは都に帰る途中、空腹を覚えられた。

 

 

 

21:19 道ばたにいちじくの木が見えたので、近づいて行かれたが、葉のほかは何もないのに気づかれた。それで、イエスはその木に「おまえの実は、もういつまでも、ならないように。」と言われた。すると、たちまちいちじくの木は枯れた。

 

 

 

 

 

このいちじくの意味合いは?それは、実のない民、聖霊の実を結ばない民、イスラエルの民とも理解できる。

 

 

 

そして、この時の主ののろいのことばのように、イエスを拒否したイスラエル、ユダの民は、その後、神の前に何の実も結んでいない。

 

 

 

しかし、反面、終末の日には、そのイスラエル12部族が日の上がる方、すなわちアジアの地で回復することも聖書は預言する。

 

 

 

 

 

黙示録

 

7:2 また私は見た。もうひとりの御使いが、生ける神の印を持って、日の出るほうから上って来た。彼は、地をも海をもそこなう権威を与えられた四人の御使いたちに、大声で叫んで言った。

 

 

 

7:3 「私たちが神のしもべたちの額に印を押してしまうまで、地にも海にも木にも害を与えてはいけない。」

 

 

 

7:4 それから私が、印を押された人々の数を聞くと、イスラエルの子孫のあらゆる部族の者が印を押されていて、十四万四千人であった。

 

であるので、アジアに散らばるイスラエル民族の回復をさして、主は、「いちじくの木や、すべての木を見なさい。木の芽が出ると、それを見て夏の近いことがわかります。」として、語られたのかもしれない。

 

 

 

よって、アジアの12部族の子孫、なかんずく、ユダ、日本の回復は、終末のしるしになるかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

ルカの福音書

 

21:33 この天地は滅びます。しかし、わたしのことばは決して滅びることがありません。

 

 

 

天地は教会のたとえである。アブラハムの子孫は、天の星、地の砂にたとえられる。ということは、天とは、星が存在する、クリスチャンが存在する場所として教会のたとえ。

 

 

 

また、地とは、砂すなわち、クリスチャンが存在する場所として教会のたとえ。従って、天地は滅びるとはたとえとして、必ずの様に教会が滅び、崩壊する日を預言することば。

 

 

 

しかし、たとえ、教会が崩壊し、土台が崩れるとして、キリストのことばに変わりはないことが語られている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ルカの福音書

 

21:34 あなたがたの心が、放蕩や深酒やこの世の煩いのために沈み込んでいるところに、その日がわなのように、突然あなたがたに臨むことのないように、よく気をつけていなさい。

 

 

 

ルカの福音書

 

21:35 その日は、全地の表に住むすべての人に臨むからです。

 

 

 

 

 

その日、艱難の日は、すべての人に臨む。したがって、その神によって、定められた試練の日を逃れたり、免除されるクリスチャンは誰もいない。

 

 

 

従って、艱難前だの中だのの教理は偽りである。

 

 

 

 

 

ルカの福音書

 

21:36 しかし、あなたがたは、やがて起ころうとしているこれらすべてのことからのがれ、(KJV:これらの全てのことから逃れるにふさわしいとみなされ)人の子の前に立つことができるように、いつも油断せずに祈っていなさい。」

 

 

 

 

 

この箇所をKJVで読むと、神により、これらの全てのことがらから免れるにふさわしいと認められることが重要であることが理解できる。

 

 

 

それは、たとえば、主のおられた時の12弟子の様に、神により、これらの惑わしから免れるにふさわしいと認められた人々である。神にそうみなされることが大事。

 

 

 

 

 

 

 

―以上―